4、騎士の帰還
大陸暦三一八年。帰国の日を目前に控え、陸軍大臣から正式な辞令が下った。大公国軍への復帰。それは同時に、同時にエドガールを捨てることを決定づける通告であった。
激しい吹雪の夜、ヒルデガルドは逃げ出すように外へ飛び出した。
「私は、何を……」
凍てつく空気の中で意識が遠のく。雪の上に倒れ伏した彼女を救ったのは、彼女が裏切ろうとしていたエドガールだった。
数日間、ヒルデガルドは高熱に浮かされ、うわごとでエドガールの名を呼び続けた。その枕元で、彼は献身的に彼女の手を握り続けていた。
そこへ、アウグストが見舞いに訪れる。彼は意識を失っているヒルデガルドの顔を覗き込んだ。彼は目を合わせないままエドガールに冷酷な真実を突きつけた。
「エドガール君。彼女は帰国し、彼女にふさわしい場所に戻る。それが彼女の選んだ道だ。君がそばにいては、彼女の未来は閉ざされる」
数日後、ヒルデガルドが目を覚ましたとき、部屋はしんと静まり返っていた。アウグストが送り込んだメイドが彼女の世話をしていた。エドガールの姿はどこにもなく、ただ窓の外で雪が降り積もる音だけが響いていた。
その後、ヒルデガルドは帰国し大公国軍で順調にキャリアを積み重ねていく。騎士団長となり、歩兵総監となった。彼女が歩兵総監として成した功績は、それまで騎士団の付属物に過ぎなかった歩兵を、独立した戦力として整備したことだった。
かつての「生ける時計仕掛け」は、爵位を継承しエステメノスクス伯爵となり、より冷静で、より完璧な戦略家へと変貌を遂げていた。彼女の胸には、エドガールとの生活の空白を埋めるように、勲章が積み重なっていった。
ヒルデガルドはアウグストと結婚した。それは大公国貴族の間では理想的な結婚と称えられたが、その実態は、お互いの利益を最大化する最適解のようなものだった。
同じ屋根の下にいても、交わす言葉は仕事のことばかりだった。
二人の間には娘がいる。
娘は母に似た鋭い知性を持っていたが、両親から向けられる視線が家族の愛情ではなく次世代の騎士への期待であることを敏感に察していた。
ヒルデガルドは娘を抱きしめる時、かつてエドガールの背中にしがみついた時の、あの日光の匂いを思い出しては、激しい吐き気に襲われることがある。アウグストの愛は、彼女を完璧な指揮官として完成させたが、同時に幸福を知る女としては殺してしまったのだ。
大陸暦三三九年。ついに大戦争が勃発する。
ヒルデガルドは最重要拠点、リソスフェア地峡軍の司令官に任命された。そこは、敵軍の猛攻が予想される、もっとも過酷な戦地だった。
出征の朝、十歳になる娘が、軍服に身を包んだヒルデガルドの前に立った。娘の背筋は定規で引いたように真っ直ぐで、その瞳には子供らしい潤みなど微塵もなかった。
「お気をつけて、お母様。リソスフェアの防衛線の維持は、我が国の存亡に関わります」
娘の口から出たのは、十歳児の言葉ではなく、教科書のような言葉だった。ヒルデガルドは娘を抱きしめようとして、その指先がわずかに震えた。
この子もまた、私と同じだ……。
ヒルデガルドは結局、娘の肩を叩くこともできず、ただ事務的に頷いた。
「……留守中の勉学を怠らぬように。お父様の指示に従いなさい」
「はい、お母様」
そのお母様という響きには、鉄を叩いたような硬い無機質さだけが宿っていた。まるで時計仕掛けのようだ。娘に背を向け、馬車に乗り込んだ瞬間、ヒルデガルドは深く椅子に沈み込んだ。戦場の方が、まだ息がしやすい。そう確信しながら。




