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ブルー・グラッツ誕生

 ◆


 ブルーは、気合十分で雲竜クラウドドラゴンの討伐依頼書にサインをした――しかし、そのサインは、実に中途半端なものとなってしまう。

 それもそうだった。ブルーには、姓が無いのだ。


 ハンターが依頼を受けるには、討伐の依頼書に自らのサインを施し、魔力を込めた刻印を押さねばならない。

 刻印に込められた魔力により、魔力を込めた本人が生きている限り、依頼書――契約書を兼ねる――のサインを浮き彫りにする。それはつまり依頼書に施すサインが、特殊なインクで書かれる事をも意味していた。


 さらに、依頼内容が魔獣の討伐の場合、その魔獣の一部を契約書に添える事で達成の証とする。添えられた魔獣の一部は、契約書に込められた魔力に反応して、そこに書かれたハンターの名を輝かせるのだ。これを持って依頼の達成と為す。


 また、依頼に期限が設けられている場合、その期間が過ぎると依頼書からサインが消えて、サインを書いたハンターは未達成の烙印を押される事となる。

 その場合、下位のハンターであれば同じ条件で再契約を結ぶ事も可能であろうが、上位者――Bランク以上の者であれば、その内容が特殊なものである事も多く、契約不履行は、ハンターランクの即時降格を意味していた。

 もっとも、Bランク以上のハンターが降格する事は稀である。何故なら殆どの任務が、達成か死か、という二者択一。そもそも、期限内に標的の下へ辿り着けないような無能者は、Bランクまで上がる事さえ出来ないのだから。


 それはともかく、にこやかにサインをしてイーラジに依頼書を返したブルーは、早速席を立ち、依頼の地へ赴こうとして、ハンナに止められた。


「魔力は、うん、込めたわね。ブルー……あと、姓も書きなさい」


 ここでハンナは、普段であればブルーの首根っこを捉えて引き摺る所だが、今はイーラジの手前、声だけで制している。

 ブルーが馬鹿だと、イーラジに悟らせてはならないのだ。

 ”青い稲妻”が馬鹿だったなどと言われては、それこそ最強のドラゴンスレイヤーたるハンナ・グラッツの名声に傷が付く。

 

 キョトンとして振り返ったブルーは、再びハンナの横に座った。

 ブルーとしては、当然不思議である。


 姓ってなんだ?


 ブルーとしては、もう、そこからだった。

 驚いた事に、ブルーには真名マナが無い。なので、便宜上呼ばれていた”ブルードラゴン”から、ブルーだけを取って、自身の名にしていただけである。


 ドラゴンには、生まれ方が二種類あるのだ。

 一つは、第二位階以下の竜の生まれ方。これは、親竜が卵を産み、そこから孵化する生物としてのドラゴン

 もう一つは、自然発生的に、地、水、風、炎、それぞれの中に卵が現われ、そこから孵化する”神”としてのドラゴンである。

 ブルーは、後者だった。

 前者であれば、親竜の位階によっては、親が子に名を授ける場合がある。

 例えば、雪竜スノードラゴンアイゼルは、親竜が氷竜アイスドラゴン海竜シードラゴンであり、共に水が属第二位階のドラゴンであった。故に、生まれながらに名を授かった、最も尊きドラゴンの血族だったのだ。


 だが、無から――いや、水から生まれたブルーには、だからこそ、名が無い。姓を付けろと言われれば、しいていうなら「水」だろう。

 けれど、ブルーにはその発想が無かった。それに、その発想があったとして、「ブルー・ウォーター」などと名乗ったら、ハンナに半殺しにされるだけのこと。


 ブルーの足りない頭脳は、猛烈に回転していた。

 生きる為に、賢くあらねばならないブルー。その姿は美少年なのに、何故か哀愁を帯びている。


「名前の後ろにあるでしょ? もう一つの名前が。ね? ほら!」


 そんなもの、ある訳がない。

 ブルーの心臓は高鳴る。早鐘の如く脈打ったブルーの心臓は、既に爆発寸前だった。


 しかし、横を見れば、目元をひくつかせているハンナが、ブルーを射殺さんばかりの眼光で睨んでいる。

 ブルーの、今までの経験が告げていた。


(俺、ここで間違った事をしたら、酷い目に遭う……と、とにかく、ブルーの後に、何か名前を書かないと)


 だからブルーは、再び依頼書を手に取ると、この様に書き込んだのである。


――ブルー・グラッツ――


 ブルーにとって、これは最大級の媚びである。

 もしも彼が太っちょの商人であったなら、擦り切れんばかりのもみ手をしたことだろう。

 そもそも、ドラゴンが人間の姓を名乗るなど、天地開闢以来の出来事だった。

 もしも、時の大賢者がこの事を知ったなら、「神もご照覧あれ!」とでも言ったであろう。まさに、人と竜の融和であり、世界に平和が齎される吉兆に違いない。


 しかしこの場に、この重大事に気付く者はいなかった。

 ただ、別の驚きにハンナの目は倍に広がり、イーラジが鼻水を垂らしただけである。


 イーラジは思った。

 ハンナ・グラッツは、そもそも孤児だったはずだ。となれば、ブルーは弟ではない。親族か? いや、元老院議員の親族という時点で、いるならば、とっくに名乗り出ているハズだ。

 だいたい孤児院で育ったが故に、ハンナ・グラッツは魔法を身に付け、狩りを覚えて、その才能を見出されたのではなかったのか? 一人だったが故のことだろう?

 ならば養子か? だが、従者サーヴァントが養子だとは聞いた事がない。――ならば、考えられる事は一つだが――まさか。


 ハンナ・グラッツは考えた。

 私の立場上、ブルーがこの名を名乗れるとしたら、養子にするか、夫にするか――しかない。どうしよう?

 そして、喪女は最低の計算をした。

 ブルーは、頭はともかく、人化さえしていれば、完璧なイケメン。夫にしておけば、とりあえず私の立場が低下する事は無い。むしろ、もてない女という陰口も減るかもしれないな。ハ、ハハハ……。


「イ、イーラジどの。私も、そ、そろそろ夫に独立してもらいたくてね……ハ、ハハ、ハハハ――」


 ハンナ・グラッツの乾いた笑いは、やはりイーラジの乾いた笑いを誘う。


「ハ、ハハ、ハハハ。それはそれは、おめでとう存ずる。いや、いや、まさかハンナさまがご結婚されていたとは。あ、しかし、式はまだお済みではないのでしょうかな? いや、これは失礼なことを。確かに、今のままではブルー……殿のお立場がありませんからなぁ」


「じゃあ、ハンナ! 俺、雲竜クラウドドラゴン退治に行って来るよ!」


 そこで唯一状況を飲み込めないブルーは、姓とやらを書き込めた事に満足していた。反応を見るに、二人は納得している様に見える。

 もちろん、”夫”という単語など分かるわけも無いブルー。まあ、従者サーヴァントのことだろう、程度に考えて席を立つ。


「ま、まってブルー。こ、今回は、私も手伝うわ。な、何しろ、初めての依頼だし、お、夫に失敗させる訳にはいかないからねっ」

「お、おお。ハンナさま。それがよろしゅう御座いましょう。旦那さまに何かあってはなりませぬからなぁ。

 それにしても、ブルー殿とハンナさまが揃ってご帰還なされた暁には、いよいよ結婚式でございますなぁ。あ、いや、目出度い、目出度い! 皆を集めておきましょう!」


 イーラジは、懐から取り出した布で、ひたすらに額の汗を拭いながら言葉を紡ぐ。

 一方でハンナ・グラッツの瞳は、これでもかという位に泳ぎ続けていた。


(わ、私がブルーと結婚式だと? どうしてこうなった?)


 見栄を張りたかっただけのハンナは、狼狽していた。

 結婚式までは、想定外だったのだ。そこまでしたら、完全に自治領公認になってしまう。逃げ場を失うのだ。


 それに結婚式などしては、ブルーを独立させて自由にしてやるつもりが、さらに縛り付ける結果になるのではないか? いや、むしろ自分はどうなる? 恋も知らず、何故、馬鹿なドラゴンを伴侶としなければいけないのだ? そう思うと、ハンナは奈落の底に落ちた気すらしていた。


 でも、結婚式か……やっぱり純白のドレスを着たい。先に結婚した友達も呼ぼう。ブルー――顔だけは良いから、みんな、羨ましがるだろうな。ウフフ――


 しかし、途中から妙な妄想が膨らんで、ハンナの口元が歪む。

 どうやらハンナの頭も、どこかおかしい。彼女が今までモテなかったのは、単に多忙という理由だけではなかったのかもしれない。

 それから、ハンナに友達はいない。彼女が友達だと思っている人物も、基本的に彼女が怖いので、愛想笑いを浮かべているだけである。

 最強とは、かくも人を孤独にするものなのだ。


「あ、ハンナ! 手伝ってくれるのか! ありがとう!」


 ハンナの内心など、まるで解らないブルー。

 彼は呼び止められると、屈託の無い笑みを浮かべて、重厚な扉の前で止まる。そしてハンナに手を差し出し、完璧なまでに従者サーヴァントの作法を守っていた。

 扉の前で悠然と佇む青髪の美少年に、イーラジはとてつもない好印象を持った。

 それと同時に、ハンナの胸が”キュン”と鳴る。――これは、現代日本に置き換えれば、壁ドンに匹敵するだろう。あるいは、ハンナをキュン死にさせるのは、そもそもが喪女であるだけに、案外簡単かも知れない。


 イーラジは、ハンナが今更キュンキュンしていることなど知らない。むしろ、身寄りの無いハンナの、何故か父親気分を味わいはじめている。これは、中々にお節介な男のようだ。


(うむ。確かにこの少年、溢れる程の魔力をもっているな。その上、絶世の美貌。加えて、格闘の技量ウデもかなりのモノと聞く。何より、この少年には悪しき野心が無いようだ)


 そうであれば、ブルーがハンナ・グラッツを政治的に利用する事はないだろう。と、イーラジは考えた。

 ハンナ・グラッツの夫となれば、自治領において、圧倒的な権益を得るに違いない。もちろん、イーラジ自身、その座に座る事も考えた。しかし彼は、あらゆる観点から見て、それが不可能だと判断したのだ。

 だからこそ、野心家だけには、ハンナ・グラッツの夫になって欲しくなかった。

 となればハンナ・グラッツにとって、ブルー以上に相応しい夫はいないのではないか? そう、今の瞬間、思ったイーラジである。


(よろしい、認めよう!)


 別に、イーラジの承認はいらない。

 イーラジも、それは解っていたようで、決して認めた事を声に出そうとはしていなかった。


「ブ、ブルー。今日から、貴方は私の従者サーヴァントじゃないのよ。だから、一歩下がる必要もないの。堂々と、私と肩を並べて歩きなさい」

「わかった!」


 こうして、”ドラゴンスレイヤー”ハンナ・グラッツと、自分でも知らぬ間に、その夫になってしまった水竜王ブルー・グラッツは、休む間もなく雲竜クラウドドラゴン退治へと向かったのである。


 

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