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瞳刻のスティグマ  作者: 疎井晴加
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瞳刻

 ――――――16――――――


 鷲見寺久美(すみでら くみ)風馬響介(かざま きょうすけ)との説得後、善は急げということで篠崎一真(しのざき かずま)達三人は『竜騎士団(ドラグナー)』本部へと向かう。

 だがしかし、三人は今更ながらはっと思う。

 その『竜騎士団(ドラグナー)』の本部がどこにあるかが、わからない。

 三人はほぼ同時にそのことに行き付き、響介は我先にと一真に質問した。

「なあ、どこに行きゃあいいんだ?」

 当然、一真には答えられない。

 昨日、聞いていた情報によると、今動けるメンバーは九人しかいないらしい。そこに愛衣紗や真弓が加われていたかは知らないが、どのみち一真が知っている『竜騎士団(ドラグナー)』の団員は立華愛衣紗(たちばな あいさ)飛騨真弓(ひだ まゆみ)幕ノ内綾鷹(まくのうち あやたか)の三人だけだ。

 入団するには、この三人を見つけなくてはならない。

 無闇に探しても見つかるわけがない。探す人数は絞った方がいい。愛衣紗と真弓は学年がひとつ上のため、エンカウントに期待はできないだろう。同じ学年の幕ノ内ならばまだ探しやすいだろう。

「飛騨ぁ……? 幕ノ内ぃ……?」

 そのことを二人に伝えると、響介はあからさまに不機嫌な表情で眉間に(しわ)が寄った。いっそ清々しい程の貴族関係者嫌いである。

「まあまあ落ち着きなさい、風馬君」

 久美が(なだ)める。これからやっていけるのか、途端に不安になってくる。

「さて、幕ノ内の魔法学クラスがわからないから手当たり次第当たってみるしかないな」

 一真が仕切ってようやく行動に移る。

 幕ノ内綾鷹。腐っても四大貴族の『立華』に仕えている家系の人間だ。Aクラスの名簿にその名前を簡単に発見することができた。

 だが、その幕ノ内本人は既に教室を後にしていた。

 幕ノ内が不在の今、愛衣紗と真弓も不在の可能性が高い。

 あれ、万事休す?

 もう教室にいないとなると、策は尽きた。我ながら浅知恵しか浮かばないところがFクラスらしいと心の中で納得する。

「どうすんだ? 一真」

 恐らく何も考えていない響介が聞く。自ら協力すると言っておきながら他力本願過ぎると思う。

 今日は諦めて明日また(うかが)うこともできるが、一真はあまりそうしたくはなかった。決意が揺れることはないだろうが、一日でも早いにこしたことはない。今日を諦めるのは、今日が終わってからでもいい。

 次の策、次の策……と呟きながら廊下を歩く。もう人海戦術で片っ端から空き教室を調べ上げることしか思い浮かばない。もっと考えれば色々思い付きそうなものなのだが。

 考え事をしていると、一真は視野が極端に狭くなる。前方から近づいてくる生徒のことすら見えていない。そのままぼすん、と軽く衝突してしまった。

「あ、ご、ごめん。よく前見てなくて……あれ」

「こちらこそ……あ、篠崎君?」

 デジャヴ。ぶつかったのは佐久間のえる(さくま のえる)だった。のえるの身長は低く、ギリギリ百六十センチ未満の一真の頭一個分くらいだ。のえるの頭部が軽く鳩尾(みぞおち)に喰らっていたので、息が漏れる。長く癖のある青みのかかった黒髪を整えつつ、のえるは一真に「あの……」と申し訳なさそうに話しかけた。

「どうした?」

「一昨日のことなんだけど……助けてくれて、ありがとう」

 一瞬、何のことがかわからなかったが、すぐにあっ、と思い付いた。実技試験の合間にあった保健室での出来事だろう。だが、それは間違いだ。あれは助けたくて首を突っ込んだわけではない。あれは事故だ。

 それを懇切丁寧に説明する。誤解は受けたくない。それがたとえ、自分にとって都合の良い誤解でも。

 だが、それでものえるは笑顔のまま一真の言葉を受け取った。

「それでもいいんだ。僕は実際に篠崎君のおかげで助かったんだから」

 もじもじと両手の指の間を交差させ、顔を紅潮させながら言い出した。元から女顔ののえるの笑顔は本物の女の子に見え出してくる。一真の後ろから響介が腕で目をガシガシとしている。なるほど、響介もその錯覚が見えているのだろう。

「あははは……。そっか……」

 クラス内でもおろおろとし、いつもひとりでいた。そんな彼の表情は『無』に近かった。当然、笑顔など一度も見たことなどない。

 結果的とは言え、そんなつもりがなかったとは言え、のえるを救うことが出来たのだ。

 『竜騎士団(ドラグナー)』に入団しても、愛衣紗の笑顔を取り戻すことに自信があるとは言えない。

 だけど、自信はついた。見えない何かを、この手で確かに掴めた気がした。

「篠崎君。よかったら僕と……お友達になってくれないかな?」

 にこりと微笑み、もじもじと小さな右手を差し出した。

 (え、可愛いなにこの子)

 本当にそれこそ魔法に掛けられたの如くのえるの事が女の子に見え出してきた。

「あ、もちろん風馬君も。鷲見寺さんも」

 振り返ると、響介も久美も目を点にしている。なるほど、二人も魔法に掛けられてしまったようだ。

「あ、ああ……! もちろん。友達になろう」

 のえるが差し出した右手を、一真は両手で握り返した。

「えへへ……。嬉しいな……初めてのお友達……」

「は、初めて……!?」

 今まで友達がいなかったのかと考えると涙が出てきそうになるが、そういえば一真も後ろの二人を除けば友達がいなかった。

「あ、急がなきゃだった! ご、ごめんね。僕、行かなくちゃ」

「あ、そうなんだ……。急ぐって、どこか行くの?」

 もう少し話したくてつい引き留めてしまった。

「わからないと思うけど、昨日『竜騎士団(ドラグナー)』っていう自警団に入ってね。その仕事があるんだ」

「え!? ド、『竜騎士団(ドラグナー)』!?」

 思いがけない人から一真達の目的であるその単語を聞き、三人は驚愕した。

「知ってるの?」

 小首を傾げる。何故いちいち仕草が可愛いのだろう。

「知ってるも何も俺達はその団員を探してたんだよ」

「あ、じゃあ丁度よかったね。僕、今から本部の特別事務室に向かうところだったんだ。一緒に行こっか」

 胸の辺りで小さく両手を合わせた。

 まさかのえるが『竜騎士団(ドラグナー)』に入団しているなんて思いもしなかった。どう考えてもそんなタイプではない。

 怪訝な表情をしていた一真を見て察したからか、のえるは人差し指を(くちびる)に当て、ふふっと微笑む。

「入団した理由は、秘密だよ」

 本当に女の子じゃないのかな、と三人は本気で思った。 




 ――――――17――――――



 のえるの協力のおかげで、一真達三人は『竜騎士団(ドラグナー)』の本部、特別事務室にようやく辿り着いた。

 長かったな、と感慨しく思う。目の前にはその目的である扉がある。その扉がとても重く、デカく見える。

 ごくりと息を呑む。

 動悸が早くなる。

 わかる。これは緊張だ。

 冷や汗が頬を伝い、廊下にぽたりと滴った。

「よ、よし……」

 ドアノブを掴む。あとは捻って押すだけだ。

 (捻って押すだけ……捻って押すだけ……捻って押すだけ)

 念じているが、行動に移っていない。

 久美は苦笑し、響介は脳天気にははっと笑い出す。

 途端にドアノブを掴んだまま硬直している一真の手を覆い被しだした。うぇえ!? と手が伸びている方を見ると、のえるが微笑んでいた。

「先に行くね」

 覆われている手が捻られる。そして、押される。

 (え、これって二人の初めての共同作業なんじゃ……)

 開かれる扉。そこに緊張がなくなっていることに気付く。

 ほんの一瞬だが、一真の手を覆ったのえるの手の平の温もりが緊張を和らいだ。

「失礼します」

 先に入室するのえるに続き、一真の右足が『竜騎士団(ドラグナー)』本部の床を踏む。昨日愛衣紗の結界の中に入ったかのような違和感が爪先から頭の天辺にまで生じる。だが、実際には結界など張っていない。

「……か、一真君……!?」

 中央にある机に座っている愛衣紗が目を見開き、驚愕している。

 本部の深刻な雰囲気が空気を重くしている。それがたった今入室した一真にも肌に感じた。

 周りには他の団員がおり、そのほぼ全員が一真に視線を集中している。

 拭えた緊張が一気にぶり返ってくる。

 今度は膝が笑い出す。それを誤魔化すように奥歯を食い縛り、歩みを再開させる。

 真っ直ぐ。安定した足取りで目的先へと向かう。

 その目的先は、愛衣紗だ。

 目の前で立ち止まり、一真に向けられた愛衣紗の瞳は決して離さない。

 何から話すべきか、一瞬悩んだ。

 すぐに思い返す。

 自分が出した結論から伝えた方がわかりやすい。

「おい篠崎。どういうつもりだ」

 敵意の混じった声が真横から浴びせられるが、一真は一瞥すらしない。

 未だに入室すらしていない響介と久美はやれやれと微笑んでいる。

 一真自身、意識してなどいないが、発した声はその空間の届かない場所などないくらいの声量だった。

「『竜騎士団(ドラグナー)』に入団させてください」

 静寂が訪れた。

 誰一人言葉を発しない。交わさない。

 愛衣紗の体は固まっているが、瞳は揺れている。

 幕ノ内も口をあんぐりと開け、やがて歯噛みし、握る拳が強くなっている。

「……篠崎……。お前なにを言っているのかわかっているのか?」

 幕ノ内が静寂を切り裂いた。

 怒りを隠しているようにしているが、口調にはそれが反映されている。

「俺は本気だよ」

 幕ノ内の目を見て言う。一真にはそんなつもりはないが、睨んでいるように取られるような眼力だった。

「今言ったことは本気だ。だから、入団させてくれ」

 隠そうとしていた幕ノ内の怒りが表に出る。

「急に現れて……勝手なこと言うんじゃない。お前みたいな落ちこぼれに……ましてや呪われた一族の末裔に務まるわけがない‼」

 一真の表情がぴくりと反応する。その直後に響介が動き、幕ノ内の胸倉を掴みだす。

 ぎりぎりと歯噛みし、言いたいことは必ずあるだろう。だが、なにも言わない。ここで手を出すわけにはいかないというのは理解している。脊髄(せきずい)反射で生きている響介がここで止めることが出来たのは素直に褒められる。

「放せ、響介」

 響介の肩にぽんと手を置き、静かに言う。舌を打ち、掴んだ胸倉を強引に突き放す。

「立華先輩……。突然こんなことを言い出して、信じられないのはわかっています。でも俺達の決意は固い。必ず役に立って見せる」

 急に名前を言われ、愛衣紗の伏せていた顔が上がる。戸惑いを隠さず、とりあえず言う感じで言葉を紡いだ。

「あ、それでも……入団試験があって、それに合格してからじゃなきゃ……」

 ちらりとのえるの方を見るとこくりと頷いた。

「じゃあ今すぐ試験を」

 急かすと、幕ノ内が割り込む。

「ならば、僕が試験監督します。いいですか、副団長」

「え、ええ……」

 思わず、愛衣紗は幕ノ内の意見に肯定した。にやりと笑うわけでもなく、ぎらっとした眼光が一真を刺すように見る。

 幕ノ内がなにかを企んでいるのには気付いている。だが、ここで否定は出来ない。否定してしまったら、そもそも入団などさせてくれない。こちらが不利でも、乗るしかない。挑戦者(チャレンジャー)に選択の余地はないのだ。

「篠崎、来い。そうだな……。お前がひとり合格すれば風馬と鷲見寺の二人も入団させてやる」

 かなりの上からの物言い。仕方がないのはわかるが、若干イラッときてしまう。

 そして、幕ノ内は考える素振りもなく、試験内容を通告した。

「僕と戦え。僕に勝てば、入団を認めてやる」




 ――――――18――――――



「一騎打ちのルールを説明する。魔法をただ撃ち合ったところで、そんなものは殴り合いと同じだ」

 明日葉学園の地下には『竜騎士団(ドラグナー)』専用の訓練室が存在した。そこは縦二十メートル横百メートル程度の広さで、幕ノ内の声が反響する。移動中にもこの訓練室の説明を受けていた。

 この明日葉学園は、元は国を代表する城だったらしく、その名残が其処彼処(そこかしこ)にある。そのひとつがこの地下空間だ。

 その地下空間の壁や床、天井には特殊な術式が組み込まれており、魔法でのダメージは一切受け付けない。幕ノ内の魔法がどんなものかはわからないが、わざわざこんな所を選んだ。手加減は無用だということらしい。

「こいつを付けろ。魔力を込めるんだ」

 そう言うと、バッジのようなものを投げられ、それを受け取る。言われた通りに魔力を込めると、突起部分からぷくーっとゴム状のバルーンが膨らみ始めた。バルーンは浮き、移動をしても一真から一メートルも離れず、着いてくる。

「魔道具?」

「ああ。まぁこんなちゃちな魔道具ならどこにでも売っている」

 魔道具――――――。その名の通り、魔力が込められた道具である。

 この明日葉学園には元々魔力量が他の魔導士と比べて少ない者も少なくない。その者は魔道具で少ない魔力量を補っている場合が多い。勿論それにも多彩な種類がある。元々魔力が込められてある魔道具に限り、スフィアが存在している。今回幕ノ内から渡されたバルーンの魔道具は所有者の魔力を込めるタイプだ。

 一真はバルーンをその手に持ち、ルールを推測する。

「大体わかった。先に相手の風船を割った方の勝ち、でいいのか?」

「ああ。シンプルでいいだろ?」

 そう言いながら幕ノ内はバルーンを膨らませる。

 勝負が、始まる。

 訓練室の扉の前には響介、久美、愛衣紗、真弓、のえるが並んでいる。それぞれがそれぞれの表情で一真を見ている。

「で、でも僕の時は筆記試験と軽い面接だけだったのに……」

 のえるが呟く。ボソッとした声でもその空間に反響する。幕ノ内の耳にも入る。

「君の時とは状況が違う。それもこの男の言葉は信じるに値しないどころか、実力だって無い。正直、何故このような男がこの学園にいるのか……」

 幕ノ内が一言一言紡ぐ度に響介の表情が豹変していく。このままにしていると「俺が戦う‼」とか言い出しそうで怖くなる。

「いいよ。始めよう」

 少し急かすように言った。

「ああ」

 準備は整った。

「それでは、始めます」

 真弓が手を上げ、ホイッスルを構える。

「あ……」

 愛衣紗が一真に控えめに手を伸ばす。二十メートル以上離れているため、届くはずがない。

「なんでこんなことに……」

 ぎりっと歯噛みし、顔を伏せた。

 ピ――――――‼ と乾いたホイッスルの音が訓練室に響いた。

「スペルコード――――――『造形(クレイフェアラ)』」

 幕ノ内が呟く。次の瞬間、全身から右手に電気に類似した魔力がバチバチと視覚化する程に集束されていく。青白い電気は棒状に伸びてゆく。

 見たことのある形。というか、一真はつい最近それを自分で作り出し、武器として使用した。

 ババババババババ‼ と(まばゆ)いノッキングするような光電と微粒子が訓練室に広がる。そして光電と微粒子は次第に凝縮され、ぐっと強く握れるほどの質量に生まれ変わる。

 バリッ‼ と光電が弾ける。

 幕ノ内の右手には二メートル程の長さの槍が握られていた。槍の先にある尖った刃に一真自身が映る。刃の根本の両側に設けられた突起は、まるで蝙蝠(こうもり)の翼のような形状をしていた。

「『造形(クレイフェアラ)』!? そんな高等魔法をここで使ってくるなんて……‼」

 久美が慌てふためくが、幕ノ内は冷たく言い放つ。

「これは試験だ。手加減など無用だろ」

 『造形(クレイフェアラ)』。自身の魔力を素粒子化し、それを造形、構築させることにより、自分専用の武器を瞬時に作り出すことができる。

 だが、その魔力コントロールは単純に『火炎(フラム)』を放つのとはレベルが段違いに違う。失敗すれば最悪魔力が暴走し、一気に体内の魔力を空っけつになるまで持っていかれてしまうことがある。

 一真の額から大粒の汗が頬を伝い、顎から落ちる。

 両手で槍の柄を握り、ギラリと三つの刃を一真に向け、構える。

 戦いはもう始まっている――――――。

「スペルコード――――――『造形(クレイフェアラ)』‼」

「スペルコード――――――『加速(アクセラレーション)』」

 一真、幕ノ内の声が(かぶ)る。

 一真の全身から素粒子化した魔力が溢れ出し、目の前に両刃のブロンズ製の剣が顕現し、それを掴み取る。

 それとほぼ同時、一真の左真横に幕ノ内は現れた。

「……ッ!?」

 突くように迫る槍の刃の間にブロンズソードを入れ、顔すれすれで槍の勢いが死に、頬を軽く掠めただけで留まった。

「それで止め切ったつもりなのか?」

 ぞくっと背筋が凍る。咄嗟(とっさ)にブリッジするように大きく上体を後ろに倒した。

 刃に青白い電気がチチッと走る。ブロンズソードはまるで紙切れのように刃を通し、刀身の三分の二を落とされた。

 恐らく幕ノ内は、ただ『造形(クレイフェアラ)』を使用したわけではないようだった。五大属性魔法のひとつ、雷魔法を複合させている。そのため槍には雷属性の性質を取り込んでいる。その性質付加の影響で、正に一撃必殺の鋭利な刃を持つ幕ノ内の槍に無付加のブロンズソードが敵う訳がない。

 舌を打ち、距離を取る。

 もう一度『造形(クレイフェアラ)』を使う事は出来るが、幕ノ内の槍と対等に渡り合える武器は一真は作り出すことはできない。

 ぽいとブロンズソード放ると、床にワンバウンドしてから折れた刀身と共に粒子化し、消え去った。

「なら……スペルコード!」

 悪魔戦の時に見せた『火炎(フラム)』『守護(デファーンド)』の複合魔法。だが、今回はひとつではない。右手の平の幾何学的な円からどんどん『火炎(フラム)』『守護(デファーンド)』の火球が放出されていく。

 放出された火球は一列になって一真の周囲をふわふわと浮いていき、その数は百を超える。

 一真は左手をバッと幕ノ内に向けた。周囲に浮かんでいた火球は幕ノ内へと飛んで行き、不規則な動きで幕ノ内を翻弄(ほんろう)する。

「数撃ちゃ当たるで僕にダメージを与えられると思っているのか?」

 火球はただ真っ直ぐ幕ノ内に突撃しているわけではなく、時には左右に、時には背後に回ったりして突撃しているのだが、幕ノ内は槍をぶんぶんと回し、近づいてくる火球を片っ端から叩き落とす。もちろんバルーンも無傷だ。

 この程度でダメージを与えられるか、一真はそう思わない。腐っても貴族に仕えている人間だ。修羅場は相当乗り越えてきているはずだ。

 だから、これは全て布石。

「な、に……!?」

 幕ノ内は息を呑み、明らかに驚愕した表情に変わる。

 依然、火球は放出し続け、幕ノ内に休む暇を与えない。

 そんな中、一真は右手を高々(たかだか)と上げ、ひとつの火球がどんどん巨大化していき、全長五メートルほどの大きさになっているだろう。

「量と質……どっちも喰らえ」

 強引に幕ノ内へ巨大火球をぶん投げた。並の火球よりも足は遅い。だが、火球は絶えることなく幕ノ内へ向かってき、足止めをしている。

「く……っ」

 幕ノ内は眉を(ひそ)め、歯噛みする。

 巨大な火球が幕ノ内に直撃する次の瞬間、幕ノ内の槍から眩い青白い電光が(ほとばし)った。

 本来なら見えるはずのない、刃の通った軌跡、青白い斬撃が一真は捉えた。

 青白い斬撃は全長五メートルもの大きさの巨大火球を細切れにし、爆散した。

 幕ノ内の仕業だということは容易(たやす)く想像できる。

 ならば、幕ノ内は必ずここで攻めてくる。

 目標を見失った一真は目を見開き、視野を広げ、ひとつだけ『火炎(フラム)』の火球をその手に握り、どこから攻めてきても対応できるように構える。

「どんなに僕の姿を捉えようと構えても」

 幕ノ内の声。

 おかしい。聞こえてくる声は。

 背後から聞こえてきている。

(いかずち)の速さには、誰も捉えることはできない」

 ばっと勢いよく振り向くと、既にバルーンを幕ノ内の槍の刃は捉えていた。

「まだだ!」

 即座にたったひとつ残していた火球をバルーンに当てた。本来なら爆発し、バルーンは割れてしまうだろう。だが、一真はバルーンを膨らませた時、周りに『守護(デファーンド)』を(ほどこ)していた。そのため一真の火球に当てられても割れず、その反動で移動したバルーンは幕ノ内の刃から回避した。

「なっ」

 流石に予想だにしていなかったであろう緊急エスケープに幕ノ内は驚きを隠せない。

「スペルコード――――――『(ヴァン)』‼」

 幕ノ内の腹部に螺旋(らせん)した突風が直撃した。だが、この密閉された地下空間では思うように風を集めることが出来ず、大きいダメージは与えられない。

 風魔法は幕ノ内を吹き飛ばす。効力が切れたと同時にくるんと宙返り、両足で着地した。

「まさかここまで粘るとは思わなかったよ……。魔力のコントロールはAクラス並じゃないか」

 造形魔法、複合魔法、連続魔法、倍化魔法。どれもFクラスどころか並の生徒が扱える魔法ではない。

 だが、これでも幕ノ内には通用しない。

 今の(・・)一真には幕ノ内に敵わない。

 勝てる予測(ヴィジョン)が思いつけない。

 (凄い……流石だよ)

 槍を構える幕ノ内に無駄がなく、凛々しい。

 素直に賞賛する。間違っても口にはしないが。

 出し惜しみをしたままで、勝てる相手ではないことは、十分に理解した。

 だから――――――。

 右手の甲に赤黒い紋章が浮かびだす。

 封印術式には既に(ひび)が入っており、容易く破壊できる。

 右手を前に出し、手の平の方を床に向ける。

 そして左手で拳を作り、高々と上げる。

「か、一真なにをする気だ!」

 響介の声が聞こえ、横目で窺う。

 焦燥の混じった表情で一真を見ている。やがて、覚悟を決めたように目が据わり、口を開く。

 いいのか、と。

 声は聞こえなかったが、一真にはわかった。こくりと頷く。

 久美には、微笑んだ。

 愛衣紗にはちらりと一瞥しただけで、なにもしない。

 ただ見てくれていたら、それでいい。

 この力は、『篠崎』の運命を大きく変えた力だ。

「封印術式、解除」

 呟き、上げた左手を振り下ろした。

 右手の甲に拳が直撃した。

 バキィ――――ン‼ と封印術式は粉々に砕け散った。

 それと同時に、全身に掛けていた『凍結(グラス)』も共に砕ける。

 砕けた破片が一真を中心に渦を巻いた。

 嵐が通っているような暴風が密閉された訓練室を包み込んだ。

「な、なにが起きてるんだ……!?」

 幕ノ内が頓狂(とんきょう)な声を上げる。

「これは……」

 愛衣紗が目を見開く。

 『篠崎』が代々受け継ぐ力のことは聞いていた。その力が自らを(むしば)み、没落まで追いやってしまったことも聞いていた。

 『立華』が代々受け継ぐ力は『光』。その輝きは全ての闇を浄化させると(うた)われている。だがやはり、その力も使用者によって強弱が分かれる。

 その『立華』の『光』と対を成すのが、『篠崎』の『闇』だ。

 『闇』を司る『篠崎』の力――――――。

 もしも一真が力に負け、暴走してしまったら、愛衣紗が一真の抑止力とならねばならない。この学園を闇に堕としてはならない。

 そう思っていた愛衣紗は絶望した。

 闇が、深すぎる。

「うわあああああああああああああああああああああああああああああああ‼‼‼」

 一真の絶叫に愛衣紗ははっとなる。

 一真は今、己の力と戦っている。

 信じようと、誓った。

 一真は負けない。愛衣紗が認めた男なのだ。

 今すぐにでも介入し、一真を救いたいと思うあまり勝手に動きそうになる体を抑え込み、愛衣紗は一真を見つめる。

 一真はきっと、勝つ。

 震えている愛衣紗を見兼ねた真弓はそっと肩を抱いた。

 訓練室に発生している暴風の目は一真だ。一見、一真が暴風を放出しているように見えるが、実はその逆。

 暴風は魔力の(かたまり)。それが一気に一真の中に注がれていき、肌の色が全てを吸い取ってしまうような禍々しい黒へと変色してしていく。




 ――――――19――――――



 破壊衝動—―――――殺戮衝動――――――あらゆる負の感情が一真の自意識を乗っ取ろうと攻め込んでくる。

 頭を空っぽにしようとするが、一真を蝕む負の感情自体が魔力のため、逃れることは出来ない。

 これが『篠崎』が司る、『闇』。

 完全に力が覚醒する前に封印させたためか、ここまでの負荷が圧せられるとは予想外だった。

 だが、負けるわけにはいかない。

 何故なら、これはまだ半分(・・)だからだ。

 封印術式は一真の体に二つあり、本命の封印術式は腹部に掛けられている。

 もうひとつ、右手に施した封印術式を解除しただけで、これだ。

 もしも腹部の封印術式が解除したらどうなるか、想像すらできない。

 『闇』の底が見えない。

 呑まれそうになる自意識を保とうと必死に抵抗しようとするが、分が悪い。

 『闇』は光を食い尽くしている。

 記憶という、光。

 この光が消えた時、『篠崎一真』という個の自我も同時に消失する。

 なんとなく、一真は感じていた。

 一真の他にも、これを経験した者がいる。

 その者は光を食い尽くされ、自我を失い、暴走した。

 その二の舞いにはならないと一真は必死にもがくが、容赦なく浸食は続く。

 やがて、一真の自意識は闇に溶け込んだ。

 感情という概念そのものが消え失ったようだった。

 『無』という言葉に相応しい程に、一真から表情が消えた。

 闇の最下層に触れた。

 そこに光の一切の出口は存在しない。

 暗く、天地すら掴めない。

 ただ、その空間に漂っているだけ。

 ふ、と意識が一瞬その最下層で蘇る。

 圧倒的な闇の重圧。

 ここには、いられない。

 自意識など保てるわけがない。

 苦しい。憎い。殺してやる。

 負の感情がせめぎ合う。

 その根源と言えるものが、今目の前にいる。

 闇の住人。人の形をしているそれは、一真を手招きする。

 暗いその空間で表情は窺えない。

 だが、そのものは確実に笑っている。

 邪悪に満ちた笑顔を、一真に向けている。

 既に一真の思考はストップしている。

 ふらふら、と覚束(おぼつか)ない足取りで、手招きするものに近付いていく。

 一真の手と闇の住人の手とが重なり合う、その瞬間。

 お世辞にも大きいとは言えない、線香花火のような灯火(ともしび)が間に割り込む。

 その灯火は、光だ。

 ち、と舌打ちのような声が聞こえた。

 光は一真にこびり付いた闇を浄化し、自意識を取り戻す。

 今の光は、この明日葉学園での記憶だった。

 ああそうか、と一真は微笑む。

 平和であればいい。あとは何もいらない。

 ずっとそんな風に構えていたが、結局のところ、一真はこの騒々しい学園生活を楽しんでいた。

 『竜騎士団(ドラグナー)』に入団する決意はしたものの、肝心の目的意識が薄かった。

 幕ノ内にもそれを見透かされていたのかもしれない。

 皆が笑顔で居られる平和な学園。

 それを作りたいのかもしれない。

 立華愛衣紗。

 戦闘後の彼女の憂いを帯びた微笑みを思い出しては、心が抉られる。

 彼女を助けることは、今の(・・)一真の目的から外れていない。

 彼女を救うことは、いずれ平和な学園に必要なことだからだ。

 本物の覚悟。

 覚悟は光を生み出し、暗かった空間は、白く染まっていく。

 そしてその闇はすべて、一真が持っていく。



 ―――――20―――――――



 同時期、一真の肉体に変化が訪れた。

 ついに魔力の塊だった暴風は全て一真の体の中に吸収されていった。

 苦しんでいた一真は動きを止め、真上を向いたままの状態で硬直している。

「これは……一体」

 雷の槍を構えた状態で幕ノ内が呟く。

 誰がどう見ても、普通ではない。

 荒々しく歪んでいた魔力の塊が全て一真に注がれていき、それで無事な方がどうかしている。

「……あの肌の変色……」

 黒く染まった一真の肌。実際に見てはいないが、愛衣紗は聞いたことがあった。

 それを思い出そうと頭を抱えると、愛衣紗の横で動きがあった。

 風馬響介と鷲見寺久美だった。

 怪訝な表情を向けていたことに久美が気付き、答える。

「大丈夫ですよ。もしも一真が暴走しても、私達が命を懸けても止めますから」

「ああ。他の貴族達なんかに任せてられねえからな。そのために今まで修行してきたんだ」

 失礼極まりない響介の頭をぽかりと久美は(はた)く。

 そして、臨戦態勢へと移る。

 しゅる……、と響介の竹刀袋から現れたのは日本刀だった。(さや)(つか)を握り、刀を抜く。

 久美は腰に巻いた小さなバッグから五つの指輪を取り出し、右手にはめる。

 二人の魔力が高まるのがわかる。

 だが、それでも先程の一真が放出していた魔力の方が強力だ。

 久美が言っていた言葉を愛衣紗は思い出す。

 命を懸けて――――――。

 二人は最悪の場合、刺し違えても一真を止める気なのか。

 『篠崎』に代々仕えている人間とは言え、一生徒がそれほどの覚悟で挑もうとしている。

 それなのに『竜騎士団(ドラグナー)』の副団長であり、対となる力を持つ立華愛衣紗が立ち上がらなくてどうすると言うのだ。

「――――――『造形(クレイフェアラ)』」

 愛衣紗の造形した武器、それは悪魔との戦いで見せた大鎌だ。

「わたしだって、抑止力になります。誰ひとり失うわけにはいきません。真弓ちゃん‼」

「はい!」

「えっ」

 真弓は即座に動き、のえるを連れ、訓練室から勢いよく飛び出した。

「先輩……?」

「大丈夫です。一時上にいる生徒達を移動させるだけです。流石にこの空間でも魔力は漏れてしまう可能性が充分ありますしね」

 久美はこくりと頷き、響介は愛衣紗を一瞥しただけだった。

「まだ暴走してしまうと決まったわけではありませんが……もしもの時は止めますよ。彼を」

「……もちろんだ」

 この時、初めて響介は愛衣紗に言葉を放った。愛衣紗の覚悟を受け取ったからだ。

 この時、ようやく一真に動きがあった。

 黒く染まった一真の肌に(ひび)が入ったのだ。

 そして、その隙間から一筋の光が零れる。

 そこから次第に光は広がっていく。それは一真自身がいつも掛けている『凍結(グラス)』が崩壊するところに酷似している。

 そして、光が全てを包んだ後、一真が姿を現す。

 肌はいつもと変わらないが、どこか雰囲気が違う。

 清々しいような、優しい表情をしている。

 一度深呼吸し、周りの人間を順に一瞥した。

「響介、久美、愛衣ちゃん。心配かけてごめん」

 なんでもないように口を開く。

 その言葉に全員呆気にとられる。

「え、か……一真?」

「俺ならもう大丈夫だから。続き、始めよう」

 構える一真。

「いやちょっと待てよ! どういうことだ!? 勝手に自己解決すんな‼ こっちは命張ろうとしてたんだぞ!?」

 納得のいかない響介が一真に向かって叫ぶが、熱が伝わっていないのか、きょとんとしている。

「え、なんで」

「お前が『篠崎』の力に呑まれて暴走するかもしれなかったからだ‼」

 ああそっか、と一真はぽんと手を打つ。

「それ、乗り越えたから」

「雑なんだよお前‼ 説明する気あるのか!?」

「いや、ぶっちゃけ今は面倒だなって」

 一真の言葉には、もう全員唖然するしかない。

 だが、ひとり違う反応する者も。

「あ、あああああい、愛衣ちゃんって……」

 一真と愛衣紗が出会った幼い頃、一真は愛衣紗にそう呼んでいた。

 今またそれを口にするということは、一真の中でなにか吹っ切れたようだ。

「後でちゃんと説明するから待っててよ。今はまだ入団試験中なんだからさ」

 そう言われたら響介も頷くしかない。

 だが、こうして年相応の中身のない会話は何時(いつ)振りだろうかと響介は思い起こす。

 幕ノ内と向き合うと、幕ノ内の眉間にはこれでもかというぐらい皺が寄っていた。

「馴れ馴れしく副団長の愛称を呼ぶな」

「呼び方なんてどうでもいいだろ? まさかそれで怒ってるのか?」

「ち、違う‼」

 幕ノ内の槍を握る力が強まる。

「ただお前が気に喰わないだけだ」

「……そうか。じゃあそろそろ白黒つけようぜ」

 先程までとはまるで雰囲気の違う一真を訝しむ幕ノ内だが、行動に移るのは早かった。

 一真の言葉を聞き届けたと同時に、姿を見失う程のスピードで一真に接近していった。

 (これで終わりだ)

 移動した先は一真の真後ろ。槍の刃が狙うものは、バルーン。

 青白い電光が刃を包む。速度はマッハを超え、何人も捉えることなどできない。

 そのはずなのだが――――――。

「スペルコード――――――『火炎(フラム)』」

 ぽい、とボールを投げるように一真は後ろに『火炎(フラム)』を(ほう)った。

 適当に投げつけたと思われるその火球は幕ノ内の顔に直撃した。

 元々急ごしらえだったために威力はそれほどでもなく、なにか熱いものが頬を撫でたような感覚だった。

 だが、それでも幕ノ内の奇襲を回避するのには充分だった。

 やはり驚くべきところは、一真の反応速度。

「お前……見えてたのか!?」

 マッハの速度など、仮に肉眼で捉えることができたとしても、それに反応しただけでなく、反撃までしてきた。

「まあね。昔から目は良かったんだ」

 そういう問題ではない、と誰もが一真の発言に突っ込む。

 肉眼でマッハを捉え、あまつさえ反撃をする。

 読んでいたとしか考えられない。

「……まあそれでも途中から見失ったんだけどね。でもアタリはつけといたから。お前が狙うのは死角。つまり真後ろだって」

 ちっ、と幕ノ内は舌を打つ。

「次は俺の番だろ? 少し待っててくれないか」

 一真は深呼吸し、目を瞑る。

「スペルコード――――――」

 一真が唱えた瞬間、先程と同類の嵐が一真を目に吹き荒れる。

 一度密着したものを剥がし、もう一度正確に接着するように一真は魔力を解放させた。

 今までとは明らかに異質な一真の魔力が再び一真に注がれていく。

 そして元々持っていた一真の魔力と同調していく。今回は苦しみは(ともな)わないようだ。

 放出された魔力が全て一真の身体に戻った時、目を開ける。

 その右目の瞳には、手の甲に浮かび上がっていた紋章と同じものが刻まれていた。

「『魔章痕(スティグマ)』……」

 愛衣紗が小さく呟く。

 とある昔話で、大陸全土が悪魔に侵略された時に立ち上がった五人の魔導士は、現在の元五大貴族だと云われている。

 そして、天から授かったと云われている魔力も現在まで受け継がれており、貴族はそれを『魔章痕(スティグマ)』と呼んでいた。

 本格的に体に魔力が定着するようになる十歳になると、『魔章痕(スティグマ)』を前任から継承される。

 だがそれは継承というよりも呪いに近い。

 本来ならば自分自身の魔力以外の魔力を肉体に注入、同調させることは御法度だ。

 それを行うと肉体に深刻なダメージ、もしくは癒えない障害を伴うこととなる。

 『篠崎』の『魔章痕(スティグマ)』を継承した一真は異常なまでに体温が高い。そして、愛衣紗にもそのハンデがある。

 一真のように『魔章痕(スティグマ)』を解放させたわけではないが、やはりその力に恐怖するものがある。

 ――――――だが、それだけの覚悟を持って解放したその力は、常軌を逸した強力な力になるだろう。

「――――――『造形(クレイフェアラ)』」

 右目に刻まれた『魔章痕(スティグマ)』は紅く輝き出し、全身から魔力を放出した。

 微粒子となった魔力は両手両足を渦巻状に包み込んだ。

 少しずつ形作ったその武器は、赤と黒を基調とした鎧だった。

 肘まで伸びる滑らかなガントレット。がしゃ、と音を鳴らしながら一真は眺める。当たり前と言えばそうなのだが、一真の手に完全に一致しており、窮屈感も動かしにくい感覚すらない。そして、両手の甲には『魔章痕(スティグマ)』のエンブレムが一際目立つ。

 (すね)から足全体を覆うソールレットの(かかと)部分から黒ずんだ炎が待ちくたびれたと言わんばかりに空気中の塵を燃焼し続ける。

 炎のガントレットとソールレット。これが一真の造形魔法だ。

「待たせたな」

 依然、一真の右目の瞳には『魔章痕(スティグマ)』が開眼している。

 幕ノ内は怪訝に思う。

 本当に目の前に立っているのは、あの『篠崎』の人間なのだろうか、と。

 『篠崎』の『魔章痕(スティグマ)』がどんな力かは聞いているが、それとは似ても似つかない。それどころか、その魔力を使用して練った造形魔法とは思えない程、普通だった。

 脅威に見えない。それだけで油断する幕ノ内ではないが、心の底では嘲笑に似た感情がふっと出ていた。

 そして、たったそれだけの油断と隙を、一真は突いた。

 ボッ‼ と発火音の後、幕ノ内が捉えていた一真の姿は消えた。代わりに(またた)く炎を残して。

「――――――なっ」

 見失っただけでも敗北に繋がる。まさかここまでの高速移動を使えるとは。

 幕ノ内の視界には一真はいない。いくら超スピードとは言え、光速の世界の住人である幕ノ内にとって一真を捉えることなど造作もない。

 その幕ノ内が目で捉えられないということは、死角。

 つまり、背後だ。

 刃に電気が蓄積していき、全力で槍を振り回した。

 上から見ると青白い電気は円を描き、死角の背後だけでなく、全方位を切り裂く。

 だが、そのどこにも一真の姿はいない。また、上から圧力を掛けられたような潰れた炎がそこに灯っていた。

 見当違い――――――その思考が幕ノ内の脳に達するよりも早く、幕ノ内は動いていた。

 背後でないなら、もうひとつの死角、上。

 炎を纏った拳を振りかざす一真の姿をようやく捉え、その拳の軌道を読み、そこに槍の柄を挟み込む。

 カッと眩い光を生み出し、二人は弾かれた。

 幕ノ内の全方位攻撃は決して見当違いなどではなかった。

 実際に一真は背後から攻撃しようと拳を構えていた。だが、光速の槍の刃が一真の攻撃を遮り、ソールレットの踵部分から放出された炎の噴射で上空に回避した。

 だが、その緊急回避のおかげで幕ノ内の防御はギリギリ間に合った。

 愛衣紗、響介はその一部始終を見て、唖然した。たかだか入団試験だったはずなのだが、ハイレベル過ぎる。

 ちなみに久美は光速の戦いを捉えることは出来なかった。

「うわっ」

 弾かれた一真はうまく着地できず、尻餅を着く。その後ろにはふわふわとバルーンは浮いている。

 弾かれた幕ノ内はズザザザザ‼ と床を削り、本能的にだろうか、すぐに槍を構え始める。

 立膝を着く一真だが、うまく立てない。

 (やばい……流石に解放と同時に本気の実戦はやっぱり無理があったか……)

 一真の造形魔法、ガントレットとソールレットは形を維持できず、脆く崩れ散ってしまう。

 息を切らし、左手を床に着いた。俯いていた顔を上げ、幕ノ内を捉える。その時、一真の右目の瞳には既に『魔章痕(スティグマ)』の紋章は消えていた。

 決着が、着いた。

「……ちっ」

 微動だにしていなかった幕ノ内が歯噛みし、舌を打つ。

 そして同時に幕ノ内のバルーンが破裂し、その音が訓練室に響いた。

「え……」

 素っ頓狂な声を漏らす一真。

「一真の……勝ち?」

 久美が恐る恐るという感じに発した声でハッとなった響介が笑顔でガッツポーズし、歓声を上げる。

「ぃよっしゃあああああああああ‼ 勝ったぞ一真‼」

 だが、それでも一真は反応していない。

 最後の一撃。確かに一真の拳は幕ノ内には通らなかった。

 だが、一真の拳に灯っていた漆黒の炎はバルーンに届いていた。

 よく見ると幕ノ内の制服は少し焦げついていた。

「いつまで呆けてんだよ! お前は勝ったんだよ‼ 幕ノ内の野郎に完膚なきまで打ち負かしたんだよ‼」

 近付いてきた響介は一真の両肩を掴み、ぐらぐらと上下に揺らす。

 響介の発言には大きな語弊があるが、勝利には違いない。

 不満でいっぱいの表情をしている幕ノ内はとりあえず造形魔法を解く。

「篠崎……」

 眉間には皺がこれでもかというくらい寄り固まり、徐々に近づきながら呟く。

「はぁ、はぁ……。認めてくれるんだろう? 入団をさ」

 未だに息切れている一真に対し、幕ノ内は既に息を整え終わっている。

「……ああ。試験は合格だ。不本意極まりないが、認めてやる」

 ちらりと幕ノ内が愛衣紗を一瞥すると、にこりと笑った。

「わたしも、認めるよ。一真君」

 その笑顔は多少ぎこちないものがあったが、明らかに昔の屈託のない笑顔に近付いていた。

「ははは……。ここまで、すごく長かった気がするよ……」

 愛衣紗の笑顔に召されたのか、一真の意識は断絶した。

「か、一真君!?」

「大丈夫っすよ。少し疲れてるだけみたいっすから」

 体育会系のような口調で響介は愛衣紗に言う。愛衣紗に限らず、年上には誰に対してもこんな口調だ。

「私達が寮まで連れていきます」

「……そう。お願いしますわね。お二人とも」

「……その口調、ぜってー似合ってねーっすよ、立華先輩」

 またも失礼極まりないことを言う響介の頭を久美が平手で叩く。

「え、そうでしょうか……」

「この馬鹿の言うこと真に受けなくていいですから!」

 そしてもう一度頭を叩く。

「でっ! さっきからバコバコ叩きすぎだろ‼」

「自業自得よ! ほら、さっさと一真を背負って帰るわよ!」

「後で覚えてろよお前‼」

 渋々一真を背負うと、入口からひとりの男子生徒が一真に小走りで寄ってきた。

「篠崎君大丈夫!? 怪我してない!?」

 佐久間のえるだった。後ろには真弓が見えた。

「ああ。ちょっと気ぃ失ってるだけだから大丈夫だぜ」

「僕、治癒魔法使えるから早く保健室行こう!」

「本当に!? ありがとう佐久間君!」

 最後に久美とのえるは残る三人にぺこりと会釈し、一真、響介、久美、のえるの四人は訓練室を後にした。

 残ったのは愛衣紗、真弓、幕ノ内の三人だけ。

「憎まれ役ご苦労様。綾鷹君」

 近付き、肩に手を置きながら真弓は言った。

「別にそういうわけじゃないです。途中までは試験だって本気でやりました」

「『魔章痕(スティグマ)』を見て、怖気づきましたか?」

 真弓は微笑みながら言うが、幕ノ内に向ける視線は鋭い。

「そういう言い方はやめてください」

 本日何度目かわからない舌打ちをした。

「まさか一つ目の封印とは言え、『魔章痕(スティグマ)』を解放するなんて……こうなると野放しになどできない。だったら我々の目に付く所に居てもらった方がいい思っただけです」

「あれが……『魔章痕(スティグマ)』なんだね……」

 愛衣紗が呟く。

 四大貴族のひとつ、『立華』の娘である愛衣紗の身体にも『魔章痕(スティグマ)』が存在する。

「見た目こそ他の魔力と大差ないですが……正直化け物みたいに攻撃的な魔力でした……。しかしそれは篠崎自身の意識ではなかった……」

「魔力自体に意識があると?」

「……わかりません。でもそれはまったく例が無いわけではありません」

「そうですね……」

 十代続く四大貴族が受け継ぐ特殊な魔力、『魔章痕スティグマ』には未だ謎が多い。

 『魔章痕スティグマ』を魔法カテゴリーに当てはめると、血継魔法に該当する。血継魔法とは、魔導士の中でも血筋によって生まれながらにして特殊な魔法を持つ場合がある。だが、その可能性は限りなく低い。そのため、血継魔法を有する魔導士の家系はほとんどの場合が儀式によって受け継ぐ必要がある。

 儀式による魔力の継承は四大貴族の『魔章痕スティグマ』も例外ではない。

 だがその儀式にはリスクがある。

 ここにいる立華愛衣紗は、継承の儀式を必要とせず、生まれながらにして『魔章痕スティグマ』を継承した数少ない例の一人だ。

「確かに……化け物のようだったね……」

 そんなものが、自分の体の中にある。

 強烈な汚物感が全身を(むしば)む。

 頭を振り、その感覚を無理矢理振り払う。

 いつもの口調ではなく、『竜騎士団(ドラグナー)』の副団長としての口調で呟く。

「まずは……この問題を解決しましょう」

 


 そして、この一週間後、事件は起こった。

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