『篠崎』
――――――14――――――
翌日、学校内は悪魔襲来の話題で持ち切りだった。
噂を端から聞く限り、篠崎一真が襲われたというところはまだ知られていにようだった。
そのことに一真はほっとする。実技テストの保健室での事件で目立ってしまっていた。なるべくそういうのは避けたかったからだ。
浮ついた雰囲気の中、授業が開始される。生徒が悪魔に襲われるという事件があっても、その翌日にはいつも通りの日常。そのことに一真は違和感を感じる。
いや考えすぎか、と頭を振る。
だが、流石に授業中のお喋りが目立った。皆、授業に集中できていないようだった。当然といえば当然かもしれない。
そういう一真もまったく集中できていない。
一応体は前を向き、ノートを取るが、頭に入らない。
いっその事眠ってしまおうかと机に突っ伏すが、眠れない。
昨日の愛衣紗の顔が過ぎる。
一瞬で消えてしまいそうな、儚い笑顔……。
それが浮かんでは消え、一真の目を覚まさせる。
昨夜も同じ現象が立て続けに起こり、一睡もしていない。
(ああぁ……くっそ)
大きなため息が零れる。眠れなくていい。そう思い、一真は突っ伏し、その後の授業を全て受け終わる。
自分自身のことで一杯一杯だったからか、一真に注ぎ続ける鷲見寺久美の視線にまったく気付くことはなかった。
――――――15――――――
「一真」
本日の授業がすべて終了し、真っ先に教室を出た一真を、久美が短く呼び止める。
一真は振り返り、言外になに? と含めた表情を取る。久美とも付き合いが相当長い。大抵のことは表情でわかってしまう。
「昨日の、あなた?」
主語がない。白を切ってもよかったが、あまり得策ではないと悟り、肯定した。
「……ああ」
これが証拠だと言わんばかりに制服に隠れた左腕の包帯を見せる。昨日の真弓の治療によりほとんど完治しているのだが、大事を取るように言われているので包帯を今日もしている。
やっぱり……、と久美は左手で頭を抑え、ため息を吐いた。
「戦ったの?」
「ああ……。まぁ勝てなかったんだけど」
「だろうね」
即答。流石に一真も今のは「……あ?」となった。
「でも、どうやって逃げ切ったのよ。あなたの今の実力じゃそれすらも難しそうじゃない」
むっとなったのも一瞬。事実なので反論は許されない。
「別に……『竜騎士団』の副団長殿、立華先輩が助けにきてくれたからだよ」
最後まで言ってから一真はしまったと思った。いくら向きになったとは言え、久美に言うべきではない情報だった。
「……立華……?」
ゴゴゴゴゴゴゴ、という効果音がしてくるように久美は一真に迫る。「怖い、怖いです」と呟いても久美の迫力は衰えない。
「い、いや何もなかったんだ! ただ俺を助けにきたのが偶然にも立華先輩だっただけで他意はなかったはずだし、安心してくれ‼」
久美も怒らせるとヤバい相手である。
「……そこまで必死になると逆に疑わしいって」
(藪蛇!?)
えーとえーと、とあたふたする一真を横目に、久美はまたもため息を吐いた。
「わかったから。二人にはなにもないのね」
二度三度首を縦に振る。
『鷲見寺』と『風馬』は『篠崎』に仕えていた。やはり他の貴族に対して快く思っていない。いや、それどころか嫌悪しているだろう。
『篠崎』が没落した後、他の貴族からの扱いは相当に酷かった。
「じゃあ今日あなたが悩んでいるのはなに?」
久美が核心に触れる。白を切るのは不可能。だが、ここに踏み込んで欲しくなかった。
「別になんでもばっ!?」
言葉の途中、後頭部に重い一撃がクリーンヒットした。
「お前嘘吐くの下手なんだからやめとけっつの」
風馬響介。その左腕にはだらんとぶら下がっているだけの鞄の取っ手を握られている。一真の一撃はそれだ。
アホ脳天気の響介だが、今回ばかりは爽やかな笑顔は微塵もなく、ギラリとした眼光を一真に向ける。
「昨日の、お前なんだな」
怒っているのか、口調がいつもより当たりが強い。恐らく一真と久美の会話を聞いている。
「で、『立華』の人間に接触したってか」
響介の口からもため息が零れた。
愛衣紗に接触したのは実は悪魔に襲われる前なのだが、今は言う必要がない。
「まあ何もなかったんならそれでいいけど、そうじゃねえよな。お前……あの時と同じ顔してんぞ」
響介の言う『あの時』は直ぐにわかった。
『篠崎』が五大貴族から没落した時だ。
何年も前の事なのに、一真は息を呑んだ。
そして、体が小刻みに震える。
久美が一真の肩に触れる。だが、震えは同調し、止まらない。
「なにがあった」
響介は冷淡と聞く。
「……お前、なに考えてんだよ」
自分の心情を吐いた一真の胸倉を響介は掴み出す。久美は止めるが、女性の腕力じゃ響介は止められない。
「自分でもわからない……。どうして立華先輩を見て苦しく思ったのか……」
響介の眼光に一真は目を合わせられない。
「『立華』の人間なんだぞ……。あいつら貴族がお前に何をしたか忘れたんじゃねえだろうな」
つい響介は声を荒げる。ぎり……と歯を食い縛る音も聞こえる。
「忘れてなんかない……」
『篠崎』が没落して、『篠崎』の人間は一真ひとりきりとなった。
そして、他の貴族は手の平を返すように一真を蔑むようになった。
犯罪貴族、呪われた一族、『篠崎』に貼られたレッテルを言い出したら切りがない。
皆が一真を憎み、蔑み、虐げてきた。
それは『篠崎』に仕えていた『風馬』『鷲見寺』も例外ではなかった。
響介と久美。この二人も一真とほぼ同等の嫌がらせを受けてきた。
二人が貴族を嫌悪するのも無理のないことだ。
それ故に、一真が抱いている感情に理解が出来なかった。
「一真。なんであなたが貴族の人間に気を病む必要があるの」
「俺達を追放したのは……あいつらの方なんだぞ」
掴んだ胸倉が開放される。だがこの蟠りからは解放されない。
そうだ。二人の言う通り、一真達は今まで散々苦しんだ。
今通っているこの学校、明日葉学園は四大貴族のひとつ、『明日葉』の人間が理事長を務めている。その為、通うのにも条件がいくつも存在している。
その条件のひとつに強制的にFクラスの配属というものがある。封印術式で魔力を抑えている一真は兎も角、響介と久美は仮にも貴族に仕えていた身、実力は十二分にある。それなのに二人には強いハンディーを押し付けられてしまった。
だが、一真は気付いてしまった。
苦しんでいるのは、なにも一真達だけではなかったと。
立華愛衣紗は『立華』の名に自分を押し潰され、傀儡のように操られている。
戦いなど、望んでいなかったに違いない。
自分のしたいことがあったに違いない。
愛衣紗を『竜騎士団』に入団させたのも貴族同士の問題だったはずだ。『明日葉』に良い顔が出来るから、『立華』は愛衣紗に強いてきたのだろう。
思い出すだけでも歯噛みする思いだ。
そのせいで愛衣紗は偽りの笑顔を被った。
一時でも見せる笑顔にも、諦観と苦痛が入り混じったものなのだ。
ふざけるな……、体温が急激に熱くなる。やはり封印術式が弱まっているが、一真はそれに気付かない。
貴族が塗り潰した。愛衣紗の本物の笑顔を。
取り戻したい。昔、初めて会った頃の彼女の、無邪気な笑顔を。
ならば、行動せねばならない。
具体的な方法は直ぐに頭を過ぎった。
説得してくる二人は確実に反対するだろう。
だが、二人を押し退けても、取り戻したい。そう願ってしまった。
「俺……『竜騎士団』に入団するよ」
決意を口にした。
二人は絶句し、言葉が出ないようだった。
畳み掛けるように、一真は言葉を紡ぐ。
「確かに昔……いや、今も俺達は貴族から忌み嫌われてるよ。けどさ、それは全員にじゃない」
『立華』に仕える『飛騨』だって一真に普通に接してくれていた。……『幕ノ内』は敵視していたが。
「過去を忘れるわけじゃないけど、過ぎた事をずっと恨んでも、何も変わらない。誰も幸せにはならない」
二人は黙っている。最後まで話を聞くつもりらしい。
「だから、これから変えていこうと思うんだ。俺達が変わることで何かが変わるかもしれない。立華先輩の……本物の笑顔を取り戻せるかもしれない。だから俺は、『竜騎士団』に入団することに決めた」
昔の愛衣紗の笑顔が一瞬過ぎった。
「それに俺は平和が好きだ。誰も不幸じゃない。誰も傷つかない。そんな日常が好きだ。守ることもできて、誰もが幸せになれる。一石二鳥じゃないか」
一真は二人に手を差し伸べた。
「だから、協力してくれ。家のことなんか関係ない。親友として、頼む」
二人は目を見開き、再び絶句する。
差し伸べた手は二人とも掴まない。
やがて、響介は何も言わずに一真に背を向け、歩いて去ってしまう。
久美は「え、えっ」と一真と響介を交互に見、困惑している。
(やっぱ……そうだよな)
心が折れかけた所をなんとか持ち上げ、段々と下がっていた視線を再び上げる。
そして、前方からドタドタドタドタと廊下を蹴るような音が近付いてきている。
気付いた頃にはもう遅い。響介は既に地面を蹴り、両足の底は一真に向けられていた。
「だらああああああああああああああああ‼‼」
「うおおおおおおおおおおおおおおおおお‼‼」
響介の渾身のドロップキックは見事一真の腹部を突き刺した。
吐血する勢いで噎せ、五メートルは吹っ飛んだ。
今にも口からいけないものが吐き出されてしまいそうな状態の一真に向かい、響介は指差す。
「なんっじゃそりゃ‼ お前説得下手か! 急に入団とか脈絡がなさ過ぎてつい大技決めちまったじゃねえか‼」
だからって……これは……、と呟こうにも呟けない。本当に死ぬんじゃないかと一真は思った。
「はあ、でも……あああああああ‼ もうしょうがねえな‼」
響介は頭をがしがしと掻き、やがて右手の拳を一真に向ける。
「……どうせ決めちまったもの、言っても改めねえだろ。しょうがねえから俺も一緒に入団してやる。感謝しろよ」
にかっと爽やかに笑った。一真は痛みに悶えることに耐え、響介の右拳に同じく右拳を当てた。
その横から、もうひとつ一回り小さい拳が当てられた。
「私も。二人が頑張るのに、私がサボるわけにはいかないから」
こうして三人で拳を合わせるのは何年ぶりだろうか。
一真、響介、久美は同時に笑い出す。
三人が集まって、不可能だったことなど、なにひとつない。
「ありがとう。響介、久美」
心からのお礼を述べる。
ここから、ようやくスタートだ。
三人は拳を放し、横一列になり、同じ方向に進みだす。
一真の目は、燃えていた。