第3話『悪魔の架け橋』
民主主義とは、ある種の信仰である。教義内容はシンプルだ。
「■は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」とか「■の御前に人は平等」といった言葉がそれを言い表している。
…はて?
■とは、いったい何の事だろう?もはや誰も思い出すことができない。
核を失った民主主義は、少しずつ崩れ落ちていき、人々はやがて失われた何かを求めて暴走をはじめた。
古い秩序が崩れ落ちていく時代の混乱の間隙をぬって、日本のネット社会では、急速に力をつけて台頭する二つの勢力があった。
それはさながら、中国で秦王朝が滅びた後に立ち上がった二人の英雄、項羽と劉邦を思わせる。
ひとつは匿名者。素性が他人からはバレないがゆえに傲慢にふるまい、目につくものすべてを怒りによって焼き尽くす、恐怖で人々を抑圧する暴君である。
ひとつは不死者。人ならざる空想世界の住民であるがゆえに、すべての人々に分け隔てることなく無限の慈愛をそそぐことのできる仁君である。
匿名の武士と不死の天皇。
日本の未来はおおむね、この二大英雄の手にゆだねられたといっていいだろう。
――――――――――
「鬼のピリオド?…ああ、知っておるとも!なにせワシは、当時の公界ちゃんねるにおったからのう。イーッヒッヒッヒ!」
無縁幕府岡京本部に常駐する、もう一人の幹部級サムライ、“魔法使いのマホウ”も、こころよくインタビューに応じてくれた。
マホウ“さん“(脚注:余談になるが、「さん」というのは、相手の性別や職業などのバックグラウンドにかかわらず、誰に対しても問題なく使用できる便利な敬称だ。)は、その名の通り、いかにも典型的な魔女おばあさんのアバターをまとったサムライだ。
大きなワシ鼻、モジャモジャの白髪に黒い三角帽子をかぶり、芝居がかった喋り方で受け答えをしてくれた。
2点だけ違和感を挙げるとするなら、ド派手に輝くティアドロップ型のミラーサングラスをかけていること。
そして声があからさまに男性のものであることだ。
インタビュアーのCIA捜査官、ヴィック・デッカードは、最初に出会ったカメリア・マルベリーフィールドというサムライの忠告に従い、そこは深く追求しないことにした。
「まったく!伝説のハッカーなどと、神格化もハナハダしいわい!技術力はまったく大したモンじゃなかったねェ。しょせんは素人レベル!あ奴より腕の立つハッカーは、世界にも日本にもゴマンとおるじゃろう。…例えば、ワシとかな!イーッヒッヒッヒ!」
大げさな笑い声をあげた後、マホウさんは少しのあいだ、何か思案するように沈黙した。
「………」
そして本音を吐き出すように、鬼のピリオドの人物像について見解を述べた。
「…あ奴のおそるべき所は、思想家としての面じゃった。我々はこれからどこを目指せばいいのか。どんなものを創ればいいのか。それを真っ先に指し示しおったわ…」
ヴィック・デッカードは、魔法使いのマホウさんの言葉に、わざとらしい魔女おばあさんの演技の裏にある、彼の生真面目な技術者としての内面を垣間見た気がした。
「…ずる賢いイナバの白兎は、明るい未来を予言すると、また藪の中へと姿を消した。…今ごろ、どこで何をやっているのかのう…ヒッヒッヒ…」
…そう言い残すと、魔法使いのマホウさんはまた別の仕事へと向かっていった。
――――――――――
…とある日本の空港。数多くの飛行機がせわしなく離着陸を繰り返している。
「………」
空港のラウンジでは、長身瘦躯の鬣犬獣人型アバターをまとった男が、ペットボトル烏龍茶を片手に、その様子をじっと見つめながら立っていた。
彼は日本人ではない。そして、この空港の利用客というわけでもなかった。
彼の名はエージェント日暮里。もちろん本名ではなくコードネームだ。中国…いや、大陸国家郡の、とある重要任務を背負って日本に潜伏中の諜報員だ。
「おひさしぶりです。兄者」
黒縁メガネをかけた小柄な天竺鼠獣人型アバターの男が、キャリーバッグを引きずりながら、日暮里に話しかけてきた。
彼の名はハッカーQ。日暮里と義兄弟の契りをむすぶ、古くから馴染みの相棒だ。
「ああ。無事のようだな、Q」
日暮里は応じた。彼は相棒のQが来日するのを、空港まで迎えに来たのだ。
“大陸国家郡”という言い方をしたのは理由がある。
今の中国は、複数の勢力に分かれた内戦の真っ最中なのだ。
この二人が背負う重要任務とは、ほかでもない、その内戦を終わらせることにあった。
そして、すでに空港内のいたるところで、彼ら二人にとっての最重要ターゲットが、行きかう空港利用客に向かって、まるで招き猫のように片方の前足をあげながら愛想のいい笑顔をふりまいていた。
『みなさま~♪ようこそ日本へ来てくれたニャ~ン♪歓迎いたしますニャ~ン♪朕は、みなさまの安全で快適な旅を祈っていますニャン♡』
「………」
日暮里はそれをながめて沈思黙考する。手にした烏龍茶をグビリと一口。
「…なるほど。あれが日本の不死帝ですか」
ハッカーQは、空港ラウンジに設置された展示モニターの中で、片前足をふる天皇陛下を見上げて言った。
「まさか、ヒタイに埋め込んでるのは玉璽ですか?!なんとまぁ、奇妙なデザイン…」
Qが着目したのは、青緑色の猫型ロボットのヒタイ部分についている小さな赤い勾玉だ。
空港内の売店コーナーでは、多種多様な”ハルにゃん陛下”グッズが販売されており、これを買い求めて、多くの観光客たちが長蛇の列をなしている。
二人はその脇を通り抜けながら一瞥する。
「いやはや、大人気ですな。日帝、侮りがたし…とでも言っておきましょうかね」
「…ああ、そうだな…」
「…兄者、あまり思いつめてはいけませんよ。おそらく、これから長い戦いになりましょう。ひとまず何か美味しいものでも食べて、腰を落ち着けましょう」
…不死帝。徐福の噓から出た真実。未来の世界の猫型ロボット。…日いずる国の天子。
それが彼らと、彼らの祖国にもたらすのは、禍か福か。
そしてまた、彼らが日本にもたらすのは、禍か福か…。
――――――――――
「…君はカメリア・マルベリーフィールドというサムライが、鬼のピリオドだと思うかね?」
フェンスにとまった白頭鷲が、単刀直入にヴィック・デッカードに問うた。
「…わかりません。有力な容疑者のうちの一人…とだけ。現段階では思い込みを排して見るべきかと。」
ヴィックは答えた。
ここは瀬戸内海のほとりにある、景色の美しい公園だ。
すでに陽は傾き、空と海は夕焼けに赤く染まっている。
見上げれば、瀬戸大橋の黒く巨大な橋げたが、空をおおっているのが見える。
公園でヴィックと会話している、この白頭鷲は遠隔操作アバターだ。CIAの中枢、すなわち彼の上司へとつながっている。
三ツ星のゼアフォアから入手した魔導書、そして当時を知るサムライたちの証言などの情報をまとめた報告書はすでに提出済みだ。
ここまでは首尾よく順調である。…ここまでは。
「ただ…彼ではなかったとしても、鬼のピリオドが無縁幕府内のどこかに隠れ潜んでいて、まったく不思議は無いでしょう。」
「ほう」
「無縁幕府は一見すると、活動実績のない見習級サムライから、将軍…すなわち首領級サムライまで、厳格な位階制度があるように見えます。…ですが実態は、分散型自律組織です。」
「分散型自律組織?」
放浪者、隠遁者、自由人、奇人変人…サムライたちはみな、それぞれがまとなりなくバラバラに活動している。
幹部級サムライも、さほど大きな権限が与えられているわけではない。
本来ならば、そんな集団が組織として成り立つはずがない。
…だが今の日本には、そういった孤高の者たちに寄り添い、あいだを取り持ち、統治することのできる超常の知性体が存在するのだ。青緑色の猫型ロボットが。
たしかにサムライたちの中には、より上の位階を目指そうとする者もいる。
社会的知名度を上げて上位サムライになったり、コミュニティ管理運営の仕事を請け負って幹部級サムライになる者もいる。
…だが、それはかえって個としての活動の自由が制限され、窮屈になってしまうのではないか?
特に、これまでの情報をまとめ、プロファイリングすることで浮かび上がってくる、鬼のピリオドのような人物像にとっては。
「鬼のピリオドは、高い知性と創造性を持つ自由志向の強い人間です。無縁幕府のような組織は、そういった人間にとって、とても『居心地がいい』でしょうね」
ここでヴィックの指摘する無縁幕府の性質は、三位一体制という日本の新しい社会体制そのものにも、ある程度あてはまる。
ここでは、抜け目なく狡猾な人間ほど、「頂点」を目指すよりも、「黒幕」になろうとするだろう。
権力や知名度がなくとも、情報力や知恵、想像力さえあれば、影の影響力が発揮できるからだ。
ただ藪の中に隠れつつ、情報やアイデアを猫型ロボットに食わせてやればいい。
そうすれば猫型ロボットが誰にも知られぬうちに、それを日本社会全体に広めてくれる。
それはまるで叢雲のように、複雑怪奇な社会システムであった。
「…私が思うに、鬼のピリオドは『大工と鬼六』ですよ」
ヴィック・デッカードは鬼のピリオドの人物像について推理する。
いつの間にか陽は落ちて、辺りはしだいに夕闇に染まり始めていた。逢魔が時である。
「…なんだそれは?」
「建築技術に長けた知恵の悪魔が現れ、社会問題を解決する。…だが、悪魔は法外な報酬を要求し、最後は真の名を言い当てられることで打ち倒される。…そういう、おとぎ話の類型ですよ」
「…知恵の悪魔は、真の名を言い当てられると…死ぬ…?」
ヴィック・デッカードは闇に染まる巨大な瀬戸大橋を背景に、2本角を生やして赤い目を光らせる悪魔の姿を幻視した。
「『橋大工の悪魔』。…彼は日本や欧州をはじめ、世界中にその足跡を残しています」
「ふむ…」
「杞憂かもしれませんが、少々の懸念があります。もし彼が『橋大工の悪魔』であれば、我々の捜査は、すなわち彼を殺すことになるでしょう。それは人類全体にとって良いことなのか、悪いことなのか…」
「…それは、悪魔がどんな報酬を要求しているかにもよるだろう」
…ミーティングが終わると、白頭鷲は夕闇の空へと飛び去った。
その後もヴィック・デッカードは、そびえたつ巨大な瀬戸大橋がライトアップされた美しい景色を、しばらくのあいだ黙って一人で眺めていた。
――――――――――
『太上は下これ有るを知るのみ。
その次は親しみてこれを誉む。
その次はこれを畏る。その次はこれを侮る。
信足らざれば、すなわち信ざれざること有り。
悠としてそれ言を貴くすれば、
功は成り、事は遂げられて、
百姓は皆我ら自ら然りという。
(最も理想的な君主とは、人々から存在だけ知られ、
何をしているのかわからないような君主だ。
その次に良いのは、人々から褒め称えられる君主。
その次は恐れられる君主。その次は馬鹿にされる君主。
君主が正直さを欠いた言動をすれば、人々から信頼を失う。
だから理想的な君主とは、堂々と構えて、余計な言動を慎み、
人々が「自分たちの力で社会を良くしよう」と自主的に動いて、
自分たち自身を誇れるようにするものである。)』
老子
悪魔の架け橋 完