崩壊の足音はとても密やかに
馬車の外の草原の一画に、小さな祠が目に入った。大きめの石を積んで囲った簡単な祠だ。黒くなった場所にはああやって祠を作って、うっかり人が触らないようにしている。
そう言えば最近、お父さんの知り合いの行商人がぼやいていたなぁ。
「祠の数が増えてかなわんわい。この前は街道のど真ん中に出来たもんだから、荷馬車だと避けるのに苦労した」って渋い顔をしてた。
「ああいう小さな祠は珍しくないけどね。ここ数年で災害の規模が大きくなってる。一度に現れるモンスターの数も増えた。黒く染まった場所は、以前より大きくなった」
フィンさんの深い色合いの青髪が、風を受けてさらさらとなびいた。美男子はいちいち絵になる。
北の町では、例年にない雪が降り続いて何百人も凍死したとか。異常な暑さに見舞われた南東の観光地は、暑さに何人も倒れて死者はやはり百人単位になったらしい。そして、どちらもモンスターの大群が押し寄せて、壊滅的なダメージを受けたそうだ。
「北の町は3週間前、南東の観光地は5日前の出来事だ。我が国では大きな災害はその二つだが、各国でも同じようなことが起こっているそうだ。そこへ聖女への神託だ」
「光と闇の聖戦って何なんですか?」
字面からなんとなくは分かる。私たち人間が広く信仰しているセイルーン教が崇める光の神セイルーンと、魔族が崇める闇の神デュロス、この二つの宗教は人間と魔族の戦争に深く関わる。
「それが分からないんだ。普通に考えれば2柱の神を掲げた人間と魔族の戦い、人魔戦争のことかと思うけど。詳しくは聖女が話してくれるらしい」
フィンさんは軽く肩を竦めた。
「今進んでいるカナラ山脈を迂回するルート上に北の町ガロがある。百聞は一見に如かずだ。現状を見ていこう」
所々ある剥き出しの石を踏んで、がこんっと馬車が大きく跳ねた。舗装されていない道を走る馬車は揺れる。
「ええと、このままバオバフ町を北東へ進むとラジカ村、次はムレート町、タニカラ町、それからガロ町ですね。ガロ町の次がカナラ山脈の麓、国境の町マスルバになります」
メイちゃんが地図を指差して地名を読み上げる。フィンさんがメイちゃんの説明を補足した。
「ラジカ村までは馬車なら半日かからないけど、ラジカ村からムレート町へは約1週間かかる。ムレート町からタニカラ町へは1ヶ月、そこからガロ町へは2週間だね」
私はメイちゃんの横から地図を覗き込んだ。気になった箇所を指差す。
「このばつ印は何ですか?」
町でも何でもない場所に、ばつ印が結構書かれている。
「それは祠の場所だ。レナド王国の騎士が把握出来ている分だけだけどね」
「結構な数ですね」
そう言いながら、ばつ印の数を数えてみた。
ラジカ村からムレート町までの街道沿い近くだけでも約25ヶ所ある。祠の位置はバラバラだけれど、平均すれば2キロ圏内に1つはある感じかな。
「残念ながら、もっと増えていると思うよ」
フィンさんはそう言うと地図から視線を離し、ゆっくりと流れる景色に目を細めた。
「話し中悪いが、モンスターだ」
御者台で1人沈黙を守っていたシグルズが、警告する。
私は幌から頭を出して訊いた。
「何処?」
シグルズは空を指差す。そこには黒い影が2つ旋回していた。
「ワイバーンだ。2匹いる。馬車を停めるぞ」
そう言って速度を緩めてから、完全に馬車を停止させた。
「よし、クロリス。訓練の続きだよ。魔法で撃ち落としてみよう」
「オーケイ、先生」
私は馬車から飛び下りて、少し離れる。フィンさんに片目を瞑ってみせてから、上を見上げて剣を抜き、魔力を練り上げた。
キマイラとの戦いで浮き出た、私の課題。剣での戦闘をこなしながら、魔法を使うこと。
魔力を練り上げる作業を、無意識のレベルで制御する。これが出来れば手札が倍以上になる。逆に出来なければ、実戦で魔法なんて使えない。
剣を構え、ワイバーンの動きを注視する。
来い、降りてこい。
お前の相手はここだ。攻撃に降りてきた時、すっぱり斬ってやるから。
そうして上に意識を向けるのと同時に、魔力を編み続ける。集中するのは、ワイバーンの動き。魔法は息をするように。
突然、大きく旋回していたワイバーンが、左右から一気に降下してきた。
ちっ!同時に別方向から来るのか!
苛立つ感情は剣に乗せ、魔法の制御は凪いだ心で速やかに。
ワイバーンが私に到達する瞬間、動いた。
「爆ぜろ!」
左から嘴で私を串刺しにしようと来たワイバーンの鼻先へ、火の魔法を爆発させる。同時に半回転しながら、鉤爪を向ける右のワイバーンを避け様、剣を横腹に突き立てた。
バランスを崩して魔法を受けたワイバーンが地面に激突する。横腹に剣が深々と刺さったワイバーンは、翼をばたつかせて暴れた。
近くで見るとやっぱり大きい。体長は2メートルくらい、両翼を広げれば4メートルはあるね。
私は剣から手を離して、暴れるワイバーンから少し距離を取る。
手負いの獣の厄介さは、キマイラで身に染みたもの。
それに。
ワイバーンの横腹から、独りでに剣が抜けて私の手の中に戻る。
この剣はこれがあるからね!
地面に激突したワイバーンは、火傷を負った体で奇声を上げて翼を羽ばたかせた。羽ばたきで起きた突風に、体を拐われそうになる。両足に力を入れて踏ん張りながら、また魔力を練り上げる。
ワイバーンが空へ舞い上がり、私は風の影響から脱けた。腰を低く落として、地面すれすれを剣で薙いだ。
私の頭上をワイバーンの嘴が通りすぎる。横腹から血を流し、嘴から血泡を吹きながら攻撃してきたのだ。そして、ワイバーンの体の下へ、潜り込むように屈んだ私が薙いだ剣は、ワイバーンの脚を切断した。
「ギオオオオオッ」
耳障りな鳴き声を後に、私はそのまま駆けてワイバーンの下から脱出する。
そして、魔力が練り上がり完成した。光のマナが私の魔力に引き寄せられる。
「撃ち落とせ!」
呪文を叫ぶと同時に大きく上へ跳ぶ。集まったマナが雷となって現出し、大気を振動させた。
空中のワイバーンが雷に撃ち抜かれて黒焦げになり、一呼吸後に溶けて消える。魔石だけが草の上に落ちて、ぽすっと小さな音を立てた。
これでまず一匹。
魔法を発動させながら上へ跳んでいた私は、重力に従いもう一匹のワイバーンの元へ落下した。両脚を失い、暴れるワイバーンの首を斬り落とす。
ワイバーンは首から大量の血を吹き出させた後、溶けて消えた。ころりと魔石だけが、地面に転がって残った。
「よっしゃ!なんとか魔法の制御は成功!どうでした?」
魔石を拾ってから、皆を振り返る。
「クロリス様、怪我は無いですか?」
メイちゃんが私に駆け寄って、上から下へと確認する。
「やれやれ、僕は魔法で撃ち落としてみようと言ったんだけど。今のは完全に魔法戦士の戦い方だね」
フィンさんが待機させていた魔法を、空中に空撃ちした。私がワイバーンを倒せなかった時のために用意していたみたい。一度練り上げた魔力は、発動させないと暴発するからね。
「素人だった君が、まさかたった1ヶ月ほどの訓練で、接近戦と魔法を同時にこなすとは思わなかった。勇者とは恐ろしいものだね」
フィンさんの言葉の後に、シグルズが釘を刺した。
「しかし魔族相手には、まだ話しにならねえ」
「そうだね。基本的に道中のモンスターはクロリスに任せて、僕たちはフォローに回ろう」
そうして、何度かモンスターと出会いながら昼頃にラジカ村に着き、少しの休憩の後、出立した。




