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ミッシェル先生と3年5組

作者: 佐倉硯

ギリで二次ではないと信じてる。

音楽を担当する男性教諭のミッシェル先生はちょっと変わった先生だ。


生粋のアメリカ生まれアメリカ育ちであるはずが、身長はそれほど高くなく、うちの高校の男子生徒に交じればほとんどわからない。ブラウンのうねる髪は天然パーマだと言っていたし、瞳も髪と同じ色。掛けている眼鏡は祖父の形見だとかなんだとか言って、フレームのサイズが合っていないものだからいつもずれているし。


揚句の果てには音楽の教師なのにいっつも白衣を着ている変な先生。


底抜け明るい性格で、いつもニコニコしているものの、どこか抜けていて生徒からは友達感覚で付き合われている。口から流れる日本語は流暢だし、ようは国籍が違うだけでどこにでもいるような普通過ぎる教師なのだ。


私達3年5組はそんなミッシェル先生に音楽担当をしてもらっているけれど、うちのクラスは結構団結力が強く、和気藹々としていてミッシェル先生も授業がやりやすいって褒めてくれたことがある。

私達もまた、そんなミッシェル先生が嫌いになれるはずもなくて、他のクラスと同様にミッシェル先生には友達みたいな感覚で接していたし、先生もそれについては何も言わなかったからそのままでいいんだと、生意気な私達は調子に乗っていたかもしれない。


そんな私達がミッシェル先生との思い出をあげるとしたら、間違いなく3年生の最後に行った学校の音楽祭だったと言える。


学校の音楽祭は毎年一回秋に行われ、各学年ごとにクラス対抗で行われている行事だ。


学科がおおいウチの学校は学年だけでもクラスは10ほどある。そこから学年別で、金、銀、銅が選ばれ、さらにその中から学年を越えて学校での全金、全銀、全銅が授与されることになる。


ここぞという時の団結力が強い私達のクラスは大いに盛り上がって、目指せ全金! と目標を掲げて練習に取り組んだ。

放課後に抑えられるだけ音楽室を使わせてもらえるよう音楽室を管理している先生に頼み込み、空いていない日は教室で誰がどうやったらもっと声が響くかなんて黒板を前に研究したりと余念がなかった。そこまでできるのは若気の至りなのかもしれないけれど、何事も全力投球する姿は好きだ。

一つの目標に向かって突き進むクラスメイトが大好きで、きっとこれは卒業しても続く友情なんだと私は信じて疑わなかったし、大切だとも思えていたんだけれど。


そんな私達の関係にヒビが入ったのは音楽祭を一週間後に控えた時だった。


クラスメイトの一人が、毎日放課後に強制的に残らされる事を不満だと口にしたのだ。


空気を読めと皆がブーイングを起こす中、そのクラスメイトの発言をきっかけに、私も、僕もと言う声が教室のあちらこちらから聞こえてきた事に私を含めて、やる気満々だった生徒達が驚いた。


それもそうだ。


受験シーズン到来で、正直こんなことをやっている場合じゃない人も多いはず。学校側はあくまで受験に対する気晴らしになればというスタンスで音楽祭をこの時期に設けているのだから、こちらに真剣になる方がおかしいのだ。

そこから冷静だったクラスメイト達の会話が徐々に荒々しいものにかわり、最終的には掴み合いの喧嘩になってしまった。女子生徒達は悲鳴を上げるし、男子生徒達はこの大切な時期に問題を起こすなと必死に止める。そんなに長引く掴み合いにはならなかったし、幸い先生を呼びに行った人もいなかった。


けれどこの時生じた亀裂はあまりにも大きく、翌日の放課後練習から顔を出すクラスメイトが半分になってしまった事に、中心核になっていた男子生徒が唖然とし、同じ立場の女子生徒は悔し涙を流していた。


そんな状況が結局本番当日まで続き、優勝候補と名高かった私達は現状から視線をそらしたくなるほど打ちのめされていたのだ。


音楽祭当日、他の学年やクラスが歌う中、私達のように出番を待つ人達はそれを眺めていなければならない。


教室から持ってきた椅子を体育館に並べ、壇上で歌う他のクラスメイト達がうらやましく思えるほどうまかった。練習中の指揮者と伴奏は生徒達が担うけれど、本番は複数居る音楽先生が交代交代でその役を担う。審査を平等にするためだということで、もちろんリハーサルの時は先生に担当してもらう。


うちのクラスの場合、伴奏は新井先生という女性の先生。指揮者はミッシェル先生だ。


その組み合わせで別学年のクラスが歌っているのを見て、隣に座っていた男子生徒が悔しそうに「うまいな」と呟いたのを聞いて、誰もが苦虫を噛み潰す思いを抱いていたんだと思う。


あんなに待ち遠しかった音楽祭。今は自分達の出番がなくなればいいのにという気持ちだけが高まる。ぐるぐると心の中をどす黒い何かが蠢いている。その正体を知りたくもない私達は耳をふさぎたい衝動を必死に抑えながらも、死刑宣告を待ち続ける囚人のように生気を失った表情で聴いていた。どんなに抵抗しても時間は過ぎていく。


とうとう自分達の番になって、重い足取りで壇上を上がる。


私達に向けられた他のクラスからの視線。これが全金候補とは思えないほど覇気のない表情を浮かべていれば、ざわめきが起きるのも無理はない。全員の整列が終わったらしく、会場を包んでいたざわめきが次第に静寂へと足を運んで行った。


指揮台に立つミッシェル先生は、そんな私達の微妙な感情を感じ取っていたのか、少し不思議そうな表情を浮かべているものの、彼もまた指揮棒を振らないわけにはいかない。


ちらりと伴奏の新井先生を見て、視線で合図しながらミッシェル先生が指揮棒を振ると、伴奏が始まる。


流れる前奏に緊張がピークに達した瞬間だった。


――あ。


私達が歌うのは誰もが知る有名ミュージシャンが手掛けた卒業ソング。


その出だしがどういう歌詞だったかなんて全員が知っているはず。


それなのに――。


誰一人として歌わなかったのだ。


たぶん、歌わなかったのではなく――歌えなかった。


静まり返っていたはずの会場となる体育館に大きなざわめきが起きる。


そのざわめきに便乗するかのように驚いたミッシェル先生の指揮棒が止まる。指揮が止まるという事は自然と伴奏も。音を失くした体育館に響くのは、戸惑いの呟き。私達はただ唖然とその様子を目の前にして真っ暗闇に突き落とされた。


周りを見渡さなくてもクラスメイトは皆、私と同様の蒼白とした表情を浮かべているに違いない。

きっと改めてミッシェル先生が指揮棒を振っても、統率のない私達は不協和音を奏でる事になるだろう。たかが音楽祭だというのに、酷く絶望の縁に立たされていた私達の正気を取り戻したのは。


指揮棒で譜面台を二度叩いた音だった。


私達だけじゃない、体育館中が反応して音を消す。

ハッと我に返った私達を、ミッシェル先生は見たこともないほど真剣な面持ちで見つめていた。


「――yell!」


バッと両手を掲げたミッシェル先生が響き渡る声で楽曲名を呼んだ。


会場中が未だに完全な現実へと戻ってこない最中、ミッシェル先生が指揮棒を振る。それに合わせて再び冒頭から伴奏が始まったけれど、私達はただ戸惑いの波の中を漂って。

ピアノのメロディーが歌詞の音を踏んだ時、たった一人で歌った人がいた。


指揮棒を振りながら普段話す時よりも一段高い声で目の前の指揮者が歌う。

私達が奏でるはずだったメロディを、ミッシェル先生が刻んでいった。

音楽の教諭なのに一度もまともな歌声を披露したことがない先生が、大きな口を開いて喉を震わせる姿に私達は息を呑む。


二節ほど歌ったところで隣の子が声を震わせながら歌い始めた。


それは徐々に私達の中に生まれた蟠りを溶かすように、少しずつ、少しずつ歌の輪が広がっていく。ミッシェル先生の歌声を中心に、私達の歌声が奏でた不協和音が、合唱へと変わって行った。


ミッシェル先生は歌うのをやめない。


きっとミッシェル先生が特別扱いしたことによって、私達のクラスは全金どころか審査対象外になるだろう。


それでも構わなかった。


この歌を止めるくらいなら、賞なんていらない。


たぶん、皆も同じ気持ち。


だから歌う。


だから止めない。


――私たちは子供だった。


他人の事を考えられないほど己の事ばかりを優先するちっぽけな。


揺蕩う世界の中に取り残されないよう、必死に泳ぎ続ける遊漁のように。


行く当ても知らないまま傷ついた羽を必死にバタつかせる渡り鳥のように。


ただ今をまっすぐに生きる事だけを目標に。横にそれる事を知らない無邪気で無知な生き物だったのだ。


歌い終えた私達を迎えてくれたのは温かい拍手だった。戸惑いを含んだそれは、私達の甘酸っぱい青春を思わせるようで気恥ずかしさに囚われる。

隣のクラスメイトと顔を合わせる事も恥ずかしくて、私達は一礼をしてから静かに壇上を後にした。ミッシェル先生が、指揮台の上に立ったまま、いつもの笑顔で僕達を見送ってくれるのを、なんとなく横目に感じながら。


結果は予想通り審査対象外となってしまったけれど、クラスメイト達は皆気恥ずかしさに苛まれながらも、お互いの顔を見合わせて涙目で笑った。

蟠りがほろほろと解けていくのを自分達の肌で感じていく。


掴み合いの喧嘩をしたクラスメイト同士は、気まずそうにしながらも謝ることはないまま「いい音楽祭になった」と苦笑しながら、互いを労っていたから、もう大丈夫なんだと思う。


全金を取ることはできなかったけれど、私達は全金よりもはるかに価値のある、ミッシェル先生からの叱咤とエールをもらった事が誇らしかった。


こうして私達の音楽祭は終了し、やがてやってくる受験シーズンに向けてその蟠りをいつの間にか忘れてしまうほど勉強に勤しむことになったけれど。


それから6年後――。


高校時代の同級生から、ミッシェル先生が結婚するという情報が流れてきたのをきっかけに、私がいち早く電話を掛けた相手は、あの音楽祭で中心人物となった男子生徒だった。


その人もすでにミッシェル先生が結婚するという情報を別のルートから掴んでいて、これはもうやるしかないでしょ! って悪巧みみたいな話になって。


ミッシェル先生の結婚式当日。


チャペルの鐘が鳴り響く中、たくさんの同僚や友人達に囲まれて階段を下りてくるミッシェル先生と花嫁の姿が見えた。

フラワーシャワーを浴びながら、幸せそうに花嫁さんと寄り添って歩いてくるミッシェル先生を、私達は彼らが歩くバージンロードの一番端で見ていて。


「ミッシェル先生!」


私が叫んだと同時に、ミッシェル先生が周囲からの祝福より視線をこちらに向ける。


私達の姿を目にしたミッシェル先生の顔は本当に見ものだった。


それもそうだ。


仕事を抜け出してきた為にスーツ姿や作業着姿の人もいれば、私服で来た人、ちょっとお祭り気分でコスプレをしてきた人までいる始末。


でも、ミッシェル先生は気づいているはず。


6年経った今、それぞれの人生を歩む私達、3年5組が一人残らず全員揃っているのだから。


隣で中心人物だった男子生徒――今は立派な営業マンの彼がもう一度笑顔でミッシェル先生に手を振る。


それが合図。


「ミッシェル先生!」


『エール!!』


全員が声を揃えた瞬間、営業マンの彼が集まったかつての仲間に振り返り、ミッシェル先生の真似をして指揮をふるう。


合唱なんて誰もがあの頃以来。全員そろっての練習なんて当然できるはずもない。各々がカラオケで自分達のパートを練習してきた程度だから、不協和音にもほどがある。けれどあの時みたいな歪な形の音じゃない。今はたった一人の恩師を祝うために、心が一つになっている。


馬鹿みたいな青春時代を思い出して、大人になった私達は歌を唄う。


こんな場所で大人数で押し寄せて、何やってんだろってお互い顔を見合わせて笑いながらも歌うのをやめない。参列者の人達は何事かと目を白黒させているし、私達を知る先生達は爆笑していた。


ミッシェル先生は目を真ん丸にして呆然としていたけれど、隣の花嫁さんがミッシェル先生の耳元に口を寄せて、ひそりと何かを話した瞬間、ミッシェル先生ははじけるように笑って。

アカペラで歌い終えた私達は、指揮を担当してくれた彼がもう一度振り返ると同時に笑いながら叫んだ。


『お幸せに!!』


そう言って一目散に逃げ出した私達。


サプライズだから怒られたらたまったもんじゃない。


社会人になってまで、何やってんだお前らはっ! という怒号は、たぶん懐かしき世界史の豊田先生だと思うけれど、その声色はあの頃あんなに怖いと思っていたのとは違って、笑い交じりのものだった。


きゃーっと悲鳴を上げて、でも笑いながら逃げていくバラバラの制服を身に付けたOLの姿。


スーツ姿のサラリーマンと作務衣姿の男性達が肩を組んで、空を見上げて馬鹿笑いしている。

腕時計を見て「やべぇ!」と叫んでいる人もいれば、「これからご飯食べに行こうよ」と懐かしい同級達との会食に思いを馳せる人もいる。


最後に振り向けば、ミッシェル先生が笑いながら手を振っていた。


隣では花嫁さんがブーケを持った手を大きく振っていて。


「――I pray (私は、)everyone's(みんなの) future(将来が) will be(幸せで) happy and(素晴らしいように) wonderful!(祈ります!)


大きな声で叫んだミッシェル先生に、気づいた数人の共謀者たちは大きく手を振って応えたのだ。


私達は確かに、ミッシェル先生からのエールを受け取った。





2013/09/16執筆了

……っていう夢を見たんです。マジで。

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