第6話『アトラスへの恩賞(2)』
事故現場は中心市街地から離れ、山間部に差し掛かった場所だった。道がせまく荒れており、傾斜の下に軽トラックが転落してしまったようだ。
桑畑椿(仮)のゴミ収集車が到着すると、すでに現場では複数の猫型ロボットたちが、まるで野良猫会議のように集まっていた。
「ケガは無いか?」
車から降りた桑畑椿(仮)は、転落した軽トラックを見つめながら、道端に座り込んでいるおじさんに話しかけた。
「あんたは?」
「警察官代理だ。残念ながら、本物の警察は人手不足で来れないそうだ」
「なんてこったい!」
おじさんは頭を抱えた。
実際、こんな事故が発生しても警察が対応できないだなんて、信じがたいほどの社会の荒廃ぶりといえるだろう。
ひとつだけ救いがあるとするならば、人々の生活に寄り添い、このような大きなトラブルが発生すれば即座に通報してくれる猫型ロボットが存在しているという点だ。今回の事故の状況も、おおむね天皇陛下が把握してくれている。
どうやら転落した軽トラの運転手は無事のようだ。そして危険物や貴重品などの散逸もなく、二次事故のリスクも低い。
天皇陛下と、陛下から連絡を受けた警察署、そして現場に立つサムライは、情報を共有しながら落ち着いて事故の状況を分析した。
「ちょっと待ってろ」
そういうと、桑畑椿(仮)は崖下に向かって飛び込んだ。そしてコブシをポキポキと鳴らした後、軽トラに歩み寄り、しゃがんで軽トラの下に手を差し込んだ。
「…何をする気だ?」
おじさんは心配げに様子をうかがっている。
「ウオーッ!」
桑畑椿(仮)が力をこめると、パキパキと木の枝を鳴らしながら、ゆっくりと軽トラックが動きはじめた。…そして。
「オラーッ!」
桑畑椿(仮)はバーベル上げのように、軽トラックを持ち上げた!
「バ、バカなーッ?!」
様子をうかがっていた黒鵟は驚愕に大きく目を見開いた。
たしかにこれは異常事態といえる。
いくらA夢時代はアバター技術が普及しているとはいえ、それはあくまで人間の見た目を変化させるだけに過ぎない。
桑畑椿(仮)の持つ怪力は、この時代の科学技術でも説明不能なスーパーパワーだった。
「ウオーッ…!」
桑畑椿(仮)は両手で軽トラックを持ち上げながら、ゆっくりと道路へ向かって傾斜を登り始める。
「「「頑張るニャン!この国の守護天使である朕が応援しているニャン!」」」
猫型ロボットたちは腰ふりダンスを踊ってこれを応援する。
「「「あ~が~まえば~♪」」」
桑畑椿(仮)は叫んだ。
「マッスルの神様よ!我に力を!!」
「「「マッスルの神様って誰ニャン?!」」」
そしてとうとう道路までたどり着くと、桑畑椿(仮)はゆっくりとそこに軽トラックを下した。
「フウーッ…!」
おじさんはそこに歩みよって言った。
「アンタ、とんでもない怪力だな?!」
「…車が動くかどうか確認してくれ」
おじさんは道路に戻った軽トラのエンジンをかけてみた。…かかる。どうやら無事に動けそうだ。
「いちおう病院に行って診てもらえ。事故報告の手続きやらナンヤラ…後のことは、そこで陛下と警察がやってくれるだろう」
「朕が指定の病院まで案内するニャン!」
一匹の猫型ロボットが軽トラックに飛び乗った。
「…いったい何なのだ、彼の馬鹿げた力は…!」
黒鵟型の遠隔操作アバターで様子をうかがうCIAエージェント、ヴィック・デッカードは思案する。
…そして何かに思い至った。
「ハッ…まさか、そういうことか…?!」
黒鵟は一匹の天皇陛下のもとに飛びよって、たずねてみた。
「あのサムライの怪力は、神の奇跡…ということですか!陛下は人知を超えた超知性体の現機神だ。そんな陛下から正統なサムライの称号を授ることで、天からスーパーパワーが彼にもたらされたと…そういうことですか?!陛下!!」
天皇陛下はおごそかに答えた。
「知らんニャン…何それ…怖…」
よく見ると、猫型ロボットの目は泳いでいた。
違った。どうやらヴィックは因果の順序を取り違えたようだ。
天皇がサムライの称号を与えたから、その者にスーパーパワーが宿るのではない。
人々の中には、なんか知らんがスーパーパワーを持つ者たちがいて、天皇はそう言った人間を発見しては、それを追認するかたちで彼らにサムライの称号を与えているのだった。
「戻るぞバカ猫!まだゴミ回収の仕事が残っている!」
桑畑椿(仮)は天皇陛下に向かって叫ぶと、猫型ロボットと共にゴミ収集車に飛び乗った。
「…まったく、今日は厄日だぜ!」
落ち着いて辺りを見渡すと、廃墟が広がっている。日本がまだ繁栄していた時代は、このあたりも多くの人々が暮らしていたのだろう。
だが、ふたたび自然が人工を制圧し、草木が生い茂ってきている。
急速な人口減少の影響でインフラが維持できず、日本中あちこちでこのような放棄地区が広がってきている。
岡京も例外ではない。中心市街地や幹線道路、一部の人気観光スポットを少し離れれば、こういった光景は当たり前のように見られる。
意外なことに桑畑椿(仮)は、こういった荒廃の景色が嫌いではなかった。
緑が街を蹂躙している。かつて街が緑を蹂躙したときのように。
じつに神秘的な光景である。
それは、さながらこの国の支配権が、ふたたび人間から自然の神々へと返還されてきているかのようだった。
「神政復古の大号令」とは、なるほど、よく言ったものだ。それは少子化による人口減少がもたらす必然なのかもしれない。
――――――――――
ゴミ収集の仕事を終え、清掃工場の休憩所にたどり着いた頃には、もう日が傾く時間帯であった。桑畑椿(仮)は無糖ブラックコーヒーで一服しながら、休憩所のソファに腰掛ける。
休憩所に設置されたモニターでは、猫の姿の天皇陛下が奇妙な腰ふりダンスをする様子が映されている。
「みんな~!今日もお仕事ありがとうニャン♪みんなが頑張ってくれているおかげで、街の人々の快適な暮らしは守られているんだニャン♪」
「………」
桑畑椿(仮)は無糖ブラックコーヒーをチビチビと飲みながら、その様子をぼんやりとながめる。
「はえー…ネコちゃんはかわええのう…」
休憩室で休んでいる、もう一人の年老いた作業員は、モニター内で踊る天皇陛下をうっとりと見つめている。桑畑椿(仮)はなるべく笑顔を作ってこの白髪の同僚に応じた。
「ハハ…そうっすね~。確かにネコちゃん可愛いですねぇ。…あー、それじゃ、私はコーヒーも飲み終えたんで、そろそろお先に失礼しますね。今日もお疲れ様でした~!」
…なんということだろう!信じがたいほどの異常事態である!この桑畑椿(仮)という男であろうとも、職場ではそれなりに敬語を使った愛想のよい受け答えが出来たのである!
桑畑椿(仮)は飲み終えたコーヒーの缶を回収BOXに捨てると、そそくさと休憩室を出て、退勤した。
桑畑椿(仮)が勤務する清掃工場は街の比較的高所にあり、工場を出ると目の前に小さな展望台がある。そこから街を一望できるのだ。
外は夕暮れ。太陽は西へ傾き、夕焼けで街は赤く染まりはじめていた。
「「「夕焼け小焼けで日が暮れて~ニャン♪山のお寺の鐘が鳴る~ニャン♪」」」
夕方5時を告げる天皇陛下の歌声が街中に木霊している。
「………」
薄桃色から燃えるような橙に染まっていく空。桑畑椿(仮)は夕日に沈む街並みの景色を、展望台からしばらく黙って見つめていた。
…この世界を支えてくれている巨人アトラス。
彼の労苦に対して、神が与えたもうた恩賞とは、儚くも美しい、支える価値あるこの世界そのものだった。
もしもこの世界が、支える価値のない、つまらないものに見えたのだとしたら、それはどこかが病んでいる証拠だ。
それは祝福であり、同時に呪縛でもあった。
サムライは忌々しげに街の景色をにらみ、やがて帰路へとついた。
…少なくとも今のところ、彼の目には、この世界が美しく見えたのだ。
「「「カラスと一緒に帰りましょ~ニャン♪…カラスと一緒に帰りましょ~……」」」
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『♪サムライ・ピザ・キャッツ!…デンデケデンデケ…サムライ・ピザ・キャッツ!』
岡京の中心市街地にある、とあるファストフード店の屋外テラス席。
気の抜けた軽快な音楽が流れている。
ヴィック・デッカードは席に座り、スシピザをほおばりながら、卓上に置いたノート型モニターに映るニュース映像をながめていた。
それは米国政府が、日本から軍事基地を撤退させることを決定したニュースであった。
日本政府は長いあいだ、この決定の延期を要請し続けていたが、もはや米国国民の世論がそれを許さないのだろう。
日本人が望む、望まないにかかわらず、日本の自立が求められる時代が来てしまったのだ。
「肩をすくめるアトラスが、ついに世界という名の荷を下ろすか…」
ヴィックはスシピザを飲み込み、一人つぶやく。
そしてヴィックはスシピザをもう一切れ、口に運んで咀嚼する。ゼロコーラをグビリと一口。
やがてモニターに映し出される報道は、次のニュースへと切り替わった。
それは、礼服を着た青緑色の髪の少年型アンドロイド…天皇陛下の人間形態による驚くべきセレモニーのニュースであった。
神職、僧侶、司祭、法学者…それぞれがまるでルーツの異なる伝統衣装を着た宗教者たちが、天皇陛下の御前に一堂に集い、タタミの上で並んで正座している。
彼らは世界の様々な伝統的宗教の、日本国内の代表者たちであった。
陛下は完璧な所作で抹茶を立てて、彼らの前に差しだすと、彼らは一人づつ、その抹茶を回し飲みし始めた。
やがて全員が茶を飲み干すと、陛下に向かって一同に頭を下げる。
この厳粛なる儀式が意味するところは…まさか!
…一目瞭然である。これはあからさまに国内宗教間の調停を目論んだ儀式だ。
天皇陛下が…ルーツの異なる宗教間を調停している…?!
ニュースのコメンテーターが解説をしはじめた。
字幕には大きく『天皇調停機関説』という文字列が表示される。
そのワードを見て、ヴィック・デッカードはサングラスを光らせた。
「…お手並み拝見といこうか。未来の世界の猫型ロボット」
世界は彼をこう呼んだ。
『夢見がちな晴仁』
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『おとなって、かわいそうだね。自分より大きなものがいないもの。
よりかかってあまえたり、しかってくれる人がいないんだもの。』
ドラえもん
第6話 アトラスへの恩賞(2) 完