5、生の実感は泥の中に
帝国の攻撃の矛先は、フリーデリケラインの中でも最も強固とされるラフィネスクイおよびスコリアに向けられた。ヴァスコ将軍は、圧倒的な攻城兵器による砲撃を命じた。
地を揺らす轟音が響き、雪が舞い上がる。だが、煙が晴れた後に見えたのは、依然として沈黙を保つ森の姿だった。目に見える城壁がないため、砲弾は土を穿つだけで、地下に潜む大公国兵には届かない。
「突撃! 帝国騎士団の力を見せてやれ!」
焦れた帝国軍が前進を開始した。だが、騎士たちの馬が岩石の障害物に足を取られた瞬間、地獄の蓋が開いた。
どこからともなく飛来する矢と投石。支援を断たれた騎士団は、雪の迷路に閉じ込められた獲物と化した。
「今だ、押し戻せ!」
指揮官の蛮声がとぶ。ヒルデガルドが育て上げた歩兵たちが、積雪を苦にせず飛び出してきた。個々の士気は極めて高く、自分たちの背後にある家族と国土を守るという決意が、彼らを死を恐れぬ戦士に変えていた。
前線の視察中、ヒルデガルドは不思議な解放感を感じていた。
ふと、一週間前のキルトセラスの私邸での、家族の夕食を思い出した。磨き上げられたクリスタルグラス、一寸の狂いもなく並べられた磁器の皿。アウグストが切り分ける肉の塊の断面は、完璧な薔薇色をしていた。だが、その肉に味はなかった。娘のという澄んだ声は、氷の破片のように耳を滑り落ちていった。あの家では、空気さえも凍っていた。
現場の指揮官が意見具申をする。その声には現実の焦燥が混じっている。ヒルデガルドは目を閉じ、深く息を吸い込む。肺を満たしたのは、湿った土の冷気と、兵士たちの流す汗、そして武器の革と金属の匂い……。
苦い。だが、この空気には熱がある。
「君の意見を全面的に支持する。期待しているよ」
彼の緊張が解けるのを感じた。ヒルデガルドは陣地から一歩踏み出し、泥濘の中に靴を沈めた。重い泥が足首を掴む。その不自由さが、かえって彼女に、自分がこの地に立っているという確信を与えた。
皮肉なことだ。彼女を人間に引き戻すのは、夫の愛でも娘の敬意でもなく、目の前で命がゴミのように散っていくこの凄惨な戦場なのだ。
ヒルデガルドは震える手で帯剣の柄を握る。手のひらには、二十年ぶりに呼び覚まされた獣のような脈動が、ドクドクと不快なほど鮮明に打ち寄せていた。
ヒルデガルドは、自分がこの汚泥にまみれた戦場で、救いようのないほど充足していることを自覚した。そのまま負傷者が運び込まれてくる野戦病院に足を向けた。
数に勝る帝国軍は、ヒルデガルドの指揮する見えない敵、崩れない防壁を前にして、次第に無秩序な混乱へと陥っていった。開戦前の高揚感は消え去り、リソスフェア地峡には、泥沼のような膠着状態と、凍てつくような絶望が漂い始めていた。




