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竜の呪い

二人無言のまま、所々日陰に積雪のある寒々とした土地を進む。フィンさんに馬車から離れすぎない所で、ちょっと二人で話し合っておいでと言われたのだ。


私は斜め前を行くシグルズの背中を、ちらりと見た。この人に対して、何で私はこんなに意固地になっているんだろう。自分の心を探るが、よくは分からない。


シグルズの歩みが止まった。私も歩みを止める。振り返るシグルズと私の目が合う。

「「あのさ」」

同時に言いかけて同時に黙る。数秒が経過した。

ええい、何なのさ!この空気!

私が口を開きかけると、シグルズの瞳が揺れている。何か迷うようなその目に、開きかけた口を閉じた。

「その…… 悪かった、クロリス。なんというか、その、今までの態度の悪さは八つ当たりなんだよ」

随分と歯切れの悪いシグルズの言い様を、私は口を挟まず黙って聞いている。


シグルズの瞳の揺れが収まり、ピタリと私の視線に合わせた。

「…… 隠していた事がある。以前お前の旅に付き合っているのは、竜にやられた傷を治すことの交換条件だと言っていたな。それともう一つある」

苦い表情でそう言ってから、パチンと胸当ての留め具を外す。それから着ているシャツのボタンを外し始めた。

…… はい?

「ちょっと待って!何してんの?」

何故に脱ぐ?!慌ててシグルズを制止しようと、広げた手を突き出し私は動きを止めた。


広げたシャツの下から現れたシグルズの肌に、どす黒い傷痕ともつかぬ染みが在ったからだ。肩に傷を負った時とは反対だから、あの時は気付かなかった。

「…… なに、これ?」

「触るな!」

突き出したままだった手を、シグルズの黒い染みに伸ばそうとして止める。


「これは竜の呪いだ。竜から受けた傷はフーリエに治してもらったが、呪いは管轄外だと言われた。呪いを解きたければ、聖女の浄化の力が必要だと。だから旅に同行している。勇者は必ず聖女に逢うからと」

呪いという言葉と、シグルズの傷痕の不吉さ、二つが私の行動を縛った。

「この呪いを受けてから、身体能力が上がった。上がりすぎて周りを巻き込む程に。…… しかも戦闘になると妙な気分になりやがる」

はだけたままのシャツをかき合わせるように、彼は右手で握る。握った拳が白くなるほどに。


「目の前の敵を、側にいる生き物を、殺したくて堪らなくなる。自制はきくが、衝動は少しずつ大きくなってる。その内、我を無くすんじゃないかと正直怖え」

伸ばしかけて宙に浮いた私の手が、冷えていく。これは冷たい空気のせいだけじゃない。


「自分の体を度外視で突き進むお前を見て、心底腹が立った。他人の為に体を張るお前にじゃない。そんなお前を守れない俺自身にだ」

ああ、やっぱり。この人は思った通りの人だ。辛そうに打ち明けてくれるシグルズに、私は変な感慨を抱いていた。


「俺は人を守る親父に憧れた。俺もそう在りたいと思った。なのに衝動を抑えるのに必死で、まともに戦えなかった」

シグルズの願いは人を守ること。私は…… 。

何かが私の心を掠める。それは形になる前に霧散して、切なさだけを残した。


苦しそうな表情と声音がシグルズの強い願い、叶わない無念と抱いた醜い感情を伝える。

「誰かを守る為に戦うお前を見て、嫉妬したんだ、俺は…… !」

何故私はこの人に意地を張ってしまうのか。答えはすぐそこに在りそうで、手が届かない。


「 俺が本当に許せないのは、不甲斐ない俺自身だ 」

答えには手が届かないけれど。私は静かに瞑目した。ただ、今生まれた感情を確認する。

ああ、私は誰よりもこの人の願いを叶えたいのだと。


「シグルズ」

止めていた手を少し伸ばすと、シグルズの手に触れる。実際のこの手は簡単に届き、冷たくなっていた指先に熱が伝わる。

「貴方の願いは叶うよ。この手は人を守る手で、殺すだけの手じゃない」

自然に微笑んでいた。シグルズが目を見開き息を飲む。私は微笑んだまま力が弛んだシグルズの手を握って、掴んでいたシャツから退けた。そのまま迷わずに反対の手で黒い傷痕に触れる。


「っ!馬鹿、お前!」

油断していたシグルズの制止は間に合わない。ぺたりと着けた手のひらから伝わるのは、体温と動揺ともう一つ、シグルズのものではない何か。

びりりと痺れるような感覚と共に、その何かに魔力を持っていかれる。持っていかれる魔力の代わりに、流れ込んでくる想いに胸が締め付けられる。そこでシグルズに手首を掴まれ、引き離された。


「何やってるんだ!呪いに触れたりしたら、何が起こるか分からないんだぞ!」

「平気よ。私は勇者だから耐性が有るのよ」

何でもないことのように言い切った。黒い傷痕を見てシグルズの願いを感じた時に、大丈夫という妙な確信があったけれど、半分は賭けだった。


「お前、本当に何ともないのか?」

いつの間にか間近でシグルズに覗き込まれていた。物思いに沈んでいたらしい。心配そうな少し焦った表情だ。

「ないわよ。どうして?」

シグルズは大きな手を私の頬に添えた。

「ならどうして泣くんだ?どこか苦しいとか、痛いとかか?」

え?指で拭われて自分の涙に気が付いた。

「あれ?っおかしいな」

ポロポロと溢れて止まらない。呪いから伝わった竜の記憶が、どうしようもなく胸を疼かせる。

そうか。私は本当に最初から勇者だったんだ。その事が悲しくて涙が中々止まらなかった。


ああ、もうシグルズの前だとよく泣くなあ、私。

やっと収まってきた涙を、ぐいっと乱暴に袖で拭う。泣いている間シグルズは、ずっと困ったように背中を撫でていてくれた。


あー、恥ずかしい。軽くシグルズを押して少し離れる。

「ごめん、シグルズ。もう大丈夫だから。ついでにもう一つ確認だけど、生き物を殺したい衝動、治まってない?」

「は?…… んなもん、戦ってみないと分からねえ」

戦闘になるとって言ってたものね。

「だったらちょっと戦ってみよう。はい、手を離して」

「あ?ああ、悪い」

私の空気に呑まれたまま、シグルズが私の手首を離した。ちょっと赤くなってるよ、馬鹿力め。

ちょいと袖を伸ばして手首を隠し、適当な木の棒を探してシグルズに放った。ぱしっと受け取ったのを確認して仕掛ける。


「ま、待て!」

ふふん、慌てても無駄よ。前に出した足と、正眼に構えた棒の先を僅かに動かしてフェイントを入れてから、本命の突きを繰り出す。

シグルズの青い目から混乱が消えた。フェイントに釣られず、小さく突きを避けて半歩前へ出る。あっという間に懐に入り、木の棒が私の喉元へ伸びる。淀みのない動作、私が剣の一端に触れたからこそ分かる、美しい軌跡。周囲の空気を斬るほどの鋭さと速さは、半人前の私が避けられるものではないし、避けるつもりもなかった。


何故なら、きっと私には届かないから。


「ほらね」

首に触れるか触れないかで止められた木の棒を、笑って指で弾いた。

「衝動なんて欠片も沸かなかったでしょ?」

唖然としているシグルズの顔が小気味良く、私はクスクスと笑う。


「確かになんともない。…… 訳わかんねえ、何なんだ、お前」

互いに突きつけ合っていた木の棒を下ろす。シグルズは疲れたように、私は笑みを浮かべたままで。

「勇者、でしょ?言っとくけど、聖女様みたいに浄化の力は無いから、呪いが解けたわけじゃないわ。また生き物を殺したい衝動があったら教えて。相殺してあげる」

茶化すように肩を竦めて片目を瞑る。


「一つ教えて。シグルズに呪いをかけた竜は生物としての竜じゃなくて、モンスターだったんじゃない?」

私の問いにシグルズは戸惑いながら答える。

「ああ、そうだ。竜ってのは普通は神聖な生き物なんだが、何故か黒竜がモンスター化して町を襲った」

「そう」

今ので確信した。シグルズが意味が分からないという風に眉根を寄せるが、私は説明する気はない。

「ごめんね、シグルズ。私つまらない意地を張ってた。あんたは八つ当たりだったんだから、おあいこね。それで終わり。戻ろっか」

話は終わりだとシグルズの肩を叩いて、私は馬車へ足を向ける。戸惑う彼を置き去りに、振り返ることなく歩みを進めた。

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