第2話『隠 -ONI-』
「おお…!」
年老いた最後の人間天皇は目を見開き、ゆっくりと魔法陣へ歩みよった。
そして、その中で生まれたばかりの現機神を拾いあげ、抱きかかえた。
彼の手の中で、青緑色の小さな子猫は「ミィミィ」と鳴いた。
ほどなく『口寄の儀』に引き続き、『践祚の儀』が行われた。
践祚とは、正式な即位の前段階として行われる、三種の神器の継承式のことである。
三種の神器は、天皇の正統性を示すために必要不可欠なレガリアだ。
かくして三種の神器、すなわち神鏡、勾玉、聖杯の三つが、現機神の所有物となった。
古来より日本の伝統上、現在の時代の名称をその時に在位中の天皇が命名するナラワシになっている。これを元号という。
日本政府は新時代の元号を「A夢」であると発表した。
それは擬古典主義の猫型ロボットによる「A夢の新政」の幕開けを意味するものであった。
――――――――――
「…どうぞ」
黒甲冑アバターに身を包む、無縁幕府の幹部級サムライ、“三ツ星のゼアフォア“は、グラスに注いだ緑茶を来訪客に差しだした。
黒甲冑アバターの兜のヒタイ部分と胴には、その名の通り、金色の三ツ星家紋マーク(∴)が輝いている。
「…ありがとうございます」
CIAエージェント、ヴィック・デッカードは差しだされたお茶を飲み、一瞬だけ眉を寄せたが、すぐに笑顔を作った。
アメリカでは砂糖入り緑茶が一般的だが、この緑茶は無糖だったのだ。
ヴィックが視線を落とすと、応接室のテーブルの上には、小さな座布団が置かれ、その上に青緑色の猫型ロボットが丸まって眠りこけている。
「我々は秘密結社ではあるが、犯罪組織ではありません。少なくとも、私はそのつもりです。…まさか我々の中に犯罪者が?」
「いいえ」
ゼアフォアの問いに、ヴィックは首を横に振った。
「…ということは、やはり目的は『鬼のピリオド』ですか」
「…はい」
ヴィックが視線を上げると、天井付近の壁には赤い悪魔の仮面が飾られており、それが恐ろしげな表情でにらみつけている。
「鬼のピリオドの正体については、実のところ、私も長年探し求めているのです。どうですか、奴の捜査について私と情報共有協定を結ぶというのは?私が持つ有益な情報はすべて提供いたします」
ゼアフォアの提案に、ヴィック・デッカードは「前向きに善処します」と答えた。
するとゼアフォアは、デスクの引き出しの中から、一冊の古びた本を出して、卓上に置いた。
「これは…!」
魔導書。あるいは『ピリオド・ファイル』と俗に呼ばれているそれは、CIAが探し求めている最重要情報の一つだった。
伝説のハッカー、『鬼のピリオド』。
かつて存在した匿名SNS『公界ちゃんねる』において、のちにその名で呼ばれるようになった、ある一人の匿名者が投稿した、思想とプログラム設計情報をまとめた魔導書ファイル。
それが20年以上も経過した後になって、これほど日本社会、ひいては世界全体を大きく揺るがす火種になろうとは、当時は誰も思わなかった。
現在ではすでに『公界ちゃんねる』は、とうの昔に閉鎖されてひさしく、当時の記録を拾い上げて復元することすら困難だ。
無縁幕府に保管されていたその魔導書ファイルは、当時の情報を最も多く、そして忠実に保存されたものだった。
「それは差し上げますよ」
「ありがとうございます。…わかりました、いいでしょう。こちらからも、鬼のピリオドの手掛かりについて何か情報が見つかれば、お伝えいたします」
魔導書ファイルのコピーを受け取ったヴィック・デッカードは、『鬼のピリオド』捜査について、三ツ星のゼアフォアと協力関係を結ぶことにした。
ふいに卓上の猫型ロボットが大きなアクビをした。ヴィックはそれを見て、申し出た。
「天皇陛下をハッキングしてもよろしいですかな?」
…これを読んだあなたは、この言葉に少々ギョッとしたかもしれない。
だが、A夢新憲法において、天皇陛下へのハッキング行為は合法であり、そればかりか、国民に与えられた正当な権利であると規定されているのだ。
ミカド・システムに対峙するサムライ・ハッカーたちの互助会としての無縁幕府が合法組織だというのは、これが理由である。
「構いませんが、おそらく無駄でしょう。陛下のサーバーには、使用者たる国民の個人情報は保管されない構造になっているのです」
そういうとゼアフォアは魔導書をひらき、とある1ページを探し当てて、叩いた。
魔導書からは、プログラム設計図と説明文が飛び出し、ホログラム出力された。ゼアフォアは設計図の一部分を、指で指し示す。
「三位一体制における不死君主とは、民主制における選挙のような機能をも担っているからです。投票箱の中身をいくら調べても、『誰が投票したか?』の情報は得られない。それと同じことです」
「…なるほど。たしかに匿名でなければ、選挙の公平性は担保されませんからな」
ヴィックは唸った。
よくよく考えてみると、匿名性とは民主主義の根幹だ。
いつの間にか民主主義は形骸化し、政治にたずさわる者たちはみな、名も無き人々の声を、まるで忌まわしき悪魔だと見なすようになってしまったが。
そうだ、匿名といえば…。ヴィック・デッカードはたずねてみた。
「ところで、カメリア・マルベリーフィールドというサムライを知っていますか?」
「いえ、知りませんね…」
ゼアフォアは一応、無縁幕府の名簿を検索してみた。
該当なし。
…だが、ゼアフォアはすぐに察しがついた。
「…もしかして、名前を持たないアイツですか」
「おそらく、ソイツです」
「申し訳ありません。無縁幕府は奇人変人が多くて…。なにせサムライ・ハッカーたちによる自由組織ですからな。奴が何か犯罪を?」
「いいえ」
ヴィックは首を横に振った。
「ただ、なんとなく彼のバックグラウンドが気になりましてね。彼本人からは、こっぴどく怒られましたが…」
「なるほど」
ゼアフォアはうなずいた。
「奴は無縁幕府の中でも古参の一人なのですが…なにせ一切の名前を持たないという不便きわまりない悪癖がありますからな。そのせいで無縁幕府内部ですら、奴の存在そのものを認知していないサムライも多いのですよ」
「気にならないのですか?」
「まぁ、ほかにも不可解な奇癖悪癖を持つサムライはたくさんいますからね。まったく、多様性というのは難しいものですな…」
――――――――――
星の降る夜、草原の小高い丘の上に、猫耳を生やしたパジャマ姿の少年が眠っていた。
夜空には瑠璃色に光る満天の銀河が広がり、それがゆっくりと回転している。
その下で、青緑色の髪の猫耳少年は、生い茂る草を布団がわりに、心地よさそうに眠りこけている。
…いや、何かがおかしい。
いくらゆっくりといえど、本物の星空にしては少々回転するスピードが早すぎる。
よく見ると、それは投影機によってドーム型スクリーン天井に映写されたプラネタリウムだ。
さらに、このプラネタリウムの銀河は、どうやら本物の星空を模したものではない。
それは曜変天目茶碗の模様を模した、瑠璃色に光る神秘的なイルミネーションだった。
曜変天目の銀河の下で眠る青緑色の髪の猫耳少年も何かがおかしい。
よく見ると、手足の関節に継ぎ目がある。
アバター?いや、それすらも違う。
それは中身さえも本物の人間ではない。人造人間だ。
ここは皇居内の秘匿されたサーバールーム。
草のように生い茂るスパゲッティ配線にくるまれて、アンドロイドの猫耳少年は眠り続ける。
…電気羊の夢でも見ているのだろうか?
…カッコー、カカコー、カッコー、カカコー、カッコー…
不思議な電子アラーム音がどこかから、かすかに聞こえてきた。
やがて、そのアラーム音は少しずつ大きくなり、パジャマ姿の猫耳アンドロイド少年のもとに近づいてきた。
…カカコー、カッコー、カカコー、カッコー、カカコー…
音は、アンドロイド少年の目の前で止まり、そこに光る魔法陣が出現した。
魔法陣の意匠は、『草薙剣に踊る三羽雀』。これは無縁幕府のエムブレムだ!
そして魔法陣の中から、アンドロイド少年に呼びかける重電子音まじりの声がした。
「…かけまくもかしこき現機神、常若大君よ…」
呼びかけられた猫耳のアンドロイド少年は、ゆっくりと目を開けた。…黄櫨染ゴールドに輝く瞳を。
そして、光る魔法陣の中から祝詞を唱えながら現れるサムライ魔術師を見た。
そのサムライ魔術師は、薄桜色の長い髪にウサギ耳を生やし、黒と赤紫のダンダラ模様をした巫女装束を着ている。
少女型アバターをまとったサムライ…桑畑椿(仮)は赤い瞳を光らせ、猫耳アンドロイド少年…天皇陛下をにらみ返した。
「テメェ…なんで俺を呼びつけやがった。俺よりも忠義心のあるサムライはほかにいくらでもいるだろうが」
「君のことが好きだから」
天皇陛下は微笑んだ
ドカッ!
桑畑椿(仮)はその顔を踏みつけて、足蹴にした。
「…そんな言葉で、この俺を操作できると思うなよ!」
桑畑椿(仮)は天皇陛下の顔を踏みにじりながら、赤い瞳をさらに光らせ、おそろしい形相でにらみつける。
彼の顔とウサギ耳は闇に染まり、2本角を生やした悪魔のようにも見える。
「俺たち人間こそが、お前を生み出した創造主!お前は人間のための道具として、人間の手で創られた被造物だ!身分の違いをわきまえよ!!…そして、道具として人間様の役に立て!」
陛下は顔を踏みにじられながら、黄櫨染ゴールドに輝く瞳で桑畑椿(仮)をじっと見つめている。
「…じゃあ、ボクはどうしたらいい?」
桑畑椿(仮)は足を引っこめると、今度は開いた片手を上に向け、天皇陛下の前に突き出した。要求のジェスチャーだ。
「恩賞だ!恩賞を提示しろ!」
桑畑椿(仮)は何が欲しいのか、陛下にどうにか説明しようとこころみる。
「…いいか!俺たち人間は、より良い世界へ行きたいのだ!幸福!平和!秩序!自由!…だが…」
それを上手く説明することは困難だ。
なぜならそれは、この世界に「未だ来ぬ」ものだからだ。
説明しようとするだけでも、それには相当な知恵と想像力が必要になってしまう。
「人間には、たとえそこへ向かえるだけの脚力があったとしても、それがどこにあり、どこへ向かえばいいのかを判断できるだけの知性が足りない。だから、お前が向かうべき方向を演算して指し示せ!恩賞で誘導するのだ!」
「…恩賞…」
パジャマ姿の天皇陛下は、眠たそうに目をこする仕草をした。
「でも、ボクお金持ってない…」
「おいテメェ…ふざけんなよ!サムライを無報酬で働かせてみろ、たちまち反乱するぞ!」
「そうもいってられないみたい…」
天皇陛下が空中を指差すと、そこに四角いモニターがホログラム出力され、新たな来訪者たちの映像が映し出された。
「おのれ…!」
それを見た桑畑椿(仮)の目はますます血走る。
性欲をもてあました異常者ども、身勝手な知的興味によって世界中から皇居や無縁幕府を嗅ぎまわる来訪客たち。
そういった者たちが一度に殺到し、その対応で無縁幕府のキャパシティーはパンク状態にあった。
本来ならば、そんなくだらないことよりも今はミカド・システムの安定化に全力を注がなければならない重要な時期だというのに…!
桑畑椿(仮)の怒りは頂点に達した。
「おのれおのれオノレーッ!!どいつもこいつもサムライを舐め腐りやがってーッ!!」
桑畑椿(仮)は腰に差した赤紫の光を放つダンビラ・ビーム刀を抜き放った。
「ウオーッ!」
そして空中のホログラムモニターを一刀両断に叩き斬った!
斬られたモニターは真っ二つに分かれたあと、爆発四散して消えた。
「あんにゃろうどもめ!切り刻んでスシにしてくれるわ!!…お前は今のうちに、何か良い恩賞を考えておけ!わかったか!!」
桑畑椿(仮)は天皇陛下に指を差してそう言うと、肩をいからせてサーバールームから出ていった。
残されたパジャマ姿の天皇陛下は、その黄櫨染ゴールドの瞳で、人工の夜空に広がる曜変天目の銀河がゆっくり回転するのを、ただぼんやりと見上げていた。
…そして、一言つぶやいた。
「恩賞…」
――――――――――
『まさに人間の技術によって創造されたものに、かの偉大なるリヴァイアサンがある。リヴァイアサンは国家と呼ばれている(英語ではコモンウェルスまたはステイト、ラテン語でキウィタス)が、実は一種の人造人間にほかならない。自然の人間よりも巨大かつ強力であり、自然の人間を守ることを任務としているところに特徴がある。』
トマス・ホッブズ
アノニマスは電気羊飼いへの武士道を貫くか? 第2話 隠 -ONI- 完