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ミラクルダイアリー

作者: Y.N

 実家から荷物が届いた。中には、母が漬けた梅干しだの旅行のお土産だのに混じって、くたびれた紙袋が入っていた。取り出すと古い紙のにおいがする。袋の中をのぞいて、あぁ、と声が出る。

 

 学生時代、誰にも言えない思いを吐き出すために、せっせと書いた大量の日記だ。母からは、「屋根裏から出てきたよ」と手紙が添えられていた。

 一冊取り出してぱらっとめくると、幼い字がノートを埋めている。こんな字を書いていたのか。あの頃の自分にちょっぴり会いたくなって、お土産の桜エビ煎餅をつまみながら、一番古い日記を探し出した。

 小学四年生から始まる書き出しは、「今日は○○ちゃんに意地悪をされて腹がたった」。いきなりネガティブだ。この頃から自分はこうだったのか。

 煎餅で汚れた手を拭きながらページをめくるうちに、読むのがやめられなくなった。


********** 

 ふっと気づくと学校の教室にいた。

制服姿の小学生たちが机の前に座っている。教室の黒板も制服もなんとなく昔っぽい。周りを見渡して、あっと息をのんだ。

 私の子ども時代にそっくりの子がいる。名札を見ると「荻野真苗」と、まさに私の名前だ。子ども時代の真苗が目の前にいる。どういうこと? 真苗に話しかけても全く反応なし。周りの子に話しかけても同じで、黒板の前にいる先生も、普通に授業を進めている。私の姿は誰からも見えないのか。

 

 休み時間になった。真苗が立ち上がって教室の外へ出たので、つられるように私も移動する。扉の上には「五年一組」と掲示されていた。真苗が手洗い場で手を洗う。鏡に映る真苗を見てまた、あっと息をのんだ。

 

 真苗の頭の真上から釣り糸みたいな透明な糸が出ている。その先に透明な風船が付いていて、中に私の顔が映っている。身体はない。こんなのが見えたら誰だってびっくりすると思うのだけれど、真苗は普通に手を洗い終え、また教室に戻った。


 深呼吸をしてもう一度教室を眺める。状況が少し見えてきた。私の目線が高い。真苗の頭の上から教室を眺めているからだ。頭をくるくる回せば、ふわふわしながら360度見渡せる。どうやら私は、三十年前の世界に誰からも見えない存在で漂っている。


 次の時間はクラスの係り決めだった。まず学級委員に眼鏡をかけた男の子が決まって、書記に字の上手な女子が決まった。このあたりのことは日記に書いてあった。


 五年生の一学期に私は生き物係になり、そのあとクラスでウサギを飼い始めた。ウサギの世話は大変だぞと先生が何度もみんなに言ったけれど、お調子者が「ぜーったい大丈夫!」と発言して、五年一組で世話をすると決まった。ところが夏休みは誰かがウサギを家に連れて帰らなきゃいけない。いっしょに生き物係をやった佳乃と私で押し付け合いになり、大ゲンカになったんだ。結局私が預かり、佳乃とはその後口もきかなくなった。日記には、佳乃とケンカをしたときの怒りや遊べなくなった寂しさがたくさん書かれていた。


 風船の中から教室を見渡す。

 係決めはどんどん進む。真苗が少し離れた席に座る佳乃に目で合図を送る。口の形が「いきものがかり」と動く。生き物係を決める番がやってくる。真苗が手を上げるそぶりを見せる。


 生き物係はやらないほうがいいよ。

 

 思わずつぶやいたけど、声は届かない。真苗は佳乃と示し合わせて、二人いっしょに生き物係に決まってしまった。

**********

 

 遠くで音楽が鳴っている。なに? 音がだんだん大きくなって、目を開けると自分の部屋にいて、目覚ましが鳴っていた。昨日、日記を読みながら寝落ちしちゃったんだな。

 

 夢だったんだ。妙にリアル。


 長い間、思い出しもしなかった友達の記憶がよみがえった。五年生のとき、佳乃と絶交したのは悲しかった。小学校時代の最も苦い思い出。


 その日出勤すると、派遣先の上司にいつものように叱責された。分厚いカタログのコピーをとるのに背の部分の字がつぶれているだの、支社へ送る荷物の伝票の作り方が悪いだの、次々と私の仕事に難癖をつける。あんな厚いカタログ、ページを切り取らない限り、誰がやったってうまくコピーできないし、伝票だって隣の部署の人に聞いたら間違いはないと言われた。陰湿ないじめだ。さっさと辞めて次の職場を探せばいい、と思うものの、転職活動にかけるパワーや時間を思うと面倒くささが先に立ち、じっと耐える日々だ。

 

 帰宅して日記の続きを開く。楽しいことより嫌なことや悔しいことの方が多く書かれている。でも今読み返すと、それもちっぽけな悩みだ。

 友だちとの些細なやりとりに心をすり減らした当時の自分に言い聞かす。そんなこと気にしなくってもいいの。大人になったら、もっと大変なんだから。

 

**********

 気づくとまた教室にいた。今度は中学の制服を着た真苗がいる。私はまた風船の中だ。

 音楽の時間で、先生が合唱コンクールの自由曲を決めようとしている。二つに絞った候補曲のどちらにするか、と問いかけている。

 

 この場面も日記に書いてあった。二年生のクラスで選んだ自由曲は、ピアノが難しかった。私は伴奏者に立候補したものの、本番では失敗して曲を止めるという大失態をしでかした。中学校時代の最も恥ずかしい思い出。

 

 風船の中から真苗を眺める。伴奏者に立候補しなければいいのに。

 

 私の声は届かない。なんとかあのときの行動を変える方法はないだろうか。風船の中でジタバタするうちに、当時と同じ自由曲に決まり、音楽の先生が「次、伴奏者を決めなきゃね」と言った。

「立候補する人」

先生の声に真苗が手を上げようとした。


「やめときなよ」


 思わず声をかけた。

 一瞬、真苗の身体がピクンと動いた、ように見えた。

**********


 カーテンから薄日が射す。鳥の鳴き声が聞こえる。一瞬、自分がどこにいるのかわからなかった。起き上がると、ベッドの下に日記が落ちていた。

 

 また寝落ちしちゃったんだ。

 

 本当にリアルな夢で、目を覚ました今でも、気分は中学生だ。

 忘れていたけれど、伴奏を大失敗した日から一ヶ月以上、ご飯がちゃんと食べられなかった。あのときは三キロぐらい痩せたっけ。


 そう言えばお腹がすいた。朝食の準備をしようと起き上がって日記を拾い上げた。たまたま開いていたページが目に入って、え、と手が止まる。

 

 合唱コンクールの自由曲名が「『野生の馬』に決まった」と書いてある。これ、もう一つの候補だった曲だ。んん? 私はこの曲のピアノ伴奏をした記憶はない。日記のページを繰っていくと、伴奏の話は書かれてはいるものの、失敗したとは書かれていない。


 私の記憶と違う。あんな強烈な思い出、忘れるわけなんてない。 


 どうしても確かめなければ気がすまなくなって、朝から昔のアルバムを引っ張り出し、何か手がかり

はないかと探した。合唱コンクールの写真を見つけると、確かに私は壇上でピアノを弾いていた。ついでに三年生の写真も確認したが、ここでも私は伴奏者として写っていた。私の記憶では、三年生では伴奏をやらなかったはず。記憶と写真の違いに頭が混乱する。


 はっと気づくと出勤の時間を三十分も過ぎている。空きっ腹のままノーメークで家を飛び出した。

 

 上司は厳しく私の遅刻を責めた。罪を償えとばかりに、新手の嫌がらせを受けた。頼まれた文書ファイルを修正して提出したら、「これじゃないでしょ」と突き返された。

「こっちのファイルを修正するように伝えたはずよ」。

 示された文書ファイルの送信時間が、私が指示を受けた時間よりもずいぶん後になっていた。文書ファイルをすり換えたんだ。黙ってもう一度作業をやり直して、「一体どれだけ時間かけてんのよ」と言われながら退勤した。


 疲れた。


 過去は変えられるのか、変えられないのか。本当に学生時代にタイムトラベルして人生をやり直せるのなら、後々の記憶を生かして挽回したいことがいくつもある。でもこんな中途半端なタイムトラベルじゃ、ストレスがたまる。


 今夜も日記を読み返せば、リアルな夢を見るにちがいない。昨日とおとといは、小学校と中学校時代の最悪の場面だった。次に出てくるのはきっと高校の場面だ。しかもあのときのことだ、と思う。


 高校時代を思い出すとき、必ずフラッシュバックする場面がある。思い出すたびに、喉に刺さった小骨のようにチクリと痛みが走る。もう二十年以上経つのだから、小骨も身体に吸収されてなくなるか、ポロリと取れて消化されても良さそうなものなのに、いつまでも存在を主張する。


 日記を読むか読まないか。腕組みをして考える。


 昨夜の夢で、微妙に過去が変わっていた。意図しない良い方向で。とすると、高校時代の私の黒歴史も変わるかもしれない。


 思い切って日記を開いた。


********** 

 合格発表を見ようと、大学の掲示板の前に立っていた。真苗の隣には高校時代の親友、麻美が並んでいる。


 演劇部でいっしょだった麻美は、高二で同じクラスになって以来、部活仲間以上の友だちになった。修学旅行のとき、片想いの男子に告白できるようにお膳立てしてくれたり、模試の結果が最低だったとき、ぼーっと校庭を眺める私の横にいてくれたりした。

 受験が迫り最後の授業になった日の放課後、二人で黒板いっぱいに落書きをした。「高校生活終わっちゃうねー。ずっと高校生がいいなー」と言いながら、嫌いな教師の口まねや、クラスで一番目立っていた男子の似顔絵や、文化祭でやった演目の台詞や、勝手に数学の公式を作ったりして、二人でゲラゲラ笑った。麻美のおかげで、高校生活を満喫できた。卒業してもずっと連絡を取りえると思っていた。


 風船の中から二人の姿を見つめる。今までに何度も思い返した場面が繰り広げられる。

 合格発表の掲示板に、真苗の受験番号はのっている。けれど麻美の番号はない。麻美は顔をこわばらせたまま、一人で立ち去ろうとする。真苗が麻美のあとを追う。黙り込む麻美にくっついて横を歩く。別れ際、真苗は麻美に言う。


「なんで受からなかったのよ。二人で一緒に合格しようって約束したのに」


 麻美が顔をゆがめて走り出す。真苗はその姿を黙って見つめる。


 私は風船の中で唇をかむ。どうしてあんなこと言っちゃったんだろう。黙ってそっとしておくべきだったのに。麻美を傷つけ、その後二人が遠ざかる原因をつくってしまった。やり直せるのなら、あの言葉を取り消したい。

 その後、何度も何度も言いたいと思いながら伝えられずにいた言葉を、また思う。


 遠ざかっていく麻美。今、叫べば声が届く。


 私は大声で言った。


「あのときはごめん!」


 風船がバンッと割れた。

**********


 目が覚めると喉がカラカラだった。夢を見ながら叫んだのだろうか。水を飲もうと起き上がって、そうだ、とベッドの下に落ちている日記を拾う。過去は変わっただろうか。

 

 日記は書かれていなかった。合格発表の日を最後に、私は日記を書くのをやめたんだ。どうしてやめたのか思い出せない。それまで、ぶつけるように愚痴や嫌なことを書き殴っていたのに。

 

 麻美とはその後どうなったか、確かめる方法がない。ぼんやりしながら朝食をとり、通勤電車に乗る。

 スマホを見ているうちに思いついた。私の記憶では、あのとき以来麻美とは疎遠になって、お互いの連絡先を知らない。もし過去が変わり高校卒業後も連絡を取り合っていれば、麻美の連絡先がスマホにあるはずだ。

 

 恐る恐るスマホの連絡先から「渡辺麻美」を探す。


 ない。やっぱり疎遠なままか。


 学生時代の友だちは、今は子育て中の人がほとんでなかなか連絡を取れない。でも麻美とはどんなに忙しくても連絡を取り合えると、あの頃は思っていた。

 あっ、とつぶやく。もしかすると結婚して名字が変わっているかもしれない。

今度は名前が「麻美」の人を、ア行から一つずつ探す。あってほしい。祈るような気持ちで一件ずつ名前を確かめる。

 

 ア、カ、サ、タ、ナ、ハ、マ……。

 

 いた。「山下麻美」。

 

 名前を見つめて考える。この「山下麻美」は「渡辺麻美」と同じ人物だろうか。

 わからない。過去が変わっているのなら、私の記憶と現実には違いがある。どうやって確かめたらいいのだろう。


 職場に着くと、上司からまた嫌がらせを受けた。いつも通り電話を取っても「電話応対の声が小さい」と言われ、「廃棄処分」として渡された書類をシュレッダーにかけていると「それ、重要書類よ!」と叫ばれた。

 

 我慢も限界だ。理不尽な扱いを受けているのは明らかで、これ以上黙っていられない。

 来客にお茶を出そうとしたとき、上司が私の足を引っかけた。つまずいて腕に熱湯がかかる。私はがばっと起き上がり、上司に向き合った。


「謝りなさいよ!」


 上司に腹が立った。親友に謝れなかった自分にも腹が立った。なんで今まで言えなかったんだろう。少し勇気を出して行動するだけなのに。


 人事部に行き、今までのことを全部話した。調べる、という返事をもらって退勤する。派遣先を変える方法もあるが、私が悪いことをしているわけじゃないから、まずは上司を処分してもらいたい。

 

 帰宅して思い切って「山下麻美」に電話をかけた。そう、少し勇気を出して行動すればいい。他人なら「かけ間違えました」と言えばいいし、麻美本人なら今度こそ二十年前のことを謝りたい。


「あ、真苗? 今度の定例ランチ、お店どうする?」


 電話に出たのは、懐かしい麻美の声だった。


                                         (了)


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