第2話:事故現場
「あのさ、お願いがあるんだけど」
山村はそう言って、わたしのすぐ隣を飛んできた。わたしたちはあてもなく歩きまわっていた。汗が滲む度に髪の毛がペタッと頬や額にはりついてきて鬱陶しい。蝉の音と車の音が混ざり合った雑音が耳につく。コンクリートの道は熱を集めているせいか、足裏から熱さがジリジリと伝わってきた。
わたしは山村の声などほぼ聞いておらず、無意識に相槌だけを打っていた。
「犯人を知りたい」
「無理」
犯人なんて、とわたしはぼやいた。
警察でも探偵でもない学生が、山村をひいた犯人を見つけるなんてできるわけがない。構わず歩き続けるわたしの前に山村は立ちはだかった。視界が一気にぼやけ、一瞬クラッとした。わたしは頭を抑え、数回こめかみを叩いた。ポケットから出した右手は汗ばみ、乾いた音が鳴った。わたしは歩道の真ん中に立ち止まった。
すると、自転車のベルがチリンチリンと二度響く音がした。しかしわたしは山村の薄黒い眼球から目をそらすことも、動くこともできなかった。自転車はわたしのすぐ隣を通り過ぎ、それに乗っていたおばさんがわたしを不審気に一瞥していった。
山村は一向にわたしから目を離さず、口元をニィッと吊り上げた。蝉の音も車の音も子どもの笑い声も全ての音がプツッと切断された。脳みそが混ぜられているような気持ち悪さと共に、寒気に襲われた。恐怖で体が強張り、額に汗が流れ出た。
山村のレンズに映るわたしの姿は、怯えた犬のように震え、とても惨めな顔をしていた。
「頼むよ」
今にも倒れてしまいそうだった。ふと、山村が死んだ日に孵化した蝉が今日、死ぬ日だ、と思った。
事故現場は車が何台か行きかっていた。多いわけでもないが少ないわけでもない。電柱に白い棒が突き出しており、そこにぶら下がっている真っ青な看板には白いゴシック体で『事故多し! スピード落とせ』と書かれていた。
そこから二十メートルほど歩くと曲がり角があった。山村が死んだその場所には花やお菓子が供えられていた。白いガードレールがべっこりと凹んでいる。それがとても生々しく見えた。
「そう、ここだ。俺、ここで死んだんだ」
山村は独り言のようにそう呟くと、そこをジッと見つめた。わたしは来るときに何となく買った一輪の花をソッと電柱の近くに置いた。そして手を合わせた。山村は「おいおいやめてくれよ」、と言って苦笑いを浮かべた。
「痛かった?」
「全然。気が付いたら死んじゃってたから」
山村は空を見上げた。
わたしは鞄の中から携帯を取り出し、事故現場を撮っておいた。そこに山村の姿は写らなかった。わたしは写真を撮り続けた。
車のけたたましい音が鳴り響き、わたしのすぐ隣を物凄いスピードで通り過ぎていった。写真を撮りながらいつの間にか道路にはみ出していた。わたしは歩道へ戻り、山村に事故当時の詳しい状況を尋ねた。
その日、雨が降っていた。
下校時間も遅く、辺りは薄暗かったらしい。この道を山村は歩いていた。傘の骨が何度か横の塀に擦れた。雨は激しさを増すばかりで、遠くでは雷が鳴り響いていた。右側にある道路を車が何台か走り去っていき、水しぶきをあげたという。辺りには山村しかいなかった。
そして、何かが光った。雷が落ちたんだと思った。少し遅れて、雷鳴。耳鳴り。傘が手から放れた。眩しくて片目を瞑る。右目から見えた、トラック。一瞬で、山村は死んだ。
「全く理不尽な話だぜ」
山村は地面に仰向けに寝転がって言った。車が山村の上を踏みつけていった。
「雷だと、思ったんだ」
山村は落ち着いた声色で言った。悔しがる素振りも、哀しがる素振りもなかった。
わたしは再度、ガードレールを眺めた。見事に原型を留めていない。コンクリートの地面を見ると、わたしは少しおかしなことに気がついた。山村の話ではトラックはここに突っ込んできて、山村はここで死んだ。それだと明らかにおかしかった。
わたしは山村を見た。山村は空をボーッと観察していた。すでに自分の事故のことなど興味がないようだ。しばらく山村を見ていると、山村はミーンミーン、と呟いた。山村が蝉の真似を始めると、測ったかのように周りから蝉時雨が降りだした。山村はその光景に楽し気な笑みを浮かべた。蝉の音はしばらくするとピタリと止んだ。
わたしは山村を見つめ続けた。髪の毛がわたしに纏わりつくのを、鬱陶しく感じながら。
お読みくださり有難う御座います!
あと3話で完結なので、最後までお付き合いくださると嬉しいです。
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