邪神と愉快な仲間たち
◆
マール山といえば、つい数時間前まで常緑樹が生い茂る鬱蒼とした森であった。
それがニ柱の竜王により完膚なきまでに灰燼と化したのは、さしあたり単なる八つ当たりだ。
森の動植物の怨念は竜王の精神に取り込まれ、彼らの力へと変わってゆく。
それは、弱肉強食だといってしまえば簡単だが、弱き者達にとっては酷く理不尽な暴力であった。
だが、竜王とは弱者をすべからく取り込む存在なのだ。
火、水、風、土の四大精霊は生きるもの全てに内在し、エネルギーとして働いているのだから、肉体を失えば彼らはその主の下に帰るのが道理。だからこそ四大竜王とは、地上の栄えある王と呼ばれるのだ。
――だがしかし、山を一つ破壊せしめたからといっていきなりブルーが強くなる、という事は無い。
何しろ真名を得ていない以上、封印されているような状態の彼に、強く精霊を支配することなど出来るはずがないのだから。
焦土と化したマール山の中腹で唯一無事だったものは、それが人工物であった故に破壊を免れたのである。
抉れ、割れ、崩れた赤茶色の地面が広がる中、ぽつんと純白に輝く大理石で出来た荘厳な神殿があった。
もちろんこれは、デルメル神殿である。
神殿の周囲だけは辛うじて小さな木が生き残り、下生えが弱弱しく息づいていた。
デルメル神殿だけが破壊を免れた理由はもちろん、神官達の祈りにデルメル神が答えた、ということもある。だが、それよりもマール山一帯を攻撃したブルーとジュノーが「人に危害を加えない」という一点において一致していたことが大きいだろう。
そうであれば、舞い散る火の粉や水飛沫、はては吹き飛ばされた木々の破片などからも建物は守られたのである。
◆◆
「フハハハハ! 相変わらずドラゴン共はムチャクチャだな!」
白亜の神殿、その中枢で哄笑を上げるのは、袖口に輝く金糸の刺繍も煌びやかな青年大神官である。
彼は部屋の中央にあるデルメル像の足を”パシッ”と手の平で叩くと、不意に振り返り、怯えきった神官達に向き直る。
部屋は、神殿の正門を入り前庭を越えて最初の大広間であり、礼拝堂と呼ばれる場所。
地上から三階分程の吹き抜けとなった礼拝堂はドーム状の天井を備え、そこに英雄王の壁画が描かれている。
デルメル像は、丁度その真下、礼拝堂の最深部の階の上にあった。
像の大きさは、丁度人間の二倍ほどであろう。しかし人の腰ほどまである高さの台座の上に女神像が乗っている為、実際よりも大きく見えるのだ。
ちなみにデルメル像は、長衣を着ているがノーパンだ。
幾度かルイード公はここを訪れ、その事実を確認している。
階の下方では数十人の神官達や見習い神官が平伏し、祈りを捧げる儀式を続けている。
突如として攻撃を開始したドラゴンに対する結界を張り、維持し続ける為だ。
もちろん、こんな時に哄笑を上げる大神官に対する疑念は皆持ちつつも、今はドラゴンの怒りを静める方が先だ。となれば、神像の横に立つ大神官を筆頭に、デルメルに祈るより他、彼らには縋る縁がないのだから仕方が無い。
「――祈れ、デルメルの使途達よ! さすればこの地は守られん!」
大神官は口元の端を吊り上げて、眼下に平伏する神官達に激を飛ばす。
だが、流石に大神官。その声は凛々しく、その上甘美なまでに柔らかい。
大神官の声で、神官達の祈りは熱を帯びる。
彼らの祈りは、外界との接続を拒絶した結界を神殿の外周に作り、内部を絶対の安全地帯へと変えた。
見えざる半球状のドームが神殿を覆い、その瞬間、ドラゴン達は邪神の気配を見失ったのである。
そう、邪神アザゼルは神殿内にいたのだ。
「フハハハ……サマエル、行くぞ」
「はい、アザゼルさま」
見れば階の最前列で、一人立ち上がった神官がいた。
透き通るような白い肌を持つその神官は、酷薄そうな薄い唇を真一文字に結んだ美女である。
美女神官と青年大神官の視線が交差すると、微妙な変化がおきた。
先ほどまで褐色だった瞳が、見事な紅玉の様に変貌を遂げた大神官。
深く被った白いフードの内側では月の雫かと思うような銀髪が揺れ、淡い輝きを放つ。
大神官の名は、アザゼル。
いや、正確に言えば、大神官になり代わっていたアザゼルだ。
彼が大神官と入れ替わったのは、つい先日のことである。
別に封印を解いたアザゼルはどこへでも自由に行ける。だが、そうせず、この神殿に留まったのには訳があった。
彼は、友の封印も解きたかったのである。
友は、ドラゴンだった。
友は、自身とは別の封印を施され、自身とは別の地下空間に封印されていた。
「それを見捨てて何処かへ行くなど、邪神の風上にもおけん!」
などと考えた正義感に燃える邪神アザゼルは、だから大神官を八つ裂きにして彼に代わり、友の封印を解く機会をまっていたのである。
そして、その時は来た――
今、封印を継続させる為の魔力すら、ここの神官共は上空を席巻するドラゴンに対する防御に向けている。
「フハハハ――地下にもドラゴンがいるというのに、暢気な奴らだ! なあ、サマエル!」
哄笑するアザゼルを、しかし神官達は誰も見ない。
高度な祈りは、自らをトランス状態と為す事で成就される。だから今、人間の神官達は喪失した意識を神と結び付けるだけで精一杯なのだ。
アザゼルにサマエルと呼ばれた女は邪神の眷属。煌くような黄金の髪と、濃い闇を湛えた真紅の瞳を持つ大悪魔である。
「はい、アザゼルさま。地下でさぞやベヒモスが退屈しておりましょう。封印を解くときは今をおいて他、ありませぬな」
「フハハ、封印をといたとてベヒモスの退屈を、どうやって紛らわせてやろうか?」
「……竜王共はベヒモスの封印を解く機を作ってくれましたが、私の醜くも可愛らしい部下共を大勢殺しました。その報いをくれてやるとなれば、ベヒモスも賛同いたしましょう」
無表情のサマエルは、純白の長衣を脱ぎ捨てると、全身から禍々しいオーラを立ち上らせる。
それにしても、長衣の下から現れたのは体のラインをしっかりと見せる真紅のドレスだった。しかも太ももの部分に大きなスリッドがある。背中の部分も大きく開いているが、これにはどうやら事情があるようだ。
彼女の背に黒い皮膜の翼が現れたのだから、その邪魔にならないようにした衣装なのだろう。
サマエルはアザゼルの忠実な部下であり、悪魔として最上位の存在だった。実力でいうのならば、ドラゴンの第二位階に相当するだろう。
そのサマエルが、無表情のまま煮え湯の様な怒りに耐えていた。
何しろ彼女は言葉どおり、アザゼルが封印されていた時代に苦楽を共にした部下を大勢失ったのだから。
「……ふむ。俺の為に尽力してくれた部下どもの弔い……か。そうだな。ベヒモスにも否はなかろう」
アザゼルは、右手を伸ばしデルメルの像に翳すと、握りこぶしを作る。
彼が握りつぶしたのは、空気だけのはずだった。
しかし次の瞬間、デルメルの巨像は轟音を立てて破裂し、周囲に石塊が飛び散る。
そのせいで幾人もの神官達がその身を引き裂かれたが、邪神や悪魔にとって、それはどうという事も無い。
いっそ純白の神殿に真紅の花が咲いたようで、サマエルなどは口元を僅かに緩めた程である。
それよりも、デルメルの石像の下から現れた地下に通じる階段が見える。
それは、長く深く、はるか奥まで続いている様に見えた。
「まったく、つまらぬ所に封印などしてくれていたものだ」
感慨深げに呟いたアザゼルは、地下へ足を踏み入れる。
自身も地下に封印されていたが、もっと神殿から隔離されていた場所だった。
もちろん、それが優遇などということはない。
ただ、自身も地下に封印されていただけに、その居た堪れなさが分かるのだ。
アザゼルの友は、ドラゴンである。そして、忠実な僕であった。
彼にはベヒモスという真名があり、第二位階の竜だった。
ベヒモスは毒竜であり、元来は地が属の竜なのだが、その高い知性から、全ての竜種に背き、生きてきたのである。
その生き方は同じく全てに背いたアザゼルと等しく、故にベヒモスはアザゼルに共感したのだった。
◆◆◆
アザゼルとサマエルが地下へ続く長い階段を下りてゆくと、低くおぞましい唸り声が聞こえてきた。
「ググオオオアア……」
ベヒモスが封印されている場所は、地上から八百メートル程の地中だ。
もっとも、さらにその下層にアザゼルは封印されていたのだから、サマエルという助け舟がなければ如何な邪神と言えども、未だ地中深くに封印されたままだったであろう。
サマエルの献身的とも言える努力が始まったのは、二十年前に遡る。
サマエルは長い旅路の果て、主であるアザゼルが封印されているというこの地に辿り着いた。
封印はデルメル神が施しているということを知ったサマエルは、悪魔でありながらも面従腹背で女神に祈りを捧げ、認められて神官となる。
そして唾を吐きかけながらも祈りを捧げ続ける事で、地母神デルメルの信頼さえ勝ち取ったのだ。
女神に信頼されたサマエルは、アザゼルが封印されている地と封印の方法をデルメルから聞き出すことにも成功した。
サマエルはその後、一年ごとに四層の結界を破り、十年をかけ四十層を破ったところで、愛しき主の息吹を聞いたのである。
結界は、デルメル神殿の地下百層に及んだ。
しかし四十層も破れば、アザゼルの魔力が多少なりとも感じられるようになる。そして、封印が解けると知ったアザゼルは、練りに練った魔力を開放してゆき、一日に一層を突破して、僅か二月足らずで地上に復活を遂げたのだった。
その際、漏れ出した魔力が雨雲や魔物を呼びルイードの街を困らせた事など、彼にすれば些細な事だったのだ。
だが、同時にベヒモスの封印を解くことは叶わなかった。
アザゼルは、封印さえ解ければ肉体を精神体に変えて地中をすり抜ける事が可能だ。しかし、ドラゴンの、しかも第二位階でしかなベヒモスにそんな事が出来るはずも無い。となれば封印を解き、さらに物理的な力をもって地上を目指す他、道がないのだ。
ベヒモスは長年の陰鬱とした気持ちが今、一挙に晴れてゆく思いであった。
足音が聞こえていた。
懐かしい臭いが鼻腔を擽る。
主であるアザゼルに助けを求めようとは思わなかったが、助けてくれるとは信じていた。
それが今、現実のものとなるのだから、ベヒモスは歓喜に打ち震えていた。
「ベヒモス」
地下に作られた巨大な空洞の中、その身を横たえる深紫色のドラゴンは、投げかけられた声の懐かしさに驚喜した。
長い尾を上下に動かし、低くおぞましい咆哮を上げる。
「グオオオ……! 主よ!」
辺りは仄かな緑色の燐光に照らされていた。
アザゼルはベヒモスに一声かけると、直径が十メートルはあろうかという彼の巨大な前足に、右手で触れる。
瞬時にアザゼルの右掌は焼け爛れ、肉が焼けるような臭いと共に煙が上がった。
ベヒモスの体からは、絶えず猛毒が溢れている。
気化した毒ですら、人の子ならば三分と持つまい。邪神であるアザゼルさえ、直に触れればこの有様だ。
しかし、それでも顔も顰めず、アザゼルはベヒモスの前足を撫で続けた。
「苦労をかけたな。これからまた、共に暴れようぞ」
「ク、ククハハ! 主よ、その言葉、幾年月待ったかわからぬぞ。まあ、先のジャスティンだったか? あやつらとの戦いも楽しめたがのう!」
長い首を上下に揺らして、頷いているのだろうベヒモスの動作は嬉しそうだった。
「ベヒモス。あの時、お主が戦いに興じすぎて油断し、真っ先に封印などされたが為に我等が敗北を喫したこと、忘れてはおらぬよな?」
「ヌ、ヌヌウ?」
焦ったように巨大な翼を広げ、再び畳んだベヒモスは、サマエルの赤い瞳にたじろいでいた。
真紅の眼球に縦長の黒い瞳孔を窄めて、ベヒモスはそ知らぬ顔を決め込むようだ。
ちなみにベヒモスの性格は、ドラゴンの中では誠実で穏やか。決して棒若無人ではない。
むしろブルーやフレイヤと比べれば温厚であり、ジュノーと比べれば大人である。
唯一問題があるとすれば、「戦闘狂」というところであろう。
これとて、ブルーやフレイヤはもとより、ジュノーと比べてさえ知的な部類にはいる。何しろベヒモスの場合はきちんと戦闘を構築するのだ。だから、頭脳戦を楽しむとさえ言える。
故に、かつてジャスティンと戦った際、自らの敗北を早々に認めると、潔く封印されたのであった。
ついでにベヒモスは口下手でもあるから、無表情のクセに鋭い所をついてくるサマエルが若干苦手である。
「フハハ! まあよかろう。あの戦いはあの戦いでそれなりに楽しめた。大体、奴等は所詮人間。寿命とやらで、今頃はとっくにあの世だろう。だとすれば、結局我等の勝ちということではないのか、サマエル?」
アザゼルは、焼け爛れた右手に白い手袋を嵌めると、サマエルに向き直った。
手袋には別に治癒魔術を付与している訳ではない。ただ、焼け爛れた手を自分が見たくないから嵌めただけのアザゼルである。というか、放っておけば、その程度の怪我は五秒で治るアザゼル。手袋を嵌めるだけ無駄だ。
それはともかく今のアザゼルの発言は口下手ドラゴンを庇う為だろうが、その優しさは逆に、真面目で一途な悪魔であるサマエルの逆鱗に触れてしまう。
「アザゼルさまは、またしてもそのように甘いお考えでおられるのか? 我がお仕えしてより早二千年。貴方さまは元来、輝けし天上界における神の一柱であったはず。それが地上に降り立ちましたるは、如何なる為か。まして、我が悪魔にまで身を落としてお仕えしているのは、何ゆえのことだとお考えですか?」
「そりゃあサマエル、お前……俺とアレするのが気持ち良すぎて、離れられないんだろう? もちろん俺も、お前なしで生きるなんて考えられないが……まさかお前がその為に俺の封印を必死にな……ぐあ……! な、何をするんだ! ぐあ! うあ!」
薄緑色に輝く燐光は辺りを照らし、邪神と悪魔とドラゴンのいる空間を幻想的に演出している。
しかし今、大事件がおきた。
悪魔が主たる邪神の顔面を拳で殴り、殴り、蹴り、踏みつけたのだ。
煌くような黄金の髪を持つ大悪魔は、銀髪の美しい邪神を今、踏み抜いた。
竜王や七英雄に倒される前に、五邪神の一柱アザゼルは、配下の乱心によって倒れるのであろうか――
「はぁ、はぁ……。いい、いいぞ、サマエル。今日も……キレてる……!」
所詮邪神も頭のネジがニ、三本外れている。だから、サマエルの怒りはアザゼルのご褒美にしかならないのだ。
「アザゼルさまは――まず、この世界を統べるのです。その後、この地に生きる全ての生命を率い、天界を攻め、滅ぼすのです」
金髪の大悪魔は、紅玉の瞳に熱意を込めて、濡れた唇には愛情を込めて、アザゼルに言い聞かせる。
しかし今、アザゼルがもっとも求めているのは、蹴りのお代わりであった。
「と、とにかく主よ。我は早くここから出たい。つ、つもる話はそれからでも……」
言い難そうに巨体のベヒモスが頭を下げる。
何となく空気の読める竜ベヒモスは、アザゼルがドMだという事をよく知っていた。
多分、この悪癖が無ければアザゼルはとっくに世界を征服しているだろう。
なぜ世界征服が叶わないかといえば、アザゼルはある一定以上の攻撃を敵から受けると、なんと気持ちよくなってしまい、防御しかしなくなるのである。
そして、敵が女性ならば、尚更これは顕著なことだった。
――もうお分かりだろう。邪神アザゼルがなぜ、六英雄たるジャスティンに封印されたのか――
そう、ジャスティンのパーティーは全員が女性。だから、アザゼルは六人にタコ殴りにされて、幸せの絶頂で封印されたのである。
もっとも実際にベヒモスと戦い、彼を封印したジャスティンは確かに強かった。
だがその後、サマエルを遁走させたジャスティンの奥義はもっと凄かった。
サマエルは、ジャスティンのセクハラ攻撃に耐えられず、主を捨てて逃げ出してしまったのだから。
――これが、英雄王ジャスティンの真実。だから、ルイード公が変態だったとしても、何ら不思議のない事なのである。
ともかく――ベヒモスの言葉に、恍惚としていた表情を引き締めたアザゼルは、右手につけた手袋を外すと、徐に両手を上に翳した。
「開け」
それは、呪文ですらなく、ただの呟きだった。
それだけで、ベヒモスの両手からは凄まじい量の熱線が溢れ、輝き、放たれた。
巨大な空洞に、直径がそのままの穴が縦に開く。
直上にあった神殿は、恐らく丸ごと消えたのであろう。
「人間など、蛆の如く増えるもの。多少減ったところで構うものか」
肩にかかる金髪を左手で払いながら、赤眼を細めて主の力が顕現する様を眺めるサマエルは、ようやく微笑を浮かべていた。
「さて、水竜王と風竜王、別れたようにございます。どちらから先に殺りましょう?」
地上へ通じる巨大な縦穴が開くと、満天の星が彼らの目に映る。
しかし、彼らの眼中にあるものは星々等ではなかった。
この世界での絶対強者、その命である。
「ヌウ? 竜王といきなり戦うのか? ……面白そうだが、何故?」
「ベヒモス、貴方の封印が解けたことと関係があるのだけれど。要するに、私の醜くも可愛らしいペット共が奴らに殺されたのだ。報復せねばならん」
先ほどは部下だと言っていたのに、すでにペットと言い切ったサマエルは、完璧なまでの女王様気質の持ち主である。
「まあ、そういう訳だ、ベヒモス。俺も久々に強き者を打ち破りたい気分だしな」
「フム。現状の強さで言えば……水竜王よりも圧倒的に風竜王の方が強い。弱き者など捨て置くとして、ならば此方が良いかと」
主の覇気を間近に受けて、ベヒモスは静かに頷いた。
やはり、多少痛い部分はあっても、我が主は絶対だ。そう考えたベヒモスは今、幸せをかみ締めながら風竜王との戦闘を脳内でシミュレートする。
風に対して彼の属性は土。
ならば、決して一対一でも敗れぬ自信がベヒモスにはあった。
だが、それよりも気になるのは、水竜王の方に気配があと三つある事だった。
一つは雷竜だろう。これが水竜王と互角以上の力を持っていることはいい。だが、あとの二つは異質だった。
(人間? なぜドラゴンと人間が? しかも、一方の人間は、水竜王よりも雷竜よりも強いのではないか? もう一人も……いや、これはゴミ、か?)
疑問に思ったベヒモスだが、結局それを口にする事はなかった。
何故なら、口下手だから。
バサリと翼をはためかせ、その背にアザゼルとサマエルを乗せて舞い上がるベヒモス。その巨体は、優に百メートルを超えていた。
「ではベヒモス。風竜王の下へ向かってくれ」
純白の神官服を脱ぎ捨てると、金で縁取られた浅緋色の鎧が顕になったアザゼル。そのいでたちは、まさに神そのものである。
サマエルが僅かに表情を緩めたのは、その姿にかつて天軍を率いたアザゼルの姿を見た為。
「な、なあベヒモス。体の毒、止められない?」
アザゼルの呆けた声に、サマエルのこめかみがピクリと動く。
”シュウシュウ”と音を立てて溶けるアザゼルの両足は、今、見事に煙を上げていた。
見惚れていた自身を殴り倒したい衝動にかられたサマエルだが、ここはぐっと自重して、若干頭の弱い主に適切な助言を与える事にした。
「なぜ、足に結界を張りませぬか!」
「なるほど」
見れば、サマエルはベヒモスの毒など意に介した様子も無く、普通に乗っている。
アザゼルはサマエルに倣い、足元に微弱な結界を張る。
微弱と言っても、その力は核攻撃をも防ぐ程の物だ。何しろ、ベヒモスの毒はそれ程生易しいものではない。あくまでも、アザゼルが強すぎる為に、微弱な結界で十分だということである。
「さすが俺のサマエル、頭がいいな。褒美に胸を揉んで……ぐっ!」
アザゼルが言い終わる前に、サマエルの拳はアザゼルの顔にめり込んだ。
「あっ……あっ……!」
吹き飛んだアザゼルは、背中にベヒモスの毒、顔面にサマエルの拳と、ご褒美二連発となる。
アザゼルはジュノー・ヘカティに狙いを定めたベヒモスの背の上で、今、とても幸せだった。
「やっぱりサマエルの拳は世界一気持ちいいな……」
◆◆◆◆
悠然と夜空に翼をはためかせるジュノー・ヘカティに、ベヒモスが追いつくのは容易だった。
本気で飛べば速度においてジュノーに勝るドラゴンなどいない。
だが、ジュノーとて脳筋である。
殺気を放って迫る者達から逃げ出す気など、毛頭無かった。だからわざと速度を緩め、ベヒモスが追いつけるように飛んでいたのだ。
「貴様等、わしに何か用か? わしは腹が減ったし、キシャルが恐い。用件があるならば、手短にせよ」
純白の風竜王は怒気を微量に含みつつも、穏やかな声を出した。
ジュノーは答えが得られない事を悟ると、自身よりも遥かに巨大な竜を睨みつけ、”フン”と鼻を鳴らす。
「グアアアアアア……!」
ベヒモスは自身よりも上位の竜に挑む為、裂帛の気合を発した。
サマエルは黒い翼を羽ばたかせて、剣を構える。
快楽を中断されたアザゼルは青銀の髪を掻きながら、不快気に言い放つ。
「竜王は邪魔だ。消えろ」
「ふむ。わしが竜王と知って挑むか、邪神め」
ジュノーは大きく翼を広げ、同時に口を開いた。
口からは炎を、翼からはカマイタチを発生させて、アザゼルとベヒモスに見舞う。
敵と見做せばジュノーは攻撃を躊躇いはしない。
炎はベヒモスの全身を包み、風の刃はサマエルさえも巻き込んで竜巻を作る。
しかし暫くすると無傷の毒竜と邪神、そして大悪魔が薄笑みを浮かべ夜空に浮いている様をジュノー・ヘカティは見つけ、愕然とした。