星降る夜の激闘 1
◆
地表近くでどのように熾烈な戦闘が行われようとも、天空に輝く星々は瞬きをやめない。
ゆっくりと上った蒼銀の月はジュノー・ヘカティの透き通るような白さを持った鱗を照らし、夜空を一層荘厳なものに変えていた。
とはいえ夜は基本的に闇が支配する。
静謐な夜は、闇を遮る荘厳な力が備わってこそ訪れるのだ。
ジュノー・ヘカティには、たしかに夜を静謐に保ち得る力がある。しかし、その力を脅かす者もまた、この空間には同時に存在しているのだった。
ジュノーは自身より巨大な竜を、ここ数百年見た事が無かった。
まして闇の中、深い紫色の体から毒を滴らせる竜など、聞いた事も無い。
――いや、いた、か。
かつて、竜種を裏切り邪神の眷属へと身を落とした愚か者が。
だが、そうと知れたところで状況が好転するわけも無い。
ジュノー・ヘカティは溜息交じりの息を吐くと、背中に走った激痛に顔を顰めた。
背後に回った邪神が、何らかの魔法を放ったのだろう。
ジュノーは、自身の背中から火花が散ったことを感じていた。
恐らく、魔力を金属に変換し、幾つもの矢として放ったのだろう。
むろん、金属と言ってもただの金属ではない。
”オリハルコン級”の金属でなければ竜王たる自分の鱗は貫けないのだから、アザゼルは瞬時にそれを生成し、飛ばしたのだろう。
「まったく忌々しい」
生まれて初めて傷つけられた体と誇りは、温和なジュノーの瞳に怒気を湛えさせる。
正面にベヒモス、右にサマエル、背後にアザゼルと、三方向を囲まれたジュノーは、それでも不敵に笑った。
邪神は後回しでよい。まずは同族の裏切り者を片付けよう。
そう考えたジュノーだった。
ジュノーの口元に、青白い円形の魔方陣が生まれた。大きさは直径が十メートル弱で、三つの円が等間隔に並び、ジュノーの口元に近づくにしたがって小さくなる魔法陣は、人類にとって恐怖の代名詞、竜種にとっては王の鉄槌を意味するものだ。
喉を大きく膨らませると同時に、ジュノーは魔法を使った。
上位の竜とは、世界の理と繋がるものである。
即ち、神にもっとも近き者であるが故に、魔法に関して詠唱を必要としないのだ。
ジュノーの口元に白く輝く三重の魔方陣が現れた事で、ベヒモスは慌てた。
ベヒモスには、ジュノーが何を狙っているのか明確に理解出来たからだ。
魔方陣の第一層目は、火力強化。第二層目は、結界貫通。第三層目は、先鋭化である。
つまりこの状態のジュノーが炎を吐き出せば、火竜王にさえ匹敵するであろう火力を作り出し、さらにベヒモスが纏う結界を無効化した挙句に、槍の如き貫通力で毒竜を貫く、ということだ。
「ガアアアアアアアァァァァ!」
ジュノーが吐き出した炎の槍は、一直線にベヒモスに向かってゆく。
途中火柱が天に吹き上げ、地を抉ったが、そんなことは彼らにとって瑣末なことである。
「我は”オリハルコン”なり。我は”水”なり――」
ベヒモスは第二位階の竜である。
であれば、彼も元来魔法を詠唱する必要はない。
望めば望んだ場所に自らの意志を具現化することなど、造作も無いことであった。
にも拘らず、ベヒモスは不要な呪文を唱える。
その様を、不思議な面持ちで見つめるジュノーは、しかし自らの勝利を確信してもいた。
――槍を迎撃するならば、鋼。炎を迎撃するならば、水。
こう考えたベヒモスの思考は、決して奇をてらわない。
しかし、あくまでも彼は第二位階の竜である。無詠唱ならば魔法の質において竜王に勝るわけもなく、ましてや属性は土である。とすれば鋼は良いとして、いかに彼が水たらんと望んでも、その威力は現状のブルーにさえ及ばない程度のものなのだ。
だからこそ――
彼は人間から呪文というものを学んでいた。
呪文は、精霊の理を言語化したものである。
ベヒモスはまず己が属性の純度を、呪文により高めた。
いかにベヒモスが土属性とはいえ、呪文の助けがなければ硬度を”オリハルコン級”にまで高める事は出来ない。何故なら、オリハルコン化を天然で行えるものは、地竜王か神だけなのだから。
ともかく、これによりジュノーの攻撃である”突き”を、ベヒモスは防ぐつもりだった。
そして、”水”により、炎の威力を削ぐのである。
もちろんベヒモスの計算が正しかったとしても、無傷で済むとは考えていない。
ただ、戦闘不能になる事を避ければ、次に自分が攻撃を仕掛ける事が出来る。
水は自らの毒と相性が良い。
そのまま水に毒を含ませて、空気中に散布するのだ。
そうすれば、先ほどアザゼルが傷つけた場所からジュノーの体内に毒が入り、致命傷とはいかないまでも、大幅に戦闘力を奪う事が出来るだろう。
「オオオオオオァァァ――!」
しかしベヒモスの目算は甘かったのかもしれない。
オリハルコンと化したベヒモスの左肩を炎の槍は貫き、さらに皮膜の翼を破ると夜の中に消えた。
一瞬だが昼と見紛う程の光量に目を奪われたアザゼルとサマエルは、余りの事態に呆気にとられ、苦痛に悶えるベヒモスを助ける事が出来ない。
ジュノーは純白の尾を器用に動かし、中空に浮かぶアザゼルを捕らえると、きつく締め上げた。
既に苦痛の呻きを上げて、徐々に高度を落とすベヒモスなど眼中に入れる必要さえ失ったジュノー・ヘカティは、振り返るまでもなくアザゼルに懲罰を下す。
アザゼルは全身に力を入れて抵抗を試みるが、いくらなんでも体の大きさが違いすぎる。
魔力の総量で言えばアザゼルはジュノーを圧倒しているが、捕まってしまえば単純な体力勝負。
こうなれば、アザゼルが意識を失うのは時間の問題だった。
「くっ……意識を失ってたまるか……! こ、こんなに気持ちいいのに! ハアハア……!」
歪むアザゼルの口元は、苦痛ではなく快楽を浮かべていたようだ。
どうしようもないバカである。
「アザゼルさま! サマエルさま! ベヒモス!」
この時、アザゼルの元に援軍が現れた。
それは、俗にアザゼル十四将と呼ばれている者のうちの、残り三人であった。
そう、十四将のうち、既に十人までもが竜王達の無差別攻撃にあい、滅している。
それはともかく、もちろん十四将の筆頭はサマエルなのだが、そこから強い順に並べて行けば、今、この場に辿り着いた三人が並ぶ。
つまり彼等は竜王達の無差別攻撃でも滅しなかった者達、という事である。
当然ながら、彼らも同族を散々殺されて、竜王たちには怒り心頭だった。
大体、ついさっきまで傷を癒していたのだから、この場に遅れても当然の事である。
「おお、シュタール。ふ、ふぉぉ、お花畑が見えるぅ」
「ちっ。ドMが」
恍惚の表情を浮かべるアザゼルは、鷲の頭と翼、そして足を持つ魔人シュタールを見て喜んでいた。
アザゼルはシュタールのくちばしで突付かれる事が嫌いではない。
いや、いっそこの状況下で、出来れば突付いてくれないかな? などと考えていた。
シュタールはそんなアザゼルに対し、黄色い瞳に蔑みの色を浮かべながら腕を組む。
組まれたシュタールの腕は、筋骨逞しい人間のものだが、指は四本しか生えていない。基本的に彼は、鳥のようである。
「ベヒモス……無事、か?」
「ウム、イジス。流石に竜王は手ごわい。油断した訳ではないが、この有様だ」
「ベヒモス、強い、でも、勝てない、か?」
「勝てるつもりでおったのだが、我だけでは厳しいであろうな。だが、問題は無い、アザゼルさまもおられるし、サマエルもおる」
「わかった、俺、安心」
イジスは全身が褐色の岩石で出来た、所謂ゴーレムだ。
その体は二十メートル余りで巨大ロボット的な雰囲気を持つが、コックピットは流石にない。
口や鼻は無いが、魂の拠り所として巨大な黒曜石を目に見立て、頭部に二つはめ込んである。遠目から見るといっそ、つぶらなお目目が可愛らしい邪神軍のマスコット的存在だ。
今、彼は空を飛んでいるが、まったく重力を無視して飛ぶ辺り、きっと妙な機能が付いているのであろう。
たまにサマエルの事を間違えて「お母さん」と呼んでしまうが、誰もそれを笑ったりしないあたり、彼の愛され具合はハンパではない。
「シャシャシャ……サマエルさまともあろうお方が、風竜王如きに押さえ込まれておいでですか? 加勢いたしましょう」
「いらぬ。目障りだ、消えよ、グロリアス」
「随分な言われようですなぁ……シャシャシャ」
グロリアスと呼ばれた魔人は蛇の頭と尾を持ち、蝙蝠の様な皮膜の翼を二対、四枚供えている。
男女どちらとも判然としないが、サマエルに色目を使う所をみれば男なのであろう。
しかし爬虫類嫌いなサマエルとしては、なるべく視界に入らないよう顔を背けている。
だからなのか、大切な主を一向に助けようとしないあたり、サマエルも中々酷い女だった。
――ボキンッ!
「はああああぁぁぁんっ! 折れたぁぁああああ……!」
その時、アザゼルの背骨がぽっきりと折れて、邪神は絶頂に達したのである。
◆◆
アザゼルの悲鳴が収まると、辺りは静寂に満ちた。
流石に邪神の眷属も、主が背骨を折られてぐったりしている姿を見れば、竜王の強さを改めて認識しなければならないだろう。
「いつまで遊んでいるのです。明日からもう踏んであげませんよ」
しかしそんな中、怜悧な声が静寂を破る。
声の主はサマエルだった。
ジュノーの純白に輝く長い尾に絡まれて、ぐったりとしているアザゼルを酷く冷たい目で見るサマエル。真紅の瞳は、まるでドライアイスだ。いっそ熱く感じてしまう。
「だいたい、体をエーテルにまで分解し、精神を幽体で保てば何の苦も無くそのような場所から逃れられましょう。遊ぶのも、時と場合を選んでください。もう、私、帰っていいですか?」
空中で身を翻すサマエルに、虚ろな目を向けたアザゼルはうっすらと涙を浮かべた。
今、言葉で責められることもゾクゾクしてしまうが、明日から踏んでもらえないとなれば話は変わる。
健気なアザゼルはサマエルに改心する旨を告げた。
「ダメ……明日からも踏んで……真面目にやるから……」
言うやアザゼルの体は淡い光となって消える。そして次の瞬間、ジュノーの背で体を再構築させた。
さらに目にも止まらぬ速さで腰から黄金の剣を引き抜くと、先ほど傷つけたジュノーの体に勢いよく突き立てる。
竜王の鱗さえ簡単に突き破る黄金の剣を、アザゼルはこう呼んでいた。
「唸れ――破邪の剣!」
もちろん、邪神軍の構成員全てから反対されたネーミングだし、それは無いと思う。
しかし、実の所この名前は真実であった。
何しろアザゼルが純然たる「神」であった頃からの主武器だったのだから、よく考えれば納得である。
とはいえ、アザゼルを知る人は皆、
「どうせあの剣で斬られたいだけだろ……」
と、冷ややかな目で彼と、彼の愛剣を眺めるのだった。
「グッ!」
ともかく、破邪の剣をジュノーの体に突き立てたアザゼルは、そのまま巨大な魔力を剣に送り込む。すると剣が突き立っている部分を中心にして、純白の鱗が次々と捲れ上がり、ついにはジュノーの肉が爆発し、そこかしこに傷を作ってゆく。
捲れた鱗を逆鱗と呼ぶかどうかはさておき、ジュノーは怒りも顕に幾度も体を揺すっていたが、しっかりと足を踏みしめて動かないアザゼルは、どうやら本当に本気になったようである。
「さて、俺達も加勢しましょうかねぇ。シャシャシャ――」
サマエルの周りを纏わり付くように飛ぶグロリアスが、二つに割れた舌をチロチロと出しながら嘯く。
眉を顰めてその様を見ていたサマエルは、腰に右手を当てて首を振った。
「その必要は無い、アザゼルさまが本気になったのだ。ここには私もベヒモスもいる。この上、貴様等までいては過剰戦力もよいところだ。南方にもう一匹竜王がいる。そなた等三人には、彼奴の討伐を頼むとしよう」
「竜王を我等だけで倒せと?」
「成体ではない。貴様等でも十分だ。他にも竜種が一匹、人間が二匹いるが、問題なかろう」
「ま、いいでしょう。サマエルさまとご一緒出来ないのは残念ですがねぇ」
露骨に嫌悪の表情を浮かべるサマエルは、どうやらグロリアスを生理的に受け付けないようだ。なるべく側にいたくないし、かといって踏み潰してみても、そ知らぬ顔で纏わり付いてくる。
或いは生皮を剥いで塩水にでも浸してみようかと思ったが、それはアザゼルが羨ましがるだろう。流石に、「生皮を剥がして」と主に頼まれたらサマエルだってドン引きだ。そんな主は見たくない。
となれば命令の名の下に、不快なグロリアスは遠くへ追いやるのが賢明だった。
それにしても何故、シュタールもイジスも、こんなヤツと仲が良いのだろう? そんな風に常々思うサマエルである。
「――というご命令だ、シュタール、イジス! 風竜王はアザゼルさまが仕留めるとよ! シャシャシャ」
「ベヒモス……俺、頑張ってくる……」
「アザゼルさま。私は水竜王を討伐に行くが、くれぐれもサボらぬように」
◆◆◆
「む? 嫌な臭いが近づいておるぞ?」
「うん。食えるかなぁ? ちょっと食いたくないなぁ? 魔力は大きいけど」
丁度、腹が減ったと喚き出したブルーにフレイヤが同調し、収拾が付かなくなっていた所なので、二人の意識が別の場所に逸れた事をルイード公は、ほっとした面持ちで眺めていた。
ハンナの方は、自身の作り出した炎を見つめ、腕をブルーと絡ませていたので幸福の只中にいる。
ハンナ、ブルーと並んで座り、ブルーの右腕にハンナの左腕が絡んでいる。さらにハンナの頭はブルーの逞しい肩に乗っていた。
腹が減ったブルーはハンナの頭をいっそ齧りたかったが、それだけはぐっと我慢するブルー。
その視界には、炎を挟んで向かいに座るフレイヤとルイード公を捉えていた。
「我に触れるな、ウィル。我は人を夫にしようかと考えておるが、お主ではないわ!」
「ふっ、姫君。これも人の作法なれば」
言うや、フレイヤの手の甲にキスをしたルイード公。もちろんセクハラである。
しかし、人の作法といわれれば、ソレを学びたいフレイヤとしては受け入れざるを得ない。
フレイヤは引き攣る頬を必死で押さえ、ルイード公の”ふにゃ”っとした唇を手の甲に感じていた。
(ふうん。どうやら人間はドラゴンに触れたがるんだな。まあ、ハンナも俺にべたべたしてくるし、そういうものなんだな! ていうか、腹へった! 俺ドラゴンだからな!)
正面に座る二人を見ていたら、頭上で豆電球が点灯するかの如く、何かに納得したブルー。しかし残念ながら、その納得は間違っている。
人間としてはルイード公とハンナが異常なのだし、ドラゴンとして減ったお腹は気のせいだ。
ドラゴンの「腹減った」は、破壊衝動の代わりと言っても過言ではない。つまりドラゴンとは、破壊し、敵を喰らい、強くなることが本能なのだから、このように感じてしまうのだ。
だが、実はブルーとフレイヤの空腹を満たす手立てはある。
ドラゴン達が人間を乗せさえすれば、今からだってルイードの宮殿に帰れるのだ。そうすれば、丸焼きだろうが姿焼きだろうが、パンだろうが野菜だろうが、食べたい放題になるのだが、何故か彼等の中にその事を提案する者はいなかった。
まずブルーは、誰も乗せたくない。
そもそも、ブルーは竜化しても体長二メートル弱。ハンナを乗せるのが精々だし、おぶっているのと変わらないのだから、そんなのは嫌なのだ。
大体その前に、ブルーが宮殿に帰る案を思いつくはずも無い。
フレイヤは、さっき人を乗せたのだから、もう十分だった。
だから人は乗せたくないし、なるべくなら戦いたい。
暫くすると、戦いたいのかお腹が減ったのかよく分からなくなったフレイヤは、だんだん眠くなってきた。
なので、帰ることなどやっぱり思いもよらない。今の彼女は、戦うか寝るか食べるかの三択である。
ハンナは今、ブルーの腕に自らの腕を絡めて、どこまでも幸せだった。
ハンナのやたらと膨大な魔力で作り出した炎を中央にすえて、まるでキャンプファイヤーの様な状態のこの空間で、朝までブルーとイチャコラ出来たら嬉しいな、なんて考えるドラゴンスレイヤーは、もう邪神なんていっそどうでもいい。
それに恋する乙女は、腹など決して減らないのである。
ルイード公が一時帰宅を提案出来ないのは、ここで帰っては家臣に会わせる顔が無いからだ。
もともと勘違いをされているだけの公爵だが、人並みの自尊心と人一倍の虚栄心を併せ持つこの公爵、自らの保身にかけては超一流なのである。
とすれば、唯一その道に気が付いたルイード公が提案しないのだから、誰も帰ろうとしないのは道理だった。
「ほう、俺達も随分と舐められたものだ」
地べたに座り、心ならずもハンナに寄り添われているブルーの前に、夜空を切り裂く轟音を撒き散らして鳥男が登場した。
鷲の嘴が中空に浮く炎に照らされて、不敵に揺らめいている。
大きく広げられた翼は、四メートル程はあろうか。ベヒモスなどに比べれば随分と小さいが、この場のドラゴンと人を威嚇するには十分な大きさだった。
何より、その力はフレイヤのそれに匹敵するほど。それが臭いで分かればこそ、ブルーの両目は闘志を湛える。
(腹が減ったから戦う!)
瞬時にこう思ったブルー。その理屈は、多分フレイヤでも分からない。
「シャシャシャ! 雌だ、雌! 人の雌と……おお、ドラゴンですか。しかしドラゴンのクセに人型とは面白い!」
「なんじゃ? ぬしはドラゴンのなりそこないか? 気持ち悪いのう?」
「ふん。ドラゴンという種族はどうしてこう、自身が完成された種族だと思うのやら。俺ぁこれでも魔族なのだがね! まあいい、ドラゴンの雌に蛇の良さをたっぷりと教え込んでやりますかねぇ……シャシャシャ――」
立ち上がったフレイヤは、不意にブルーに視線を送ると、腕組みをした。
ブルーが竜化しないというのなら、自身も竜化しないつもりなのだろう。
フレイヤの眼前に立つグロリアスは、ブルーが竜化した時と同じ程度の大きさだ。となれば、今のままでも十分――そう判断したフレイヤだった。
未だ影を持たないフレイヤの明るい瞳は、真っ直ぐに正面を見つめ、魔族を射る。
「魔族――という事は、邪神の眷属じゃな? 我が友――人間達の為、我は戦おう」
カッコイイ事を言ってはいるが、結局戦いたいだけのフレイヤは、心の疼くままに笑顔だった。
一方、隣のフレイヤが体を起こして魔族に立ちふさがっているのに、立派な中年であるウィルが逃げる訳にもいかない。
ここは一つ、おっさんの意地を見せるルイード公。しかし、それが裏目に出るとは、相変わらず持っている男だ。
「近くば寄って目にも見よ! 遠く――」
ビシッと立ち上がり剣を鮮やかに抜くと、ルイード公は上空から来た飛行物体に、めっこりと踏んずけられてしまった。もちろん、口上の途中で、だった。合掌。
「あ、ニンゲン……踏んだ……ゴメン……」
最後に、翼も無いのにどうやって飛んだのかは不明だが、巨大なゴーレムが上空から舞い降りた。
そこで、久々にかっこよくポーズを決めていたルイード公を踏み抜いたイジスである。
彼はのっそりとした動作だが、それなりに慌てた調子で右足をどけると、見事に土にめり込んだルイード公が目に入る。
つぶらな瞳が一瞬、曇った。きっとうっかり虫を踏んで殺してしまった人間と同じような気持ちになったのだろう。そこはかとなく悲しそうなイジスだった。
ハンナが名残惜しそうにブルーの頬にキスをした。
そして盛大な溜息を吐き出すと、立ち上がるや長剣を抜き放つ。
「ソレを踏んだことは許すわ! でも、私の炎を消した事は許さない!」
ハンナはだだっ広い山中で、星降る夜、たった一つの小さな明かりの中、ブルーの腕に抱かれて眠るつもりだった。
それを着地の風圧で消し去ったイジスを、絶対に許す事が出来ないのである。
ちなみに、ちょっとだけ心惹かれたルイード公に関して、もはや気にも留めないハンナ。
そう、肉食系腐女子は、決して過去を振り返らないのだから。