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死神の隷族

作者: 丈田笑

 雪は死神を連れてくると、昔誰かが言っていた。

 それは、誰かとても大切な人が死んだ夜に聞いた言葉だった。


 ……風が、窓を叩く音がする。

 いや違う。

 吹雪が生命を攫う音だ。小さな雪片が凶器になって、誰も彼もの生命を切り刻んでいく。

 びょうびょうと、自分の胸に爪を立てようとする風の音から逃れたくて、彼は小さく身体を折り畳んだ。

 硬い床に寝転んだまま、顔を膝にうずめる。暗かった視界がなおのこと、真っ暗闇に包まれて、ほんの少しだけ暖かいような気さえしてきたころ、彼の耳は唐突に異音を捉えた。

 初めて聞く音のような気がしたし、ずっと昔から聞きなれた音のようですらあった。

 それは死神の足音だったのだと、後に彼は語る。

 ――……!!

 ――………! ………。

 ――……って、……た……

 ――………、オレは…………だ。

 ああ、うるさいな、心地いいな。

 彼はそれだけ思って、深い闇の中へと意識を沈めた。


 断続的に、ぱちぱちと音がした。燻る煙のにおい、どこかで火事でもおきているのだろうか……? 

 彼が瞼を開けると、青い月がふたつ浮かんでいた。

 月はまん丸になってから微笑んで、ふいっとどこかへ消えてしまった。そこでようやく、彼はその月が双眸であったことを知る。

「セイジ、セイジ! 彼、目を覚ましたわよ!」

「見ればわかる。こら、跳ねるんじゃない」

「セイジだって、ずっとそわそわ行ったり来たりしていたじゃない、かなり洗練された無駄な動きで……」

「わかったわかった、とにかくお前は大人しくしてろ」

 落ち着いたテノールの声に諭され、ベッドサイドでぴょんぴょこ跳ねていたその人物は彼のベッドの足元あたりに座り直した。

 青い月を追いやったその声の主は、セイジというらしい。どんな人物なのか確認しようと視線を滑らせて、彼は絶句した。

 その表情を見てか――十中八九そうだろうけれど――、青い月はにんまりと笑った。

「意識は、しっかりあるみたいね。それにセイジと違ってあなたのほう(・・・・・・)は赤毛だわ。とってもわたし好みね、嬉しい」

「大人しくしてろシラム。……気分はどうだ?」

 青い月は、どうやらシラムと呼ばれるようだ。

 気分、なんて。そんなことを聞いてどうするというのだろう?

「おれは……死んだのでは?」

 思いのほかするりと出た言葉は、すとんと彼の胸に落ちてきた。そう、自分は死んだはずだ。

 しかし、だったらこの温かさは幻だろうか。死ぬ前の冷たい雪が見せた、あの煖炉も?

 彼は炎の灯る煖炉へと再び視線を移した。

 めらめら燃えるその火は、彼にとって現実味のないものではあった。

「……煖炉の近くに、行きたい」

「起きられるか?」

「……セイジ、手伝ってあげてちょうだい」

 ひとりで起きられると彼は言おうとしたが、身体を起こそうとした腕ががくりと折れたので、大人しく手を借りることにした。

 シラムが掛け布団を剥がすと、セイジが片腕で彼を抱き起こした。身体をスライドさせるように脚をベッドから下ろすと、両脇から抱えるように支えられた。妙に慣れている。

「寒くはないかしら」

 無言で頷く。

「じゃあ歩くぞ。はい、いち、にー」

「いーち、にー」

「楽しそうだな、シラム」

「一応言っておきますけど、あなたもこう(・・)だったんですからね」

「はいはい」

 彼の左脇を支えるシラム。

 彼女の体温はまるで、凍りつくように冷たい。だというのに、あの吹雪のようなとげとげしさはない。まるで上等な毛布のように、すべすべと柔らかな手のせいだろうか。

「はい、座るぞ」

 そっとシラムとセイジが膝をつく。

 ぺたりと絨毯の上に座り込むと、なんとか姿勢を保つことができた。

(炎……)

 煖炉の炎。

 そこにあるはずのものだけれど、一体どんなものだろうか。煖炉なんて遠い記憶の中にしかないものだ。だからその温度も炎の色も、彼にはひどく新鮮に見えた。

 炎に手を伸ばしてみる。

「あつっ!」

「そりゃね。ここは二月の宮殿(クリスタル・パレス)だもの、炎がなきゃやっていけないわ」

 シラムは彼がひっこめた手を取り、冷たい手で冷ますようにした。

「火傷にはなっていないようね」

 熱を持った手のひらに触れているにも関わらず、彼女の手に温度が移ることは一向にない。

「冷たい手だな」

「だって二月の死神だもの」

 シラムが彼の手を撫でながらぽつりと言う。

 セイジを見ても、ただ頷くだけだ

「……おれは、やっぱり死んだんだな」

「ええ。わたしが連れてきたの」

「セイジも?」

 じっと彼女を見つめながら彼が言うと、シラムは両手の指先を合わせて微笑んだ。かわりに、セイジの天鵞絨びろうどの瞳がゆっくりと伏せられる。

「ああ、気づいていたの!」

「まあ、なんとなく」

「そうよ。と言っても、生前の名前も、なにもわたしは知らないのだけれど」

「おれも覚えていない」

 ふうんとシラムは息を吐く。

「あなたは? セイジ」

 大きなつり目がセイジを向くので、彼もセイジを見た。

 セイジは、なぜか彼とよく似た形に縁どられた天鵞絨の瞳を揺らめかせ、シラムを睨む。

 けれどそこはさすが死神。シラムはころころと笑ってみせた。

「怖いわ、セイジ」

「……」

 セイジは意味がないと判断したのか、口の端をきつく引き結ぶと、上品な茶色のソファに深々と沈みこんだ。実に面白みのない動作だった。

「雪……今日のような吹雪ではなく、しんしんと、包み込むような朝だった。俺が死んだのは」

「そうね、わたしもよく覚えているわ。あなたに縋り付いた……同じ顔の男の子のことも」

 懐かしげにシラムはセイジを振り返った。そこに、なんとも形容しがたい、深い情の色を感じて、彼はふたりを見比べた。

「覚えているのはそれだけだ」

「嘘つきだわ、セイジ。感心しないわね」

 気持ちはわかるけれどね、とくすくす笑うシラムと、それから苦々しい顔を隠そうともしないセイジ。彼は、セイジの顔にどうしようもない既視感をおぼえていた。

 その視線に気づいたのか、それとも最初から知っていて無視を決め込んでいたのか、シラムは無邪気に笑ったまま、

「あなたの双子のご兄弟よ」

 彼の疑問に応え、セイジの秘密を暴露したのである。


 最初にセイジを見たとき、絶句した。あまりに自分にそっくり――鏡などという高価なものは無い、ただ川辺に映る顔に似ていた――だったから。

 ただ、彼の髪は赤く、セイジは黒髪だった。それにセイジの瞳の天鵞絨は、彼のそれよりよっぽど深い。

 いつもいつも彼が見る彼自身は、ひどく荒んだ目をして、髪も服も汚れていた。それだって、いまは彼も上等な服――寝間着だったが、それでも立派だった――を着付けられていて、セイジは召使いの制服のようなものを纏っている。

 だから、暖炉の上に掲げてある、川の水面よりずっと上等な、大きい鏡にそっくりなふたりが映って、驚いた。

「セイジが言って欲しくなさそうだから、つい」

「嫌がらせかよ……」

「ふふふ。でもいつかは知ることになるでしょう?」

 なにが悪いの、と首を傾げる死神。一瞬悪魔かと思ったが、彼は賢明にも口を閉ざしていた。

「さて、あなたの話よ」

 くるりと悪魔、否、女死神シラムが彼に向き直った。セイジはやはりなにか言いたげだったが、主人の意識が切り替わっていることを悟りなにも言わなかった。

「わたしね、あなたにふたつの選択肢を用意しようと思っているの」

「選択肢」

「ええ」

 シラムが両手を広げる。魔女のように奇天烈に、あるいは奇術師のように大げさに。

「あなたは死んだわ」

「うん」

「でも、ここにいる」

「それは、ここが死神の宮殿だからじゃ」

「ええ、そう。生きている人間は、基本的には入れないわ。どんなにそう、死にたいと――(こいねが)ったとしても」

 それでね、と指先を合わせる。

「あなたは死んで、この二月の宮殿に、連れてこられたの。わかる?」

「だから、死んでからここに来たってことで、なにもおかしくないだろ」

 堂々巡りの問いかけに、さすがに気分が悪くなって語気荒く言い返すと、シラムはふっくらと両の頬を膨らませた。

「違うわ。なにもかも間違っているわ。あなたは()()()()連れてきたのであって、死んで、()()()()()わけじゃないもの」

 つまり。

「あなたは選ばれたの。いえ、わたしが選んだのだけれど、つまり、わたしたち死神の愛し子に。だから、選んでもらうのよ」

「……なにを?」

 彼が問うと、シラムは雪に映るオーロラのように笑った。

「このまま眠りにつくか、わたしの隷族として仕えるか」


「シラム」

「なに?」

「なぜあいつを連れてきた」

「人手が足りない、から」

「それだけか?」

 夜明けまでは休むようにと客人に伝え、部屋を辞したシラムとセイジは、音がなくなった廊下で、温度のない会話をしていた。

 宮殿の主人は、片目だけで一等召使いを睨んだ。

「なにが言いたいの?」

「俺だけで満足できなくなった?」

「……口の利き方に気をつけてね…………わたしはね、おまえだけでもいいの。でも……」

 シラムが歩みを止めたので、追従する召使いも立ち止まる。彼女が目を止めたのは、先ほどまでの吹雪で曇った窓。

 いまだ降り積もる雪を無視して、主人は窓を開ける。

「どうあっても、わたしに筆頭隷族を作らせたいらしくてね」

「閏の、死神の王ですか」

「詮索しないで。……でもまあ、合ってるんだけれど」

「だとして、なぜあいつなんだ」

「詮索しないのよ」

 ぴしゃりである。

 ついでとばかりに窓を閉めようとする手を叩き落として、その柵に腰掛ける。

「身体が冷えるぞ」

「ええ……」

 眉を寄せた部下の言葉に、たった一言を言いよどむようにシラムは声を漏らした。

「ねえ、セイジ」

「はい、ご主人(シラム)

「それは、もうやめていいわ。……あなたは、このきゅうでんをどう思う?」

「は……」

 忠実なる僕はわずかに逡巡した。

()()()には、狭すぎるかと」

「そうね。そしてわたしは寒いのがきらい」

 さむいのが何より嫌いな二月の宮殿の女王は、耐えるように目を閉じると、顔だけは春の陽気を思わせる表情を見せた。

「さむいから、……春が来てくれればいいのに、と……わたしは思うのよね」

「要するに、寂しいんだろ」

「寂しくない。セイジがいるんだもの」

 贅沢よと、厳しい口調。それが本心であろうと、建前であろうと、セイジに口を挟む権利などないが。

「あいつが」

 シラムははたをセイジを見上げた――セイジはシラムからすればかなり長身だ――が、彼は窓の外を見つめていた。

「あいつが来て、少し弱まったか?」

「……」

 シラムもまた外の吹雪を見つめた。そして、どうかしらねと囁く。

 ここは彼女の箱庭だ。彼女が操ることはできなくても、何が起こっているかくらい、知るのは容易い。

「俺が来た直後は、晴れていたんだけどな」

「そうだったっけ?」

 シラムはあくまですっとぼけるつもりだ。

「ああ。言ったろ、お前がなにを忘れても俺が全部覚えてるって」

 だから間違いないというセイジに、シラムはようやく笑った。仕方ないなと、子どもを見るように。

「セイジ」

「なんだ」

さむい(さびしい)

「知ってる」

「外が春になったら、花を見に行きたい」

「ああ、お供しよう」

「夏になったら、森林浴に行こう」

「ああ」

「秋になったら、美味しいものを探して……」

「……」

「冬になったら、また隷族を探しましょう」

「それで、お前の胸が満たされるなら」

 セイジは常の言葉遣いより数段静かに言った。

 シラムは満足したように、窓枠から飛び降りる。すかさず窓を閉めると、彼女は「寒かったね」と謝った。

「じきに吹雪は止むだろうさ」

「あら、セイジはそう思うのね。……そうだといいな」

 ふと口元に淡雪のような笑みを残すと、窓の外に一瞥もくれてやることなく、シラムは命じた。

「湯を沸かして。温まったら眠るわ」

「御意のままに、お嬢様」

 きっと今宵はよく眠れる。そして、明日に備えないと。彼がどのような答えを出すにせよ、彼女はそれに責任をもって答えるのだから。


「おはよう。ご機嫌いかが?」

「なにからなにまでしてもらって、どう礼を言っていいのか困っているところだ」

 翌朝、彼が部屋を訪ねてきた。正直自分から向かおうと思っていたシラムは驚いたが、なるほど時間もわきまえているから拒む理由は無い。

「単刀直入に言うけれど、あなたはどうしたい?」

 普段は全く必要としない執務机に腰掛けて、シラムは問いかける。彼がなんと言おうと覚悟はできていた。もちろん、共にいてくれればいいなとは思っていたけれど。

「あんたに仕えたい」

「おっ……と」

 はっきりと言い切られて、シラムは目をぱちくりさせた。

「もっと悩むと思ったんだけど」

「一晩もあれば十分だ」

 そう言って彼は微笑み、膝をついた。セイジにそっくりな笑い方だと呆然として、シラムは慌てて彼を立たせようとした。

「いいから、立って。……本当にいいの?」

「もう決めた」

「あ、そう……」

「隷族になる意味も、デメリットも、セイジが全部話してくれた」

 シラムは彼の毅然とした態度と、今しがた考えた隷族の名に軽く噎せた。少々予想外だったのだ、彼に接触するなんて。

 でも、想像できないわけではない。セイジは彼に、無事に輪廻の輪に乗って欲しかったのだろう。

 死神の隷族になれば輪廻の輪に乗って転生することも、死ぬこともない。言ってしまえば生前の辛いことをなにもかも覚えたまま、永遠を生きなければならない。セイジはたったひとりの弟に、そんな生き方をしてほしくなかったのだ。おそらくこの生き方を選んだセイジは、後悔しているんだろう。

「セイジは、後悔しない日はないって言ってた」

 ほら、来た。

 シラムは今度こそ動揺を悟られないよう、あえて彼の目をじっと見つめ返した。

「主はよく寝坊をするし、お菓子をつまみ食いするし、ほかの死神のところへ無断で逃げるし、ここにはめったに花は咲かないし、シラムはわがままだし、寒いし」

 シラム関連の内容が多いのは、主人付きの隷族が彼だけだからだ。ご愛嬌と言える。

 それでも主人に対して無礼である。シラムは知らず知らずのうちに寄った眉間のシワをなんとは広げた。それを見て彼は笑う。

「どうか気分を悪くしないでくれ。あいつはあいつで、アンタが可愛くて仕方ないんだ。たぶん」

「たぶんん?」

「うん。あいつのことは、全部はわからない。でも、おれはアンタが好きだよ」

 シラムは一瞬息を止める。ここまで直接的に好意を伝えられたのは初めてかもしれない。

「だから、アンタが主なら永遠もいいかなと思った。だって、おれがいなくても、アンタは永遠を過ごすんだろう? おれはアンタが寂しくないのがいい」

 だから、共にいたいのだと。たぶんこれはそういう意味だ。

 まだそれが受け止められなくて、シラムは茶化すように言う。

「まるでプロポーズね」

「アンタに一生を捧げるんだから、間違ってないような気がするけどな」

「……」

 いよいよ二の句がつげなくなったシラムに、畳み掛けるように彼は言う。

「なんにせよ、選ぶのはおれなんだろう。だったら、どうすればいいのかおれに教えてくれ。わが女神よ」

 まだ幼い朝日の赤さを、降り積もった雪が幾重にも反射している。それを彼の瞳越しに見たシラムは、諦めることにした。

「……あなたは今日から、ヒイロ(陽色)と名乗りなさい」


 重い冬用のカーテンが勢いよく開き、シラムは反射的に掛布の中へ潜り込んだ

「おはよう、シラム」

「おきてません」

「そうか。セイジとクロロがポーチドエッグを作っているが、廃棄になるな」

「おはようヒイロ」

「ああ、おはよう」

 北風と太陽方式で主人から掛布を奪い取ったヒイロは、にっこり微笑んでシラムを布団から引きずり出した。

「アーリー・モーニングティーを用意したから、ガウンを羽織って」

 シラムに布団がわりのガウンを手渡し羽織らせると、香り高い紅茶をサイドテーブルにサーブした。

「窓の外を見てみるといい。昨日造った氷像が空に映えるだろう。よく晴れているぞ。二月の宮殿(クリスタル・パレス)は」

 外は大荒れの天気らしいが。茶目っ気たっぷりにヒイロが言うと、シラムは白砂糖のように微笑んだ。

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