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異世界監査法人 ~勇者の経費精算、認められません~

掲載日:2025/12/11

 王国財務院の地下書庫は、埃っぽくて薄暗い。


 私はそこで、机いっぱいに積み上げられた紙の山と対峙していた。


(これが全部……領収書?)


 目の前には、木箱三つ分の書類がそびえている。どれも黄ばんだ羊皮紙やら、インクの滲んだ紙片やら、果ては木の皮に書きなぐったメモまで混じっている。


「鶴見くん」


 背後から声がかかった。


 振り向くと、財務院長官のグレイスが、にこやかな笑みを浮かべて立っていた。


 五十代後半の痩せた男で、眼鏡の奥の目はいつも笑っているが、その実、数字のミスを見つけると鬼のような追及を始める。


「これは……」


「勇者アルト一行の、魔王討伐に伴う経費精算書類一式だ」


 長官は、まるで他人事のように言った。


「君には、これを監査してもらいたい」


「監査、ですか」


「そうだ。魔王を倒した勇者一行に対し、王国は多額の報酬と経費精算を約束している。しかし、請求額が……その、予想をかなり上回っていてね」


 長官は、肩をすくめた。


「金貨に換算すると、およそ五千枚」


「ごせ……」


 私は思わず声を詰まらせた。


 金貨五千枚といえば、一般市民の年収の百年分以上だ。


「いくらなんでも多すぎないですか」


「だから君に監査してもらうんだ」


 長官は、私の肩をぽんと叩いた。


「君は、元の世界で会計士とかいう仕事をしていたんだろう? こういうのは得意なはずだ」


「得意かどうかと、やりたいかどうかは別問題です」


「やりたいかどうかと、やらねばならないかどうかも別問題だ」


 正論で返されて、私は黙った。


「勇者本人を呼んである。明日の午前中に来るそうだ。それまでに、怪しい項目をリストアップしておいてくれ」


「明日……!」


「君の有能さを信じているよ」


 長官は、そう言い残して去っていった。


 私は木箱の山を見上げ、深々とため息をついた。


(前世でも、決算期は地獄だったけど……)


 こっちの世界でも、結局同じことをやらされるとは思わなかった。



 夜通しかけて、私は領収書の山を分類し終えた。


 結果として、怪しい項目は三十件以上にのぼった。


(これは、明日の勇者様には長時間お付き合いいただくことになりそうだな……)


 翌朝。


 財務院の応接室に、勇者アルトが姿を現した。


「失礼します」


 扉を開けて入ってきたのは、思っていたよりも若い青年だった。


 二十代前半くらいだろうか。金髪を短く刈り込み、鎧ではなく質素な旅装を身につけている。


 腰には、飾り気のない長剣が一本。


(意外と……地味だな)


 勇者といえば、もっと派手な鎧や、光り輝くマントでも身につけているものかと思っていた。


「勇者アルト殿ですね。本日はお越しいただき、ありがとうございます」


「こちらこそ、お手数をおかけします」


 アルトは、礼儀正しく頭を下げた。


「経費の件で、確認したいことがあると聞きました」


「はい。いくつか、お聞きしたい項目がありまして」


 私は机の上に、分類した書類の束を広げた。


「まず、こちらの領収書についてですが――」


 最初に取り出したのは、金貨三百枚と記された羊皮紙だった。


「『伝説の剣・アルカディウス』、自費購入。金貨三百枚」


「はい」


「これは、経費として請求されていますが……そもそも、伝説の剣を自費で買ったのですか?」


「はい」


 アルトは、あっさりと頷いた。


「王国から支給された剣では、魔王の鎧を貫けなかったので」


「支給された剣、というのは?」


「こちらです」


 アルトは、腰から長剣を抜いて見せた。


 刃こぼれ一つない、ごく普通の長剣だ。


「『勇者認定証』と一緒に渡されました。丈夫で使いやすいので、今でも普段使いにしています」


「では、伝説の剣は?」


「魔王城での最終決戦で使いました。魔王を倒した直後に、刀身が砕けて消えてしまいましたが」


「消えた……?」


「はい。『使命を果たした剣は天に還る』と、剣の説明書に書いてありました」


 説明書。


 伝説の剣に説明書があるのか。


「それで、金貨三百枚を経費として請求した、と」


「はい。魔王を倒すために必要な出費だったので」


 アルトの声には、一切の後ろめたさがなかった。


(これは……理屈としては通っている、のか?)


 私は次の書類を取り出した。


「では、こちら。『高級宿・銀月亭』、宿泊費。金貨五十枚」


「はい」


「一泊金貨五枚の宿に、十日間ですね。魔王討伐中に、なぜ高級宿に?」


「仲間の僧侶が、魔王軍との戦闘で重傷を負いまして」


 アルトの声が少しだけ沈んだ。


「回復魔法で命は取り留めましたが、完全に治るまで安静が必要でした。普通の宿だと、壁が薄くて騒がしいし、ベッドも硬い。療養には向かないと判断しました」


「療養のため」


「はい。彼女がいなければ、魔王城にたどり着くこともできなかったので」


 私は領収書の裏を確認した。


 確かに、宿の主人のサインの横に、小さく「療養証明」と書かれた紙が貼り付けてあった。


(几帳面だな……)


 次の書類を取り出す。


「『回復薬・上級』、三百本。金貨百五十枚」


「はい」


「三百本は、さすがに多すぎないですか」


「いえ、足りないくらいでした」


 アルトは、真顔で言った。


「魔王軍との戦闘では、私たちだけでなく、周辺の村人や冒険者も巻き込まれました。怪我人を放っておくわけにはいかなかったので、回復薬は見つけ次第買い集めていました」


「村人にも使った、と」


「はい。『目の前で人が死ぬのを見たくない』というのは、パーティー全員の総意でした」


 私は、思わず言葉を失った。


 普通なら、勇者パーティーの経費で村人を救う必要はない。それは王国や領主の仕事だ。


 しかし、この勇者は、それを当然のようにやっていた。


「……次の項目に移ります」


 私は気を取り直して、別の書類を取り出した。


「『馬車修理費』、金貨二十枚」


「はい」


「これは、どういう経緯で?」


「魔王軍の奇襲を受けた村から、避難民を王都まで運ぶために馬車を借りました。その馬車が途中で壊れたので、修理代を支払いました」


「……」


「あ、領収書の裏に、避難民の人数と名前を控えてあります」


 私は領収書をひっくり返した。


 確かに、細かい字で名前がびっしりと書き込まれていた。


「全員分の署名を取るのは大変でしたが、後で問題になると困ると思いまして」


(几帳面すぎる……)


 私は、頭を抱えたくなった。


 怪しいと思った項目を、片っ端から確認していく。


 「武器研磨費」——魔王軍の特殊な装甲を斬るため、専門の鍛冶師に依頼。


 「地図購入費」——魔王城への最短ルートを探すため、各地の測量士から情報収集。


 「通信費」——王都への戦況報告を、魔法の伝書鳩で送るため。


 「贈答品」——協力してくれた村の村長への感謝の品。ただし、金貨一枚以下の少額。


 どの項目も、アルトは淡々と説明し、必要に応じて補足資料を出してきた。


 すべてに理由があった。


 しかも、その理由がことごとく「誰かを助けるため」だった。



「……最後の項目です」


 私は、残り一枚になった書類を手に取った。


「『慰労会費』、金貨十枚」


「はい」


「魔王討伐後の打ち上げ、ですか?」


「いえ」


 アルトは、少しだけ目を伏せた。


「魔王軍との戦いで亡くなった冒険者たちの、追悼式の費用です」


「追悼式……」


「魔王城への道中で、何人もの冒険者が私たちを助けてくれました。その多くが、帰ってきませんでした」


 アルトの声は、静かだった。


「遺族への弔慰金は王国が出してくれましたが、追悼式までは予算がつかないと言われまして。だったら、私たちで出そうと」


「……」


 私は、領収書を机に置いた。


 もう、突っ込むところがなかった。


「アルト殿」


「はい」


「失礼ですが、経費精算の書類を自分で作成されましたか」


「はい。パーティーの中で、一番字が綺麗だったので」


「この分類方法や、裏書の証拠書類は、誰かに教わったのですか」


「いいえ。ただ、『後で誰かに確認されたときに困らないように』と思って、できる限り詳しく書きました」


 私は、深く息を吐いた。


(この勇者、会計士の素質があるな……)


 いや、むしろ。


(私よりも几帳面かもしれない)


「アルト殿」


「はい」


「本日の聴取は、以上です」


 私は立ち上がり、深々と頭を下げた。


「お時間をいただき、ありがとうございました」


「こちらこそ。何か問題があれば、いつでもお呼びください」


 アルトは礼儀正しく頭を下げ、応接室を出ていった。



 その日の夕方。


 私は、長官グレイスの執務室を訪ねた。


「どうだった、監査は」


「終わりました」


 私は、監査報告書を差し出した。


「金貨五千枚の経費精算、すべて『適正』と判断します」


「すべて、だと?」


 長官は、眼鏡を押し上げた。


「五千枚だぞ。一つも削れなかったのか」


「削る理由がありませんでした」


 私は肩をすくめた。


「すべての支出に正当な理由があり、必要な証拠書類も揃っていました。むしろ、私が入社一年目の頃より、よほど丁寧な経費精算です」


「入社一年目?」


「元の世界での話です」


 長官は、不可解そうに報告書をめくった。


「しかし、『伝説の剣・自費購入』というのは……」


「魔王を倒すために必要な出費でした。王国支給の剣では魔王の鎧を貫けなかったそうです」


「『高級宿・十日間』は?」


「重傷を負った仲間の療養のためです。療養証明もあります」


「『回復薬・三百本』は?」


「戦闘に巻き込まれた村人や冒険者の治療に使ったそうです。目の前で人が死ぬのを見たくなかった、と」


 長官は、しばらく黙って報告書を読んでいた。


 やがて、ふっと息を吐く。


「……なるほど」


「お金の使い方には、人柄が出ますから」


 私は、そう付け加えた。


「あの勇者は、終始一貫して『誰かを助けるため』にお金を使っていました。私腹を肥やすためでも、贅沢をするためでもない。そういう人間の経費を、帳簿上の数字だけで削るのは、監査官の仕事ではないと思います」


「職業倫理を説かれるとは思わなかったな」


 長官は苦笑した。


「分かった。報告書はこのまま提出しよう」


「ありがとうございます」


 私は一礼し、執務室を出ようとした。


「鶴見くん」


「はい」


「次の案件も、君に頼むことになると思う。勇者の経費監査、専門にしてみる気はないか」


「……考えておきます」


 正直なところ、悪くない仕事だと思った。


 帳簿の向こう側に、人間の物語が見える。


 それは、前の世界ではなかなか味わえなかった感覚だ。



 財務院の廊下を歩いていると、前方から見覚えのある人影が歩いてきた。


 勇者アルトだ。


「お疲れ様でした」


「ああ、鶴見さん。お疲れ様です」


 アルトは、少し照れくさそうに頭を下げた。


「あの、監査の結果は……」


「すべて『適正』です。問題ありませんでした」


「そうですか」


 アルトは、ほっとしたように肩の力を抜いた。


「よかった。何か不備があったら、また書類を作り直さないといけないかと思っていたので」


「いえ、立派な経費精算でしたよ。私も見習いたいくらいです」


「いや、そんな」


 アルトは、本当に恐縮したように首を振った。


「ただ、後で困らないようにと思って、やっていただけで……」


 几帳面すぎて逆に恐縮するタイプか。


 まあ、悪い人間ではなさそうだ。


「ところで、鶴見さん」


「はい」


「一つ、聞きたいことがあるのですが」


 アルトは、真剣な顔で言った。


「『確定申告』というのは、何ですか」


「……は?」


「王都の冒険者組合で、『そろそろ確定申告の季節だな』という話を聞いたのですが、意味がよく分からなくて」


 私は、思わず額を押さえた。


(そこまでは教えてもらっていなかったのか……)


「長くなりますよ」


「構いません」


「では、食堂で話しましょう。まずは、『所得』という概念から説明しますね」


「よろしくお願いします」


 アルトは真剣な顔で頷いた。


 その様子を見て、私は少しだけ笑った。


 魔王を倒した勇者が、これから確定申告を学ぶ。


 なんだか、前世の新入社員研修を思い出す光景だ。


「それから、ついでに『経費の按分』と『減価償却』についても話しておきます」


「あんぶん? げんか?」


「勇者という職業を続けるなら、知っておいて損はないですよ」


 私はそう言って、食堂への道を歩き出した。


 魔王討伐の後には、帳簿の整理がある。


 当たり前といえば当たり前だ。


 でも、そんな当たり前を、きちんとこなす勇者がいるというのは、案外悪くない気分だった。


(お金の使い方には、人柄が出る、か)


 それなら、この勇者の人柄は、相当いい。


 少なくとも、監査官としてはそう思う。


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