第十五話 Can you fly the sky?
8/14 更新
9/3 修正
「――どうして……それを?」
「? 働くってこと?」
「うん、それ」
学校を出、あの店に向かう途中に彼女は俺に尋ねた。
なんだかその疑問の声が、酷く幼稚な子供が大人に怒られて気落ちしているように聞こえた。
「ああ、なんていうか……ちゃんと言っておかないといけない気がしたからさ」
「……どうして?」
「どうしてって……」
浅倉はどうしたのだろうか。今日の浅倉はいつもの元気さが不足しているように思える。
「そりゃあ浅倉さんと店長との仲が良いから……かな。報告しておいても悪いことはないと思うけど?」
「……そういうモン、かな?」
「? どういうこと?」
「だってさ、自分は『自分』だけのモノじゃん? だから『自分のこと』を相手のことを考えて『自分』を話すなんて……あたし、よくわからない」
「よく――わからない?」
彼女は「うん」とだけ頭を揺らして応えた。
よく見ると鞄を持つ手が強まっているのがうかがえる。
「あたし、家にいると一人なんだ。屋敷の中にいるのはあたし専属のメイドだけ。外に出てればまだ良いの。外に入ればあたしは誰かといられるし、話せる。
でもね、望月君。外に出てても誰もあたしを見てくれないんだ。だから……だからあたしにはよく――」
そう言って彼女は微笑んだ。
その表情はいつも見る彼女の顔ではなかった。
「――なんてね。行こ、望月君」
「え? あ、ああ」
俺が何て言い返そうか言い淀んでいると、彼女はいつもの顔で言い切った。
とんでもなくキレイで、可愛くて、美人な浅倉陽子。
学内での彼女は、人付き合いが良く、後輩や先輩に気に入られているし成績も優秀。どこの研究所に行っても引っ張りだこだ。
運動に関して言うなら文句はない。
バスケだろうが、テニスだろうが、マラソンだろうが、水泳だろうが、彼女はなんだって問題なくこなす。
全くもって、悪魔である俺には考えもつかないことであるが、
彼女は――、
彼女は何を思って、日々を生きているのだろうか。
仕事をし出してから……いや、八月に入って何日目かの夜、バイトは卒がなく終わり、何だかんだあって時間は午前零時を回っていた。外に出ると自然なぬるい風がふわりと吹く。
それにしても人間界の夏の夜は暑い。エアコンや扇風機やうちわは手放せないほど暑い。
魔界には夏なんて――いや、季節というもの自体がない。それに時間という概念もないから、人間界でいうのなら未来かもしれないし、過去かもしれない。
でもそんなものはどうでもいい。だって、あっても仕方がないのだから。
悪魔は時間を知ったところで食事を気にすることはない。もっというと、睡眠は体が必要としていない。暑かろうが寒かろうが、それほど気にかける問題じゃない。
だから、あっても意味がない。
人間はこの蒸し暑い原因をなんだと考えているのか聞いてみれば、太陽がどうたらこうたら、宇宙がどうたらこうたら言ってのける。
とても面白い言い分だと思う。
人間は欲しいものはなんでも手に入れてきた。
食事をしたければパンを奪い、土地が欲しければ他国を侵略し、遠くの人と話したくて電話をつくる。etc……etc。
でもそのツケのことは何も考えていない。怒り、恨み、後悔……そういったものは見ないふりをしてきた。それが自分たちに牙を向けているとも知らずに。
地球は限界に近づいている。他でもない人間のエゴで。
別に人間を止める気はサラサラない。滅ぶなら勝手に滅べばいい。逆に滅ぶのを手伝ってやってもいいくらいだ。その時が来るなら。いや、不本意ではあるけども。
っと、柄でもないことをタラタラ話していたようだ。忘れてくれ。そんなに面白い話じゃなかったから、気にしないように。
「ああ、今日もいるのか」
さて、人間界には不良と呼ばれる種族がいる。厳密にいえば『不良』というカテゴリーに分類される人間がいるということなのだが、そんなことはどうでもいい。単に、そういう人間がいるということなのだから。
『あん? ンだよ、こっち見てんじゃねェーよ』
暗闇の中で目をギラリと光らせ、こちらを睨む青年二人。後ろの荷物からしてあと三人いる。
彼らは世間からドロップアウトした、ある意味通常の人間とは異なった思考や行動を持って生活している。
しかし彼らの本質はそうじゃない。
『なあ、アンタちょっと金貸してくんネェかな、つか、出さなきゃブッ殺すんだけど。って聞いてる?』
彼らは攻撃性や即物的な面を大いに持った、『人間の原型』にかなり近いと思う。単純に、『欲しければ奪う』ことをやってのける思考回路だけを持っているのだ。
俺と青年との距離は十メートない。彼らは俺に走って詰めかけてくる。きっと飛び蹴りを放つつもりだろう。前傾姿勢で今にも跳びそうな格好をしている。
「金……ね。良いよ、君たちにあげよう」
『えっ?』
「だから、金、あげるよって言ってんの。どうしたの、何驚いてんの?」
こちらに走ってくる途中、彼らは足をふんじばって止まった。声色を変えない俺に対して驚いたのか、素直にサイフを渡すという俺の態度に驚いたのかは、よくわからない。
『お、オイ、アンタ……何モンだ?』
青年の一人が言う。
「そんなこと関係ないだろ。ホラ、要らないのか? 金」
『い、要るに決まってんだろ、つか、アンタ馬鹿でしょ、自分からサイフ渡すとか……、マジダセェんですけど』
これも青年の一人。
「? そういうもんなのか。いや、こういうことはあまり経験がないから、対応に困るというか……なんていうか」
『そうかよ。じゃあ――あばよ!!』
そう言って不良青年の掛け声の下、後ろに控えていた少年が金属バットを持って襲ってきた。着ている服からして、本当は金になんて困っていないのだろう。
本当に、本当に面白い人間だ。
それにしても、
「あ、一つ聞き忘れた」
『ンだよっ、タイミング悪ィやつだな!』
言いつつも、律儀に攻撃を止めるところを見ると、根は真面目な子なのかもしれない。
「ああ、ごめん、ごめん。君たちは飛べるのかな?」
『トベる? はっ、当たり前っしょ、ウチらガンガン、クスリやって頭ハイになれンだからよっ!』
とだけ言って、鉄パイプをフルスイングする青年一人。
なんだ、やっぱり君たちは、
「――空を飛べないのか」
『ハァ? アンタ何? もしかしてイっちゃってん――』
『お、おいタケ、どうし――』
一人、もう一人が動きを止め、虚ろな瞳でトボトボと近くの廃ビルの中へ入っていく。
――――暗転。
《グシャア》という音と《ドゴォン》という音がハーモニーを奏でて次々と目の前に落ちてくる。まるで、地上数十メートルをから降りることをトランポリンと勘違いしているようだ。
「さて、サイフは返してもらおう。君たちは本当に飛べたのに。残念だ」
Can you fly the sky?