王宮って怖!
翌朝、まだ薄暗い夜明け前。私はベッドの中で半身を起こし、大きく伸びをした。花屋の朝は早い。だから私は早寝早起きが染み付いている。うしっとベッドから降りて、着替えようとベッド際のサイドテーブルの上にある服に手を伸ばしたら。ごとっと足元に剣が落ちてきた。
半眼で見下ろす。
はいはい、分かったからね。ちょっとそこで待ってなさい。意味なく心の中で剣に『待て』をしてから、さっさと着替えて腰にぶら下げた。もう、慣れるしかないでしょ、これ。
剣を腰に下げたまま朝の体操をやって、備え付けの洗面台で顔を洗い、髪を後ろで一まとめに括る。今日から訓練なのだ。括っていないと邪魔だろう。
と、まあそこまでやっても窓の外はまだ薄明るくなってきたくらい。そろそろ暇を持て余してきた。でも、まだ朝ご飯には早いよねー。どうしよ。なんて考えていると、コンコンとドアをノックする音がした。
「どうぞー」
「失礼します。おはようございます、クロリス様」
挨拶しながらガチャリとドアを開いたのは、可愛い侍女さんだった。
「おはよう」
妹と同じ十四歳くらいかな? 癖のある栗毛を耳の下辺りに切り揃えた、可愛らしい女の子だ。
「申し遅れました。私はクロリス様の身の回りのお世話をさせていただく、侍女のメイと申します。よろしくお願いいたします」
「クロリスよ。よろしくね、メイちゃん」
丁寧に挨拶をしてくれた彼女に、私はにこにこと右手を差し出した。メイちゃんも戸惑いながら手を出してくれたので、ブンブンと握手を交わす。
「早速なんだけどさ、朝食までまだ時間あるでしょ? 身支度ももうやっちゃったし、ちょっとお城を案内してくれない?」
「え? でも」
「ね? お願い」
こんなところにボーッとしていられない。暇で死んじゃう。いつもなら、水やりも終わって剪定している頃かなー。そんで朝ご飯食べて、お店の掃除をして、店の中に入れていた鉢を外に出すの。って、ああ、もう。やめ、やめ。
ブンブンと首を振って、その考えを追い出す。考えたって仕方ないことを考えているよりも、真面目に訓練とやらをやって、強くなって魔王を倒し、さっさと勇者を終わらすのだ。
「ほえー。王宮って広いのね」
メイちゃんに案内してもらいながら、私は感嘆の声を出した。
いやだって、王宮なんだから大きいって思ってたよ。でもね、私なんて貧乏人の予想以上だったんだもの。あれよ、私みたいなのが一人で彷徨いたら余裕で遭難できるね。きっと。
とりあえず、私が居たのは二階の北の宮。王宮は中宮と東西南北の宮、後宮に別れているらしい。廊下一つ、階段一つとってもデカイ、広い。部屋だって一体幾つあるのやら。
メイちゃんに、一階の中庭に案内してもらった。中庭には見事に花が蕾を付け、煉瓦の道と、幾つかの広場、優雅な白いベンチが置かれていた。
「綺麗。庭師さん、いい仕事しているね」
中庭を歩きながら、つい癖で葉っぱや茎の色ツヤを見てしまう。うん、風通しもいいし、肥料も足りている。草も綺麗に抜いてある。土だって申し分ない。まだ夜明けだから花は蕾だけれど、日光に当たれば開花するだろう。夜咲く花もあるけど、王宮に植えられた花はどれも日中咲く品種ばかりだ。
ああ、癒される。うん、これから暇があったらここに来よう。
私がメイちゃんと中庭を満喫していると、中庭に面した廊下を歩いてくる男が見えた。二十歳そこそこの若い男だ。やや細身だが精悍な体つき、黒に近い茶色の髪に切れ長の青い目。顔はまあ、どちらかといえばいい方。
彼は木剣を肩に担ぎ、簡素なシャツを汗に濡らしていた。こちらに向かって歩いてくる。すれ違うかと思ったら立ち止まり、無遠慮に私をじろじろと見た。何なのよ。
「何か?」
「そいつがあるってことは、お前が勇者か」
低いよく通る声だ。彼が私の腰の剣を指差した。
「不本意ながら、そうらしいわよ」
「お前みたいな小娘が、か?」
彼の鋭い目が細くなり、剣呑な光が灯る。睨まれた私はきゅっと心臓が縮むような心地になる。
だけど。私だって好きで勇者になったわけじゃない。
なのに、どうしてそんな目で見られないといけないの。
「そうよ」
くいっと顎を上げて睨み返した。彼はしばらく私を見ていたけど、やがて踵を返して行ってしまった。
「何よ、あの男!」
「あの方は、竜殺しの英雄シグルズ様です」
「竜殺し?」
ええっ、竜? 竜ってあの、強くてでかくて、空を飛んで火を吐くっていう、あの?
あの人、そんなのを倒しちゃったの?
っていうか、竜って人間が倒せるものなんだ?
一日が始まったばかりの王宮で、いきなり私は英雄とやらに絡まれたらしかった。