災害
でこぼこした街道を馬車が進む。ちらほらだった積雪は、今はうっすらとだが一面に見られるようになった。ここまで来るとタニカラ町には、今日の夕刻に着く筈だ。現在の時刻は昼を過ぎたばかり。
寒くなった為に、ここのところ馬車の幌を下ろしている。隙間をそっと持ち上げて外を見ると、途端にキンと冷えた空気が、温まった馬車の中に入り込んだ。御者台にはシグルズが座り、目の前にはフィンさんが出した、暖を取る為の火魔法が浮いていた。
「お前は亀か」
幌から首だけを覗かせる私をシグルズが見下ろす。喋ると白くなった息が、風を受けて後方へ流れた。
「失礼ね。寒いんだから仕方ないでしょ」
頬を膨らませてシグルズを軽く睨み、前方へ視線を移す。同じく白い息を吐きながら進む二頭の馬の背中が、歩みに合わせて揺れている。
まだ町の姿は見えないか。それだけ確認して幌の中へ首を引っ込めようとし、違和感を覚えた。雪化粧をした街道、肌を刺す冷たい空気 、遥か前方のもうじき見える筈のタニカラ町の方角と何かが違う。
「シグルズ、馬たちを悪いけど急かしてくれない?」
「ああ。分かった」
シグルズも微かな異変を感じていたのか、頷いて手綱を振った。馬が早足から駆け足になる。私は出していた頭を引っ込めて、メイちゃんとフィンさんを振り返った。二人も緊張した顔で私を見て顎を引く。
ざわつく心を落ち着かせるために、私は腰の剣の柄を握った。フィンさんが寒さを無視して幌を上げる。
身を切るような冷たい空気に混ざるマナが、どんどん希薄になっていく。同時に、風の中に独特の匂いが混じり始めた。
何かが焦げた匂いと、鉄錆びのような、血臭が。
じきに町が見えてきた。馬車を停めることももどかしく、私とシグルズは先行して飛び出した。飛び出して直ぐに、雷魔法での一段階目の身体強化をかける。
強化魔法をかけているというのに、やや前方を走るシグルズとの距離は変わらない。
地力が違うなあ、もう!
腹立たしさと若干の誇らしさは、町から聞こえる喧騒と悲鳴に掻き消された。上がる火の手、怒号と悲鳴、逃げろと誘導する声、呻き声、そしてモンスターたちの咆哮が私の血を沸騰させる。
「加勢する!」
一足先に門に着いたシグルズが、モンスターと戦う男たちの間に割り込んで大剣を振るった。
ゴガン!という派手な音と共に、大鷲と猫科のモンスターが真っ二つに吹っ飛ぶ。
「た、助かった!」
へたりこむ男を後回しに、シグルズは次に向かう。そっちはシグルズに任せた。私は門から中へ入り、反対へ走り出す。
家の窓ガラスを割り、顔を突っ込んでいる爬虫類モンスターの下へ潜り込み、斬り上げて胴体から泣き別れさせる。家の中から上がる悲鳴に、生きていると安堵して次だ。
熊のようなモンスターが、伏せていた顔を上げる。血塗れの口元と、前足の下になっている動かない人。
遅かったと奥歯を喰い縛って、私を叩き潰そうとする前足をかい潜り、剣を眉間へ突き立てる。柄から手を離し、地面すれすれに体を回転させた。頭上を大鷲の鍵爪が通り過ぎる。
「ふざけんな!死ね!」
かっとなって唱えた呪文は乱暴すぎて流石に暴発し、右腕に火傷負う。怒りでうまく魔法を制御出来ない。
「ぐううううっ」
痛みに呻いたが、構わず私の手に飛んで戻ってきた剣の柄を握った。針で刺すような痛み、こんなもの何ほどのことか!握り直した剣で、滑空してきた大鷲を串刺しにした。
モンスターが魔石になって転がる。後に残ったのは、あちこち噛み千切られた男の人。視線を右にやれば、ピクリとも動かないうつ伏せに倒れる子供。どこからか聞こえる親を呼ぶ泣き声、子供を呼ぶ母の叫び。
実際に耳が拾っている声とは別に、聞こえる声がある。
『怖い、助けて!』『死なないで』『嫌だ、死にたくない』
元々朧気にだけれど、人の願いを感じることが出来た。シグルズにかかる竜の呪いに触れてから、それは鮮明になった。
「許さない、許さない、許さない!」
『生きたい、まだ死にたくない!』『死んでほしくなかった!』『お父さん、お母さん、戻ってきて!』『死にたくない、助けてくれ!』
目眩がするほどの願いが頭に響く。殺せ殺せと、竜の声が身の内で囁く。
「ちくしょおおおお!」
私は獣のように吠えて、目につくモンスターを片っ端から斬った。
気が付くと私は、剣を杖のようにして座り込んでいた。モンスターの気配はなく、そこら中に魔石が転がっている。
「クロリス!大丈夫か?!」
肩を揺さぶられて、茫洋としていた目の焦点が合ってくる。右腕の痛みを思い出して呻いた。不意に浮遊感が訪れる。シグルズに抱き抱えられたらしい。そのままシグルズに体重を預けて、私は意識を失った。
目が覚めると、何日かぶりのベッドの上だった。木の天井をぼうっと見て、何度か瞬きを繰り返し、半身を起こす。
メイちゃんやフィンさん、シグルズの姿は見えない。部屋の中にあるベッドは全て埋まっていて、床に敷かれた布団にも沢山の負傷した人たちが寝かされていた。
「良かった、目が覚めたんだな」
怪我人の前に屈んでいた背の低いおじさんが、私に気が付いて声をかけてきた。包帯を持っているから、医者かもしれない。
「嬢ちゃんの連れはまだ外で忙しくしとるが、嬢ちゃんは怪我人だ。まだゆっくりしとるといい」
言われてみれば、シャツから覗く右腕には包帯が巻かれていて、熱を持って胎動のような痛みがあった。他にも脇腹と右足に、引きつるような痛みと包帯の感触がある。
私は無言でベッドから下りようとしたが、置いていくなとばかりに剣がぶつかってくる。私が着ているのはシャツとズボンだけで、腰に差そうにも剣帯がないから、鞘ごと掴んで外へ出た。
「お、おい、あんた!」
おじさんが慌てて私の後を追いかけてくる。町の中は戦闘の傷跡も生々しく、崩れた家屋や瓦礫が転がっていた。夕陽が痛々しい町と人を赤く染めている。私が意識をなくしてから時間が経っていないのかもしれない。
「あんたも怪我してるんだ。まだ出歩かない方がいい」
おじさんが私を引き留めようとするのを無視して歩く。おじさんは溜め息を吐いて、諦めたように戻って行った。
「お姉ちゃん!」
抱き合って無事を喜んでいた母子の横を通ったとき、子供の方が私を呼び止めた。母親が涙に濡れた顔を上げる。
「助けて下さってありがとうございました」
二人が深く頭を下げると、母子の間に横たわる布にくるまれた小さな遺体が目に入った。この母子をグリフォンが襲っていて、私が首を斬った時、嘴に子供をくわえていた。
ぎしっと心の何かが軋む。罵倒よりも、ありがとうの一言が心を抉った。
違う。助けられていないのに、お礼なんて言わないで。
あの時の『誰か、この子を助けて』という母親の願い、『お兄ちゃん、死なないで』というこの子の願いは、もう一生叶わない。叶えられない。
「……っ」
何も言えず母子にただ頭を下げて、逃げるように立ち去った。




