暴走と妄想
◆
「おーれーはドラゴーン、つーよいんだぞー」
ダキア王国王都マルムスティンから真っ直ぐ北に伸びる街道を歩むブルーが、意味の分からない歌を歌っている。
彼が手に持っているのは、道端で拾った枝だ。
枝を振り回しながら、調子の外れた音程で歌を歌うのだから、一緒に歩くハンナ・グラッツは、なるべくブルーから距離をとって歩くようにしていた。
そして彼女は時折すれ違う行商に、ブルーとは、さも他人であるように見せる努力をする。だが、黒髪で大剣を背負った美女、”ドラゴンスレイヤー”のハンナ・グラッツと、蒼髪の美少年である”蒼い稲妻”ブルーの噂は、ダキア国内で知らぬ者はいない。とすれば、ハンナの努力はすべからく無駄だった。
街道は、北へ伸び、ヴァーチ、ルイードを経て、マルガレーテに至る。今回目指す街はルイードであり、山間の盆地にある明光風靡な都市だ。
街道は王都マルムスティンを中心として、ダキアのあらゆる都市に伸びている。そのどれもが車道と舗道を持つ石畳の作りで、車道としては、戦車が二両並走出来る広さがあり、その両脇に舗道がある、というものだった。
元から街道は軍事利用を目的として作られているだけに、それだけの広さを必要としたのである。
ブルーの靴は、靴底に鉄板をはめ込んでいる。そもそもが格闘士なのだから、それが武器なのだ。故に、石畳の街道を歩くと、”カツカツ”と甲高い音が鳴り響く。
「ねえ、ブルー。飛んでくれない? 歩いたら、一週間はかかるわよ?」
反対側の舗道を歩くブルーに、ハンナが顔も向けずに言った。
一週間掛かるのはともかく、ブルーと一緒に歩くのが恥ずかしいハンナ。既に我慢の限界である。
「イヤだよ。だって、旅の途中で魔物とかも退治したいし」
「あのねぇ。街道沿いは、五キロ毎に騎士中隊がいて、魔物を排除しているの。排除しきれない場合は、五十キロごとにある大隊が討伐するわ。それでもダメなら、各都市にある騎士団そのものが動くの。だから、基本的に、街道に魔物は居ないわ」
「――え?」
やはり、ブルーはそんな基本的なことさえ知らなかった。
従者としてハンナの後を歩いていた時は、本当に何も考えていなかっのだ。まったく、とんでもない馬鹿である。
もっとも、今、この地点では確かに魔物は出ない。
しかし、ヴァーチを超えた先はどうであろうか? 恐らく、騎士団は既に撤退しているだろう。
何故なら、Aランクとして討伐依頼が出される様な魔物は、つまるところ騎士団には手におえない、という事なのだから。
だからこそ、ハンナは先を急ぎたいという思いもある。
ブルーが時間をかければかけるほど、魔物の被害が大きくなるのだから、当然だろう。
「だけどね、ブルー。今回依頼のあった、ルイードの街に近づけば、魔物が出るかもしれないわよ?」
「わかった!」
あっさりと分かったブルーは、煌くような蒼い鱗を持った竜に変わる。
ハンナは、そんなブルーの背に乗ると、ホッと胸を撫で下ろした。
◆◆
ヴァーチの街を越えるのに、やはり一時間も掛からなかったブルー。
そして、ハンナの予想通り、ヴァーチからルイードへ至る街道は、だいぶ雰囲気が違う。
確かに騎士団の管理が行われておらず、街道にさえ、様々な魔物が跋扈している。
ブルーは上空で、二度、三度と旋回すると、”ぬめり”とした体表を振るわせるスライムを確認した。
もちろん、流石にヴァーチは城門を硬く閉ざして、魔物の進入を許してはいない。だから、今のところ、雲竜の被害にあっているのは、ルイードの街だけであろう。
最悪の事態には至っていない。そう考えて、ハンナは少しだけ安心した。
主になる魔物に追従する形で現れた魔物による二次災害が起こることも、この世界では少なくないのだ。
「ガアアアアアァ!」
その時、ブルーが急降下をしたかと思うと、緑色をした、牛と同じ程度の大きさのスライムに、炎を吐きかけた。
――ジュウウ――
表面をあわ立てて、激しく揺れる巨大なスライムは、次の瞬間、”ばしゃ”と弾けて、路面に散った。
旋回し、再び上昇したブルーは、一度翼を羽ばたかせると、二匹目のスライムに向かう。
「水よ、我が牙となり敵を切り裂け――」
空中で制止し、自身の周りに水の玉を三つ浮かべたブルー。一言唱えると、水は槍状に姿を変えて、水色のスライムに突き刺さる。
ハンナが、「アレは水属性でしょ。無駄な攻撃をして」などと考えていると、見る見るうちにスライムは膨れ上がり、爆発した。
いや、切り裂いてないし、とは、ハンナは言わない。
ブルーがやる事に一々ツッコミを入れていては、身が持たないからだ。
「なあ、ハンナ。ちょっと下りて、拾ってくる」
「はいはい」
ブルーは、静かに街道に着地すると、再び人化した。
例によって素っ裸になっているが、基本的に気にしないブルーは、ハンナから一枚の紙を受け取った。
スライムの残骸を掬い、紙に乗せる。すると紙が淡く輝く。それが収まると、紙にはスライムの絵が描かれている、という仕組みだった。それで、何を何体倒したかが分かるのだ。
とはいえ、紙に描かれない種類の魔物も、少数ながら存在する。
それは、個体化した魔物や、第三位階以上のドラゴンなどがそうだ。その場合は、魔物の体の一部を持ち帰り、ギルドで鑑定を行う事になる。
魔物が数を減らせば、人類の暮らしは安全になる。だから、多くの魔物を討伐するのも、ハンターの日々の仕事とされていた。故に、ハンター見習いであるブルーにも、さっそく討伐記録紙が与えられたのだ。
ちなみに、これは近隣の騎士団に持ってゆけば、換金出来るシステムであるから、ブルーにとっては始めてのお金稼ぎである。
多分ブルーは、それで魔物を狩りたかったのだと、ハンナは予想していた。
ブルーが紙を丸めて戻ってくると、ハンナは預かっていたブルーの服を、背嚢から取り出してブルーに渡す。
その時、ブルーの股間を見るとはなしに見てしまい、赤面した。
(け、け、結婚ってことは、私、ブルーと? でも、竜と人って、出来るのかしら?)
ハンナの思い描いた疑問は、根本的におかしい。
何故なら、ハンナは人間の相手もした事がないのだ。それなのにいきなりドラゴンに行き着くとは、普通の女なら、大冒険も甚だしいところである。
「なんだ、ハンナ。見たいのか?」
ブルーは腰に手を当てて、爽やかな笑顔をハンナに見せる。
たとえフルチンでも、イケメンはイケメン。しかし、ハンナはその羞恥プレイに耐えられなかった。故に、ブルーの股間は、ハンナの足によって痛烈な打撃が加えられてしまう。
「ぐおっ……おっおっおっ」
股間に両手を当てて、のた打ち回る人化したドラゴン。しかし、人とドラゴンの急所が一致していることは、未だ人類には余り知られていなかった。
◆◆◆
結局、街道沿いでさらに何匹かスライムを屠ったブルー。
そんな事をしているうちに、太陽が西の空に吸い込まれてゆく。それと同時に、ハンナの脳裏に「酒」の文字が浮かんだ。
ルイードの住民を助けることよりも、スライム潰しに楽しみを覚えたブルーと、空腹と酒への欲望に負けたハンナ・グラッツは、街道を戻り、ヴァーチの城門を潜る。
流石に、隣街が雲竜に制圧されているだけあって、城門の守備は堅い。
ましてや、ハンナとブルーが北から現われたとあって、まさに凄まじい警戒態勢がしかれた。
「何者かっ!」
門衛の誰何も、厳しいものである。
「ハンナ・グラッツだ」
「はっ! これは失礼をっ!」
しかし、ハンナ・グラッツの威光は凄まじい。
何故、北から現われたのかすら問われない。
むしろ、ハンナ・グラッツなのだから、空間転移くらい使える、とでも思われているのだろうか。
まったく、馬鹿な話である。
だから、Sランクハンターのメダルを懐から取り出すまでも無く、ハンナとブルーは、ヴァーチ市内へと足を運んだのだった。
赤茶色の空を見上げれば、間もなく日が暮れる事がわかる。
ならば、その前に宿を取らなければならない。
宿は、高級な所を望まなければ、街の入り口付近にもあるものだ。何しろ、近隣の農家が野菜や穀物を売りに来て、日帰り出来ない場合に泊まる事があるのだから、いっそ入り口に近い方が望ましい。
もっとも、だからこそ、設備は最低限の宿になるのだが。
だが、それでも構わない。適度な食事と、眠れる寝台があれば、問題の無い二人なのだ。
石畳の敷かれた大通りをはずれ、土を踏み固めただけの簡素な道に抜けると、一軒の宿屋をブルーが見つけた。
見つけた理由は、ニオイである。
妙に、大量の料理を作っているニオイがしたのだ。それに、灯りもついていない、薄暗い家屋から”がやがや”と、人の声が聞こえた。
食べ物のニオイと大量の人、イコール美味いメシ。
ブルーの計算など、所詮はこんなものだ。これ以上は考えていないし、考えるつもりも無いブルー。
ハンナも、特に文句を言うでも無く、ブルーの後についてゆく。
木製の階段を二、三段上り、宿の扉を開けて中に入ると、一階部分は食堂になっていた。
席は、ほぼ満席だろう。
どうしたことだ? と、ハンナが首を傾げていると、宿の女将と思しき女が近づいてきて、事情を説明してくれた。
「すみませんね。何でも、ルイードの街でドラゴンが出たとかで、近隣の人たちがみんな、この街へ逃げて来たんですよ。それでウチも、何か出来ないかって考えましてね、泊まり賃を半値にして、食事もつけてるんですよぉ。それで、込んじまって」
「なるほど。二人、今日は泊まれるかしら?」
「そうね。部屋が一つで良いなら大丈夫ですよ。でも……」
「……察しの通り、私達は別に避難してきたわけではないから、普通の料金で構わないわ」
女将にそう説明されれば、食堂にたむろっている集団は、どこかやつれた表情を浮かべている者達が殆どだ。
部屋も、半値で提供しているのならば、五、六人が同じ部屋で雑魚寝という事もありえる。
食事も、定価で宿泊している訳ではないのだから、粗末なものになっていたとしても仕方が無いだろう。
それでも、この宿は良心的だ。この時代、人を殺さないだけでも道徳的であるのに、助けようとしているのだから、立派なものだ。
「そうしたら、二人で百ディナールね。夕食はどうします? お付けするなら、百二十ディナールになりますけど」
「まだ、食事は間に合うの?」
「ええ。丁度、作っている所ですから。もっとも、皆さんと一緒だから、大した物ではありませんし、他で食べてきてもかまいませんよ」
「ここでいただくわ。あ、えっと、でも、部屋に運んでもらえるかしら?」
「はい。その方が良いでしょうね」
「それから、葡萄酒も、もらえる?」
「はい。そうしましたら、百三十ディナールですね」
ハンナは懐から袋を出し、中から銀貨を三枚取ると、女将に渡す。
銀貨一枚で百ディナールなのだから、女将は慌てて奥に走ろうとした。七十ディナールの釣銭が必要だからだ。釣銭を取ってこなければならない。
しかし、ハンナは軽く右手を上げて、それを止めた。
「では、今、お釣りを」
「いいの、構わないわ。私はハンターなの。こんな風に大変な状況なのも、魔物が跋扈する事を許している私たちの責任だし。
もちろん、これで許されるとは思わないけど、でも、せめてお釣りはとっておいて頂戴」
女将は首をかしげ、それからゆっくりと頷く。
ハンターといってもまだ若い二人だし、それ程裕福にも見えないのだがら、どうしたものかと悩んだのだ。
しかし、やがてハンナ・グラッツが背負う大剣を見つけ、「あっ!」と思わず声を出す女将。
黒髪で切れ長の目を持った美女で、身の丈に合わない大剣を背負ったハンター。絶世の美貌を持つ蒼髪の少年。考えてみれば、その組み合わせは、ダキア広しと言えどもただ一組しかあるまい。
つまり、”ドラゴンスレイヤー”ハンナ・グラッツと”蒼い稲妻”ブルー。
「ま、まさか、ハンナさま?」
驚愕に目を丸くする女将に、苦笑するハンナ・グラッツ。
彼女は頷くが、同時に、あまり騒がないようにと、鼻の手前で人差し指を立てる。
「お釣りの代わりに食事の後、お湯をいただけるかしら? 少し、さっぱりしたいのよ」
「は、はい! では、夕食の後にお持ちします」
ハンナは、妙に恐縮する女将を促して、部屋に案内してもらった。
部屋は、簡素な作りで、寝台も一つしかない。
卓や椅子は古ぼけている、という訳ではないが、手入れが行き届いているとは言えない部屋だ。
ハンナとブルーが手荷物を部屋の隅に下ろすと、宿の女将はお辞儀をして部屋を後にする。
「もう少しでお食事が出来ますので」
二人を見る目が”おどおど”としたものに変わったが、それは別段、女将が変という訳ではない。
誰でも、ハンナ・グラッツを見れば、何かしらの変化を起こす。
それ程に、彼女は人間から隔絶した戦闘能力を持っているのだから。
「さ、ブルー、座って。キミには、話さなければいけない事があるから」
ハンナは、綺麗とは言えない寝台に腰を下ろし、少し離れた椅子を指差す。
ブルーは、テーブルを自分とハンナの間に置き、椅子も移動させて座った。
食事が運ばれてきた時に、丁度、真ん中に置かれた卓に置けるように配慮したのだ。
その程度の事が出来る程に、ブルーは人の生活に馴染んでいる。
しかし、ハンナの話はなんだろう?
ブルーは今日、特段妙な事をしていないはずだ、そう考えながらも、心臓の鼓動が早くなるのを実感していた。