砂
堂本響にとって琴倉芽衣という少女は、必要不可欠な存在だった。
自分の考えを表わすというのはとても難しいことだと思う。
例えるなら、水の上に絵具を垂らして、其処に浮かび上がった模様について、自分で思いついた事を書いてみろだとか。
音楽を聴いて、その自身の考えを含め何か形式として残せと言われたら。
そんな不毛なものはないと考える。
こんな経験は無いだろうか
自分が触れた文献や絵画、噂話だって良い。
それを聞いて思ったことを全て書けなんて言われて、書ける奴は何人だろう。
要は、≪X≫に対して人間の脳が感じ取ったものが100パーセントだとすると
多少の誤差があるとすれど形として残せるものは40パーセント程度だとし、
そしてその40パーセントは、俗に言う「常識」、つまり誰もが思っていることであって
肝心なな60パーセント______________此処で言う自身の感受性の表れは果たして書き知らせるのだろうか、と。
勿論、そうじゃない人も居るだろう。
それぞれが感じている❛自分色❜を正しい言葉に置き換えて正確に形に残せる。
「羨ましいな。」
ただ僕にはそれが出来ない。
僕は40パーセントを10パーセントでしか表わせない。
残りの30パーセントを汚い空洞の[常識]でしか埋められなくて
それが悔しいと表わすのにも使ってしまう、そういう人間なのである。
よく文章があまりかけない人は感受性が低いとよく言われるが、
残念なことにそれは正しい。
私は、他人の言葉を使うなら
≪人として、思いやりがかけている。≫
これは、そんな人間のお話。