道化の踊る舞台には
ふざけるな、と。
そう叫ばなかっただけでも自分を褒めたい。
私とイヴァンが婚約者だということを、私の侍女であるエステルが知らないはずがないのに。
どうしてエステルとイヴァンが仲睦まじげに、手を繋いでいるのだ。婚約者である私を差し置いて。
私は辺境伯の第二子として生まれ、10歳のときに婚約者を宛がわれた。それがイヴァンだ。
貴族の中には親子ほども歳の離れた人と結婚する人もいるから、同年代の婚約者を宛がわれたのはとても幸運なことだと思う。それに、イヴァンは所謂美形だった。私としても婚約者が格好いいのは素直に嬉しい。ただ、イヴァンはほとんど笑わなかった。
最初のころはムキになって、何度もイヴァンを笑わせようとした。けどイヴァンは全然笑おうとしなかった。だからいつしか、私も諦めた。
私に求められているのは次期伯爵家当主の妻としての役割だけ。ただ淡々と、その役目を果たせばいい。
そうして私は15のとき、王都にある全寮制の学園に入学が決まった。貴族ならば誰もが通る道で、イヴァンもひとつ先輩として通っていた。
初めて親元から離れての生活。私は信頼している者を連れて、王都に入った。
貴族としての帝王学、経済から流行りの音楽にダンス。私は女子だから狩猟には参加できなかったけれど、イヴァンが獲物を仕留めるを見ると我が事のように嬉しかったし誇らしかった。
イヴァンといえば学園でも案の定というか、人気者で。婚約者たる私は彼の隣に堂々と居座り、胸を張っていた。妬ましげな子女たちの視線なんてものともせずに。所詮彼女たちは舞台の脇役、いやただの観客でしかないのだから。警戒する価値すらない。
私がこの学園を卒業した暁には、堂々とイヴァンの妻と名乗れるのだ。例えイヴァンが私のことを想ってくれなくても、いつしか私を愛してくれる。私もイヴァンを受け入れられる。
そう信じていたのに。
いつの間にか、私の侍女がイヴァンの隣にいた。
イヴァンは私には見せないような、頬を僅かに赤く染め目元を緩め。本当に愛しい存在を見るかのような目で侍女の手をそっと握っている。侍女も侍女でそれをとても嬉しそうに受け入れ、まるで花のように華やかな笑顔を浮かべて。
どうして。
どうしてお前がそこにいる。何故イヴァンはその笑顔を私に向けない。
エステルは私の最も信頼する侍女。イヴァンとの仲がなかなか上手くいかないことも、何度も相談していたのに。どうすればイヴァンが愛してくれるか、一緒に悩んでくれていたではないか。
「……裏切り者」
そう呟いた私の声は、私の想像以上に低かった。
ああ、私はこんな声を出せるんだ。こんなにもドロドロとした感情がたくさんたくさん溢れてくる。
――――ああ、これが嫉妬なんだな。
だから私は、エステルのことを苛め抜いた。そりゃあもう、徹底的に。
「ねえエステル。友人からいい茶葉を手に入れたのよ。試しに飲んでみてくれないかしら」
「飲むって……私がですか」
エステルは驚いたように、私を見る。でもどこか躊躇いがあるのは、後ろ暗いことをしているという自覚があるからだろう。
……いつからだろう。エステルが私のことを真っ直ぐに見てくれなくなったのは。
「もちろんよ。あなたのために淹れたんだから」
そう言って、強引にティーカップをエステルに押し付ける。こうなってはエステルも断れない。
「……恐れ入ります」
ティーカップに口をつけ、すぐにエステルは咽そうになった。
「お、お嬢様……」
「エステル、残さずに飲みなさいよ。……それともまさか、この私が淹れたお茶が飲めないっていうの?」
「け、決してそういうわけでは……」
「なら、いいでしょ。……いいこと、一滴たりとも残さないようにね」
「……畏まりました」
表情を消して、エステルは一気に紅茶を煽った。
私手ずから淹れた、砂入りのお茶を。
「ケ、ケホッ……」
とたんにエステルは咽た。まあ、当然だろう。
「あら、そんなに美味しくなかった?」
「け、決してそのようなことは……」
「本当? それは良かったわ。はしたなくも、一気に飲んでくれたみたいだし……また、淹れてあげるから楽しみにしててね」
「……は、はい」
エステルの返事はとても小さかった。
怯えたように彷徨う視線が、小気味よい。
精々、もっと苦しめばいい。
「ねえエステル。あなたの食事を貰ってきたのよ。……全部、食べてね」
私がそう言えば、例えその辺りに生えていそうな草でもエステルは全部食べてくれた。そして私に隠れて泣くのだ。
「ねえエステル。何でもこの学園のどこかには青い薔薇が咲いているんですって。ちょっと探してきてくれるかしら?」
そうしてエステルは、雨のなか青い薔薇を探して学園中を彷徨って。体が冷えたせいで風邪で寝込んだ。
「ねえエステル。食べたいお菓子があるんだけど……買ってきてくれないかしら」
1日数量限定のお菓子のために、丸1日店の外で並ばせて。何も飲まず食わずでひもじい思いをして。
そうやってエステルを惨めな目に合わせることですっきりした。私からイヴァンを奪おうというのだから、そんなことになるんだと。
でもエステルは、どんなに理不尽な命令にも従い続けた。その傍らにはいっつもイヴァンがいた。
食べ物とは思えないものを食べさせられたときは、そっとエステルの背を擦り。口直しとして甘い甘いお菓子を与え。青い薔薇を一緒になって探し、やっとのことで見つけて。お菓子を買うために店の外で並ぶことになったときは、そっとパンを手渡して一緒に並び。
だから。
「ねえエステル」
その頃になるとエステルは、私に名前を呼ばれる度に面白いくらいに怯えていた。次は何をされるんだろう、どんな酷いことを命令されるんだろうって。そんな目で見られたら、面白くってもっと苛めたくなるのに。
「私の知人が、今王都にいるのよ。ちょっとお使いを頼まれてくれない?」
そして地図を渡して、私はエステルを学園から追い出した。
「おお怖い。マルガリーテ様の怒りを買ったらどんな目に合うか」
「なんでも侍女の一人があのイヴァン様に色目を使ってるらしいわよ」
「知ってるか? マルガリーテ様の怒りを買えば氷漬けにされて永遠に眠らされるらしい」
「ああ、冷酷な魔女様の怒りに触れる前に逃げなければ」
いつしか、私のエステルへの異常な虐げは学園の皆が知るところになっていた。別に構うもんか。観客は大人しく私を見ていればいい。私が邪魔な侍女を追い出し、婚約者と結ばれる姿を。
そもそも、侍女のくせに伯爵家の次期当主と恋仲になろうと思うこと自体が生意気なのだ。
だからもう、この茶番も終わり。
私はただ、兄からの手紙を読んで待てばいいだけ。
エステルに渡した地図は大雑把な道しか書いてない上、あるはずのない道や逆に実際にはない道まで書かれているから絶対に迷う。しかも目的地は所謂下町で、決して治安が良いとは言えない。侍女とはいえ身なりの良い女性が1人で入ったら、間違いなく身包みを剥がされどこかに売られるだろう。
きっと帰ってこないだろうな。
そう思っていたのに。
エステルは学園に帰って来た。それもイヴァンに連れられた。
何でも暴漢に襲われかけたところを間一髪のところでイヴァンが助けたらしい。
「マルガリーテ。いい加減にしろ」
そしてイヴァンは、今までにないくらい怒りの籠った目で私を睨みつけるのだった。
ああ、イヴァンは結局私を愛してはくれない。イヴァンが愛したのは私の侍女。婚約者であるはずの私には目もくれず。
「……イヴァン。あなた、婚約者である私よりもエステルを選ぶの?」
「ああ」
「平民よ」
「知っている」
「あなたの父上が許されるわけないわ」
「だろうな」
「誰にも認められないのに」
「例えそうであろうとも、俺が選んだ道だ」
イヴァンは私の所業について何も言わなかった。私がエステルを苛めていたことを知っているはずなのに。
エステルが体調を崩したのは私のせいだ。今日だって、死んでいてもおかしくないのに。
エステルも、何も言わなかった。私を恨んでいるはずなのに。
この日を境に、イヴァンとエステルは学園から姿を消した。
有力な伯爵家子息が姿を晦ました。
当然の如く、学園内はその話題でもちきりだ。その騒ぎに紛れるようにして、私もまた学園を去った。
父が病で倒れた。そのため兄が予定よりも早く当主につくことになり、私が補佐として呼び戻される形になった。私の退学はきっと、噂好きな貴族たちに更に華を添えることになるだろう。
侍女に婚約者を取られた愚かな娘として。
イヴァンとエステルが駆け落ちしたというのは、公然の秘密というものだった。何せあの日、エステルを連れて帰ってたイヴァンは、エステルの手を握りしめ堂々と私の私室へ乗り込んできたのだから。
「……本当に、馬鹿なんだから」
結局、私は主役になりきれない憐れな道化でしかなかった。主役だと思い込んでいた私は、さぞや滑稽だっただろう。観客はピエロを見て笑いながら毒を吐く。
だが、その毒が私の身を蝕むことはない。私はこうなることを覚悟しつつ道化を演じきったのだから。
きっとイヴァンとエステルは、私という目下最大の敵から離れたことで安堵しているだろう。だが現実はそう甘くない。何せイヴァンは跡取り息子なのだ。ご当主がそのままにしておくわけがない。すぐに追手を差し向け、色香で息子を惑わせた侍女を殺しに来るはずだ。となると当然、一か所に定住できなくなる。
街を渡り宿を転々としているだけで、2人の資金はあっという間に底を尽くだろう。エステルは侍女として礼儀作法を心得ているし、簡単な縫い物の仕事なら出来るが果たしてそれで間に合うかどうか。イヴァンは武芸の心得はあるにしても、日雇いの仕事が出来るとは思えない。働いたことのない御貴族様が、場末の用心棒まがい……或いは冒険者が、勤まるのだろうか。
無理に決まってる。イヴァンなら市井の者として、傍らにエステルさえいればきっと生きていける。だが生家の追手から逃れることは出来ないだろう。
「お嬢、よろしかったのかい?」
実家へと戻る馬車の中に、いつの間にか入り込んだ男が私と向かい合って笑っていた。
「ええ、もちろんよ。ご苦労様」
粗野でとても貴族に見えないこの男は、エステルにも内緒の部下。エステルは私の身の周りを任せられる1番の侍女なら、この男は私の手足になる1番の部下。
エステルに使うために宝石を砂にしたり、貴重な薬草を手に入れたり。はたまた奇跡と呼ばれる青い薔薇を咲かせたりと、実によく働いてくれた。エステルに最後に頼んだお使いで襲わせる予定だった暴漢も、この男。更にいうなら、イヴァンにエステルが危険な場所に向かっていると教えたのもこいつだ。
私も、結局イヴァンと同じだ。婚約者であるイヴァンを好きになることが出来なかった。だからこれ幸いと、エステルとイヴァンを恋仲にした。私という障害を前にして、2人の恋愛はさぞ燃え上がったことだろう。主演であるはずの2人は、結局のところ道化師の掌の上で踊らされていただけ。
そして、これからも。
「……ああ、泣いて許しを請うかしら。それとも屈服しまいと睨みつけてくるかしら。どちらにしても、私には逆らえないわよね」
私の魔力を込めた宝石は粉となりエステルの体内に溶け、すっかりと馴染んでいる。そして予感という名でエステルの行動を縛る。その気になれば、体内で魔力を暴走させて命を奪うことも出来るが……それはしない。だってつまらないではないか。
薬草を与えて身体を戦士並みに丈夫にして、怪我をしても死ににくくした。青い薔薇には、摘んだ者に僅かばかりの加護を与える魔法を施して。
そして2人を生かしたまま、少しずつ少しずつ私の領地に追いこんでいく。数年かけてやっとたどり着いた地で、偶然私と再会するのだ。だからそう簡単に死んでもらっては困る。
「おお、怖い怖い」
「あなたも、私から逃げないでよ」
「逃げませんよ。……俺が暇乞いをするときは死ぬときです」
「あら、あなたも死んでもらっては困るわ。大切な大切な私の部下なんですもの」
「……本当に、素直じゃないお方だ」
「あら、私はこんなにも素直なのに。何を言っているのかしら」
私の描く舞台で踊る道化たち。私は脚本家として彼らを導く義務がある。今回もそれに則っただけ。
「私はただ、愛しい愛しい道化を脚本通りに動かすだけよ」
流行りの悪役令嬢物を書いてみた。