何処までも行き届くルイード公
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結局ハンナとブルーはこの日、ルイード公の宮殿に泊まる事にした。
幾ら邪神を倒す事を安請け合いしたハンナでも、流石に深夜に移動するほど馬鹿ではない。
いや、もしかしたらハンナはイケメンなオジサマと、一つ屋根の下で過ごしたかっただけかも知れないが。
それよりも問題は、ブルーのお腹が減っていたこと。
ハンナも酒が抜けた以上、そろそろ飲みたくなっている。いっそ、迎え酒でもすれば良かったものを、愚かなハンナ。
それにしてもハンナは、酒があって男さえ居れば満足なのだろうか? そうだとすれば、ある意味病んでいる。なのにヤンデレにもなれないとは、つくづく運の無いハンナだ。
「よろしければハンナどのにブルーどの。今夜は我が宮殿でお休みになられては?」
ともかくそれゆえに、一人と一頭はルイード公の言葉に、快く頷いたのである。
これにより忙しなく働くハメになったのは、宮殿の使用人達に他ならない。
ルイード公ウィルは、フレイヤ・ヘカティの晩餐の後に、もう一度使用人達に、夕食の用意をさせたのだから当然である。
まったく迷惑なドラゴンと、ドラゴンスレイヤーの一行だった。
そうはいってもルイード公にしてみれば、これは街を救う為の一縷の望み。彼等を無碍に扱う事など言語道断である。
あらかたの密談が終わると、ルイード公はそそくさと貴賓用の食堂にハンナとブルーを通し、「我も腹が減った」と、騒ぐフレイヤも同席させたのだった。
今度の移動は、特に何を壊される事も無くホッとしたルイード公。
それは当然のことなのだが、ここ数日の心労からか、その程度のことでも笑顔が浮かぶ、四十二歳のロリコン公爵である。
「飲むべきか、飲まないべきか。流石に、明日いきなり邪神と戦う事になるとは思わないけれど……」
流石のハンナも、対邪神戦に備えてアルコールの摂取量を控えようかと悩んでいる。
それ程の一大事を控えても酒を飲みたいなど、ハンナは確実にアル中への道を歩んでいた。
だが、今まで邪神と戦ったことなど無いハンナ。その強さは竜王に匹敵すると言われても、竜王といえばブルーしか知らないハンナである。実感が湧くはずもない。
「ウィルさま。葡萄酒はあるかしら?」
結局、流し目でウィルを見て、艶っぽい声で酒を求めたハンナだった。
その仕草は、まるで新人キャバ嬢。
初々しいと言えばそうかも知れないが、いっそずうずうしかった。
とはいえ紳士なルイード公は嫌な顔一つ見せず、ハンナに頷く。そしてすぐに侍従に葡萄酒を用意させようとしたところで、ブルーの無駄に美しいトップテノールの声が響いた。
「ハンナ、飲みすぎだよ! やめておけよ! 今日だって、昨日飲み過ぎたって、気持悪いって言って、昼過ぎまで起きられなかったじゃないか!」
瀟洒な装飾の施された食卓を軽く叩き、隣に座るハンナを窘めるブルー。机が割れなかったのは、ブルーが本当に軽く叩いたからである。僅かながら亀裂が入ったが、その程度はばれなければ問題にならないだろう。
それにしてもブルーがハンナを窘めるなど、珍しい事もあるものだ。これでは、ハンナが立派なアルコール依存症になれない。
しかし、この感謝すべきブルーの発言に対し、ハンナは激怒した。
「ブ、ブルー! き、昨日は飲みすぎたんじゃないのよっ! 女子特有のアレなのよ! 身体が重かったのよ! アンタと違って私は大変なのっ!」
「そ、それはいけませんな。では、やはりお酒は控えられた方が」
一応、酒を飲みすぎる女が世間一般では”ドン引き”される、という事を理解しているハンナ・グラッツ。
だが、自身をあくまでルイード公には清楚に見せたいと願う、最強のドラゴンスレイヤー。
だったら最初から酒なんか飲もうとするな、と言いたいところだが、そこは彼女の理想と欲望がせめぎあった結果であろう。
もっとも彼女は常に、理想の遥か上を滑空する欲望を持っているのだが。
ともかく、色目を使う対象の前で恥をかかされたハンナは、もはやなりふり構わず自身の女性性をアピールした。
もう、二日酔いで身体が動かなかったのではなく、生理だから身体が動かなかったのだと言い張るハンナ・グラッツ。こうなってしまっては、本末転倒である。
紳士に対して、生理の日取りを教える淑女などいるものか。
だが、そこは経験豊富なロリコン公爵。ちょっとだけドキドキしながら、ハンナの身体を慮る。
「お、重たいのですかな」
「え、ええ。そうね」
「それでは、お酒も控えられたほうが」
「ひっ……そんな」
その結果、結局この日、ハンナは大好きな酒を飲めなかった。
「と、ところでブルーどのは何を食べますかな?」
腹をすかせて目を血走らせる水竜王に危険を感じて、咄嗟に話題を変える四十二歳の独身公爵。
正面に座るイケメン男子が、どうしても竜とは信じられないが、フレイヤが言うのだから、疑っても仕方が無い。
隣に目をやれば、どうやらブルーに触発されたフレイヤが、やはり再び空腹を訴えていた。
「我にも早く食事をもってきてたもれ!」
決してフレイヤは、先ほど食べた食事の事を忘れた訳ではないはずだ。
もしもこの時、フレイヤ・ヘカティが先ほど食べた食事を忘れているのなら、それはもはや竜性痴呆症として、りっぱな病と認定しよう。
「足りぬのじゃ! 先ほどの量では、全然足りぬのじゃ!」
やっぱりフレイヤは、さっきの食事では全然足りていなかったのである。
もしもブルーが現われなかったら、今夜、空腹を抱えたフレイヤはどうするつもりだったのであろうか?
やはりフレイヤの頭脳も、果てしなく残念である。
「俺は豚でも牛でもいいから丸焼き! 生でもいいぞ、自分で焼くから!」
「じゅるり! わ、我もじゃ!」
ブルーの回答に舌なめずりするフレイヤ・ヘカティ。
だったら最初から丸焼きを食え! とフレイヤに対してルイード公は思ったとか思わないとか。
――だがしかし、そんなフレイヤも可愛いな。
と、ルイード公は、舌なめずりする金髪の少女に見惚れていた。
やっぱダメな、おっさん公爵である。
例えドラゴンでも、金髪だから正義だと考えるルイード公。その思考は、果てしなく罪深い。
ともかく、使用人達にそんな内心がばれないよう、細心の注意を払ってメニューを伝えたウィルである。
しばらくすると、こんがりと焼けた二頭の子牛が運ばれてきた。
じつは、丸焼きはフレイヤの為に五頭ほど調理済みだったのだ。それを暖めなおし、持って来ただけなので、ブルーが空腹による怒りの頂点に達する事はなかった。
ハンナ用の食事は、さすが公爵程のお偉いさんが抱える料理人だ。短時間でフィレ肉をメインとした、豪勢な料理群が作られていた。
「公国の荒廃はこの料理にあり!」
とでも公爵は思ったのであろうか?
あながち間違ってはいないが、これではある意味つまらない。
暴れないブルーなど、肉じゃがの肉が無いようなものである。所詮はただのジャガイモだ。
ともかくルイード公は給仕を下がらせ、カーテンを閉じると「召し上がれ」と言った。
その様は、まるで何処かの暗黒儀式。
蜀台から照らされる蝋燭の明かりだけが揺れる中、一人とニ頭の食事は始まった。
例によってこの時ウィルは、茶を飲むだけである。
そういえばウィルは、先ほどもあまり食べていない。ダイエットでもしているのであろうか?
思えば彼は百八十センチ余りの身長で、実に引き締まった肉体をしている。
まるでライザッ〇を試した後の、某タレントの様な体型と言えるだろう。それも、ハンナがウィルを気に入ってる理由の一つだ。
もっとも、緋色のチユニックから除く部分はそう多くはない。故に、着痩せしているだけかも知れないが。
だが、もしも本当に均整の取れた身体を維持しているのなら、当然ながらこの世界にライ〇ップなどは無い。とすれば剣術やらの鍛錬によって、その体型を維持しているのだろうか?
それとも、ただ単に少女にモテたいが為に、その体型を維持し続けているのであろうか?
その真意は謎である。
ブルーとフレイヤは食卓に乗り切らない丸焼きを、切り分けずにそのまま食べる。
フレイヤの眼中には、こんがりと焼けた子牛がある。
輝く蒼い瞳は哀れな子牛に注がれて、微動だにしなかった。
ドラゴンとは、排泄を必要としない種族である。
別にフレイヤがアイドルの様に可愛いから、何も出さないという訳ではない。
決して、昭和のアイドルと同じ理由ではないのだ、皆、努々、心得違いをしないように。
あくまでも、取り入れた生物のあらゆる部位を消化し、吸収する。そしてその全てを己が力に転化出来るのだ。
それゆえ、全生命体の中で最強種たり得るのである。
だからこそ、高い魔力を持つエルフや魔族、或いは人間の魔術師などを狙い、喰らうドラゴンが後を絶たないのだ。
そしてドラゴンという種が究極的に目指し、敵としているのが神である。
この世界において神とは、主神の代理人たる三地母神と、天界より堕ち来る五邪神なのだが、かつて最強と呼ばれた竜王達は、三地母神を破り、天界にまで攻め上ったと言われている。
その結果は、いうまでも無くドラゴン達の敗北に終わった。
だが、その事により五柱の属神が、「主神とて絶対ではない」と気付き、堕天したのである。
それが、五邪神と呼ばれる存在だ。
さて、つまらないモノローグはこの位にしよう。
ハンナがフィレ肉を切り分けている間に、ブルーの前に置かれた牛の足が無くなる。
ウィルが茶を啜る間に、フレイヤの前にある牛の頭が消える。
ドラゴンの二人は、床の盆に横になった子牛を、その小さな口を高速で回転させ、食べていた。
恐らく竜形態になれば一呑みに出来るのだろうが、そんな事にも気が付かない竜達。
もはやドラゴンとバカは紙一重ですらない、そのものである。
挙句の果てに、骨も残さないドラゴンの二人組は、ハンナが1枚のステーキを食べ終わるよりも早く食事を終えていた。
「あー旨かった! でも、もうちょっと食えるなー。はは、ハンナも食べちゃうぞー!」
こんな日に限って、ブルーの冗談が冴え渡る。
はっとして、口元のソースをナプキンで拭うハンナ。
彼女はそっと視線を落として、艶っぽい声を出す。
「ば、馬鹿、ブルー。ここにはルイード公もいるのよ。恥ずかしいじゃない」
「えっ! わ、分かった。二人きりになったらなっ! やった! ハンナの何処を食べよう! やっぱり胸だな、胸! 柔らかいし、絶対旨いぞ!」
「も、もうっ、ブルーったら」
噛み合わない二人の会話である。
ブルーは、本当にハンナを食べる気だ。
ブルーは、ハンナのことだから、手や足なんかは生えてくると思っている。
事実、ハンナは最高級の回復薬を持っているし、実は神官の資格さえあるのだ。上級回復魔法はおろか死者蘇生、果ては魂再生までも使いこなす。
つまりブルーは、多少かじっても、ハンナに限っては問題ないと思っているのだ。
事実、数年前ブルーが瀕死の重傷を負った時、ハンナは左腕を斬ってブルーに投げて寄越した。
「食べて回復しなさい」
確かに、ハンナはそう言った事があったのだ。
ちなみにハンナの左腕のお陰で、ブルーの身長が十五センチ伸びた。それ程ハンナは、巨大な魔力をもっている。
というより、ハンナの腕を食べていなければ、ブルーは殆ど成長していないのかもしれない。
「ブ、ブルー! あのドラゴンスレイヤーを食べるのか? いかんぞ! 断じてならん!」
「大丈夫、ハンナは死なない! それに旨い!」
「そ、そうか? ならば我にも一口……!」
「うーん。ハンナがいいって言えばいいぞ?」
「いい訳ないでしょ!」
徐に席を立ったハンナは、ブルーを殴り倒し、フレイヤを蹴飛ばした。
「ふおぉぉ?」
驚いたのは、フレイヤ・ヘカティ。
フレイヤも、当然ながらブルー側の思考をする。ゆえに、一旦はハンナの身を心配したのだが、結局食べたくなってしまい、本末転倒。ついにはハンナに足蹴にされた。
だが、これで混乱したのはルイード公ウィルである。
ルイード公は、ゴスロリ少女を容赦なく蹴りつける黒髪のドラゴンスレイヤーを、恐る恐る見た。
氷の様な笑みを浮かべて神速の蹴りを放つ様は、鬼神の様である。
やはり「絶対無敵、冷酷非道、最強最悪のドラゴンスレイヤー」との噂は、真実だったのであろう。
だが、そんなハンナが、イケメンのブルーどのに食べられちゃう――だと?
なんと、うらやまけしからん!
――い、一体、ハンナどのとブルーどのは、どのようなプレーをするのであろうか?
闇雲に胸を躍らせる、四十二歳の変態公爵である。
――いやまて、ハンナどのは今日、月のものではないのか? それでも出来るプレーとは?
どこまでも暴走する変態公爵は、蹴り続けるハンナと、蹴られ続けるフレイヤの間に割ってはいる。
「その程度でお止め下され、ハンナどのっ……はうぁっ!」
勢い余って、ルイード公の股間にハンナの足がめり込んだ。
瞬間、その痛気持ちよさに昇天しそうになったルイード公ウィルは、どちらかと言えばMである。
◆◆
ルイード公とフレイヤにとって、本日二度目の夕食が終わると、ハンナとブルーは一つの部屋に案内されて、就寝、という流れになった。
ルイード公のささやかなサービスとしては、巨大な寝台を備えた部屋をハンナとブルーに与えた事だろう。
さらに、この時代には珍しく、水洗の便器を隣室に備えた部屋でもある。
さらにさらに、プレー後の事も考えて、使用人を呼べば、いつでもバスタブを持って来させましょう、とハンナに約束するあたり、何処までも出来る男、ルイード公ウィルだった。
もちろん、これらを用意した理由は、類稀なるルイード公の妄想力による。
あれやらこれやら、妖しくも羨ましいプレーを妄想した結果、必要であろう、と彼が断じたのだ。
部屋で二人きりになるなり、ハンナに襲い掛かるブルー。
「あんっ!」
嬌声を上げるハンナは、酒では無く自分に酔っていた。
ルイード公の前で地を出してフレイヤを蹴りまくった事など、問題ではない。
今は、世界一とも言えるイケメンなブルーが、自分に襲い掛かってきているのだ。ハンナ程のビッチが、自分に酔わない筈が無い。
無造作にハンナの服を脱がし、胸にかじりつくブルー。
だが、いよいよここで、ハンナの表情が一変した。
ついにハンナとブルーの見解の不一致が、露見したのである。
「痛いじゃない、ブルー! 何してんのよ!?」
「え? 食べていいっていうから?」
「あんたねぇ! ホントに私を食べようとしたのっ?」
「だって、ハンナだし……胸なんかまた生えてくるだろ?」
「生えないわよ! 食べるって、別の意味よっ!」
ブルーの顔面を強かに殴ったハンナは、自身の胸についたブルーの歯形を見つめ、溜息をつく。
ブルーは即頭部を殴られたのだが、それが少し気持ちよかった。
これも、或いは一つのプレーである。
しかしこのプレーばかりは、流石のルイード公も考えなかっただろう。
だが、不意に部屋を見渡した先に、一本の鞭をハンナは見つけた。
ルイード公は、このようなプレーも考慮に入れていたのかもしれない。
さすがである。