命燃やすかがり火
「ごめんね。自棄になってあんなことして、本当にごめん」
もう一度体を入れ替え、僕を後ろから支えたラクシアは、何度も謝った。
「ううん。僕たちも悪かったんです。ラクシアさんの事情も考えずに魔国へ連れていこうとしてたんだから」
僕はゆるゆると首を振った。
「あの、もう支えて貰わなくても大丈夫です。ありがとうございます」
ラクシアは「そう?」と言って、僕をマントでしっかりと包んでから手を離した。
本当は優しくて面倒見のいい人なんだろうと思う。僕が毒で震えていたから、もう平気だというのにずっと温めてくれていた。
「そう言えば、ラクシアさんの魔法は呪文がないんですね」
「ああ、あれは魔法じゃなくて祈りだから」
ラクシアが言うには、祈りによって神の力を引き寄せて事象を起こすんだそうだ。練った魔力を媒介に、マナを引き寄せて呪文で発動させる魔法とは根本的に違う。
魔国に着くまでは、ただひたすら二人で飛竜の背の上だ。少しずつ、慣れてきて会話も交わすようになった。
「ね、あの顔色の悪いおじさんって、あんたの何?」
ラクシアが少し声をひそめて僕に聞いた。
「伯父さんです。父の兄で、父が逝去してからは色々と面倒を見て貰っています」
「ああ、それでアタシがあんたを刺して逃げようとした時、すっごい顔してたのね」
すっごい顔?
首を傾げる僕に、ラクシアはおどけたように肩を竦めた。黙っていると人形のように綺麗な彼女が、こういう仕草をすると、途端に親しみやすくなる。
「真っ青で鬼みたいな顔でアタシを睨んでさ、殺されるかと思った。他の人たちもそうだったけど、あんたの伯父さん程じゃなかったわね」
「鬼みたいな顔は、わりと普段もしますけど」
僕がオドオドしてしまった時とか、勉強で期待通りの答えを返せなかった時とか、あと王の心得とかで熱が入った時の顔も怖いな。
「マジで?あんたも大変ね」
ラクシアはあまり大変だと思ってなさそうな様子で軽く言い、長い銀髪を撫で付けた。
来たときよりも、魔国が遠く感じる。
僕は白くなるほど握りしめた手綱を、何度も握り直す。
ラクシアは、そんな張り詰めた僕を見て、少しでも緊張を和らげようと、あれやこれやと質問したり自分のことを語った。僕はそれを半分上の空で聞いたり答えたりしていた。
「カイ様。ご歓談中、恐れ入りますがそろそろ魔国が見えてまいります」
伯父さんの抑揚のない声が、僕を引き戻す。早朝より始まった戦争だけど、冬の日没は早い。既に辺りは夕闇に沈み、星々が空に瞬いていた。
雪が月光を受けて、白く世界の輪郭を浮かび上がらせる。こんな時でなければ、美しいと感動したかもしれない。
早鐘を打つ心臓が自分のものじゃないみたいに感じた。城は持ちこたえただろうか。『かがり火』たちは、兵士たちは、バルドールは。
僕の心の最後の問いかけには、答えるものがあった。まだ遠い僕たちまで届く咆哮。
長く猛々しい、竜王の咆哮だった。
城の前に広がる雪原での戦いは、まだ続いていた。いや、正確には夜になり双方撤退の方針ではあったのだろう。戦場に残るのは理性をなくした『かがり火』と、『かがり火』を必死に倒そうとしている人間たちだけだ。それも開戦時と比べたら少数で、『かがり火』たちも三つの影が動くのみだった。
人間たちの大部分は後方へ下がり、テントを張って夜営している。
魔族も城へ戻り、城壁の上からから、城壁前のテントの外で静かに最後の戦いを見守っていた。命の炎が燃え尽きる最後の輝きを、その目に焼き付ける為に。
戦場には悲しみが渦巻いていた。
愛する者を残す悲しみ。愛する者が死を覚悟した戦いへ出ていくのを見送る悲しみ。子を喪う悲しみ。親を喪う悲しみ。
悲しみ、悲しみ、悲しみ、悲しみ、悲しみが渦を巻く。うねり、螺旋を描いて僕に突き刺さる。
耐えきれずに、額を飛竜の背に擦り付けた。戦場を抜けて城壁へ降り立つ。ラクシアを降ろして、飛竜の背に残った。
「カイ様!」
「…… バドス、僕には全てを見届ける義務がある」
「なりません。カイ様に何かあれば我々は終わりなのです!」
僕は伯父さんの制止の声を無視して、飛竜へ囁いた。
「 ロイド、頼む」
ロイドはその目を一瞬細め、無言で翼を広げた。後脚が城壁を蹴り、力強く翼を羽ばたかせ、一気に空へ舞い上がる。
三つの影の一つへ近付く。傷だらけの銀の甲冑、ドライガ王だ。全身が黒に覆われ、手入れしていた栗色の髭や髪さえ黒くなった彼は、影が甲冑を動かしているようだった。
甲冑の隙間から矢を生やし、左の肘から上がない。それでも獣のような声をあげ、相棒の両刃の剣を振り回し、目の前の敵を盾ごと斬り裂いた。剣撃が衝撃波となって更に幾人かの命を奪う。もう一度振るわれた剣撃が、僕と飛竜のロイドまで届きそうになり、空中で急旋回して回避して次の影へ向かう。
黒いローブを着たその影は、女性だった。長くうねる黒髪も、肌も全て黒く、影そのものとなった彼女はそれでも呪文を唱えた。
現れた炎の柱が、彼女の真っ黒な顔を照らした。アグヌ国の魔法使い、リーン・ルベヌ。人一倍、身なりに気を使う人だとジェド王から聞いていた彼女の、自慢だった髪はざんばらになり、ローブもボロボロだった。
最後に猛る巨体へ向かう。長い尾を振り回し、咆哮と共にブレスを吐く彼には、あまり近付けなかった。人間たちは圧倒的な脅威に対しては、形振り構わない総攻撃を加えているが、竜王は倒れない。幾つもの魔法を爪が薙ぎ、硬い鱗が剣や槍を弾く。
それでも完全には防げなかった攻撃が、竜の鱗を剥がして肉を裂き、黒い血を滴らせていた。
周囲には、魔導兵器らしき残骸が三つも転がっていた。元々こんな場所には無かったから、竜に対抗するために運んできたものの、破壊されたんだろう。
竜との戦いのやや後方で、ゆっくりと動く人影がある。数人の人間が布で覆った大きな何かを、運んでいるところのようだった。
彼等は20メートル程手前で止まり、布を外す。バルドールに攻撃していた人間たちが、急に離れた。あれはーー。
「バル!」
思わず大声で呼び掛けた。竜王の顋が僕たちに向けられ、ブレスの光が点る。
理性がもうないんだ。分かっていたことなのに、その事実が悲しい。
障壁を展開しようと魔力を練り上げたが、バルドールの視線が逸れた。
向けられたのは魔導兵器の、光を点した無機質な筒だった。
「撃てえええええっ!」
放射状に目映い光が幾筋も放たれる。障壁を展開するけれど防ぎきれるかどうか。回避は間に合わない!
目映い光を黒い影が遮った。大きな身体を更に長い首を伸ばし、翼と前足を大きく広げて立ちはだかる竜の影。
「バッ」
バルドールを幾つもの魔導兵器の光が貫いた。胴体を、四肢を、翼を、そしてその太い首を貫き、弱まった光は僕の障壁にぶつかって消えた。黒い頭が僅かに動いて、目が合う。真っ黒な顔のなかで、唯一蒼を残した、星空のようなあの瞳と。
「バルウウウウウウッ!!」
星空は一瞬で黒に戻り、口中に点っていたブレスが魔導兵器諸とも、人間たちを吹き飛ばした。
爆風に後押しされるように、ロイドが翼を目一杯、羽ばたかせて城壁へ舞い戻る。
雪原へゆっくりと倒れる巨体が霞んで見えた。熱い液体が視界を塞いで、次から次へと流れていく。いつしか、動く黒い影は一つもなくなっていた。
そこからは、よく覚えていない。現実感がなくて、ふわふわしていて、自分が立っているのか座っているのかも分からなかった。




