家出終了のお知らせ
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親竜であるジュノー・ヘカティは、夜の闇でも輝く純白の鱗を持った華麗なるドラゴンだ。その娘は漆黒の鱗と黄金色の角、それに真紅の瞳を併せ持つサンダードラゴン、フレイヤ・ヘカティ。
竜種の中で知らぬものとていない最強親子は、しかしながらどうにも残念な再会を果たしていた。
何故ならフレイヤは、ブルーが人化するのとほぼ同時に人化して、物陰に入って再びドレスに着替えたのだから、お父さん吃驚! てなもんである。
「フ、フレイヤ……その格好は人間ではないか……! ブ、ブルー! お主までっ!」
吃驚仰天して天を仰ぎ、盛大な咆哮を上げたジュノー・ヘカティ。勢い余って吐き出した炎は、まるで夜に突如として現れた太陽の如き輝きであった。
「お、俺はさ、ハンナと話すのにこっちの体の方が都合いいし。人間と暮らすには、このサイズの方が家の中とか、丁度いいんだ!」
純白の竜王に猜疑の眼を向けられたブルーは、慌てて見上げ、頭を振っていた。もっともこれは所詮言い訳。普通ならば竜王としてあるまじき無様である。
だが、無様であることならばブルーと互角なジュノー・ヘカティ。彼はブルーに一定の理解を示していた。
「ふ、ふむ、そうか。そういえば、ブルーの妻はそれなるハンナどのじゃったな。ま、まあ、珍しいこととは言え、妻の為とあらば致し方なかろう」
冷や汗を浮かべたジュノーは、長い首を縦に振っている。
恐らく内心で、自身の妻を思い出しているのだろう。
恐妻家であるジュノーには、今、ブルーの気持ちが妙に分かるのだった。
”ぴこーん”と、ここで閃いてしまったのはフレイヤだ。もっとも、そんな彼女の発言は当然明後日に向かって猛烈にダッシュしていた。
こんなもの、人化する言い訳になどなるわけも無い。
「父上、我も人を夫にしたいのじゃ! じゃから今、人として振舞っておるのじゃ!」
この斜め上へ向かってまっしぐらな発言に、フレイヤのお父さんは翼を使わず宙を舞った。
ドラゴンなのに、尻の力で飛びあがるとは剛毅なジュノー。さすが風竜王である。
一方、フレイヤの足に引っかかりながらこの場にやってきたお漏らし公爵は、ようやく地面に深く刺さっていた頭を引き抜く。
そう、フレイヤは公爵をその背に乗せる事を嫌がった。当然だろう。どこにお漏らしをした人の子など背負いたいと思うドラゴンがいるものか。
という訳で、フレイヤはウィルを右足の爪に引っ掛けて飛んできたのだ。そして、着地の際、うっかり足の指というか爪を広げたフレイヤは、高度百メートルあたりから変態公爵を落っことしてしまい、現在に至る、という訳である。
落とされた変態公爵に、肉体的ダメージは無い。
これこそ、魔力を帯びた鎧と冑の性能の賜物だが、だからと言って土に埋まった以上、流石の防具も泥に塗れていた。
急いで全身を水魔法で覆い、鎧を洗うと、ついでに濡れた下着も洗った変態公爵。そして苦手な炎の魔法と風魔法を組み合わせ、濡れた衣服を乾燥させると、ゆっくりと髪を掻きあげた。ついで最上の礼を持って巨大なドラゴンの前に立つ。
なにをしれっと紳士を気取っているのだろうか、このお漏らし野郎は。
「お初にお目にかかりまする。私、人の街ルイードを治める公爵、ウィル、と申します。ふっ、僭越ながら、フレイヤさまには親しくお話をさせていただく機会を得ました事、真に感謝に絶えません。また、私の名はフレイヤさまによって授けられ――」
白銀の鎧を纏ったルイード公。
右手の拳を腹部に当てたまま腰を折って話をしていた為、ジュノーの両目に怒気が宿る様をバッチリと見逃していたのが運のつきだった。
”ふん”と鼻をならしたジュノー・ヘカティの巨大な右足は、ルイード公の後頭部を踏みつけると、そのまま彼を再び地中へと埋めたのである。
「父上っ! やりすぎじゃ!」
「フレイヤ! 人に名を授けたじゃと!? わしは、人と接するな、とは言わぬ。じゃが、夫に人を選ぶなど反対じゃ! まだ邪神の方がよい! そもそも彼等とは生きる年月がまるで違うのじゃ! 人とは、我等のように長き年月を生きる者にあらず! そなたが人を伴侶に選べば、共に歩める年月は微々たるものとなるのじゃぞ!」
雷鳴の様なジュノーの声に、ハンナが一瞬だけ肩を震わせた。
あのドラゴンスレイヤーに限って、恐怖を感じたという訳ではない。
「風竜王! 私だって、ブルーとの寿命の違いは分かっている! まさか、私は私が死ぬときにブルーにも殉死させるつもりなんて無いわ!」
だが、徐に顔を上げたハンナは、右手の人差し指を真っ直ぐにジュノーへ伸ばし、高らかに宣言した。
いや、待てハンナ。今の内容は、ブルーとハンナの件ではない。
一言だって、ジュノーはハンナに物申していない。
それが証拠に、ルイード公を踏んずけた右足を後ずらせたジュノー・ヘカティ。
何故かその迫力に後ずさってしまうのは、何もハンナが最強のドラゴンスレイヤーだからではない。何だかキシャルと同じ臭いを感じたが故に、面倒くさくなってしまったのだ。
それにしても、ハンナの言い分はまったく酷い。
ブルーを夫だと言っておきながら、殉死とはなんたる言い草であろうか。
相変わらずハンナはブルーを奴隷か臣下だとでも思っているのだろう。
しかし頷くブルーは、どこまでもアホである。
「そうだ! 俺はハンナが死んだら、その肉を食うんだ!」
やはり、顔面をグーで思いっきり殴られるブルー。
先ほどの抱擁も、ハンナの瞬間湯沸かし器的な怒りには敵わなかった。
「そ、それはともかく、邪神共を殲滅して頂きまして、まったくお二方にはこのルイード公ウィル、感謝に耐えませぬ」
泥に汚れた顔を、背嚢から取り出した純白のハンカチで丁寧に拭きながら、ブルーとジュノーに、順に頭を下げるルイード公。
とりあえず、挨拶の最中に踏まれた件は、誰よりも先に水に流した。
ジュノーは引いた足元から現れた人間を再び見ると、小さく頷いた。
フレイヤに名を授けられたということが気に入らないが、だからといって確かに先ほどはやりすぎたと反省したのだろう。
首を傾げるブルーは、美しい人の姿を保ったまま、ルイード公を見た。
「ああ、おっちゃん。気にするな」
一瞬、白銀の鎧を纏った騎士に首をかしげたブルーだが、その臭いからルイード公だと判断した。そして大きく頷くと、白い歯を見せてニッコリと微笑む。
それにしてもブルーの目は節穴だろうか? その視力は人間よりもはるかに良いはずなのに、なぜ人の判別を臭いに頼るのであろう。お前は犬か? と、問いたくなる。
ところでブルーは既に服を着ている。
なんと服はハンナが持っていた。なぜハンナがブルーの服を荷物として持っていたのかは、彼女のストーカー気質によるものだから、今回は突っ込まないでおこう。
今、ブルーは黒地に銀色の刺繍が入った、まさにハンナの鎧と対になるような武闘衣を纏っていた。
「……でも、全滅させた訳じゃないぞ?」
「うむ。最も強き者共は、我等の攻撃に気が付いた瞬間にでも気配を消したのじゃろう、居所もつかめぬ」
ブルーの声にジュノーが答え、ルイード公は顔を曇らせる。
「だから我が言うたではないか。邪神は生きておる、と」
口を尖らせたロリドラゴンは、今も相変わらず可愛らしい。
父親たるジュノーは、いつになったら竜に戻るのだろうか、この子は、と思いつつ、人間になっても可愛いなぁ、などと考えていた。所詮は親馬鹿である。
「だけど、木も草も全部燃やし尽くして、土も抉って水浸しにして……この山はどこもかしこも焦土よ? これでどこに邪神アザゼルが逃げられるというのよ?」
「じゃから、言うておるじゃろう! 地図にあったデルメルの神殿の辺りで気配が消えたのじゃ!」
眉を顰めて首を傾げるハンナに、フレイヤが両手を腰にあてて言い募っている。
この場合、ドラゴンの嗅覚は絶対であり、ハンナはただ考えるのが面倒なだけだ。
もう、ブルーに会えたのだし仲直りも出来たのだ。もう、ぶっちゃけた話、メシ食って酒を飲んで寝たいハンナ・グラッツである。だから、すごぶるやる気が低下していた。
「ともかく、我は行くぞ! 邪神などに興味は無いが、ルイードの人々を我が救済するのじゃ! さすれば、我はルイードの民とさらに親しくなれるであろう!」
フレイヤは、両手を腰に当てたまま、無い胸を張って大威張りである。
だが、彼女の目算は概ね正しい。
彼女が邪神を討ったとなれば、人々は拍手喝采。一時は街の守護神とでも呼んでくれるだろう。
だが、残念ながらドラゴンも人間にとっては邪神と同等の存在なのだ。
となれば、所詮は怪獣大決戦。悪が悪を滅しただけのこと、と考える説がいずれ大勢を締めるであろう。
「だから人類は度し難い」
いずれそう考えるようになるフレイヤの、原点がここにあった。
そして、今はブルーと人間に対する認識がほぼ一緒であるサンダードラゴンは、後に大きくそれが乖離してゆく事になる。
それはやがて、人類と竜種全てを巻き込んだ巨大な世界大戦となるのだが、それはまた別のお話だ。
「むう、そうは言うてもな、フレイヤ……キシャルが早く返って来いといっておるぞ」
「父上! 我はもう子供ではないのじゃ! 一人立ちするのじゃ! 家には帰らんのじゃ!」
ビシッと娘に言われたジュノーは、自分が家出中だという事をすっかり忘れて項垂れた。
それにブルーとハンナを見ていたら少しだけ羨ましくなったし、お腹も減った。だから家に帰ろうと思ったジュノーは、既に邪神などどうでも良い。
何しろ、滅ぼそうと思えば、ジュノー一柱でもアザゼル程度は倒せるであろう。
いや、倒せるかな? わりと何とかなりそうな気がする。
ともかく倒せる可能性の高い相手にわざわざ挑むほど、竜王とは暇ではないのだ――と、少しだけ考えたジュノー。だが、もっと深く考えたら、竜王より暇な王などいない事に気が付いた。
もう、首と頭も地面につけて、ぐったりしてしまったジュノー・ヘカティは立ち直れない。
「じゃ、わし帰る。フレイヤ、くれぐれも怪我をせぬようにな」
娘に拒絶されたジュノーは、減ったお腹を抱えつつ、目に涙を溜めて帰宅する。もう、家出なんてどうでもいいのだ。キシャルに慰めてもらおう。そして、人間が齎した貢物――牛の丸焼き――でも食べよう。そう思いながら飛び去った。
何だかんだいって、風竜王夫妻の夫婦仲は円満である。
ちなみに、竜種の価値観では、竜種とはそもそもが自尊心の強い種族である。だから、例え邪神が相手でも、まさか自分の娘が負けるとは考えないジュノー・ヘカティ。もう、その時点で大誤算だった。
「あ……」
風竜王が飛びたつ様を呆然と見ていたのは、当然ながらルイード公。
何しろ竜王が味方なら、邪神にだって絶対勝てるとウキウキしていたのだ。その目算が、見事なまでに砕かれたのだから、その目には涙が溜まる。
「くっ……フレイヤさまとの結婚を認めていただきたかったのに」
違ったようだ。ルイード公も、どうやら邪神など眼中に無いらしい。
どうやってこのロリドラゴンを妻にするかで頭が一杯のようである。
「ふんっ! 父上など当てにならぬ! ハンナ! ブルーさま! 我に協力してほしいのじゃ! じゃちんを共に滅ぼすのじゃ!」
「じゃしん、です、フレイヤさま」
「そうじゃ、じゃしん、じゃ!」
相変わらず言語能力の低いフレイヤは、またしてもルイード公に訂正されている。
「私はそもそもアザゼルを倒しに行くつもりだったから……当然いくけれど」
声を掛けられたハンナは、ブルーにしな垂れかかって、もはや上の空。うっとおしそうに頷くと、渋々ブルーから離れて頬を掻く。
「俺は……ハンナが行くなら行くよ」
微笑を浮かべて頷くブルーは、またしてもその言葉でハンナの腐った心を鷲掴みだ。なんというド天然なのだろうか。
満面に笑みを浮かべたハンナが、再びブルーに抱きつき頬を寄せていた。
せっかくブルーから距離をとったハンナなのに、またまた青髪イケメン竜王にメロメロである。