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掌編  作者: 千日紅
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屋上の魔法

つむじ風+塵旋風+誰か教えて






「私、魔法が使えるの」

 その日は風が強くて、私と河野は屋上に立っていた。


 席が隣になったのは一か月前。

 大人びた同級生と、私はさほど話をしなかった。

 中学生になったばかりで、制服の着方もぎこちない、そんな毎日をこなすことで精いっぱいだったから。

 入学後二週間目、部活を決めるアンケート用紙が配られたとき、河野は迷う私と対照的に、鉛筆をさらさらと滑らせて、クラス中で一番に用紙を担任に提出した。

 それで、私はつい「なんて書いたの」と尋ねた。すると河野は、「物理部」と答えた。

 私はその時初めて、河野の顔を正面から見た。

 そのことをよく覚えている。河野の目は、光が差し込むとハッとするほど明るい薄茶色をしていた。

 私は少しの間、見とれてしまったのかもしれない。

 気づけば、河野はその一重で切れ長の砂糖を入れた紅茶のような色の目を、私の手元に向けていた。

「なに…文芸部? お前、本なんか読んでたっけ」

 河野はしらじらと言った。私は高野の隣の席で、毎休み時間ごとに、本を広げていたのに。

 その言い草に腹が立って、私は机の中から、読みかけの本を取り出して河野の眼前に突き出した。

 河野は鼻で笑って、「剣と魔法のファンタジー? お前の頭の中、まだ小学生なんじゃないの」と言った。


 それからはことあるごとに河野と喧嘩するようになった。

 大体、河野がニュートリノがどうだとか、反物質がどうだとか、私にはよくわからないことを言ってくる。これは私を馬鹿にするためだとしか思えない。

 ちょっとでも言い返そうものなら、私が朝急いで編んだ三つ編みを引っ張って、「もうちょっと論理的に話せば」と言われてしまう。説明してと言えば、河野は丁寧に説明してくれるのだけれど、大体、私が途中で飽きてしまう。

「そんなんだから剣と魔法は」

 これが河野の口癖になるまで、そう時間はかからなかった。


 席が隣同士だから、日直をするのも一緒。

 五月の空は晴れ渡り、その日は風が強かった。

 春の運動会の垂れ幕を屋上まで運ぶ仕事も、一緒にしなければならない。

 いつものように「黒体放射って知ってるか」と言ってくる河野に馬鹿にされながら、屋上の重い扉を開けた。

 爽やかな風が、私と河野を大きく包み込む。

 三つ編みが、風に煽られて、こいのぼりのしっぽのようにはためいた。

「こら、俺だけに運ばせるなよ」

 河野を置き去りに、私は光の溢れ返る屋上を進み、手すりからこわごわ下を見下ろした。

 屋上から見下ろす校庭には、ところどころ風が渦を巻いて、黄土色の砂を巻き上げていた。

 私は、そこでいいことを思いついた。

「私、魔法が使えるの! ねえ、河野、魔法見せてあげようか」

「この科学の時代に何を言ってるんだよ」

 河野は屋上に垂れ幕を放り落とす。重かったと見え、少し河野の声が上ずっている。 私はスカートのすそを翻して河野の前でくるりと一回りし、ぴんと人差し指を伸ばして、校庭に向けた。

「つむじ風よ! 吹け!」

 私の声を号令にしたように、小さな風の渦が校庭にできる。

「ねえ、河野! 本当に魔法使えるみたいだよね! 河野もやってみようよ」

 次々に風に命じる。風は踊る。風は歌う。風は笑う。

 日差しと風が、肌を痛めつけるほどに強い。けれど、とても気持ちがよかった。校舎の外は異世界だ。

「……河野はさぁ…剣と魔法って馬鹿にするけどさ。私はすごく素敵だと思うんだ」

 場所が変わっても、人間がすぐに変わるわけではない。小学校、中学校、はてはその次と、場所ばかりが変わって、自分だけが取り残される。

 ともすれば時間の流れ、時代に置いて行かれそうな心を、幻想の世界は慰めてくれる。魔法だって、妖精だって、冒険だって、本の世界の出来事、ほんとうにはないものだと、私もわかっている。

 けれど、私のように、休み時間を友達と過ごす勇気も足りない生徒に、教室は冷たい。

「誰もさ、教えてくれないじゃん、どうやって大人になるか・・・・・河野は賢いからあたしとは違うだろうけど」

 その時、ひときわ強く風が校舎の下から吹き上げてきた。四階建ての校舎の屋上まで舞い上がった砂塵が、私の目に入った。

 私はとっさに目を閉じて、顔を覆った。

「入った? こするなよ」

「河野……痛い、どこ」

 私は目を閉じた暗闇の中、手を伸ばした。その手が、ひんやりとした何かに包まれる。

 異物を洗い流すために、閉じた両目から涙が溢れ出る。

 河野は何も言わず、私も黙って泣いた。痛みは涙とともに遠のいた。それと入れ替わるように、どくどくと心臓の音がうるさくなった。風の音がびゅうびゅうと耳を切る。その音よりも、心臓の音のほうが何倍もうるさかった。

 やがて、痛みが治まり、私は恐る恐る目を開ける。

 視界が一瞬、白く灼けて、次の瞬間に、河野の紅茶色の瞳が飛び込んできたと同時に、心臓の音も、息も止まった。

「俺も、お前と違わない」

 河野が小さい声で言った。私は何のことかすぐわからなかった。

 河野の手は冷えて、少しだけ震えていた。私の手は、もっと震えていた。

 河野の顔が近づいて、私はもう一度目を閉じた。

 誰も教えてくれないことを、私たちは暗闇の中に探している。


 その日、私は初めての恋の魔法にかけられた。



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