終
成実は環境が変わったり病気をしたりで、しばらく喫茶店めぐりをしませんでした。それでようやく出かけた先に、寺院の脇にある和風の喫茶店を見つけて入りました。コーヒーや紅茶のほかに、緑茶や抹茶、ほうじ茶などもあるお店で、近辺のお坊さんも気軽に使っているようです。お坊さんの話に、近くの席の人が聞き入っていたり、質問をしたり、その質問に別の席のお坊さんが答えたり、していることもあるようでした。
成実はリハビリついでの散歩コースのほどよい休憩先を見つけて大満足です。お寺や神社は緑があって歩くと心地いいですし、お茶もお茶菓子もおいしいし、興味深い話がいろいろ聞けるのです。しかし、自分が話しに加わることはできませんでした。なぜなら、そのお話はあくまで過去にお店で行われたお話会の様子を流しているだけだったからです。
お話会の映像は数回ぶんのようで、その後は開かれていないようでした。特に気にしていなかった成実とほにゅでしたが、お店の名前を検索していて、開かれない理由を見つけてしまいました。
元々、お話会は、企画したお坊さんが自分の寺の近くの集会所のようなところで行っていたものだったようです。それが、集会所を取り壊すか改装するかということで建物が壊され、あの喫茶店のほかに、何箇所かでお話会が行われるようになったようです。
そして、別の場所で行っていたお話会で、その場所を使う別の企画の人と喧嘩になり、お話会をする気がうせてしまったようでした。
お坊さんなんだし、そんなに怒るようなこともないでしょう?と成実は思いましたが、紹介されていた、喧嘩になったひとりの言い分を見て、成実も怒りがわいてきました。
それは、とてつもない長文でした。他の人の意見や文句、語録などは箇条書きでまとめてあるのに、この人だけ原文ママですという注釈がついていて、実際長いのでした。そして、名前と文章を見た成実はすぐにわかりました。
「あいつ」だ。
成実は目を見開いて、じっと長文を見つめました。
淡々と事実だけ書いた文にはさまれた、異常にねちっこく主観が入った文章。本人にその気があるのかないのか分からないけれど人を煽るような独特の文体。
お話会のお坊さんは、坊さんのくせにすぐキレて修行が足りないだとか、こういう理由でこの坊さんが悪いんだ、のようなことを、異様に丁寧でそれでいてどこからか居心地の悪さを誘発する煽るような口調のその独特な文体でじっくりねっとり書かれたその長文を、成実は読み終わると、もやもや感で頭を抱えてベッドを転がるのでした。
成実は、自分は今でも「そいつ」を憎んでいるのかもしれない、と思っています。




