記憶
何もない灰色の空間。そこへ映る光景を私は見ていた。
ーー剣を構えて目の前の人物に集中する。見えているのは、ただ、ただ目の前の人物だけだ。
己の全てを懸けて、剣を振るう。相手も全てで剣によって答える。
胸中を支配するのは歓喜。剣の軌跡が、掠める切っ先が、全身の血を歓喜で沸騰させる。
打ち合い、弾かれ、また斬り込む。翻る黒の刃と煌めく白の刃。
歓喜、悦び、狂喜。
打ち合う剣撃は福音、祝賀。
確信する。ああ、この為に生まれてきたんだと。
至福の時は終わりを告げる。黒衣の胸に吸い込まれた白銀の剣によって。
終わる。終わる。全てが終わる。
儀式が終わり、世界が在るべき姿へ戻る。
胸を貫かれた黒の人物から、悲しみがマナとなって抜けていく。持ち主を亡くした剣が、がらんと床へ転がった。それすらもマナの粒子となる。
体から力が抜ける。膝を付き剣を取り落とした。その剣も粒子となって消えた。
抜けていく。人から託された願い。寄せられた希望。全て。
ーー 全て ーー 。
※※※※※※※※※※※※※※※※※
「…… っ!」
私は息を飲んで布団を跳ね上げ、飛び起きた。自分で自分を抱き締める。指先に返ってくる自分の腕の感触と、握られた二の腕の締め付けに安堵する。
大丈夫、いつもの私の体だ。
今の夢は何?
そう思ってから、声を出さずに笑った。見たこともない人物、戦っている自分自身も多分今の私じゃない。なのに、答えを知っているような妙な感覚がある。
跳ねる心臓を抑えつけ、私は寝ているメイちゃんとレナティリスさんの様子を窺った。規則正しい寝息に、ほっと息を吐く。
レナティリスさんから寝室として宛がわれた部屋にはベッドは一つ。当然、家主のレナティリスさんがベッドを使い、私とメイちゃんは床に布団を敷いて寝ていた。
部屋は暗く、夜明けにはまだ遠いだろうけど、もう一度寝ることは出来そうになかった。
そっと上着を羽織って音を殺して外へ出る。戸を開けて、広がるのは真っ暗闇の中に月明かりを受けて浮かぶ雪の白。白と黒の世界。
黒の空気に白い息を吐き出し、私は傍らの巨木に手を這わせた。ざらついた手触り、凍えるような空気に比べると幾分か温かい。
なんだか急に訳もなく懐かしさを感じた。
こつんと額を木肌へ着ける。チクチクと額を擦る硬い樹皮、解いたままの髪がさらりと私の顔を隠した。
最近、ううん、剣を手にしてから、なんだかおかしい。あの灰色の夢の中でのカイくんといい、さっきの夢といい、シグルズの竜の呪いといい、私の感覚に何かが割り込んでいる。それを不思議と受け入れている私がいる。
「そんな所でじっとしていたら風邪を引くよ」
老婆特有のビブラートのかかった声が、背後からかけられた。顔を上げずにそのまま背後の元賢者に尋ねる。
「 …… 夢を見ました。あれは、この木が見せた記憶でしょうか?」
何となく、この人は私が普通でない夢を見たことを知っていて、起きてきた気がした。そして、それが何を暗示するのかも。
囁き声だったけれど、静寂に満たされた此処では思いの外、響く。
「いいや。恐らく剣の記憶じゃろう。嬢ちゃんが見た夢の内容が、想像通りならな」
横に立ったレナティリスさんが呪文を呟き、二人の間に魔法の火が点る。それは黒と白の世界に色と温度を与えた。
「この木が何なのか、解るか?」
手を伸ばし、木の幹に触れるレナティリスさんの仕草は、この上なく優しい。
「いいえ。ただ、懐かしい…… 気がします」
木の幹から額を離して、レナティリスさんへ向く。
「懐かしい、か。それも剣の記憶じゃのう」
愛しいものへ触れるように、優しく木肌を撫でながら元賢者が剣について語る。それは、私が思っていた通りで、あの場で語らず此処で私だけに明かしてくれたことに感謝した。
剣にまつわる全てを語ってから、レナティリスさんは私をまじまじと見た。
「あまり驚かんのじゃな」
「何となく、分かっていたことですから」
おどけるように肩を竦めて、ウインクした。
「納得するかどうかは、別ですよ?」
「くっくっく!面白い勇者じゃな」
静けさを破るのを憚って、レナティリスさんは喉の奥で笑った。私も小さく肩を震わせた。
「竜殺しのシグルズの黒い傷痕じゃがな、竜の呪いなどではないぞ」
え?
「竜の呪いなどはこの世に存在せん。竜は何かを呪うような存在ではないからじゃ。そして、竜の本質は魔族と非常に近い。あれは呪いではなく、病じゃ。今魔族と竜族で猛威を振るう病、闇化病。それにかかっておる」
闇化病、という響きに頭がグワングワンと音を立てた。あれが闇化病?それにシグルズがかかった、その意味は。
「竜の血を浴びて感染したんじゃろう。ある意味呪いみたいなものじゃな。安心せい。聖女の使う浄化の魔法で治る病じゃ。聖女に会うまでは暫くかかるが、症状の抑え方も解っとるな?」
老人特有の透き通った水色の瞳が、私を真っ直ぐ見た。
「解っています。でも…… 」
すがるように、レナティリスさんを見た。これだけ博識な人なら、何か解決策を持っているのではないかと。
「儂はただの元賢者。ほんの少し多くを知っているだけじゃ。…… 勇者には必ず道を開く力があるという。どんな困難も理不尽も乗り越える力が」
レナティリスさんは背伸びをして、軽く握った拳を私の胸元へ当てた。
「お前さんにもそれがきっとある」
何か言おうとしたのに、彼女の拳があまりに熱くて、喉を塞いだ。
「さて、折角の女同士の密会じゃ。一つ秘密を打ち明けようかの。察しの通り、儂の知識の源はこの木にある。この木は世界樹ユグドラシル」
世界樹、世界の始まりに光神セイルーンが植えたとされる最古の巨木。その根は世界の隅々まで伸び、あらゆる出来事を知るという。
「セイルーン教の聖典にある世界樹、ですね」
「その通り」
悪戯っぽい笑みを浮かべて、レナティリスさんは大木に抱き締めるように体重をかけた。
「儂の愛しい夫じゃ」
夫?!それはちょっと、予想してなかった!!
想定外の事実に目を白黒させた私を見て、レナティリスさんはご満悦だ。そうして、木に手のひらを差し出した。
「愛しいユーグ、姿を見せておあげ」
木の幹から淡い緑の光が零れ、指先、手を形取り、レナティリスさんの手を握った。次に肘と順に人の形を取っていく。そうして姿を表したユグドラシルことユーグさんは、ゲルパさんとよく似た容姿だった。彼と違って至極落ち着いた様子だけれど。
『初めまして。今代の勇者殿』
低く心地いい声が、鼓膜ではなく頭に響いた。緑の瞳が優しい色を湛えている。
もう、驚くことが多すぎて、開いた口が塞がらないよ。
「ゲルパは、世界樹のユーグと繋がっておる。世界樹の叡智は全てあの子へ共有される。今の賢者はあの子じゃよ」
「…… それで、元、賢者」
ウキウキと言うレナティリスさんを見て、私は改めて思う。
この人、私が驚くのを見てすっごい楽しんでるわ。
「ユーグと繋がっておることで、あの子は世界を知った気でおる。じゃがのう、知識だけで体験したことのないあの子は、未完成なんじゃ。出来れば儂が引っ張り出してやりたいところじゃが、人の命はあまりに短い」
レナティリスさんは愛しげに手を繋いだユーグさんを見上げた。
「短い儂の人生、全てを夫に捧げると誓った。儂は此処から動く気はないんじゃ」
『愛しいレナティリス。君は私の救いだ。長き生涯の中で寄り添ってくれたのは君だけ』
ユーグさんはレナティリスさんのシワだらけの手の甲に口付ける。
「ユーグ、人の生は短く木の生は長い。儂がいなくなったら、またいつか寄り添う人を見つけておくれ」
途方もなく生きてきた世界樹のユーグさんを見るレナティリスの目は、駄々をこねる子供を見るものだった。
『いいや、レナティリス。これからの私の生の中でも、君以上の人は現れない』
対するユーグさんは、柔らかな顔立ちを険しくしてきっぱりと言い切った。
彼女と世界樹との間の確かな絆はとても素敵で、私は胸が暖かくなった。
「じゃから、あのちっこいお嬢ちゃんに託すとするよ。儂の見立てでは、あのお嬢ちゃんならゲルパの尻を引っ叩けそうじゃ」
茶目っ気のある笑みを浮かべたレナティリスさんに、私は大きく頷いた。
「任しておいて。うちのメイちゃんなら大丈夫よ」
そう、自身満々に太鼓判を押した。




