ギルドの歴史と討伐依頼
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王都マルムスティンは、六角形の城壁に囲まれた都市である。
城壁の総延長距離は、凡そ三十五キロメートルと、長大なものだ。現代の日本で例えるならば、山手線の一周と、ほぼ等しい。
それ程の建造物を有するのだから、ダキア王国の土木技術が、よほど高度なものなのかと言えば、決してそうではない。これは、かつて大帝国の一属領だった頃の、あくまでも残照だった。
ダキアは、帝国が統治するようになってからも、度々原住民が叛旗を翻した。さらには、竜や巨人とも交戦する最前線でもあったのだ。それ故、強大な軍事拠点を必要とし、やむなく建設した城砦都市だったのである。
だからこそ整然と立ち並ぶ石造りの建物群はとても強固で、八百年経っても整備さえ怠らなければ、人が住むには十分に耐えられるものだった。
また、巨大帝国の技術の粋を集めて作られた水処理施設は上下水道を完備しており、マルムスティンの美観は、今もって大陸随一とまで言われる荘厳な都市でもあった。
冒険者ギルド本部は、都市の正門を抜けて、そのまま直進した先にある、ダキア王国を統治すべき官庁が立ち並ぶ一角に存在する。
とはいえ、その中ではもっとも庶民的な佇まいと言えよう。何故なら、冒険者ギルドの大義名分とは、「貴族よりも大衆の味方」であるのだから。
そうは言っても、三階建ての建物は、かつて帝国騎士達が駐屯した兵舎を改築したものであり、十分に大きい。
その建物の正面にある、アーチ型の門を潜って、ハンナ・グラッツはブルーを伴い、冒険者ギルドに帰還した。
「ハンナ・グラッツだけど」
本来は入り口で名を名乗っただけで、ハンナ・グラッツは建物最深部に通される。
それは、ギルドマスターよりも上位のハンターであるハンナ・グラッツには当然の事だ。しかし、今回だけは、僅かに事情が違う。だから、ハンナは丁寧に受付の女に名を名乗り、用件を伝え、許可を取る事にした。
「岩石竜の討伐は終わったわ。それと、ブルーが私から独立してハンターになりたいのだけれど、彼の実力から考えて、Aランクが妥当だと思うの。それで、特別にギルドマスターにAランクの仕事を紹介して頂きたいのだけれど、私と一緒に、イーラジの部屋にブルーも同席させて良いかしら?」
「えっ、あっ、はいっ!」
受付は、横に長いカウンターテーブルがあり、その奥に五人の受付担当者が座っている。さらに、五人の受付担当者の僅かばかり後ろに、全員を統括する人物もいた。末端の受付で判断に困る場合、その人物に話が通されるのである。
大体の場合、冒険者ギルドの内勤である受付はDランク保持者が勤めている。そして、その背後で彼等、或いは彼女等を統括する人物はCランク保持者なのだが、本部ギルドだけは違う。各支部よりも一つ、ランクが高いのだ。
故に、ハンナと言葉を交わした受付嬢さえCランクのハンターだった。であれば、彼女は王国騎士に相当する実力を有しているはずだ。
しかしながら、そんな彼女さえハンナ・グラッツに声を掛けられてしまっては、新米ハンターの様にどぎまぎと戸惑い、背後を振り返り、ゆらゆらと彷徨うように上司の下に行き、報告するしか術をもたなかった。
「ハ、ハンナ・グラッツさまが――」
「す、すぐに本部長に報告をする。いや、イーラジさまがお断りになるはずが無い。そのままお通ししても構わん!」
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冒険者ギルドとは、その実、「アーケン自治領」の出先機関でもある。
表向きアーケン自治領とは、かつて、ダキア王国において多大な功績を認められた騎士アーケンが、領土を得、辺境伯となる事により始まった、ダキア王国の一地方領にすぎない。
しかしながら実体は、全世界にある冒険者ギルドを統括する、人類社会最大の武力を有した組織である。
辺境伯となったアーケンは、密かに王国の先行きを憂えていた。故に領内に冒険者ギルドを立ち上げ、未開の地を探索する者、あるいは、凶暴な魔獣を討伐する者に対し、それぞれランクを与え、褒賞を与えた。それにより、騎士身分や貴族身分に囚われない、実力による身分制度を確立し、有事に際して、もっとも有効な戦力を得ようと考えたのである。
では、ランクとは何か?
ランクは、現時点で二種類が存在している。
一つは冒険者ランクであり、もう一つが、ハンターランク。
冒険者ランクとは、Sランクを頂点として、最下位をEランクとしている。
ランクを上昇させるには、まさに到達困難な地点を幾つも踏破するしかないのだが、何よりも、Sランクになるためには運も重要だった。
例えば、未開の地を切り開き、地図に新たな一ページを刻んだ者は、Bランク以上の冒険者と認定されるのだが、未開の地など、年々減るのだから、大変である。故に、冒険者ランクでは、現在Aランクにいる者が最高位であり、Sランクの者は存在しない。
ハンターランクも、Sランクを頂点として、最下位がEランクである事は同様だ。
こちらは単純に、魔獣を討伐するなど、武勇を誇る者に与えられる。また、魔獣の強度により、明確なランク分けが可能となっているのだ。
そして、此方に関しては、現在Sランクハンターが十三名存在する。
つまり、今では冒険者ギルドの主流派が、ハンター達なのであった。
それでも「冒険者ギルド」として存在し、ランクのみ「ハンター」と「冒険者」に分ける事は、アーケン自治領における歴代執政官達の怜悧な判断に基づく。
また、これもアーケンの意志を尊重してのことであった。
即ち、ギルドの構成員が、武力集団であることを隠す為である。
アーケンが生まれたのは、今より二百年も前の事。だが、その時よりすでに、ダキア王国の腐敗は進行しており、内部からの改善にアーケンは絶望していたのだ。
それどころか、アーケンは君主制に疑問を持つに至った。
その結果として生まれたのが、貴族制民主政治とでも言うべき、アーケン自治領なのである。
アーケンが六十八歳となり、その子がいよいよ世襲をしようかと云う時、彼は一つの願いをダキア国王に申し出た。
「我が領を、我が子に継がせようとは思いませぬ。されど、我が領に生きる民に、我が領の事を任せてみようかと存じまする」
アーケンの言葉に、国王は暫し首を傾げたという。
何しろ、アーケンは自領を手放すと言うのだ。となれば、当時の国王フレゼリク二世としては、首を傾げるより他、無かったであろう。
しかし、アーケンは一代の英雄であった。また、その子等も武勇に優れた者ばかりである。いっそ、辺境伯領から反乱の火の手が上がったならば、ダキアさえ一飲みにされるのではないかと考えて、眠れぬ日々を送った事さえあるフレデリク二世は、言った。
「良かろう。伯の好きにするが良い」
王は、優しく老アーケンの手を握り、頷いたという。
これは、王にとっても、悪い話とは思われなかったのである。
それからアーケンは自領に戻ると、長男を王都マルムスティンにある冒険者ギルドのマスターと為し、次男を隣国ヴァーサの冒険者ギルドのマスターと為した。
本国では、既にハンターとしてSランクを得ていた五名から、各人の投票により一名の執政官を選び、もってアーケン自治領の領主としたのである。
こうして選ばれた領主の任期は一年だった。
そして、任期を終えた領主は、あらゆる国へ散らばり、ギルドを立ち上げていったのである。
この伝統は、当然ながら今でも生きている。
つまり、執政官を選べる人物は五名。
その五名は、Sランクハンター、或いは冒険者の中から選出され、元老院議員と呼ばれる。
選出方法は、いたって簡単だ。Dランク以上を有する者達が、年に一度の投票を行うのである。
とはいえ、元老院議員が執政官を兼ねるということは、まず無い。
それは元老院が、唯一執政官を掣肘出来る機関である事が好ましい、という理由からだ。
もっとも、元老院議員に選ばれる様な者達にとって、このような理由は表向きであろう。なぜなら、元老院議員とは、執政官を選ぶ以外の仕事は、ほぼやらないのである。
本来ギルドに所属している限りは、年間百日の公共労務が伴うのだが、元老院議員達は、それを免除されるのだから。
そしてハンナ・グラッツは、その元老院議員の一人であった。
となれば、ダキア王国冒険者ギルドのマスターであるイーラジと言えども、決して無碍には出来ない存在、という訳である。
何より、ハンナは三年連続で元老院議員にその名を連ねる、アーケン自治領における雲上人なのだ。イーラジも、去年Aランクハンターの身でありながら、護民官に立候補した折、ハンナが強く押してくれて、その結果として今の身分があるのだから、彼女に対する対応が、丁重になるというものだった。
◆◆◆
ハンナ・グラッツとブルーは、冒険者ギルドの最深部に位置する部屋に通され、重厚な木製の扉が自動的に閉じる音を聞いた。
イーラジは、執務用の机から立ち上がると、小走りにハンナに駆け寄って、彼女の両手を握り、大きく振った。
褐色の髪を短く刈り込んだイーラジは、余り似合わない口髭を歪めて笑顔を浮かべている。
ハンナ・グラッツの印象を出来るだけ良くする為だろうが、残念ながら、そんな事でハンナの彼に対する印象は変わらない。
年齢でいえば十歳は下であろうハンナに頭を下げる事など、イーラジにとっては屈辱でもなんでもない。自らの実力とハンナの実力を正確に測れば、それは当然の事だとイーラジは思っている。
そもそもハンナがイーラジを護民官に押した理由は、彼が如何にも小市民的であったからだ。
彼は、良くも悪くも小ずるい。
BランクからAランクに上がった理由も、既に弱りきっていた有翼獅子を倒した為だという、もっぱらの噂だ。
とは言え、その有翼獅子が、赤子を次々と攫い、時に村を壊滅させた事もある様な魔獣であったのも事実。そうであれば、イーラジは決して悪人ではないのだ。
いっそ、ハンナ・グラッツは、清廉潔白に過ぎる人の方が、裏があるのではないかと考えていた。だから、護民官であればイーラジの様な男で十分、そう考えたハンナ・グラッツだったのである。
「お帰りなさいませ、ハンナさま。いや、ご無事でお戻りになられて、何よりでございます。ささ、どうぞお座りになって下さい。
……おお、此方が従者のブルー、ですな」
部屋の隅にある応接セットを指差して、長椅子に座るよう示すイーラジ。ハンナとブルーは、長椅子まで移動すると、並んで腰を下ろした。
少しだけ遅れてイーラジは、二人の正面にある椅子に腰を下ろす。
その後、すぐにイーラジの従者が現われて、三人の前にある象嵌のテーブルに、白磁器に注がれた茶を三つ、置いた。
「ただいま。まったく、岩石竜なんて強そうな名前だったけど、全然だったわ。つまらなかったー。
と、それよりね、もう聞いていると思うけれど、今日は相談があって。この、ブルーの事なのだけれど」
「はい。何でも、Aランク相当の仕事が可能だとの事。確かに、従者としての実績に不足はありませんな。しかし――」
湯気の立つ茶を一口すすって、ハンナが本題を切り出した。
イーラジは、髪と同じく褐色の瞳をハンナにむけて、話を聞く。だが、答えつつ、不意にブルーに視線を移すと、言いよどんだ。
ブルーが、湯気の立つ白磁の器を、指先で弾いているのだ。その仕草は、十五歳の少年と見れば、屈託がなく、可愛らしい。しかし、Aランクのハンターともなれば、その立ち居振る舞いさえ問われる。
場合によっては、世界最強の武力集団の中核を為す戦士となるのだ。それがこれでは――と、イーラジは言いたいのであろう。
「確かに、ブルーはまだ若いわ。でも、実力は保障する。おそらくイーラジ、貴方より強いわよ? ブルーは」
「な――ご冗――ふむ。
……わかりました。一つ、またドラゴン退治となるが、頼めるかな? ブルー」
ハンナ・グラッツの言葉は、イーラジの分厚い精神を僅かばかり傷つけた。だが、同時に、目を細めたイーラジは、ブルーの潜在能力を正確に読み取っている。だからこそ、イーラジはブルーに視線を戻し、Aランクの仕事を紹介する事にしたのだ。
「もちろん! 俺は今、ハンターになる為にここにいるんだ!」
椅子から立ち上がると、ブルーはあらぬ方向を向き、宣言をした。
もちろん、ドラゴン退治と言われていても、もはや自分をドラゴンとは余り認識していないブルーのことである。気合十分で、――雲竜退治――という依頼に向き合ったのである。
そういえば、タイトルを変更しました。
ドラゴンといっしょ! の方が好きなんですが、すでに出版されている本で同じ名前のものがあったので。