プロローグ-儀式-
私は、幼いころに一度死んでいる。
感情を殺し、心を殺し、そして身体をも殺そうとしていた。
結果的に身体は生き残ってしまっているが、殺し続けることはやめなかった。
生きていられた時間は限られていた。
友人たちと木登りをしたり、図書館でVHSを観、本を読み、近所の公園にある長い滑り台で誰が1番早く滑れるかを競っていた時間だけだった。
陽が落ちて暗くなる前には、私はまた自分を殺さなければならなかった。
それが毎日の儀式のように続いた。
私には父親がいない。兄弟もいない、ひとりっ子だ。
兄代わりの叔父が二人いたが、どちらも特別に私に干渉することはなかった。
「お前、今まで何してた?とっとと飯食え」
―そんなに強く言わなくてもよくない?
子どもながらに、母親のそんな言葉に毎日苛立っていた。
『おかえり。今日は何して遊んだの?楽しかったんだ、よかったね』
そんな優しい言葉をかけてくれる"親"はどこにもいなかった。
むしろ、泣くとすぐに「お前はすぐ泣くね。この泣き虫やろう」と指を差して笑う酷い親だ。
未就学児に"泣く"以外の感情やものの伝え方を教えるのが"親"の役目ではないのか?
今ならそう思うが、当時の私には喜怒哀楽の全てをバカにするのが"親"だと思っていた。
そうして私は、母親の前では"怒り"以外の感情を出すことをやめた。そうすれば少なくとも泣かなくて済むから。
そうして私はゆっくりと"生きることをやめていく術"を身に付けていった。
――けれど。
それでもまだ、どこかで誰かに『生きてていい』と言ってほしいと思っていた。
"殺すことをやめた少女"の物語は、そんな小さな祈りから始まる。




