異世界監査法人 ~勇者の経費精算、認められません~
王国財務院の地下書庫は、埃っぽくて薄暗い。
私はそこで、机いっぱいに積み上げられた紙の山と対峙していた。
(これが全部……領収書?)
目の前には、木箱三つ分の書類がそびえている。どれも黄ばんだ羊皮紙やら、インクの滲んだ紙片やら、果ては木の皮に書きなぐったメモまで混じっている。
「鶴見くん」
背後から声がかかった。
振り向くと、財務院長官のグレイスが、にこやかな笑みを浮かべて立っていた。
五十代後半の痩せた男で、眼鏡の奥の目はいつも笑っているが、その実、数字のミスを見つけると鬼のような追及を始める。
「これは……」
「勇者アルト一行の、魔王討伐に伴う経費精算書類一式だ」
長官は、まるで他人事のように言った。
「君には、これを監査してもらいたい」
「監査、ですか」
「そうだ。魔王を倒した勇者一行に対し、王国は多額の報酬と経費精算を約束している。しかし、請求額が……その、予想をかなり上回っていてね」
長官は、肩をすくめた。
「金貨に換算すると、およそ五千枚」
「ごせ……」
私は思わず声を詰まらせた。
金貨五千枚といえば、一般市民の年収の百年分以上だ。
「いくらなんでも多すぎないですか」
「だから君に監査してもらうんだ」
長官は、私の肩をぽんと叩いた。
「君は、元の世界で会計士とかいう仕事をしていたんだろう? こういうのは得意なはずだ」
「得意かどうかと、やりたいかどうかは別問題です」
「やりたいかどうかと、やらねばならないかどうかも別問題だ」
正論で返されて、私は黙った。
「勇者本人を呼んである。明日の午前中に来るそうだ。それまでに、怪しい項目をリストアップしておいてくれ」
「明日……!」
「君の有能さを信じているよ」
長官は、そう言い残して去っていった。
私は木箱の山を見上げ、深々とため息をついた。
(前世でも、決算期は地獄だったけど……)
こっちの世界でも、結局同じことをやらされるとは思わなかった。
◇
夜通しかけて、私は領収書の山を分類し終えた。
結果として、怪しい項目は三十件以上にのぼった。
(これは、明日の勇者様には長時間お付き合いいただくことになりそうだな……)
翌朝。
財務院の応接室に、勇者アルトが姿を現した。
「失礼します」
扉を開けて入ってきたのは、思っていたよりも若い青年だった。
二十代前半くらいだろうか。金髪を短く刈り込み、鎧ではなく質素な旅装を身につけている。
腰には、飾り気のない長剣が一本。
(意外と……地味だな)
勇者といえば、もっと派手な鎧や、光り輝くマントでも身につけているものかと思っていた。
「勇者アルト殿ですね。本日はお越しいただき、ありがとうございます」
「こちらこそ、お手数をおかけします」
アルトは、礼儀正しく頭を下げた。
「経費の件で、確認したいことがあると聞きました」
「はい。いくつか、お聞きしたい項目がありまして」
私は机の上に、分類した書類の束を広げた。
「まず、こちらの領収書についてですが――」
最初に取り出したのは、金貨三百枚と記された羊皮紙だった。
「『伝説の剣・アルカディウス』、自費購入。金貨三百枚」
「はい」
「これは、経費として請求されていますが……そもそも、伝説の剣を自費で買ったのですか?」
「はい」
アルトは、あっさりと頷いた。
「王国から支給された剣では、魔王の鎧を貫けなかったので」
「支給された剣、というのは?」
「こちらです」
アルトは、腰から長剣を抜いて見せた。
刃こぼれ一つない、ごく普通の長剣だ。
「『勇者認定証』と一緒に渡されました。丈夫で使いやすいので、今でも普段使いにしています」
「では、伝説の剣は?」
「魔王城での最終決戦で使いました。魔王を倒した直後に、刀身が砕けて消えてしまいましたが」
「消えた……?」
「はい。『使命を果たした剣は天に還る』と、剣の説明書に書いてありました」
説明書。
伝説の剣に説明書があるのか。
「それで、金貨三百枚を経費として請求した、と」
「はい。魔王を倒すために必要な出費だったので」
アルトの声には、一切の後ろめたさがなかった。
(これは……理屈としては通っている、のか?)
私は次の書類を取り出した。
「では、こちら。『高級宿・銀月亭』、宿泊費。金貨五十枚」
「はい」
「一泊金貨五枚の宿に、十日間ですね。魔王討伐中に、なぜ高級宿に?」
「仲間の僧侶が、魔王軍との戦闘で重傷を負いまして」
アルトの声が少しだけ沈んだ。
「回復魔法で命は取り留めましたが、完全に治るまで安静が必要でした。普通の宿だと、壁が薄くて騒がしいし、ベッドも硬い。療養には向かないと判断しました」
「療養のため」
「はい。彼女がいなければ、魔王城にたどり着くこともできなかったので」
私は領収書の裏を確認した。
確かに、宿の主人のサインの横に、小さく「療養証明」と書かれた紙が貼り付けてあった。
(几帳面だな……)
次の書類を取り出す。
「『回復薬・上級』、三百本。金貨百五十枚」
「はい」
「三百本は、さすがに多すぎないですか」
「いえ、足りないくらいでした」
アルトは、真顔で言った。
「魔王軍との戦闘では、私たちだけでなく、周辺の村人や冒険者も巻き込まれました。怪我人を放っておくわけにはいかなかったので、回復薬は見つけ次第買い集めていました」
「村人にも使った、と」
「はい。『目の前で人が死ぬのを見たくない』というのは、パーティー全員の総意でした」
私は、思わず言葉を失った。
普通なら、勇者パーティーの経費で村人を救う必要はない。それは王国や領主の仕事だ。
しかし、この勇者は、それを当然のようにやっていた。
「……次の項目に移ります」
私は気を取り直して、別の書類を取り出した。
「『馬車修理費』、金貨二十枚」
「はい」
「これは、どういう経緯で?」
「魔王軍の奇襲を受けた村から、避難民を王都まで運ぶために馬車を借りました。その馬車が途中で壊れたので、修理代を支払いました」
「……」
「あ、領収書の裏に、避難民の人数と名前を控えてあります」
私は領収書をひっくり返した。
確かに、細かい字で名前がびっしりと書き込まれていた。
「全員分の署名を取るのは大変でしたが、後で問題になると困ると思いまして」
(几帳面すぎる……)
私は、頭を抱えたくなった。
怪しいと思った項目を、片っ端から確認していく。
「武器研磨費」——魔王軍の特殊な装甲を斬るため、専門の鍛冶師に依頼。
「地図購入費」——魔王城への最短ルートを探すため、各地の測量士から情報収集。
「通信費」——王都への戦況報告を、魔法の伝書鳩で送るため。
「贈答品」——協力してくれた村の村長への感謝の品。ただし、金貨一枚以下の少額。
どの項目も、アルトは淡々と説明し、必要に応じて補足資料を出してきた。
すべてに理由があった。
しかも、その理由がことごとく「誰かを助けるため」だった。
◇
「……最後の項目です」
私は、残り一枚になった書類を手に取った。
「『慰労会費』、金貨十枚」
「はい」
「魔王討伐後の打ち上げ、ですか?」
「いえ」
アルトは、少しだけ目を伏せた。
「魔王軍との戦いで亡くなった冒険者たちの、追悼式の費用です」
「追悼式……」
「魔王城への道中で、何人もの冒険者が私たちを助けてくれました。その多くが、帰ってきませんでした」
アルトの声は、静かだった。
「遺族への弔慰金は王国が出してくれましたが、追悼式までは予算がつかないと言われまして。だったら、私たちで出そうと」
「……」
私は、領収書を机に置いた。
もう、突っ込むところがなかった。
「アルト殿」
「はい」
「失礼ですが、経費精算の書類を自分で作成されましたか」
「はい。パーティーの中で、一番字が綺麗だったので」
「この分類方法や、裏書の証拠書類は、誰かに教わったのですか」
「いいえ。ただ、『後で誰かに確認されたときに困らないように』と思って、できる限り詳しく書きました」
私は、深く息を吐いた。
(この勇者、会計士の素質があるな……)
いや、むしろ。
(私よりも几帳面かもしれない)
「アルト殿」
「はい」
「本日の聴取は、以上です」
私は立ち上がり、深々と頭を下げた。
「お時間をいただき、ありがとうございました」
「こちらこそ。何か問題があれば、いつでもお呼びください」
アルトは礼儀正しく頭を下げ、応接室を出ていった。
◇
その日の夕方。
私は、長官グレイスの執務室を訪ねた。
「どうだった、監査は」
「終わりました」
私は、監査報告書を差し出した。
「金貨五千枚の経費精算、すべて『適正』と判断します」
「すべて、だと?」
長官は、眼鏡を押し上げた。
「五千枚だぞ。一つも削れなかったのか」
「削る理由がありませんでした」
私は肩をすくめた。
「すべての支出に正当な理由があり、必要な証拠書類も揃っていました。むしろ、私が入社一年目の頃より、よほど丁寧な経費精算です」
「入社一年目?」
「元の世界での話です」
長官は、不可解そうに報告書をめくった。
「しかし、『伝説の剣・自費購入』というのは……」
「魔王を倒すために必要な出費でした。王国支給の剣では魔王の鎧を貫けなかったそうです」
「『高級宿・十日間』は?」
「重傷を負った仲間の療養のためです。療養証明もあります」
「『回復薬・三百本』は?」
「戦闘に巻き込まれた村人や冒険者の治療に使ったそうです。目の前で人が死ぬのを見たくなかった、と」
長官は、しばらく黙って報告書を読んでいた。
やがて、ふっと息を吐く。
「……なるほど」
「お金の使い方には、人柄が出ますから」
私は、そう付け加えた。
「あの勇者は、終始一貫して『誰かを助けるため』にお金を使っていました。私腹を肥やすためでも、贅沢をするためでもない。そういう人間の経費を、帳簿上の数字だけで削るのは、監査官の仕事ではないと思います」
「職業倫理を説かれるとは思わなかったな」
長官は苦笑した。
「分かった。報告書はこのまま提出しよう」
「ありがとうございます」
私は一礼し、執務室を出ようとした。
「鶴見くん」
「はい」
「次の案件も、君に頼むことになると思う。勇者の経費監査、専門にしてみる気はないか」
「……考えておきます」
正直なところ、悪くない仕事だと思った。
帳簿の向こう側に、人間の物語が見える。
それは、前の世界ではなかなか味わえなかった感覚だ。
◇
財務院の廊下を歩いていると、前方から見覚えのある人影が歩いてきた。
勇者アルトだ。
「お疲れ様でした」
「ああ、鶴見さん。お疲れ様です」
アルトは、少し照れくさそうに頭を下げた。
「あの、監査の結果は……」
「すべて『適正』です。問題ありませんでした」
「そうですか」
アルトは、ほっとしたように肩の力を抜いた。
「よかった。何か不備があったら、また書類を作り直さないといけないかと思っていたので」
「いえ、立派な経費精算でしたよ。私も見習いたいくらいです」
「いや、そんな」
アルトは、本当に恐縮したように首を振った。
「ただ、後で困らないようにと思って、やっていただけで……」
几帳面すぎて逆に恐縮するタイプか。
まあ、悪い人間ではなさそうだ。
「ところで、鶴見さん」
「はい」
「一つ、聞きたいことがあるのですが」
アルトは、真剣な顔で言った。
「『確定申告』というのは、何ですか」
「……は?」
「王都の冒険者組合で、『そろそろ確定申告の季節だな』という話を聞いたのですが、意味がよく分からなくて」
私は、思わず額を押さえた。
(そこまでは教えてもらっていなかったのか……)
「長くなりますよ」
「構いません」
「では、食堂で話しましょう。まずは、『所得』という概念から説明しますね」
「よろしくお願いします」
アルトは真剣な顔で頷いた。
その様子を見て、私は少しだけ笑った。
魔王を倒した勇者が、これから確定申告を学ぶ。
なんだか、前世の新入社員研修を思い出す光景だ。
「それから、ついでに『経費の按分』と『減価償却』についても話しておきます」
「あんぶん? げんか?」
「勇者という職業を続けるなら、知っておいて損はないですよ」
私はそう言って、食堂への道を歩き出した。
魔王討伐の後には、帳簿の整理がある。
当たり前といえば当たり前だ。
でも、そんな当たり前を、きちんとこなす勇者がいるというのは、案外悪くない気分だった。
(お金の使い方には、人柄が出る、か)
それなら、この勇者の人柄は、相当いい。
少なくとも、監査官としてはそう思う。
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