元賢者の洗礼
吐く息を白く染めながら、ブーツに包まれた足を進める。
きゅっきゅっ。浅く積もった雪が踏むたびに音を立てた。
すごーい。
温かい王都の外れで育った私にとって、はじめての雪。なんか感動だなぁ。
ラナガ森の奥にある湖へは馬車が通れるほどの道幅はない。馬車はタニカラ町へ預け、二頭の馬に荷物を括り付けて徒歩で進んでいる。
森の中は鳥の鳴き声や、木々を飛び回る小動物の立てる音などで思ったよりも騒々しい。既に歩くこと三時間程、陽射しは暖かくなくなってきてるけど、歩き続けているお陰で寒くはなかった。
ふと、微かな風切り音が耳に入る。
何?と思う間もなく、大剣を抜いたシグルズが叩き落としていた。
「石!?」
地面に叩き落とされたそれは、数個の石だった。遅ればせながら、剣を抜いて辺りを警戒するけれど、人の気配が全くしない。
どういうこと!?
疑問符を浮かべて、じりっと足を後退させた時に小さな違和感を覚える。
「うわっきゃあああ!」
「クロリス様!」
物凄い勢いで片足を引っ張られ、気が付くと逆さ吊りになっていた。慌てて足を吊っている縄を剣で斬る。空中で一回転して地面に着地した。
着地した途端、ピィンと何かが鳴る。
鞭のようにしなった蔦が、大きく後ろへ仰け反った私の鼻先を掠めた。
「危なっ!」
慌てて下がったら、今度は足元から地面の感覚が消える。
うげっ! 落とし穴!?
「ウエントス!」
フィンさんの魔法に包まれる。落下が止まってふわふわと浮いた。
「侵入者よけに罠があるとは聞いてたけど、予想以上だね」
ここに来る前に寄った町で手に入れた情報によると、賢者が人魔戦争に加わらなかった理由には高齢なこともあるけど、それ以上にとても偏屈なところが大きかったらしい。住んでいるのも人を寄せ付けない罠だらけの森の奥で、時々町にやってくる以外に交流はないんだって。
「それにしても面白いほど罠に引っ掛かるね、君は。これ以上引っ掛かると厄介だから、このまま行けるところまで突っ切るよ」
「あははは、お手数をかけます」
一人で何個引っ掛かったやら分からない私は、乾いた笑いを浮かべるしかない。
二頭の馬と私たち四人とも、地面から30cm程浮いたまま、滑るように進み始めた。
「凄い!けど、最初からこれで移動してたら楽チンだったんですけど?」
「あっという間に魔力切れになるよ。これだって長続きはしない」
そうこうしているうちにも移動は進み、物凄い速さで景色が流れていく。が。
前方に今度はマナの大規模な動きだ。ついでに姿は見えないけれど、人の気配!
「件の元賢者様か?ったく、素晴らしい歓迎ぶりだな」
シグルズの皮肉に、フィンさんの簡潔な指示が続く。
「解除するから着地の準備を」
「オーケイ」
ったく、人を散々罠に嵌めてくれちゃって!
地面の感触が足に伝わると同時に、気配へ向かって走り出す。が、数歩進んでまた足元が消失した。
「何で私ばっかりいいぃぃ!!!」
叫びつつ剣を穴の側面に突き刺して、落下を阻止する。ぐっと柄を持つ手に力を入れて体を引き上げ、剣の柄を足場に穴から脱出した。
穴から抜けた私が見たのは、次から次へと作動する罠を大剣と体捌きでいなし、かわして気配に肉薄するシグルズと、息を飲むほどの巨大で精緻な魔力だった。
「殺すなよ! シグルズ!」
「分かってるさ!」
防御魔法を展開しながら、フィンさんがシグルズに警告する。元賢者に会いに来たのに、殺してしまっては意味がない。けれど、視界を埋め尽くす程の魔力が織り成す美しい模様、何の魔法なのか迄は解らないけど、これが発動したら多分私たちは死ぬ。
というより、下手に中断して暴発しても使い手は死ぬレベルよね!?
お願い、シグルズ! 手荒にしちゃ駄目よ! でも魔法は発動させないで!
心の中で無茶なお願いをしている間に、シグルズは一見何もない空間に拳を突き入れる。気配の主の胸倉を掴み、姿を隠していた魔法が切れた。
「んなっ!? 誰だお前?」
現れたのは、気の弱そうな若い男だった。近くの町の人が元賢者は高齢でしかも女性だって言ってたから別人だ。
「この魔法の使い手は別にいるのか!?」
フィンさんが珍しく焦ったように重ね掛けして防御魔法を高める。私もシグルズも、フィンさんの防御魔法圏内に入るために身を寄せた。
そんな中、一人圏内から前に出る人影に私の心臓が縮み上がった。
「メイちゃん! 何してるの!」
「大丈夫です、クロリス様」
メイちゃんはキラキラした目を私に向けて言った。
「これ、回復魔法ですよ!」
「……へ?」
私ばかりかフィンさん迄、目が点になって固まった。
「ふおっふおっふおっ!お嬢ちゃん、よく見破ったのう」
え!? なんか、声近くない!?
「って! ぎゃああああ!」
近いと思ったら、私の隣じゃん!
「こっちの嬢ちゃんはリアクションええのう」
ふおっふおっふおっと笑うお婆さんは、ベージュのワンピースの上から毛糸のセーターに前掛けを着けた、何処にでもいそうな人だった。小柄でふくよかな体、曲がった腰で杖を付いているけれど、その杖も絵本の魔法使いが持つようなものではなく、散歩に使うステッキだ。
「馬鹿な、全く気配がなかったぞ!」
シグルズでも感じ取れなかったの? いや、気配どころか姿も見えませんでしたけど!? マナの動きも自然だったし。
「ほれ、防御魔法を解除せんか。折角の回復魔法が無駄うちになるじゃろう? 特にこの嬢ちゃんは回復魔法が必要そうじゃしの」
お婆さんに杖の先で突つかれ、フィンさんが我に返った。お婆さんに視線を向けられて、私はさっきの無理な動きで傷が開きかけている事を思い出した。
これから年明けまで、更新が多分不定期になります。年末年始は主婦にとって一番忙しい時なもので!
でも、結局何だかんだで更新してしまうかも(笑)




