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第三十話 ――幕

9/24 更新

 気づけば辺は暗くなっていた。


 その暗さはどことなく、人間が一人もいないのではないかと思わせるほどに不気味である。月の光が天使の羽のよう。


 しかしそれでいて、生活音や人の気配は感じることができるので奇妙な違和感を感じさせた。この奇妙さはどこかで感じたことがある。


 一体どこで?


「ねえ、坂城君。どこまで走るの? あたし結構疲れて――」


 最後まで言い切ることはできなかった。


「つっかまっえた!」


「え……」


 体の感覚がなくなっていく。


 溶けていく。


 塵になる。


 虚無にちていく。


 目の前の坂城君に手を引かれているはずのあたしの手にはその感触がなく、どうしたことか、視界さえもボヤけていた。


「はぁ~、やっぱり自分の身体は落ち着くなぁ。殺すには惜しいよ」


 その子は、あたしの体を抱きしめ、心底残念な声で言った。


「どう……し、て?」


 下を見下ろせば、腕があたしを抱いている。白く、柔らかそうで華奢な腕だ。


「ゴフッ!」


 吐血をした。


 が、痛みはなく、まるで夢の中にいるような気持ちだ。


「――よ……ちゃ……ん」


 坂城君の声はうまく聞き取れない。その声はどうしてか、悲しく響いた。


 身体は立っているのもやっと――というか、なぜ立っていられるのかも思考できない。


 ズン。


 途端、その華奢な腕があたしから抜き取られ、鋭い刃物がチラリと見える。


「あなた、だれ?」


 振り返りはしない。相手を見据えることもしない。


 相手に声は届いたのだろうか。生きているギリギリの息しか口から吐き出せなかった。


 抱きしめる力が強くなって、次第に目の前が暗くなってゆく。


「浅倉陽子、これでおしまいだ」


 その声は、あたしの記憶の中にある。相手が誰であるかもわかった。


 そして、ひとつの疑問。


「どうしてアンタが天使なの?」


 答える声はない。


「死んでいたのはそっちのはずなのに、あたしが殺されちゃうのか」


「それは勘違いだ。死んでいたのはお前の方。この世界に浅倉陽子は存在しない」


「嘘。死んでいるのは望月鷲。この世界に望月鷲は存在しない」


 沈黙は長くなかった。


「それはどちらでもいい。だが、全てなかったことにする。お前の望み通りだ」


 望み?


「ノアの方舟……ってこと?」


「そうだ。浅倉陽子も、お前の作り上げた望月鷲も、全部だ。全部消し去る」


 全て?


「全て消すっていうならアンタはどうする。アンタも消えるぞ」


 あたしが話しているのか、悪魔の方が話しているのか、それはわからない。


 彼は「答えるまでもない」と言った。


「自分殺し……自殺か」


「ああ、終わりだ、これで全部。なにもかも」


 もうあたしに話すだけの力もほとんどない。呼吸をするのに精一杯なのだ。


 けれど自然に声が出る。自分の声色こわいろではない。


「魔界に戻るのか、俺は。魔界は薄暗くて好きになれないのだが」


「違う、もっと暗い所だ」


「はは、どのくらい暗いんだ? 闇と同じくらいか?」


「もっとだ。光なんてない……存在すら許されない世界だから」


 しばしの沈黙後、悪魔は言う。


「面白い、実に面白い。それも愉快な話だ。いいぞ、空の王、ジズ・フライマはそれに乗ってやる。機械の助けなんぞ借りないでひとっ飛びだ!!」


 彼は「ありがとう」と言った。


 あたしは――、


「嫌だ! そんな所に行きたくない。行くならアンタたちだけで行け!!」


 渾身の力で振り払い、対峙し、思いっきり振りかぶる。私の拳は彼の顔に命中した。


 しかし、


「無駄だ、もうナイフはすぐそばだからな。心臓が止まるのも時間の問題」


「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ――嫌だ!! 死にたくない、死にたくないよ……。死ぬなんて、耐えられない」


 涙が止まらない。どれだけの理由を並べられても、死ぬなんて御免なのに……許されないなんて。


「安心しろ、死ぬのはオレたち全員一緒だ。それに、未練ならオレにだってある」


「え?」


「だがそれも叶えてやる。死ぬのはそれからだ」





















「オレの心は束の間もあなたを離れたことがなく、この世はおろか、あの世までも。

 ただひたすらにあなたのことを愛し続け、ただひたすら……」





「十五年、十五年もあたしは幼馴染を演じてきた。

 それも今日まで……!

 あたしはあなたを愛しています」




 坂城さかき陽海はるみは一言に自分の全てをかけた。



 彼女はこの状況に涙する。



 積もりに積もった恋や愛をやっと想い人伝えることができるからだ。



 そして、最愛の人との今生の別れに。



 望月もちづきしゅうは壁を背にして座り、目をつぶる。



 自らの心臓にナイフを突き立て、そして叫ぶ。




「もう行こう、失礼する、そう待たせてはおけない。見てくれ、月の光が迎えに来た!」




 坂城陽海の泣く声に彼女を見つめ、髪を撫でる。




「願わくば、冷たい死がこの骨の随まで達した時に、その黒い髪にめて戴きたい。二つの喪の心を、浅倉陽子を悼む心に、オレのことも……」




「神にかけて、誓います」




 坂城陽海の言葉に、望月鷲は不意に立ち上がって言う。




「――助けはいらない、誰も無用! この壁で十分だ!」




 沈黙。




「とうとうやって来たな! 立ってお迎えしよう!!

 見ているな、浅倉の奴……どうだ、これでも喰らえ! ハッ! ハッ!」




 ナイフは宙を切り、空を切り裂く。




「……和解しよう? オレが? 真っ平だ! 真っ平御免だ!!

 ――最後にオレが倒れるのは承知の上だ。戦う、戦う、戦うぞ!」




 ナイフを振り回し、けれど喘ぎながらそれをめる。




「そうだ、アンタ(オレ)あたし(オレ)からすべてを奪おうという。さあ、取れ、取るがいい!

 だがな、オレ(お前)がいくら騒いでもオレがあの世へ持っていくものが一つある。

 それも今夜だ!!」




 彼は息を切らせて続ける。




「皺一つ、染み一つつけないままで。それはな、オレの――」




 望月鷲は坂城陽海の腕に倒れた。



 ナイフの刃を自分に向けて高く掲げ、構える。



 坂城陽海はナイフを持った震える彼の手に自分の手のひらを添え――、




「それは、オレの?」




 望月鷲は、坂城陽海の唇に自分の唇を重ねて沈黙。



 離れ、互いに目を合せる。



 そしてかすかに笑い――、




「心意気だ!!」




 望月鷲は、彼の心臓に刃を突き刺した。





――幕


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