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信じるということ

私は目の前の神殿を見上げた。白い光沢のある石と、黒光りする石が使われたコントラストの美しい建物だ。何千年いや、記録にない時からなら何万年かもしれない昔からの建物だというのに、傷一つ汚れ一つない。


神殿を前にした途端、体の奥底から歓喜が沸いた。早くこの階段を上り、剣を抜いて戦いたい。熱い剣撃を交わし、心を歓喜で塗り潰し、魔王に刃を突き立てたい。剣を魔王の血で濡らした時、きっと初めて実感できる。生まれてきた意味を……。


吸い込まれるように踏み出した足を、力一杯踏ん張った。血が流れるほど唇を噛んで、正気を保つ。


同じようにふらりと神殿へ一歩近付いたカイくんが、ピタリと止まった。


「?…… カイ?どうした?」

バドスが訝しげに眉を寄せて、カイくんへ一歩踏み出す。


「ほい、そこまでだ。バドス」

そのバドスの軸足を綺麗に払い、倒れ込む彼の手を捻って簡単に押さえ込んだのは、赤毛の男だ。


「何の真似です!ジェド王!」

赤毛の彼、ジェド王は黄色に光る悪戯っぽい目を細めて笑う。


「何の真似も何もねえっての、なあ?カイ?それとクロリスちゃん?」


ジェド王が顎をしゃくって示したのは、しっかりと目に意志の力を宿したカイくんと、縄も手枷も外れた私。

そして小柄な老人を拘束してから、安堵のあまり崩れ落ちるフィンさん。


「久々に心臓に悪い思いをしたよ。しかもラクシアには軽蔑されるし。あれは堪えた」


「ごめんね。フィンさん。他に適任がいなかったのよ。ゲルパさんとメイちゃんにはやってもらうことがあったし」


シグルズは大根役者だし、それにゲルパさんはバドスの前になんて立ったら、恐怖でショック死すると思うの。


その点フィンさんは、ラクシアさんの事がある。何もしないでもバドスの『手足』と呼ばれる暗部が接触してきたから、怪しまれなかった。


バドスは驚きつつも素早く頭を回して理解したようで、悔しげに顔を歪めた。


「成る程、私に勇者と夢で逢っている事を話したのも、私を動かす為か。私の情報網を逆手に取って、私の策に乗ったふりをしたのは分かる。しかし、いつの間にジェド王への根回しを」


「はっはっは。根回しなんざしなくても、厳めしいオッサンなんざよりも、素直で可愛いカイに味方するのは当然だろ?と、言いたい所だが」

ジェド王は快活に笑い、顎を撫でた。



「カイはきっちり王として俺を説得しに来たぜ。バドス、お前がカイをお人形にしようと悪巧みしてる間にな」


「…… 見張りをつけていた筈だが」


「彼等は宰相のバドスよりも、王としての僕をとってくれた。それだけだよ」

カイくんの謙遜に、ジェド王が異議を唱えた。


「それだけじゃねえさ。見ろよ」

ジェド王が指を向けた先には、空中を飛翔して近付く様々な竜の姿。その背には魔族たちが乗り、こちらに手を振っていた。


「バドス。あの戦争でカイは王としての信頼を勝ち取った。認めてやれ。お前が思っているよりも、こいつは凄え」


私はこのやり取りに感無量だった。戦争の話はカイくんから聞いている。以前、大声を上げて泣いたカイくんの、あの涙の意味を知って、胸が締め付けられた。あのときの彼の頑張りが、王としての姿が、今沢山の人を動かしている。


「そうか。私は敗けた訳だ。王としてのカイ、お前に」

バドスは目を閉じて、溜め息のように言葉を吐き出した。


「…… もう一つ疑問がある。私を負かして勇者との対等な聖戦を望むなら、こんな芝居などせずとも出来たろう。こんなに味方がいるのだから悪役は私一人だ」


「…… それは、まあ」

そこで、言い淀んでカイくんはふいっと目を逸らした。


「聞いてみたかったのよね、伯父さんの本音を」

急に照れてしまったカイくんの代わりに、私はひょいと肩を竦めて答えた。


「は?まさか…… ?お前、魔法に掛かっていたのも、ふりだったのか?!」


「いや、本当にあれは想定外で焦った。もう駄目かと思ったけど、なんか僕、耐性があったみたいで」


カイくんは少し顔を赤らめて付け加えた。

「途中から正気に戻ってた」


「何処からだ?!」

バドスは明らかに狼狽して、カイくんに食ってかかる。


「ええと、少し心を眠らせた、お姉さんと僕との関係は聞いているから、僕にお姉さんは殺せないとか、どうとかの時」


「殆ど最初からではないかっ?!」

悲鳴のような声を上げて、バドスの顔色が余計に白くなってから、赤くなった。あ、この人こういう顔するとなんか可愛い。


「や、やられた。完全に」

ああ、落ち込んじゃったよ。まあ、多分この人の性格上、まさに晴天の霹靂よね。あとジェド王さん、そんなに笑わないであげて。


「バドス伯父さん」

カイくんがバドスを呼ぶ。バドスは苦虫を噛み潰したような顔で「何だ」と低く唸った。


「伯父さんが僕の事を思ってくれているって分かって嬉しかった。伯父さんは僕にとっても、かけがえのない人だから」

真っ直ぐな紅の眼差しと、いつもの鋭さを少し欠いた水色の目が、視線を交差させる。


「信じてるよ、伯父さん。後は頼んでいいかな?」


「ああ。任せておけ。私もお前を信じよう。死ぬなよ、カイ」


軽く拳を握り顔の前へ差し出す二人。二人の拳がパンと軽快な音を立てた。


そうしてクルリと背を向けて、カイくんは私の横へ並ぶ。いつの間にかカイくんの弟のサイくんと、ラクシアさんも同じように立っていた。

いよいよ始まる。『聖戦』が。

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