01話 表紙①
まずは字数って、それは簡単だろ。真ん中がタイトルっぽいけど右下からいってみよう。
一文字目は、何だろう?下のところに田があるから、留みたいな漢字かな。次はなにこれ?わからない。次も……わからない、次……。最後は「万」だから、全部で五文字。
ちらりと隣の悪友を見ると、真ん中から見ているようだ。目の前まで紙を近づけて、文字を見ている。思ったよりも真剣にやっている様子に意外に思いながらも、自分の作業に戻ることにする。
次の行はっと。
口かな?でも何か違うし、わからないから次。ん、州、かな。下はわからなくて、もう一つ下が加がある漢字っと。一番下がおおざとの漢字。この行も五文字にしておこう。
最後の行は、これはもう三文字だろう。
一文字目は木で、次はわからない。三文字目はうかんむり?字はわからないけど、うかんむりっぽい。
あれ?この下の判子の部分って。
思わず紙を持ち上げて、判子の部分を目に近づけて凝視する。
やっぱり右端が江と州で、左は木と戸だ。じゃあ、木の下が戸と。さっきの行も口じゃなくて江か!
江州って近江のことだったよな、安土城があった。滋賀県ってことは、江州の下が滋賀。江州滋賀で最後はおおざとの漢字か。
□□□□万
江州滋賀□
木戸□
右下の半分は読めた。じゃあ、次は真ん中を。
「はい、じゃあそこまで!」
デブ一号が時計を見ながら制止する。
おもわず顔を上げて時計を見ると、五分以上過ぎていた。
「あの、まだ半分くらいしか終わってないんですけど」
悪友が自分の原稿用紙を振っている。ちらりと美人のほうも見ると、自分と同じように右下しか終わってなさそうだった。
「先生、もう少しやらせてください」
「いや、先生はやめて。わかった、もう5分時間あげるからがんばって」
「ありがとうございます」
中途半端になるのが嫌なのでよかった。読めない字は多いけれど、こういうのは最後までやりたい。
美人も悪友も同じ気持ちなのだろう。もう続きにかかっている。自分も負けていられない。
真ん中のタイトルらしき文字にとりかかる。
最初の文字は、なんだこれ?三つの部分で出来た漢字……街みたいなやつ。でもちがう。飛ばして、上・下・人で、次はっと。鳥があって、最後は共!読めない文字があったけど、大体読めた。この行は楽勝。
最後の一番長い行は、さっきと同じで最初はわからない。次が……定、かな。それでっと、下の部分が目?なんだこれ?わからないから飛ばす、次も飛ばす。小さいのは、花?でいいか。
花だから清っぽい。次は、買・上。それで……人偏に、貝!あとは、ヒだから貨。次はわからない。次も、最後もわからないな。
□上下人鳥共
□定□□花清買上貨□□□
お、ここも半分以上読めた。けっこうできるな。
自分の出来に満足し、顔を上げる。時間はちょうど五分ほどだった。少し要領がわかってきたからか、さっきよりもよく読めた気がする。
悪友は右下の文字にまだかかっており、美人は終わっているようだ。悪友の頭越しにしゃべるのもおかしいため、原稿用紙を持ち上げて美人に見せる。美人はじっと原稿用紙を見つめると、おもむろに自分の古文書の用紙を見せると、ぼくが読めなかった定の下の字と貨をシャーペンでたたく。
指摘されたところを見比べると、同じ字に見えてくる。僕が黙って貨を書き加えると、美人は目で笑っていた。
「おーし、じゃあ今度こそ終了な」
デブ一号がもう延長しないとばかりに、ホワイトボードのマーカーを握って立ち上がった。
「真ん中の二行から読んでいくけれど、真ん中の右側は何文字かわかったかな」
持っているマーカーで美人を指す。
「六文字です。最初の文字はわかりませんでした」
「うん、六文字やね。じゃあ、二文字目と三文字目は……まあわかるか」
「上と下って読みました」
「そう、そのまま上下。意味はっと」
デブ一号がデブ二号へと顔を向ける。デブ二号は、僕らに渡さなかった辞書をめくっていた。
「上下はいっぱい意味がありますね。ここでの意味は都への道を往復するか、身分の高い人と低い人って意味ですか」
「ここでは道の往復でいいわ。じゃあ、上下の上の文字は何かというと、これは他の古文書でもよく出てくるから覚えておくこと」
そういうとホワイトボードに次々と文字を書いていく。
「字としては御になるわ。赤く囲ったのは、中世の古文書で見かけるし、大きく崩れてるから注意しておくといいかな。渡した辞書の三百十九ページにもあるから」
悪友が辞書をめくる。ぼくも覗き見る。御の項目に複数の文字が書かれており、似た文字は確かにあった。
「御はよく出てくるから覚えておくように。では、御上下ときて、次は何やろうか?」
「人鳥共?になったんですけど……」
「おう、鳥ときたか。人と共は合ってるねんけどな。でもよく見れてるんじゃないかな」
またもやホワイトボードに文字を書いていく。今度は納得がいかないのか、首をかしげては書き直している。
「下手やけども、これが鳥のくずしになる。見比べてもらうとだいぶ違うのがわかるんじゃないかな」
鳥と思ったら鳥に見えていたけれども、比べると鳥には見えなくなる。
「あの、馬、ですか?」
悪友が少し手を挙げている。
「そう、これは馬の字になる。人の字から続いているから鳥と思ってしまうのはわかるけど、これは馬。馬のくずしは注意が必要で、もう一つ似たくずしをする字がある。高のほうお願い」
デブ一号と二号がいっぱいになってきたホワイトボードを消して、手分けして二種類の文字を書いた。
二人は、デブ二号が持っていた辞書を見ながら書き分けていく。
「古文書で出てくると見分けがつきにくい字やから、文脈で判断しないといけないときがある。覚えておいて損はないくずしやと思うわ。丸で囲ったのは、よく出るくずし方かな、見た覚えがある」
楷書ではまったく違う漢字が、昔の書き方だと似た漢字になっている。
「まるでひっかけ問題みたいですね」
思わず口に出してしまうと、デブ二号がその通りと言わんばかりに大きくうなずく。
「僕はよく引っかかって違う字によく読んでしまいますよ。その度によく内容で読めって怒られますね」
「内容で読めたら苦労してないっていうのにな。まあ、勉強不足やね、俺も人のこと言えんけど」
デブ一号がホワイトボードに読めた字、御上下人馬共を書いていく。そして、美人に読んでみろっと言いたげに合図する。
「御上下人馬……共?」
「そう共やろうね。共と呼んでしまうと、目下に対する言い方になるから、御と矛盾してしまうから、たぶんこれでいいやろ。意味的には貴人が京へ往復する人馬ってとこかな。じゃあ、次の行をいってみよう。小さい字までな」
今度は悪友が手で指名された。悪友がどう言おうか考えているうちに、赤のボールペンで一応さっきの正解を書いておく。すると一行目と二行目に同じ文字があることに気がつく。
「一文字目は読めなかったです」
「さっき出たぞー」
デブ一号の指摘に、悪友がえっと声を上げ、さっきまで読んでいた行を見る。
「御ですね」
悪友には悪いが、気づいていたのでぼくが答えておく。デブ一号がにっこりとサムズアップする。
悪友が悔しそうにしている。
「一文字目は御で、じゃあ次こそ何やろうか」
「定」
「よっし読めてるぞ。では御と定でどう読む?」
「御定ですか」
悪友の答えに思わず吹き出す。悪友がぼくを睨むが、気にしない。デブ一号が読んでみろとばかりに、笑顔でうなずく。
「御定です」
日本史の史料にもあるから絶対にこれだろう、と確信をもって答える。
「うん、それでいいやろう。たぶん、江戸時代の公事方御定書とかを想像して御定って読んだんじゃないかな」
図星だったので、少しばつが悪かった。悪友が嫌な笑顔で肘でつついてくるので、睨んでおく。
デブ二号が、デブ一号に辞書を差し出す。
「辞書には御定ってのはないのか。御定ならあるけど、いつも決まり切っていることとあるから、ここでは意味が違う。御定書は江戸時代の法令一般の名称の指しているな」
デブ一号が辞書のページをめくっていく。
「他にも御定ってのもあるな。意味は貴人の命令やお言葉。うん、悪くないけど、言葉ではないから違うやろう。んー、さだめやと……きまりとか規則か。じゃあ、さだめに敬語のおがついたってとこか」
ぼくたち三人に聞くように話すが、そんなの知るかと言いたい。
「古文書を読むときは、知っている言葉でもちゃんと意味を調べるのが大事やぞ。古文書だけではなく、活字にされた史料でもそうすべきやからね。今のうちに知っておいたらいいよ、そのうちに大事になるから。同じ日本語と思わないで読むこと」
その言葉には納得できる。高校の時に古典の先生が日本語と思うな、外国語と思えと言っていたからだ。
「それじゃあ続きはどうなるかな。ちっさい字の前までね」
「最初が、下に目がある漢字ですよね。読めなかったです。次も読めてないです」
「目じゃないよー、貝やで」
その言葉に心の中でガッツポーズをする。次こそ絶対に貨だと確信した。
デブ一号が人偏と貝を書いて、貨からヒを抜いた字を書く。そして、ヒの部分を赤で○と書く。
「ここに何が入るやろうか。選択肢は多くないやろ」
「えっと貸す」
「うん、そうやね。他には何がある?」
「貨物の貨と……賃金の賃」
「そんなところやろうね。この三つの中に正解がある。わからない字とかは、わかっている部分から考えてみるのも方法やから。ここでは、貸は違うから除外するで」
ホワイトボードに貨と賃を書いていく。
「これも似ているからなぁ。難しいねんけど、ポイントはヒと壬の一画目の長さくらいかな」
長さって何だよ。そんなの人それぞれじゃないか。
「辞書の千二十七ページと千三十三ページにそれぞれあるから、そっちでも見比べて。ここでは賃と読むのが正解」
悔しいから今度はぼくが辞書のページをめくっていく。ふざけるなと言いたいくらいに似ている字があるし、逆に似ていない字もあるからよけいに悔しくなる。
「ここで覚えておいてほしいのは、壬の書き方っていうか、よく似た形の王のくずし」
ページをめくっている間にデブ一号が書いていたのだろう。さっきまでなかった字が書いてある。
さっき書いていた賃の字の三つ目のくずし方では、壬が王と同じように書いてある。
「王みたいな字は、真ん中をくるっと回して書いているから。あと、金はもっと違うくずしがあるから注意しといて。ただ金の三つ目の書き方は部首でよく出てくるから、今日の一番大事なお土産として持って帰ること」
似た形の字は同じ書き方をするのか、と思っていると、さらにデブ一号が追加していく。
「金はかねへんやけど、今はひとがしらやったかな。まあ、こんな漢字の上の部分は同じようにひっくり返して書かれているから注意して覚えること。今とか令は出てきたら説明するな」
「下に書いているのは、金ですか。それとも全ですか?」
「ぶっちゃけどっちでも。両方こんな書き方で出てくるから、意味を考えていくのが大事」
また意味かよ、とうんざりする。同意を求めて悪友を見ると、辞書をパラパラとめくっていた。
何をしているのかとのぞき込もうとすると、悪友がページをめくるのをやめて指でぼくに字を示してくる。そこには錢と書かれており、下にも知っている銭と書いてある。
「あの、賃の下の字は銭ですか?」
「おお、そうやで。よくわかったな」
「辞書のページをめくっていたら、かねへんのところを見つけたので」
悪友は偶然みつけたのだというが、うれしそうに頭をかいている。
「いいやり方ですよ。部首がわかったら、そうやって総当たりするのは有りです。ここに部首索引があるから」
デブ二号が自分の辞書を掲げて、表紙をめくる。ぼくたちも、手元の辞書を同じようにする。見開きには、画数といろんな部首とページが書いてある。
「字を確かめたかったら巻末の音訓からも探せるからな」
つまりは、そうやって探していきながら読めということか。
「じゃあここまで四文字を読むと?」
「御定賃銭でいいですか?」
「おしい、御定賃銭。これは、たしか江戸時代に幕府が定めた伝馬の料金のことやったはず。さっきの行と合わせると、貴人が京への往復にかかる人馬の料金についてってことやね」
教科書に出てきた伝馬役とか助郷などの用語が思い出されて、ひっかけ問題にうんざりぎみだった気持ちが少し上向く。
「まあ、伝馬役とかのことかな。読んでみないとわからんけど。さて、次の小さい字に行くねんけど、これはもう并と読む」
「ここにあるように、右斜め上に小さく書かれていたら、并・江・茂・而、あとはカタカナのニを考えて。中世にもよく出てくるから、これらはすぐに形で覚えてしまうと思うわ」
五つの文字を書きながら、横にふりがなを振っていく。
美人がメモをしているようなので、ぼくも書き留めておく。書き終えて前を向くと、笑顔のデブ二号と目が合った。
あーこれは次はぼくってことか。
悪友がたった四文字だったのに、自分は長くなりそうだと、息をついた。