第5話『アトラスへの恩賞(1)』
我ら、来るべき戦乱社会に備え、新たな社会秩序を打ち建てる也
天賦人権∧王権神授∧天人合一∧三位一体∴新世界秩序
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「…ねぇ。もしもこの世界を、巨人アトラスが支えてくれていたのだとしたら、彼に与えるべき恩賞はどうすればいいと思う?」
青緑色の髪の猫耳少年が、桑畑椿(仮)に問うた。
「あ?」
空はまだ夜明け前。瑠璃色の曜変天目銀河がゆっくりと回転している。
猫耳少年…天皇陛下はオレンジ色の袞衣をはためかせ、彼のかぶる太陽をかたどった冕冠はまばゆい光を放っている。
陛下は黄櫨染ゴールドの瞳で桑畑椿(仮)をじっと見つめていた。
「うるせえ!ゴチャゴチャ言うな!」
桑畑椿(仮)はカッと目を見開き、苦しまぎれに叫んだ。
「か…金だ!金に決まってる!いいからとっとと金を出しやがれ!!」
…だが、本当は彼自身よくわかっていた。
天皇陛下はお金を持っていない。ロボットだからだ。そして桑畑椿(仮)自身は、さしてお金に困っているわけでもない。恩賞は金銭ではまかなうことができないのだ。
やがて、世界がぐらりと傾きだした。陛下のかぶる太陽の冕冠はますます輝きを増し、あたりは光に包まれ真っ白に。そして、ついには何も見えなくなった。
…ベッドの上、桑畑椿(仮)は夢から目を覚ました。
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「…秘密結社無縁幕府だと?」
ここは『日暮里関係』の隠れアジト。エージェント日暮里は相棒のハッカーQに問うた。
「はい。『神政復古の大号令』に深く関与したとウワサされる秘密結社です。巷では『不死帝の背後にうごめく108の魔星』などと呼ばれているようですが…」
「…ハッ!まるで水滸伝の梁山泊気取りだな」
「まぁ、実際に構成員が108人なのかどうかは疑わしいですがね。…ただ、不死帝を深く探ろうとするならば、奴らとの衝突を覚悟する必要があるでしょう」
二人は、秘密結社であるはずの無縁幕府の大まかな組織情報を、たちまちのうちにネットから収集、分析した。
「OK、無縁幕府の情報ゲットでございます」
「フ…流石だよな俺ら」
ハッカーQがホログラムキーボードを叩くと、空中にホログラムモニターが浮かび上がった。
そこには、真っ黒な背景に、おそろしげな怨みの表情でにらみつける赤い悪魔の仮面が映し出されている。
「…なんだこれは?」
「かつて存在した日本の匿名SNS『公界ちゃんねる』のトップページ画面ですよ。…現在ではすでに閉鎖されてひさしいですがね」
Qは無縁幕府と公界ちゃんねるの関係について、入手した詳細情報を解説する。
「無縁幕府は、かつてここに集ったハッカーたちのコミュニティが前身母体となって結成された組織のようです。…見てください」
ハッカーQは、わずかに現存する『公界ちゃんねる』会話画面の記録を表示させた。
そこには多くの参加者が会話、交流していた様子が見られる。
だが、奇妙なことに参加者の名前は、ほぼ全員が『無縁仏さん』に統一されているのだ。
「この『無縁仏さん』というのが『公界ちゃんねる』の匿名デフォルトネームです。参加者は特に指定しない限り、自動的に全員がこの名前になります。転じて、この『無縁仏さん』という名前は『公界ちゃんねる』ユーザーの総称を意味するようにもなりました」
「なるほど、それが無縁幕府の名前の由来というわけか」
「その通りです」
ハッカーQはうなずいた。
「このSNSは当時、『狂人の巣窟』などと呼ばれ、ネット犯罪や悪質なデマ、誹謗中傷の飛びかう悪名高いサイトとして有名だったそうです。どうやら現在の無縁幕府もまた、そういった気質を受け継いだ野蛮人が多いようですな」
Qは小さく笑った。しかし日暮里は表情を変えず、少し首をひねった。
「…それにしても、トップページの赤い仮面は何だったんだ?」
これは日暮里に限らず、多くの者がまず初めに訝しむ部分である。このオブジェクトは、あまりに不気味なのだ。
「…込められた意図は不明です。ですが、この仮面は長らく『公界ちゃんねる』のシンボルとされてきました」
はたして、この赤い仮面はいったい何であろうか…?
一見すると、日本の伝統的な能面の一種のようにも見える。
…だが、ある程度、日本文化に詳しい者であれば、すぐに違和感を持つはずだ。こんな仮面は日本の伝統上には存在しない。
その仮面は赤い顔に長い鼻が生えている。これは天狗面の特徴だ。
…だが同時に、2本の角と牙を生やし、おそろしい怨みの表情でにらみつけているのだ。これは般若面の特徴だ。
つまり天狗面と般若面、二つの特徴が掛け合わされているのである。
「巷では『天狗般若面』などと呼ばれているようですね」
「ふーむ…」
日暮里はしばしのあいだ、この不気味な赤い天狗般若面をじっと見つめ、なにやら思案していた。
そして一言つぶやくように言った。
「ミカドとサムライ…か…」
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「夕焼け小焼けーのー赤とんぼーニャン♪追われてみたのーはーいつの日かーニャン♪」
朝の光が街を照らし、スズメたちがチュンチュンと鳴いている。そんな街中を、猫型ロボットが「赤とんぼ」を歌いながら、ゴミ収集車をノロノロと徐行運転させている。
「エッホ!エッホ!」
そのゴミ収集車に先行して、作業服を着た薄桜色の髪のサムライが自らの足で走っている。
そして、周辺各所のゴミ集積所に捨てられたゴミをすばやく取り出し、第六感を働かせて「大丈夫そうなやつ」と「ヤバそうなやつ」に振り分けて道の脇に集める。
ゴミ収集車がそこに追いつくと、まず「大丈夫そうなやつ」をそこに放り込み、次に「ヤバそうなやつ」の中身を慎重に安全確認して、それもまた放り込む。じつに手際がいい。
一見しただけでも、かなりの経験と勘だよりの肉体作業労働であることがわかる。ロボットやAIによる安易な全自動化はなかなかに困難だろう。
「なんという国だ…この国ではミカドとサムライが自らの手で汚物処理の仕事を請け負っているのか…!」
民家の屋根の上から様子をうかがう黒鵟は、驚いて目を見開いた。この黒鵟はCIAエージェント、ヴィック・デッカードの遠隔操作アバターである。
「ゴミ収集は大切なインフラだニャン。やらないと街中ゴミだらけ。みんな快適な生活ができなくなるし、怖いビョーキも蔓延しちゃうニャン」
屋根の上で寝転んでいる、もう一匹の天皇陛下が黒鵟に向かって説明した。
「だからこういう仕事は、朕が直接あずかるニャン」
この青緑色の猫型ロボットは日本の街中いたるところに遍在しているのだ。
「…この地区はひととおり片付いた。次行くぞ、次」
ゴミを片付け終えると、桑畑椿(仮)はゴミ収集車に飛び乗り、中にいる天皇陛下に話しかけた。
「…ちょっと待つニャン…」
猫型ロボットの目はピカピカと点滅している。どこかと連絡を取り合っているのだ。
「おい!トータルで40分も遅れているんだぜ?!」
桑畑椿(仮)は眉間を寄せた。今朝は道路の陥没事故があり、その渋滞に巻き込まれるかたちで、本日のゴミ収集は多少の遅れが生じていた。
「…どうやらまた交通事故があったみたいだニャン。警察署からの要請ニャン」
「…チィーッ!!」
桑畑椿(仮)は大きな舌打ちをした。
「ポリ公が直接やればいい事だろうが!」
「それができるならとっくにやってるニャン。警察官は人手不足で出払ってるニャン」
「ファッキン少子化社会!」
「どうするニャン?応じるかニャン?」
「こっちもゴミ回収の仕事が滞ってて忙しいんだよ!!」
猫型ロボットは眉をへの字に曲げて、桑畑椿(仮)に向かって言った。
「…君がそういうなら従うけどね。いちおう朕はこの国の天皇であり、君は朕から正統な称号を授かったサムライなんだニャン。それでも君は事故でピンチにある庶民を見放すのかニャン…?」
「ファファファファ…ファッキン・キャット!!!」
桑畑椿(仮)は目を見開き、大声で叫んだ。
「クソッタレ!バカヤローコノヤロー!!巡回場所、一か所とばすぞ!」
桑畑椿(仮)はハンドルを握り、アクセルを踏んだ。
「警察署につなぐニャン!」
猫型ロボットを通して、警察署から桑畑椿(仮)に連絡がつながった。
「…こちら岡京中央警察署。ご協力感謝する」
「…こちら岡京清掃局79号車。事故の詳細情報を送ってくれ」
桑畑椿(仮)は猫型ロボットを通して、警察署から協力要請に応じた。
A夢時代の日本は人手不足で社会のあちこちにホコロビが生じていた。
桑畑椿(仮)は半日パートでゴミ収集作業をしながら、しばしばこういった警察や救急からの突発的な協力要請にも応じているのだ。
…天皇陛下のいらぬ仲介のもとで。
「ショーチョク!ショーチョク!第774条人手不足特別法案にもとづき、岡京清掃局79号車に臨時で代理警察官としての権限を与えるニャン!」
「…このクソキャットーッ!」
猫型ロボットが青緑色の光を放つ!
その光の中で桑畑椿(仮)は黒と赤紫のダンダラ模様巫女装束にアバターの服装をチェンジした。