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誰が為に戦うのか

灰色の何もない空間。壁も地面も空も大地も、何もない。否、少なくとも地面だけはある空間。


ここにいるということは、私はいつの間にか眠ってしまったらしい。


「お姉さん!」

「カイくん」

駆け寄って抱き付いてきた男の子を、私は受け止める。カイくんは嬉しげに私を見上げてから、心配そうに眉を寄せた。


「お姉さん、どうしたの?辛いことがあった?誰かに泣かされた?」

カイくんの細い指が私の目元を撫でる。散々泣いた後だから、赤く腫れているのだろう。

「何でもないよ」

「お姉さん、ここは夢の中何だからね。我慢しなくてもいいんだよ」

カイくんは少し頬を膨らませて怒ったように言ってから、背伸びをして私の頭を撫でた。


それはいつかの私の言葉で、私の行動だった。そして、今しがたシグルズが私に言ってくれた事で、してくれた事だ。


私は驚いて目を丸くしてから、泣き笑いになる。心から温かい何かが溢れてきた。人がかけてくれる言葉と行動は、こんなにも温かくて嬉しいものなんだ。


「うん。そうだね。ありがとう、カイくん」

撫でてくれるカイくんの、私よりも少し小さい手を握る。

「どういたしまして」

どこか誇らしげにカイくんが言った。


「お姉さんの手、剣を握る手だね」

握った私の手を見つめて、カイくんが目を伏せた。私は頷く。握った時に私も思っていたから。カイくんの手も小さいながら硬いタコが出来た、剣を握る手だった。


「私、本当は剣なんて握りたくない。花屋のままでいたかった。カイくんの前では花屋のクロリスでいられたけど、もう終わり」

手を握ったまま、カイくんは私を見つめる。

「戦うのは怖い。誰かを傷つけなくなんてない。でもどうやら私の運命は、それじゃ駄目だから」


「どうして?お姉さんがやらなきゃいけないの?」

カイくんの眼差しは、どこかすがるようだった。心細そうなその表情が語る。

私じゃなくてもいいじゃないか。こっそり逃げて耳に蓋をして、閉じ籠って、その間に誰かが何とかしてくれるのを待てばいい。


ああ、これも私の姿だ。どうして私がやらなきゃいけないの?これは私の問い掛け。


「私もずっと思ってた。私がやらなくても誰かがやってくれるって」

「それじゃ駄目なの?お姉さんよりも強い人はいっぱいいるでしょう?」

カイくんが泣きそうな顔をする。私も同じような顔をしているんだろう。


「今日ね、私が怖くてすくんじゃったせいで皆が危ない目に合った」

情けなくて仕方ないあの時の私。でもあの時があるから分かったことがある。


「戦うことよりも、大事な誰かが傷付くことの方がよっぽど怖い」

肩に傷を負ったシグルズ。魔力切れで倒れたメイちゃん。囮になってくれたフィンさんは無事だろうか。


「大切な人の為に戦うんだね」

カイくんの瞳が揺れる。この子も迷ってるんだ。

「うん」

「お姉さんは、強いね」

カイくんは握っている手を、さらにきゅっと強く握った。


「違うよ。弱いから戦うんだ。弱い私に勝つために。私の代わりに誰かが傷付かないように」

カイくんに話しながら自分の心を探る。

「嫌なんだ。目の前で誰かが傷付くの。私が剣を握って戦うよりも、もっと嫌だ」

シグルズが怪我をした時、心臓が止まりそうだった。もうあんな思いは嫌だ。


言っていて可笑しくなってきた。なんだ、全部自分の為じゃないか。

「ふふふ、ちっとも大切な人の為なんかじゃないね。私は私の為に戦うんだ」

「うん。そうだね」

カイくんはそう同意して、目を閉じた。もう一度目を開いた時、彼の顔は一変していた。迷いのない真っ直ぐな赤い瞳と、ぐっと引き結んだ口。まだ幼いけれど男の顔だ。


「僕も同じだ」

握っていた手を離して拳を握り、私の前に差し出した。私も同じように拳を握る。


「私は私の為に」

「僕は僕の為に」

こつんと、拳をぶつけ合った。


「「戦おう」」



※※※※※※※※※※※※※※※※※※


目を開くと見慣れた天井だ。僕は静かに起き上がって手早く身支度を整える。剣が自分を忘れるなという風に、鞘ごと僕の側へ飛んでくる。ぱしんと柄を空中で握り、腰へ差した。

迷いなく部屋を出る。僕をいつものように起こしに来た侍女が、驚いた顔をしていた。それがちょっと面白い。


向かうのは弟のサイの部屋だ。軽くノックすると、侍女が返事をした。扉を開けて中へ入る。


サイは侍女に身支度を整えられ、椅子に座っていた。白い肌に黒髪、黒い瞳は硝子のようにただ周りの景色を写しているだけだ。

「おはよう、サイ」

僕はサイの前に膝を着いて、手を握る。力のこもらないサイの手は、少しひんやりしている。

「今日は人間と戦うんだ。本当の事を言うと怖い。でも、ある人に勇気を貰ったから」


サイは食事を摂るように言うとちゃんと食べる。手を引けば素直に付いてくる。前みたいに笑わないし、泣かないし、怒ったりもしないけれど、きっといつか戻ってくると信じてる。


「必ず勝つよ、サイ」

反応のないサイの手を、最後にぎゅっと握ってから手を離して立ち上がった。

僕が手を離すとサイの手は、ぱたりと力なく滑り落ちる。その指先は黒く染まっていた。


必ず人間に勝つ。そして、闇化病の治療に協力してもらう。例えどんなに血を流しても。


僕は魔王なのだから。

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