表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/17

少年竜王、ハンターを目指す

 ◆


「ハンナ! 俺、ハンターになりたい!」


 食事中、唐突なブルーの発言だった。


 ハンナ・グラッツとブルー少年が出会ってから、既に五年が経過している。

 その間にブルーの見た目は、十歳位から十五歳位になった。成長も、頭脳以外はしただろう。容姿など、神懸かり的なまでに美しくなっている。蒼い瞳は澄みきった秋空の様に爽やかで、鼻筋が通っていながら、柔和な印象を与える。白く透き通る様な肌は、何処までも繊細だった。

 もしも同世代の女子が百人いれば、九十九人は必ず振り返る。振り返らない一人は、恐らく美的感覚が常人とは大きくずれている為だろう。


 ハンナ・グラッツの方は、十七歳から二十二歳になり、心身共に成長した。

 特に肉体は、小柄ながらも均整がとれて、人類最強といえる程に強靭である。容姿も、少女の幼さが無くなり、絶世とまでは言えないが、それでも十分に美しい。彼女の切れ長の目で見つめられれば、大半の男は、その黒曜石の様な瞳に吸い込まれてゆくだろう。さらに艶やかな黒髪が、妖艶ささえ漂わせる女になっていた。


 彼等の関係性は、誘拐犯と被害者、というと、実はもっとも分かりやすい。なぜなら、ハンナ・グラッツがドラゴンスレイヤーで、ブルー少年がドラゴンであるからだ。

 しかし、本来は被害者であるところのブルー少年は、屈託無く、ハンナに夢を語る。何故なら、最近は、あまりに人化している時間が長すぎて、自分がドラゴンである事を忘れ気味になっているからだった。

 そう、ブルー少年は、とても馬鹿なのだ。

 しかしハンナとしても、最近ではドラゴンの凶暴性に疑念を抱きつつある。無論、それは普段、ブルーの行動を見ているからだった。

 何しろ、水竜王たるブルーでさえ、特に問題なく人の社会に溶け込めるのだから、実は竜とは、良い種族なのではないか? と思い始めているのだ。


 そして二人は今、岩石竜ロックドラゴン退治から、王都へ戻る途中に寄った街の宿で、腹ごしらえの最中だった。

 テーブルを挟み、向かい合って座るハンナとブルーは、互いの健闘を称えあっても良さそうなものだが、最初から岩石竜ロックドラゴン如きには負けないと考えていた為、話題にもならない。


 ここ”羊肉亭”の看板メニューは、当然ながら羊肉の煮込み料理だ。そのスープには、ジャガイモや玉葱などの野菜も豊富に入っており、じっくり煮込んでいる事もあってか、とても濃厚な味わいである。

 稀代のドラゴンスレイヤーであるハンナ・グラッツは、一匙スープを掬い、飲むと、優しげな口調で、ブルー少年に聞いた。


「どうして、ハンターになりたいの?」


 ブルーの瞳は、真摯にハンナ・グラッツを見つめている。けれど、ハンターになりたいなどと言い出したのは、ここ一月の事だった。

 恐らく、岩石竜ロックドラゴン退治の依頼を王都のギルドで受けた時、ハンター募集の張り紙を見た事が原因だろう。


「ハンターになりたいから、なりたいんだ!」

「ブルー……」


 理由になっていないブルーの言葉に溜息を吐きつつ、ハンナは再びスープを口に運ぶ。同時に、柔らかく煮込まれた羊肉も口に含むと、溜息は何処へやら、満面に笑みが浮かんだ。

 ハンナは、羊肉亭の、この煮込み料理が好物だった。だから、王国の南方へ仕事がある時には、必ずここに泊まり、朝と晩、この料理を食べる事にしていた。

 今は晩なので、左手にジョッキを持ち、ハンナは麦酒エールを煽る。後は眠るだけと思えば、アルコールの摂取も、ここ数年のハンナには欠かせない事だった。

 ジョッキの中の麦酒エールは、ハンナの一口で半分程が消えうせた。そう、ハンナこの五年で、いつの間にやら、酒豪にも成長していたのである。


 蒼い瞳に青い髪を持つ少年は、ハンナ・グラッツに、出会った頃からブルーと呼ばれている。

 きっかけはブルーが、自身をブルーと名乗った事によるのだが、未だにブルーの真名マナを、ハンナが知らないから、という理由もあった。


 ドラゴンにとって真名マナとは、深い意味を持つ。

 真名マナを自らドラゴンが名乗った場合、特定範囲にいる下位の生命体は全て、服属する事になる。高い知性のある者は、それを拒む事も可能だが、代償として恐怖が伴うのだ。恐怖は、その個体の潜在能力を低下させる。

 故に、理性あるドラゴンは、真名マナを安易に名乗らないのだ。

 もっとも、ハンナはブルーに真名マナがあるのかどうかも知らない。しかし、第一位階のドラゴンに真名マナが無いなんて、そんな馬鹿な事は無いだろう、と考えていたのだ。


 五年前に倒した雪竜スノードラゴンアイゼルは、水が属、第二位階のドラゴンで、真名マナを高らかに名乗ったが故に、人里に多大な被害を齎したのであった。

 それを思えば、幾らブルーが馬鹿とは言え、ハンナも迂闊に真名マナを聞く気にはなれなかったのである。


「なあ、ハンナ! いいだろ?」


 フォークを右手に、ナイフを左手に握り締めて、目の前の肉まで口を運ぶブルーである。やはりブルーは、衣服こそハンナが買い与えた藍色の絹服で立派なものだが、いつまでたっても食事の作法マナーさえ覚えられない、駄目なドラゴンだった。

 当然ながら、ブルーの利き手は右である。だから、フォークとナイフを持つ手が逆なのだ。それだけでもハンナの溜息は、いつもの二倍になろうというものなのに。

 しかし彼は、ハンナ(保護者)の憂鬱などお構いなしに、口の周りにソースをべったりとつけて、星屑の如き輝きを誇る蒼の両眼で、真摯にハンナ・グラッツを見つめている。


「ハンターになりたい」これは、水竜王ブルードラゴンたっての願いであった。

 そして、願い出る相手は、王国きってのドラゴンスレイヤー、ハンナ・グラッツなのだから、ある意味では世も末である。

 ちなみに、ハンナ・グラッツは、「本来は、お前がハントされる側だろう……」という言葉を幾度飲み込んだことか、数える気にもならなかった。


 ◆◆


 ハンナとブルーは、食事が済むと”羊肉亭”の二階にある部屋へと移動した。”羊肉亭”は、宿屋謙食堂なのだ。

 とはいえ、最高級の宿ではない。となれば、王国屈指のドラゴンスレイヤーが常宿とするには、如何にも質素な作りだった。

 古い壁や柱の木目は所々に黒ずんで、この宿が辿った長い年月を思わせる。部屋にはベッドが二つあるが、どちらも、真っ白とは言えないシーツが敷かれていた。しかし、しっかりとノリが効いていて、手入れが行き届いていることが良くわかる。これも、ハンナがこの宿を好む理由の一つであった。

 

 部屋に入ると、ハンナは視界の隅に魔力を帯びた鎧と愛用の大剣を入れて、問題が無い事を確認した。それから、朱色の上着を脱ぐと、そそくさと白い部屋着に着替え、後頭部で束ねた黒髪を解く。

 別に今更、裸をブルーに見られたところで、ハンナはどうとも思わない。そもそも、ブルーはドラゴンなのだから、恥ずかしがる事など無いのだ。

 しかし、ここ一、二年で急速に成長したブルーの外見を見ると、つい背を向けて着替えてしまう、最近のハンナだった。

 着替えが終わると、ハンナは椅子に腰掛け、テーブルに置かれた鏡を見る。

 ブルーは鞄から櫛を取り出して、ハンナの後ろに立った。何しろここ数年、ハンナの髪を整えるのは、ブルーの役目なのだから、当然である。

 所謂、奴隷化だった。しかし、当初こそ目に涙を浮かべて嫌がったブルーも、今ではハンナの髪を朝晩梳かす事が、生きがいと化していた。やはり、駄目なドラゴンである。


「なあ、ハンナ。俺、ハンターになれる実力はあると思うんだ」


 いつにもまして甲斐甲斐しく髪をとかすと思えば、それ程までにハンターになりたいというのか。

 ブルーの身長は、人化している時でも、既にハンナを越えていた。ドラゴン形態では、未だ二メートル弱と小さいが、それでも、人にとっては十分に驚異的な大きさである。

 ハンナは決して言いたくなかったが、ブルーは既に、並みのドラゴンスレイヤーでは手に負えない強さだった。ハンターとなれば、既にしてAクラス以上は確定だ。


 つまりブルーは、自身の実力を随分と下に見ている、という事である。

 ハンナは腕組みをしつつ、考えた。

 ふと、壁に立てかけた大剣が視界に入り、やはり斬ってしまおうか? と危ない事もハンナは考えた。今ならば、ハンナがブルーに敗れる事は無い。しかし、あと十年後、自分はブルーに勝てるだろうか? そう考えた時、背筋が冷えたのだ。

 ふと、両腕を抱えて、ハンナは身震いした。


「ハンナ? 寒いのか?」


 その姿を見たブルーが、小首を傾げてハンナに問う。


 流石に五年も行動を共にしていれば、情も湧く。ハンナは首を横に振り「違うわ」とだけ答えた。

 ハンナは瞼を閉じると、ブルーの願いを聞き届ける事を、そっと決めた。

 

(実際、ブルーはこの五年、人を襲ってもいないし、死肉すら食べていない。羊肉や鶏肉で満足しているのだから、野に放ったとしても、問題無いでしょう……万が一の時は、私が命を賭して止めればいい)

 

 再び瞼を開くと、ハンナは肩越しにブルーを見つめ、聞いた。


「ねえ、ブルー。ハンターの仕事が何か、分かっているの?」

「もちろんだ! 気に入らないヤツを殺すんだろ?」


 根本が、違った。

 ハンナは振り向き、ブルーの顔面に拳を叩き込んだ。


「ま、間違えた! 悪いヤツを倒すんだろ!」

「そ、そうね。依頼を受けて、だけど」


 今度は、あながち間違いとも言えない。この辺で手を打とう、とハンナは思った。


「一つ聞かせて。ブルーにとって悪いヤツって、どんなヤツのこと?」

「国王や大臣だろ」


 鏡に映るブルーの顔は、笑顔で輝いていた。

 殴られても傷一つ負わない防御力は、もはや脅威である。だから、ハンナは椅子を横に倒すと、ブルーを蹴飛ばした。

 真っ直ぐに伸ばしたハンナの足先が、ブルーの即頭部に命中する。

 遠心力を最大限に活かしたハンナの蹴りは、ブルーの首を刈り取るかのように弧を描き、盛大な音を響かせた。


 ズドンッ!


「ぎゃあああ!」


 ハンナは剣士だが、同時に、闘士としてはブルーの師匠である。さらに言えば、人類最強の呼び声も高い人物なので、彼女の本気には、未だ竜王とて敵わないのだ。

 悲痛な声を響かせて、床に転がる竜王は、涙目のまま左即頭部を押さえている。流石に、ダメージがあったようだ。


「はぁ」


 ハンナ・グラッツは、椅子を戻し再び座ると、テーブルに肘をついて、盛大な溜息をついた。

 間違っていなくとも、やってはいけないことがある。言って分からない馬鹿には、鉄拳制裁しかないのだ。

 国王や大臣は、確かに、この国においては悪かもしれない。しかし、あくまでも社会における必要悪なのだ。

 だが、それを説明してもブルーには分からないだろう。それに、決してハンターが狙う獲物にはなり得ない。何故なら賞金が掛からないのだから、狩るだけ無駄だ。そもそも、ハンターが狩るモノは社会の悪ではなく、人類の敵である。


 だが、ハンナの口元は、僅かに綻んでいた。

 ブルーが悪と認識するものは、或いは純然たる悪かもしれない。あらゆる存在に対して、ブルーは善悪を認識しているようにも思える。

 これが竜王の成長過程だと考えれば、自身の視野こそが狭い事になるのではないか。そう、ハンナは考えたのだ。


 だが、そんな事よりも、今はブルーに説明する方が先だった。

 ドラゴンスレイヤーという職種からしてハンターの亜種の様なものだ。だから、実際にハンナ・グラッツも冒険者ギルドのSランクハンターである。ドラゴンスレイヤーの称号は、ハンターとして仕事をする過程でドラゴンを屠っているから、そう呼ばれるだけの事なのだ。例えば巨人を打ち倒す者は、ジャイアントハンターの称号を得る。

 さらに、ハンターとは、認められれば従者サーヴァントを持つ事さえ許可されるのだ。

 Cランクで二名、Bランクで五名、Aランクで七名、Sランクともなると、十名もの従者サーヴァントを持てるのだ。

 逆に言えば、Sランクの仕事ともなれば、本来、十人の従者サーヴァントを連れて行っても、生還率が五十パーセントを切る様な仕事ばかりだった。


 ちなみにブルーは、ハンナ・グラッツの従者サーヴァント”魔法闘士”としてギルドに登録してある。

 そして、今までの五年間、Sランクハンターと十人の従者サーヴァントでも倒せなかったドラゴンを幾体も屠っているのだから、実は既に、ブルーの名声は確立しているのだった。ハンナ・グラッツの従者サーヴァント”蒼い稲妻”として。


 ハンナは、ブルーに説明を続ける。


「――従者サーヴァントとしての経験が加味されるから、少なくともハンターに登録する試験は受けられるわ。試験はハンターの仕事を達成することで、今のブルーなら、Aランク相当の仕事も請けられると思うわ」


 鏡に映るハンナの顔が暗い。

 その一方で、髪を傅くブルーの表情は、非常に明るかった。


 一連のハンナの説明を聞いて、ブルーの笑顔は輝いている。

 もちろん、さっき折れた首の骨は、二分でくっついた。


「じゃあ、俺、すぐにもAランクハンターになれるんだ!」

「そうね、Aランクの仕事をこなせれば、ね」


 もしもギルドに、ブルーがこんなにも馬鹿だという事がバレたら、ハンナは恥ずかしくて、二度と顔が出せなくなるだろう。

 その一方で、五年も一緒にいたが、そろそろ野に帰すには良い時機かもしれない、とも思う。だから、その前に、本人が望んで人の社会に入るのならば、それは叶えてやりたいとも思うのだ。

 これは、ハンナの親心でもあった。


「王都に戻ったらギルドへ行きましょう。どのみち、今回の仕事の報告もあるし」


 ハンナは手を後ろに回し、ブルーの頬に触れた。触れれば、ブルーの体温が人よりも低い事がわかる。それでもハンナは、ブルーの力強い生命力を感じるのだった。


「柔らかいね、ブルーは」

「ん? お、俺は食べ物じゃないからなっ!」


 ハンナは、ブルーが受ける仕事を手伝うつもりであった。そうすれば、どんな仕事であれ、成功するだろう。それで、ブルーはハンターになれるのだ。

 ハンナは、これをブルーに対する最後のプレゼントにするつもりだった。

 Aランク以上のハンター同士が行動を共にする事など、まず無いと言っていい。となれば、ブルーの受ける仕事こそが、ハンナがブルーと共に旅をする、最後の機会になる筈だから。


 そんな事とは露ほども思わないブルーは、ハンナの右手を払いのけ、櫛を握り締めたまま、部屋の隅で震えていた。

 ブルーは連想したのだ。

 ハンナの好物は柔らかい羊肉。ならば、柔らかい俺って何? つまり肉? 肉だから、煮る? 俺、もしかして煮られる? そして、喰われる? となったのである。

 ブルーは、何処までも残念な竜王であった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ