世界の理
「さて、お前さんたちの大きな目的はこれでいいとして、質問はあるかの?」
カップを置いたレナティリスさんの薄い色の視線が、私たちを順番に辿った。
「はい!どうしてそんなに何もかも知ってらっしゃるのか知りたいです!」
迷わず手を挙げて、素直な質問をぶつけた。だって、気になるじゃないの。
「随分ストレートな質問じゃの。賢者とは何か、知らずに来たのかえ?」
「賢い人」
「クロリス、流石にそれはあんまりな答えじゃないかな。賢者とは、歴史、医療、魔法学、総てにおいて精通している知識人に与えられる称号の事だよ」
フィンさんに呆れられた。いやだって、世間一般が思ってる賢者って、何だか偉くて賢い人ってくらいの認識よ?私が馬鹿な子って訳じゃないもん!
それに、さっきのフィンさんの答えじゃ私の疑問の答にはならない。博識なのは解る。けど、時前に私たちが来るタイミングや目的を知っていたのが何故なのかを知りたい。
「賢者とは、この世の真理と知識の探求者。知ることに餓え、常にあらゆる情報を集め分析しておる。目と鼻の先にあるタニカラ町で災害の沈静化に勇者が関わったことも、耳に入っておったからのう」
ふーん。情報を集める手段を持っていると。
レナティリスさんに、面白い玩具を見つけたような目で見られながら私は思った。
基本的に王都の外れに住んでいた私は、情報といっても絵本や城からの掲示板、旅人や吟遊詩人の話や、ご近所の噂話くらいだった。一般人なんてそんなもの。お偉い人は違うのかしら?
「では、もう1つ」
面白がる水色の瞳を真っ直ぐ見返して、また手を挙げた。
「勇者と魔王って何?戦って勝てば本当に世界は救われるの?」
絵本でも、吟遊詩人の唄でも、勇者が魔王を倒して世界は平和になってめでたしめでたし、それだけだ。城でも魔法を倒してくれとしか言われなかった。
シグルズとメイちゃんの知識は私と似たり寄ったりだし、フィンさんも詳しくは分からないと言っていた。賢者なら、例え元でも知っているんじゃないか?
「その通り。じゃが、勝とうが負けようが救われるな、世界は」
さらっと言われた事実に一瞬思考が止まる。
「え?」
「300年に一度、勇者と魔王は同じ時代に現れ、光と闇の神殿にて聖女と聖人の元、剣を手に戦う儀式を行う」
「儀式…… ?」
初めて聞く話に、私だけじゃなくて、フィンさんも戸惑いの声を出した。
「勇者が勝てば魔王諸とも魔族は滅び、魔王が勝てば勇者共々に人間が滅んで、どちらも世界は救われる。そのどちらかを決めるのが聖戦、勇者と魔王の戦いの儀式よ」
嫌な感じにどくどくと心臓が波打つ。暖炉が燃える暖かい部屋の中、私の指先は温度をなくしていった。
「聖戦にて敗けた滅んだ種族の魔力は、マナへ還り世界を潤す。そうして世界は救われるんじゃ」
ひやりと冷たくなった心が、今度はかっと熱くなった。今の話が本当なら、勇者と魔王の戦いは、どちらの種族の命を犠牲にするかを決める戦いじゃないか。
「なにそれ?!どうして聖戦がなければ世界が滅びるの?どうしてどちらかが滅びなければならないの!世界はどちらかの犠牲で成り立っているっていうの?!」
つい語気が荒くなる私に対して、レナティリスさんはあくまで飄々と答える。
「それを説明するのは、ちと長くなるが。災害が何故発生するのか解るかの?」
「自然現象 …… じゃ、ないの?」
「勿論、自然現象じゃ。じゃが、自然現象が起こるには仕組みがある。例えば寒くなったから雪が降るように。雨が続けば川が増水するように。災害も然り」
元賢者はこの世の理を朗々と述べる。歴史書を諳じているかのように。
「世界にはマナが満ち、満ちたマナによって大地は肥え、植物は育ち、風が吹き、雨は降り、光が照らす。しかし、マナが枯渇すると自然が乱れる。それが災害の正体じゃ。このところ、災害が頻発しておろう?このまま災害が続けばどうなるかは、瞭然じゃ」
脳裏にタニカラ町の惨劇が浮かぶ。あれが世界で頻発している。
「聖戦にて滅ぼした生物の魔力は、膨大なマナとなり世界に還元されて、自然は正常に戻る。生物が生まれてから続く世界の仕組みじゃ」
そうして世界の生物の数は一定に保たれ世界が存続する。
「聖戦の回避方法は?」
「回避すれば世界そのものが滅びるのう」
「聖戦に引き分けはないのよね?」
「もしもあるとすれば、人間も魔族も滅びてやはり世界は救われる」
無意識に剣の柄に触れた。ただ、硬くて冷たい手触りが返ってくる。
人間か魔族か。どちらかしか生き残れないというのなら。当然私は人間が生き残る為に戦う。
「光神セイルーン、闇神デュロスについては、知っておるか?」
「人間を慈しみ守護する善なる光神セイルーンと、魔族を守護し世界を手に入れんとする悪しき闇神デュロス、よね」
誰でも知っているセイルーン教の教えを言った。闇神デュロスを信仰する魔族は、とても残忍で現在の魔族領である、半島だけでは満足せずに度々戦争を仕掛けてくるのだと。
「それが根本的に間違っておるのよ」
ふおっふおっと笑ってレナティリスさんは、次々と私たちの知る常識を変えていく。
「古来より人間と魔族の戦いは様々な理由で行われてきたが、魔族だけが悪な訳ではない」
元賢者はこれまで行われてきた人魔戦争を語る。
ある時は魔族が覇権を握ろうとして、
ある時は人間が魔族を悪として滅ぼそうと、
ある時は魔族が貧困に喘いで、
ある時は人間が燃料たる魔石を得るため
時に『傲慢』時に『正義』時に『大義』時に『欲』の為に、幾度となく繰り返されてきたという。
「人間同士の戦争と変わらないな」
シグルズの感想は私自身の感想でもあった。さもありなん、とレナティリスさんは笑った。
「今回の人魔戦争の原因は、今魔族と竜族で猛威を振るう病、闇化病にある。かの病を癒す方法が聖女の浄化魔法じゃからの。闇化病の治療への協力を求めてきたのを、人間が蹴っての開戦じゃ。つまり今代の人魔戦争は人間に非がある」
全てを聞いて私は暫し瞑目した。
「魔族が残忍で悪なら良かったのにね」
私の息を吐くような呟きは、微かに笑いを含んでいた。
「クロリス様 …… 」
私を見るメイちゃんの目が、どこか痛ましい色を浮かべたが、意識的に視線を合わせなかった。
剣の柄を指先が白くなるほど、固く握り締める。
暖かい部屋の曇る窓の外は暗く、静かに白い雪が舞っていた。




