プロローグ 「儚想」
夢を見ている。
そのことを自覚しながら、今日も昨日と同じ夢を見る。
青空の下で、色鮮やかな花々を自由に咲かせるその場所に、花を手に取って嬉しそうに笑う小さな少年と、それを見守る赤い髪をした女性が、花畑の中央にそびえ立つ大きな木の下に背を預けている。
少年は木陰で身を休めながら、いそいそと摘んだ花を編み始める。
それを見た赤い髪の女性は少年に問いかける。
「何を作ってるの?」
聞かれると少年は、手に持つ花にも劣らぬ笑顔の花を咲かせながら答える。
「フュールに花の冠を作ってるんだよ」
「私に?」
「うん!ちょっとだけ待っててね!」
「そう、楽しみに待ってるわ」
少年が夢中になって冠を作っているのを、赤髪の女性は優しく見守っている。
─── ─。
幸せそうに笑い合う2人の光景。だが、その光景を見ていると、胸が深く抉られるのを感じる。
声を出したくとも、夢の自分に喉は無く、自分の思いはただ虚しく風に攫われ消えていく。
こちらには気付かない少年は、女性に質問を投げかける。
「フュールは何色の花が好き?」
「んー、やっぱり赤色かな」
女性は自分の赤い髪に指先で触れながら答える。
「僕も、フュールの赤い髪大好きだよ」
それを聞いて、ありがとうと満足そうに彼女は微笑む。
昨日と同じ質問に、昨日と同じ答え。
昨日と変わらない、いつも通りの優しい夢
。
それなのに、昨日より強く心が揺らぐ。
──ああ、もうすぐ夢から覚めてしまう。
この夢のような夢の時間は、いつもこの辺りで終わりを迎える。
花の冠を今も編む少年を横目に私は思う。
──いつの日かこの悪夢を、終わらせる事が出来ますように、と。
──────────────────
──────────────
───
─
「隼人起きてー!朝ごはん出来てるわよ!」
朝7時。
母のいつもの声を目覚まし代わりに、俺はのそのそと布団から起き上がる。
朝が苦手な訳では無いのだが、最近どうも変な夢を見るせいで睡眠がよく取れていない。
「ともかく、起きなきゃな」
布団の温もりに未練を感じつつも、母のいるであろうリビングへ向かう。
「おはよう、母さん」
「おはよう、今日からまた学校ね。宿題ちゃんと終わってる?」
「ちゃんと終わってるよ。夏休みの宿題忘れたりしたら、うちの先生めちゃくちゃ怒るんだよ、知ってるだろ?」
「高校生なんだから怒られるなんて理由じゃなくて、自発的にやってて欲しかったわ。ほら、早く食べて支度しなさい」
テーブルの方を見ると、2人分の朝食が並べられていた。ほのかに漂ってくる香ばしい匂いを嗅ぎ、段々と食欲が湧いてくる。
「頂きます」
朝食はいつも通り、食パンにウインナー、目玉焼きにサラダという、いかにも朝食、といったラインナップだ。
母がパン好きである事は知っているが、毎日同じものではやはり飽きてきてしまう。
「母さん、明日から朝ごはんは米が食べたい」
「そ。ならおかず味噌汁と玉子焼きに変えようかな。どうせお弁当用にお米は炊いてあるし」
意外とすんなり提案を受け入れてくれた事を嬉しく思いながら、バターを塗ったパンに齧り付く。
昨日で夏休みが終わり、今日から学校がある。始業式が8時から始まるので、いつもより早めに家を出なければならない。
夏休み明けとはいえ、初日から遅刻したとなれば、クラスのみんなに笑われてしまう。
「まぁ、別にクラス皆と仲いい訳じゃないけどな」
未だ全員の顔と名前が一致しないクラスメイト達を思い浮かべながら、パンを牛乳で流し込み、昨日のうちに準備しておいた鞄にもう一度宿題がキチンとあるか確認する。
「よし、ちゃんとあるな。それじゃ、秋葉迎えに行ってくるよ」
「行ってらっしゃい。隼人」
母の言葉に「行ってきます」と返事を済ませ、玄関を出る。
家から学校までは歩きで5分ほどで着くが、その前に友人である日落 秋葉の住むアパートに寄って迎えに行くことが習慣になっている。
秋葉本人の性格のせいか迎えに行っても寝ている事が多く、隼人が起こしに行かなければ
毎日でも遅刻するだろう。
「アイツの為だけに毎日早起きってのもちょっとムカつくけどな」
高校生で1人暮しは確かに大変なのだろうが、もし自分が起こしに行かなかったら、とか考えないのだろうか。
「今日ももしまだ寝てたらアイツの好きな女の子が誰かクラスの皆にバラしてやろう」
そんな事を考えていると、秋葉の住むアパートに到着。
壁の至る所にヒビが入り、さらにそのヒビに雑草が見え隠れしている始末。
アパートの築年数を思わせる年季の入りようである。
「いや地震来たら終わりじゃん」
ともあれ、今更このアパートのボロ臭さにさほど驚きはなく、さっさと秋葉のいる103号室の扉を開ける。
いつも通り、鍵は空きっぱなしのようだ。
「流石に不用心過ぎないか?」
「別に取られて困るようなもん何もねーからな」
「お?ならこの春風とのツーショット写真も要らない?」
「鬼かお前は!」
「鍵くらいちゃんと掛けとけよ。」
まさか返事がくるとは思わず、つい弄ったら怒られてしまった。
今も「これは宝物なの」と呟いている男の名前は日落秋葉。なんのケアもしていないのに無駄にサラサラした黒髪と、これまた整った顔立ち。部活で鍛えられていて、すらっとした印象とは裏腹に身体能力はとても高く、体力テストではいつも学年トップの優等生。
小学校からの幼なじみだ。
「珍しいな、お前がもう起きてるなんて」
いつもならいびき声が聞こえてくるだけなだけに、キチンと応答があったのは結構驚いた。
そうしている間も秋葉は机に向かって難しい顔をしている。
「見て分かれよ、起きてたんじゃなくて寝てないの!丁度いいや、緒方隼人君、宿題見せてくれ」
「え?お前昨日、宿題は終わったって言ってたじゃん」
「終わる予定だったんだよ!クソ、なんで高校生の夏休みの宿題に日記なんざあるんだ!映画に行ったことしか覚えてねぇ!」
「そりゃ7回も行けばな」
「なぁ、隼人。お前は日記何て書いたんだ?教えてくれ!」
「『友達と一緒に映画を見に行きました。』って書いた」
「それだ!!」
パチンッと指を鳴らすと再び机に張り付き、猛スピードでペンを走らせる。
しかしすぐにまたピタッと手が止まる。
「どうした?」
「すまん、隼人シャーペン貸して。芯がもうねぇ。」
予備くらい買っとけよと悪態をつきながらも、カバンの中の筆箱から1本、白色のシャーペンを取り出す。
「ほいよ。」
「サンキュー。お、しっかり使ってくれてんだな。」
「ああ、まぁ貰った物だし、有難く使わせてもらってるよ」
「そりゃ良かった。よし!終わらせるぞ!」
そう言うと、今度こそ手を止めることなく宿題の日記を埋めていく。
何回か同じ事柄を日記に書いていたが、ある程度は先生も見逃してくれるだろう。
まだ少し時間が掛かるだろうと、床に落ちている漫画を読もうと手を伸ばすと
「終わった!あぁー、疲れた」
丁度、秋葉の明るい声が聞こえ、読むのはまた今度と諦める。
「早っ、あと日記だけだったんなら早く終わらせろよ」
「ちょっと日記が強敵過ぎたわ。そんじゃ学校行くか」
「そうだな、そろそろ時間もヤバいだろうし。ほら、早く着替えろ」
「おう、ちょっと待ってろ」
そう言うとその場で服を脱ぎ散らかし、ササッと制服に着替える。
もうその光景に慣れてしまっている俺は特に口を挟むでもなく、時計の方に目を向けると、その針は既に7時50分を少し回っていた。
──え、もうこんな時間なの?
「秋葉!このままじゃ8時のチャイムに間に合わないぞ!」
「もうそんな時間か!朝から横松にドヤされんのは勘弁だ!」
そう言うと急いでドアを開け、鍵すら掛けずに一直線に学校へ向かったのだった。
★
「2人とも、始業式から遅刻ギリギリだねー。」
息を切らしながら教室に駆け込んで来た隼人達に、1人の女子生徒が話しかけてくる。
「今朝は秋葉が宿題終わってなくて遅れたんだよ。大変だったんだぞ?日記の書き方教えてとか言うし。」
「それは大変だったねー。秋葉も、あんまり隼人を困らせたらダメだよ?」
「へーい、努力はするよ。」
「前もそんな事言って全然反省してないじゃん。まあ、いっか。」
良くないと抗議の目を彼女に向けるが、反省云々の話をもう忘れたかのように朗らかに笑う。
彼女の名前は、梵 春風。少し茶色が入った髪と、隼人より少し小さめの身長。目尻はやや下がっており、見るものに穏やかな印象を与える様な顔立ちをしている。
秋葉と同じ小学校の頃からの友人で、今でもよく3人で遊んでいる。
「もうちょいしっかり注意して欲しいな...。」
そう呟くが、2人とも不思議そうにこちらを見て首をかしげるだけだ。
本当にこのままでいいと思ってるあたり、この2人は相変わらず似たもの同士という訳だ。
「さ、早く自分の席に座らないと。先生が来てまだ立ってたら怒られるよ。」
それを聞いて、俺と秋葉も自分の席に座る。
夏休みの間長らく見なかったせいか、心なしかいつもと印象が違う気がする。
「気がするだけだけどね。」
そんな事を思っていると、丁度担任の横松先生が教室に入ってくる。
相変わらずメガネの度数が合っていないのか、名簿をこれでもかという程顔に近ずけながら点呼を始める。
「よし、皆揃ってるな?じゃ始業式の放送始まるから静かにするんだぞ」
そう言うと、横松先生は黒板の横にあるテレビに電源を入れ、音量も調節する。
するとすぐに校長先生の顔が映し出され、始業式が始まる。
校長先生からの有難いお言葉が流される中、隼人は今朝も見た夢の事を思い出す。
(何だろうな、あれ。何日も連続して同じ夢見るなんて絶対変だろ。)
確か最初に見たのは夏休みが終わる10日前だったと思う。
初めは啓介達と見たホラー映画のせいで変な夢を見たのかとも思ったが、流石に10日もたてばもう内容すら朧気だ。
きっと何か他に原因があるとは思うのだが、特にこれと言った心当たりは無い。
「寝かたが悪いのか?それとも枕が合ってないのかな?」
快眠のためにどうすれば良いかコンコンと頭を悩ませていると、いつの間にか始業式は終わっていたようだ。
時間にして約10分の始業式、実にさっぱりとしたイベントだ。
始業式が終わると、横松先生が夏休みの宿題の回収を始める。
後ろの席に座っている女生徒からノートを受け取り、自分のと合わせて隼人も前の席の生徒にノートを渡していく。
クラスの一部から「え!?そんな宿題あった!?」と憔悴した声が聞こえてくるが、特に問題なく宿題の回収は終わった。
「ふぅ...」
宿題の回収が終わると、今度は先生から今後の学校行事等が書かれているプリントや、受験に向けてどう取り組むべきかの説明をされている横松先生手作りのしおりが配られていく。
「受験かぁ、高校は秋葉と春風がここに行くっていうから頑張って付いてきたけど、流石にアイツらと同じ大学は無理かなぁ」
意外な事に2人とも勉強がよく出来る。
おっとりしているようで勉強が大好きな春風に負けるのはいいが、普段ふざけてしか居ない秋葉にも学力では大きな差がついてしまっているのは正直かなり悔しい。
「まぁ、あの二人は割と天才だししょうがないか」
しょうがないとは言いつつも、やはり少し寂しい気持ちもある。
大学で離ればなれになれば、段々も疎遠になって行くかもしれない。
その事を想像するとなんとも言えない不安な気持ちになる。
だからと言って、隼人の都合で2人の進路を決めていいはずがない。
先程も言った通り、2人とも頭がいいのだ、2人とこれからも一緒に居たい思うなら例え無理な事と分かっていても、彼らに追いつくために自分がもっと頑張らなければならないだろう。
はぁ、と小さくため息をつくと
「おーい!隼人!そろそろ部活行くぞ!早くテニスしようぜ!」
「──そうだな、朝っぱらからしんどいけど、行くか」
とりあえず、今日は部活頑張らないとな。