邪神の胎動とハンナの暴走
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ルイード公ウィル(改名済)に先導されて、ブルーとハンナは宮殿の中に足を踏み入れた。
宮殿といっても、流石に王宮ほどの規模ではない。だが、そもそも旅の宿とハンナの自宅しかしらないブルーにしてみれば、実に広々としたその内部に、ただ目を輝かせることしか出来なかった。
「なあなあ、なんだこれは?」
裸の石造を指差し、股間の部分を抓んで割ったブルー。
いきなりささやかな破壊をもたらして、ウィルの顔を青ざめさせる。
「ブ、ブルーどの。それは稀代の名工の手による、王国の英雄ジャスティン大王の像ですぞ……なんということを……」
「へぇ。ごめん、王国の英雄のちん〇、とっちゃった」
「で、ですから、あまり触らないでください。幸い、その程度であれば修復も可能でしょう」
ブルーは頷きつつ、左右を見渡す。あまり申し訳ないとは感じていないようで、その表情は明るかった。壁には色鮮やかなタペストリーが飾られていて、そのどれもがブルーにとっては物珍しい。
床の大理石は嫌味を感じない程度に濁っているが、手入れはしっかりと行き届いているのだろう、確かな輝きを放っていた。
「ウィル。腕がとれたのじゃ」
英雄王ジャスティンと対になっているアステル像の腕を、フレイヤがぶんぶんと振り回していた。
ドラゴンとは、基本的に手加減の仕方をわかっていない。だから、石像を壊すなど朝飯前なのである。
「おお……なん……ですと? フレイヤさままで」
肩をがっくりと落とし、すでに蒼白になっていたルイード公ウィルの顔面は、もはやミイラのように干乾びた。
一階の大広間を抜けると、左右に向かう廊下に出た。
ウィルはわき目もふらず左へ向かう。
この上は一刻も早く、何も無い空間へ竜達を誘わなければならない。そうでなければ、あらゆるモノが壊されるかもしれないのだ。
ちなみに、ジャスティン像とアステル像の値段を合わせると、小さな村なら丸ごと買える程になる。
「戦利品だ、フレイヤ!」
「ふおおお! って、なんじゃこれは! こんなもの、我はいらぬぞ!」
ブルーは手に持っていた英雄ジャスティンのアレを、フレイヤに手渡した。
手に持っているのが煩わしくなったというのが本当の理由だが、もう一つ、理由があった。
「女性はね、プレゼントを貰うと喜ぶものなの」
いつぞや、そう語ったハンナの言葉が、ブルーの脳裏で反芻していたのだ。
特に今回は「お近づきの印」という意味合いもある。ならば、この戦利品はフレイヤに渡そう、とブルーは考えたのだった。
だが、フレイヤにとってもブルーのプレゼントは迷惑極まるモノに過ぎない。
いや、それはそうだろう。
いくら人間の英雄の一部とはいえ、その部分は所詮おち〇ちん。そんなものを渡されても困るだけである。
結果、投げ捨てられた英雄のアレは天井に当たり、最終的にウィルの頭に落下した。
「も、申し訳ありません、ご先祖さま……」
ちなみにルイード公爵家とは、このジャスティンの子供が興した家である。
「なあ、この腕はどうすれば良いとおもう? ブルー、良い意見があれば、聞かせてたもれ」
アステル像の左手を右手に持って、首を傾げるフレイヤ・ヘカティ。石像の左手は、なんと豪華な盾を持っていた。
つまりアステルは女騎士。
長剣と盾を持ち、薄布一枚を纏った姿で、広間の一角を守護するように立っていたのだ。
一方のジャスティンは、裸で両手斧を構えていたのだが、その体躯は実に堂々としたものだった。
「んん。とりあえず、その盾でジャスティンってヤツの割れた部分を隠したら?」
「ふぉぉ! 名案じゃ! この盾ならば、しっかりと隠せるの! ブルー、お主は頭がよいのう!」
「ハハハ! まあな!」
ブルーの言葉に目を輝かせて頷いたフレイヤは、急いで廊下を戻ってゆく。
きちんとジャスティンの股の間からアステルの腕を生やし、盾で股間を覆い隠して再び戻ったフレイヤ・ヘカティ。その表情は達成感に満ちていた。
ちなみにジャスティン大王とは、かつて七人のパーティーを組んで、五邪神が一柱であるアザゼルに挑み、打ち倒した猛者である。
そして自分以外の六人は、全員が女性だったというハーレム大王でもあった。
つまりルイード公爵家というのは、ジャスティン大王と、そのパーティーメンバーの一人であった騎士アステルの間に出来た子供が建てた家なのだ。
ゆえに、公爵家は六つある、というわけだ。
当時、ジャスティン大王はパーティーメンバー全員が男子を産むまで頑張ったというのだから、ある意味では恐れ入る。
また、それぞれの公爵家に伝わるジャスティン像は、みな裸。その理由は、察しの良い諸兄ならば分かって頂けることと思うので、ここでは割愛させてもらおう。
ちなみにジャスティン大王には、パーティーメンバーの他に正妻がいた。その子孫たちこそが、現王家の者達である。
それと余談ではあるが、ジャスティン大王は生前、口癖の様に言っていた事があるそうだ。
「俺つえー! やっぱ異世界転生したら、チートハーレムっしょ!」
だったという。
英雄というものは、いつの時代も理解し難いものなのだろう。
彼が生きた時代から四百年を経た現在でさえ、その言動に関して研究者は、最良と言える答えを見出せていない。
◆◆
さて、散々先祖を冒涜されたルイード公が案内した先は、長い廊下をいくつか曲がり、重い鉄の扉を潜り抜け、さらに階段を下りた場所だった。
一階の豪華な宮殿の姿とはうって変わり、じめっとした空気の漂う陰湿な空間に、ルイード公はドラゴン及びドラゴンスレイヤーを案内したのである。
ブルーの眼前には、重厚な赤褐色の扉がある。金属製で両開きだ。しかも、仮にブルーが全力で押しても、その扉は開きそうにない。
いや、それは決して引く扉だから、という意味ではない。ブルーといえども、流石にその程度の事は気付くだろう。気付くといいな。
ブルーでも開けれない理由は、魔法による鍵が掛けられているからだった。
扉の左右には、薄暗い炎を湛えた蜀台が置かれていて、各人の影を、背にした階段の方へと延ばしている。
「大いなる闇、隠されし真実を暴くときは今。我の声に答え、扉を開けたまえ……開錠」
あまり広くない陰湿な空間に、ウィルの燻し銀な低音ヴォイスが響いた。
四方が石壁や鉄扉で囲まれている為、素敵な残響音が生まれる。これは、まるでお風呂のようだった。
その声に、ハンナ・グラッツがほんの少しキュンとしたのは内緒である。
「おじさまも、良いかも」
と、内心で思うハンナ・グラッツは、いよいよビッチの仲間入りを果たしそうだ。
二日酔いが収まりつつあると思ったら、今度は男に狂い始めた。これが世界最強のドラゴンスレイヤーの正体なのだから、世も末であろう。
それにしても、喪女でありながらビッチ属性まで得るとは、ハンナもある意味廃スペックだ。
ともかく、ルイード公ウィルの声音によって重厚な扉が開かれた。
その扉の内部は、陰湿な雰囲気など微塵も漂わない、宮殿一階部分と同様の、瀟洒な部屋である。
ルイード公は部屋の中央に歩みを進めると、各人に円卓を前に座るよう促した。
「これは、かつてアザゼルの脅威に晒された際の名残です」
微笑を浮かべて説明するウィルは、実年齢よりも老けて見える。
それは紛れも無くブルーとフレイヤが齎した心労のせいなのだが、そんな事に考えが及ぶはずもない、ふざけたドラゴン二人組み。
きょろきょろと辺りを見渡すと、煉瓦状の石壁を叩いて叩いて叩きまくるブルーと、何故か人化したまま炎を壁に吐きかけるフレイヤ。
ウィルの心労は溜まる一方であった。
もしも明日ウィルが死ぬとしたら、きっとそれは心筋梗塞で、紛れも無くブルーとフレイヤのせいだろう。
だがしかし、席について額に手を当てるウィルに、そっと手を差し伸べた美女がいる。
それは当然ハンナ・グラッツ。
ルイード公は四十歳を超えていながら、その顔立ちは端整。
若い頃など、王国一とも言われた美男子だったのだ。だからその残照は、未だ色あせない。
「ドラゴンなんて、あんなものなのよ。暫くすれば落ち着くわ」
肩に手を置かれたので、振り返ったウィル。その目には、切れ長の目を持つ黒髪の美女が映った。
――ああ、最強のドラゴンスレイヤーであるハンナ・グラッツは、魔神の如く恐ろしいと聞いていたが、どうして、心優しい乙女ではないか――
ドラゴンによる棒弱無人に、心が壊れつつあったルイード公は、ハンナの策略にはまった。
ハンナは、ただ単にモテてみたかっただけである。
優しくすれば、男がグラッとくるんじゃないかと思っただけのこと。
しかし、ルイード公の顔立ちは、わりとハンナの好みでもあったので、闇雲に揺れるハンナの乙女心。
「ブルー、いつまでもフレイヤなんかと仲良くしているなら、私だってずっと側にいるわけじゃないのよ!」
ハンナの内心で暴走する乙女心は、もはや止まらない。
ブルーにとってハンナがいなくなる事は、むしろ好ましいことなのだとは、思いもよらないハンナである。
二日酔いが治ったと思えば、今度は自分に酔っていた。
「おほんっ! よろしいか、皆様!」
ハンナの計算された優しさにより、ようやく己を取り戻したウィルが、一つ咳払いをすると皆に声をかけた。
いくら殴っても穴が開かない壁に、首を傾げるブルーが振り向く。
いくら炎を吹きかけても焦げない壁を、興味津々に見つめるフレイヤも振り向く。
ハンナは既に、円卓を前に座っていた。当然、ウィルに好印象を持ってもらおう、という汚い算段もある。
もっとも、ハンナの第一志望はブルー。イケメンで若いは、例え中身がドラゴンだとしても、ビッチな喪女にとって絶対の正義たり得る。となればウィルはあくまでも第二志望であり、しいていうなら当て馬だ。
こうなると、どこまでも報われないウィルである。四十二歳、報われない独身男に明日はあるのだろうか?
「まず、わが街を襲った長雨と、それによる洪水ですが――それがフレイヤさまの仕業ではない、と私は断言いたします」
ブルーとフレイヤが着席したのを見計らうと、ウィルは高らかに言った。
やはり社会的地位のある男は、たとえ独身でも威厳がある。威厳さえあれば、四十二歳でも未来は案外明るいかもしれない。
「それは理解したわ。けれど、どうしてこんな地下室に私たちをつれてきたの?」
ハンナの声が艶っぽい。
むしろハンナは、これに類するセリフを言ってみたかっただけという恐れもあるが、ウィルは丁寧に答えた。
「それは、ブルーどのもドラゴンである、という秘事が外部に漏れぬ為でございます。
ここは魔法障壁の張り巡らされた部屋。であれば、外敵からの攻撃はもとより、あらゆる音も遮断します」
「ん? 俺は別にかくしてないぞ?」
「かくしなさい、アンタは……はっ、私ったら」
ブルーのあまりな発言に、思わず地が出るハンナ。
急いで取り繕うハンナの姿は、もはや滑稽だ。
「でも、フレイヤがやったのではないのなら、長雨や洪水は偶然なの?」
「そうとしか、考えようがありませぬが……」
「だけど、こんな時機に長雨が降るなんてありえるの? ねえ、ウィ、ウィルさま」
こっそりと”さま”を付けて自身をアピールするハンナ。しかし彼女は、ちらりとブルーを見つめた。
――さあ、嫉妬しろ、今、嫉妬しろ、馬鹿ブルー――
そう思っている事がみえみえのハンナである。
「うむ。そう言われてしまえば、今まではありえないことでしたが」
腕を組み唸るウィルは、ハンナの想いなどまるで気にする風でもない。
それもそのはず、ウィルはどちらかと言えばゴスロリ趣味のロリコンで、金髪が正義だと思っている。
とすればハンナの美貌も、黒髪の時点で空振りだった。
「そういえば、ええと、あ、あざるる? あざむる? 人の呼び名はわからぬが、邪神の胎動を感じるぞ」
「ああ、邪神なのかぁ。なんか匂うよな! 臭いっていうか、鼻が痛いよ!」
その時、ドラゴン二人(二頭或いは二匹)がとんでもない事を言い始めた。
邪神の復活を感知していると言うのだ。しかも、事も無げに臭いとか、胎動とか言っている。人間にとってこれは、抜き差しならない事態が迫っている事を意味しているにも関わらず、だ。
「なっ……! 五邪神の一柱、アザゼル……ですかフレイヤさま」
「おう、そうじゃ、それじゃ」
もはやルイード公の顔色は、蒼白を通り越したミイラ化をも超えて、風化しそうだった。
アザゼルは、かつてジャスティン大王が倒し、マール山に封印した。
封印の地の上には地母神の神殿を建立し、神官達に封印を委ねたのだから、邪神が復活するはずなどない。
ルイードの街の皆が、そう考えていた。
だが、マール山はルイードの街から程近くにあるのだ。
もしも封印が弱まっているのなら、長雨や洪水など、アザゼルならば容易くやってのけるだろう。
三地母神、四竜王、五邪神、七英雄。
これらの俗称は、それぞれの力が拮抗していることを現している。
かつてアザゼルを封印したのは七英雄に数えられるジャスティンだった。だが、一人でアザゼルを打ち倒す力がなかったが故に、六人の女性達を従えて戦ったのだ。
だが今、ここに英雄はいない。
ルイード公は、円卓に肘をつき、頭を抱えた。
不意に、ハンナ・グラッツが視界に入る。
――いや、七英雄たりえる者が、ここにいた――
そう、ハンナ・グラッツならば、確かに七英雄たりえる資格が十分にある。
しかし、その前にブルーは四竜王が一柱なのだ。
そこに気付かないウィルは、ハンナの手をとり、ただひたすらに頭を下げていた。
「お願いです。アザゼルを、アザゼルを何とかして頂けませぬか!」
四十過ぎとは言え、イケメンに手を握られてお願いされたのだから、ハンナの心は昂ぶらずにはいられない。
「ま、まかせて」
頬を朱色に染めて、色ボケしたドラゴンスレイヤーは、しっかりと首を縦にふっていた。