第二十二話 7月27日
9/4 更新
9/5 修正
今日の日付は7月の27日、金曜日。
天気は夏真っ盛りの快晴――ではなく、どんよりとした陰鬱な雨である。パツパツと窓に雨の雫が当たる音が耳に届く。
こういう時、講義を受けていると蒸し暑くて、怠くて仕方がない。
講義の内容も教科書に沿った内容だし、そもそも大学教科書程度のことなど遠の昔に理解しているので、非常にかったるいことこの上ない。
「――退屈だなぁ」
あたしにとって、こういう夏の雨の日には特別な感想がある。
十才の時だ。
あたしの大事な、大事な友達がこの世から消えてしまった。友達――と言っても同い年だが彼の方があたしよりも早く生まれたため、『兄』と呼称していたのだけど。
兄が死んだ時の西暦は――2002年。間違いはない。当時十才。もし死んでなどいなかったら、あたしと同じ20歳で大学生になるはずだった。
まぁ、要するに。それだけ長い時間、彼が死んで経ってしまったのだ。
しかし、時計を眺めたってあたし自身がどうなるわけじゃないし、ましてや彼が生き返るかどうかなんてありえることじゃないから、そんなことはどうだっていい。
でも、あたしは忘れたことなんて一度もない。
忘れようがない。
だって、彼はあたしの頭の中にいるのだから。
簡単に言うと、あたしはあたし自身とは別に、他の人格を持った人間なのだ。だから彼がいなくても寂しくなんてない。
いや、これは嘘だ。本当はとっても寂しいし悲しい。
あたしの大好きな兄、望月鷲は悪魔なのだ。
笑っちゃう話でしょ? 実際、そんなものは嘘っぱちの設定で、ただの彼の勘違いなんだけどね。
彼は小さい頃から悪魔を信じてた。ううん、悪魔だけじゃなくて天使や幽霊なんかもいるって信じてた。サンタクロースもそう。
まぁ、子供だしね。あたしも子供だからそういうこともあるって信じてたけど、やっぱり現実にそんなものはあるはずも無く、彼は信じたまま亡くなってしまった。
そのあとあたしはショックで衰弱……そして昏睡へとシフトした。
意識を失っていた中で、真っ暗な空間がずっと続いてた。
もしかしたら、ただ瞼の裏を見ていただけかもしれないけれど、そのときのあたしは夢を見ているものだと思ってたらしい。
こんな真っ暗でつまんないなら、楽しい場所にすればいいってね。
そういうとんでもなくアホらしい単純思考で、あたしは望月君を作った。
そう、あたしは望月鷲を作ったのだ。
基本ベースはあたし。そのときからあたしは成績優秀、運動神経抜群の天才――と呼ばれていたので、それに基づいて彼の人格を作っていった。
結果、悪魔信仰をしていた望月鷲の人格が出来上がってしまった。
昏睡していた期間はだいたい五ヶ月らしいが、あたしが『浅倉陽子』として目覚めたのが昏睡から二年後である。
創造主を差し置いて『望月鷲』の人格は勝手に一人歩きをしだしたのだ。
それからのあたしは必死に彼を止めることでめいっぱいだ。
彼はあたしの姿で、大人に対して自分のことを悪魔だと言い、魔法だ何だと呪文を唱えて人にいたずらをするのだから大変。
汚名返上。名誉挽回。天才らしくことごとく解決していく羽目になった。
病院ではPTSDの診断を受けたが、当時のあたしはこれまた必死に彼を庇った。その時のあたしには彼しか家族と呼べる人がいなかったのだ。
授業が終わるとあたしは友人のところへ行く。
「ああ、陽子じゃないか。どした、目が赤いぞ?」
「うん、ちょっと徹夜。ごめん、坂城君。また部屋を借りていい?」
「いいけど。お前はもうちょっと考えろよ」
坂城君は鍵と共に大きなため息をついた。
「え? 何が?」
「いい加減、男友達の部屋を自分の寝床にするな」
彼、坂城君は小さい頃からの付き合いだ。付き合い――といっても彼氏カノジョではなく、ただの友達。少し親しすぎる友達。つまりは友達以上恋人未満である。
そして、望月鷲のことを知っている数少ない関係者だ。
「いいじゃん、こんな美人の女友達がいて。そこらの店頭に並んでいるモデル雑誌の表紙と比べたって劣らないような顔立ちとプロポーションを保持している――と自負してるんだけど……どうかな?」
雑誌張りのセクシーなポーズをとると、彼はまたため息をつく。
「はいはい、美人美人」
「なんだって? その態度は気に食わんな。あたしにはそんな劣情をしないと?」
「…………それより、望月の方ともうすぐ変わるのか?」
坂城君は急に鋭い目付きになり、あたしは少し戸惑って黙る。
「うん。もう坂城君の顔、あんまり見えてないや」
望月君と変わる時。それはあたしの意識が消えるときで、視界がどんどん薄れていく。
いや、滲んでいくっていう方が正しいかもしれない。
とにかくまぁ、そんなこんなで現実とお別れ。
そのあとのあたしは夢の中へと降りていく。
夢……を見ていたようだ。夢の内容は思い出せないけど、望月君が出ていた気がする。
「おい、陽子。立ったまま寝るなよ。危ねぇぞ?」
「……んー? んー?」
「もしもし、起きてますか?」
坂城君はあたしの前で手を振ってみせる。
その光景がどんどん現実味を帯びて、自分が目を覚ましたと気づく。
「んー、ここどこ? 今何日の何時?」
「ここは学校の正門。今? 今は七月二十八日の一六時丁度。望月と変わってからだいたい四時間ってとこだな」
「何かマズイことは?」
「特にないんじゃないか。 あ、でも、パソコンみたいにフリーズしたりしてたな。何かあったのか?」
「んと、多分夢だよ。二人とも夢を見てたから意識的に体を動かせなかったんだと思う」
明晰夢によって作られた空間にいると現実と勘違いしそうになる。何がイチゴだ。馬鹿馬鹿しい。
あれ? じゃあ妙な気配はなんだろう。悪魔? 天使? そんなのがいるわけないか。
ふと正門の柱の柄を見つめる。
「これ、タングラムっていうんだっけ?」
触れながら坂城君は尋ねる。
「正方形をいくつかに切り分けて作られたパズル……だね。懐かしいなぁ」
この学校のいたるところにタングラムで作られた模様が沢山施されている。
門の柱にはその元となる正方形が彫られているのだ。
「懐かしい?」
「うん、小さい頃は滅多に外に出られなかったから。こういう茜空を見ながら、兄と一緒にタングラムのパズルで遊んだんだ。うわー、ホントに懐かしいなぁ」
「じゃあ、問題を出し合ったりしたのか?」
「そうだよ。完成図を覚えて、早く完成させたほうが勝ち。兄ってば完成図をいっつも忘れちゃうから、あたしが結構勝ってたんだけどね。『まだ思い出せないの』ってあたし、口癖だったんだ」
あたしは何となく、はしゃいだ気分になってしまう。
いわゆる、ノリノリである。
「いろんなことがあったなぁ」
言いたくもないのにそう自虐っぽい言葉まで出てしまった。
そう、
「「あのときも」」
――何かが視える。あれは、『 』だ――
「――! 誰!?」
坂城君ではない誰かの声。それがあたしの言葉を重ねた。
「お前は」
「坂城君、知り合い?」
「いや、食堂で見かけた……だけなんだけど」
「そう、彼は私を見ていただけ。別に二人で『ナンパ』をしようとしていたわけじゃない」
クス、と黒い、長い髪を後ろに流した女性は言う。坂城君は「まいった」とうなだれた。
何だ、コイツはあたしの知らない女にちょっかいを出そうとしていたのか。
それは……ムカツクな。
「浅倉さんは気にしなくていい。彼と密接に関わったことはないから」
今度はフフフ、と笑いながら言う。どことなく、いろんな意味で読めない女性だ。
「えっと、それであなたのお名前は?」
「名前? それは、必要?」
彼女は首を傾げる。
この子は何を言っているんだろう。
「だって、名前がないと呼べないじゃない」
「ヨべない……?」
脇のベンチに座った彼女はキョトンとあたしと坂城君を交互に見る。
「ああ、『呼べない』。私は天野恭子」
「天野……さん?」
「何?」
「あ、ごめん、なんでもない」
本当に変な子だ。電波だ。不思議ちゃんだ。
身長はあたしより低い。一六〇センチ前半ぐらいだろうか。特徴は黒い長い髪。それと妖艶に微笑む顔。大和撫子、という雰囲気がする。
あんまり関わりたくはないかも。
「行きたいのなら行った方がいい」
「え? それってどういう――」
「陽子、もう帰ろう」
「坂城君……」
彼はあたしの目を見て言った。
「アイツはちょっとコワいぜ。さっさと帰ろう」
「う、うん。わかった」
相変わらず天野さんはクスクス笑っている。
おかしなことに、坂城君に腕をひかれながらも、あたしは彼女から目をそらすことはできなかった。
7月27日




