同盟戦争
一〇一七年にアニルヘルとバルト共和国が開戦したのを機に、レームア王ブラシオックスとニコロ王コンデミウス三世は同盟を結びコロン侵略を開始した。
元老院はルクサーニに滞在していた陛下に特使を派遣することを勧告する、しかし、陛下はこれを拒絶して、元老院に一任するとの書簡を出すと、その後は政治に一切関わろうとしませんでした。
陛下が変わられた事に確信が持てなかった元老院は、この戦役に深入りを避ける余り、仲裁らしい事は全くしなかった。
ティターンが何の行動も執らなかったために、レームアとコロンはティターンから了承を得たと勘違いし、周辺諸国もティターンの意志に逆らう事を恐れ、コロンからの援軍要請を無視し見捨てた。
ティターン軍を模したニコロ軍と海戦を得意とするレームア軍にコロン軍は敗北し続けるが、王都プリューゲンの攻城戦には一年もの間時間が掛かっていた。
長期間の攻城戦により、兵士達の不満と苛立ちは高まっており、王都に攻め入ったレームア軍とニコロ軍は、防衛に努めていた住民二万以上を殺した上に、無抵抗の住民に対して略奪や暴行を続け、両王はこれ等を数日間に亘って放置した。
それらの非道な行為に夢中になった兵士が王都に火を放ったために、火に囲まれている事も判らずに略奪していた両軍の兵士三万と鎖に繋がれていた住民二万余が逃げ遅れて焼死、これにより王都プリューゲンは放棄され、その城壁や建物の残骸までが売り払われ廃墟となった。
これらの行為を知った元老院は驚き、盟主としての責務を怠ったと自己を批判し、両国の王を危険視しすると、次の機会があれば積極的な行動に出る事を誓いました。
元老院は自分達で政治と軍事をおこなうと心に決めたのですが、それでも彼らは若い頃には陛下と共にミリディ―ウム中を駆け回り、陛下の用兵術を学び尊敬していたので、ルクサーニへ使いを出して陛下の不干渉とその一任を取り付けてから元老院決議を出す様にするなど、従来の形式を尊重していました。
しかし、これが本当に陛下のやる気を取り戻すためなのか、危機を煽り陛下から一任を取り付けてその権限を強化するためなのか、それとも、それが彼らの責務であると考えていたのかは判りませんが、全てを託されたと判断した元老院は、他国の問題に介入するに躊躇しなくなり、積極的にコルネル陛下の築き上げたティターンの権威を使いました。
それは、善意から出たものであり、他国の無能な為政者とは違い自分達を唯一の「人士」として意識する見栄でもあり、自分達の栄光と功績を後世に残したいという欲でもあったのでした。
ブラシオックスとコンデミウスは獲得したコロンの領土分割で争い始めるが、結果的には野戦軍の強いニコロが内陸の殆どを奪い取り、レームアには僅かな沿岸諸都市と港が残された。
コロン滅亡後、十四年の間、ティターン元老院はマーレ海において失った制海権を取り戻すべく画策するアルモーアやゲルターニアを相手に戦い、内陸部にまで侵攻して奪い取った都市を独立させると同盟を結び、これ等の都市を王達が奪い返そうと手を出せば懲罰としてさらに支配地を奪い、軍の解体や王子の引き渡し等で弱体化させる事で、アルウアとペルティペーとゲルターニアがティターンの属州となりました。
一〇三一年、ブラシオックスの死により幼い息子フォグナリオ四世がその跡を継ぐと、コンデミウスはレームアとの同盟を破棄して、レームア領となっていたコロンの沿岸地域に侵攻を開始、幼いフォグナリオの代理として内政を司るティティンは、本国まで攻め込まれる恐れがでる頃になって、ティターンとイオに援軍要請を出した。
レームアから援軍要請を受けた元老院はその年の執政官ガイウス・ティルティウス・ガルバとガイウス・クインス・プグナに十二個軍団を与えてレームアに進発させる。しかし、両者が向かったのはレームアではなく、コンデミウスの居る王都ダニキアであった。
ティターンとの関係を重視しつつ、ヴェルモンドを従属国としバイバドの一部を吸収したことでニコロの版図を最大まで広げた祖父コンデミウス二世とは違い、この時のコンデミウスは自ら指揮杖を持つ事なく他者に軍の指揮を任せていた。それでもニコロ軍が勝利し続けられたのは、ティターンを真似た国民軍と土地柄から農業が成り立たずに傭兵を生業としていたヴェルモンドの兵を使えた事にある。
ティターンの野戦軍が接近している事を知ったコンデミウスは、急ぎヴェルモンドから兵を招集しようとしたが、ティターンの軍団は驚くべき速さでダニキアに襲来し、その上、休む事なく次々と攻城兵器を組み立てる軍団兵を見てコンデミウスは驚き、執政官から城壁に破城槌が城門を叩く前までに降伏しなければ「王都に住む者全てを奴隷として売り払う」との最終勧告が告げられると、先の戦役で自分達が行った事を思い出して降伏の使節を送った。
旧コロン領の放棄。
ヴェルモンドの独立承認。
息子アルクレイウスをティターンへ送る。
賠償金として四十年間の分割でティターンに一億五千万パレリアを支払う。
軍の解散とその再編を禁じる。
これらティターン元老院の出した停戦条約は、ニコロ王コンデミウスには受け入れられるものではなく、彼はニコロ軍が戻るまでの時間稼ぎをしようと試みるが、ニコロ軍に編入されていたヴェルモンド兵は祖国の独立を望み、ニコロ軍への従軍を拒絶した。
従来からの傭兵による軍勢ならばティターンの軍団の敵ではなかったのだが、残ったニコロ軍は訓練を施された国民軍だったために粘り強く戦い、ガルバが率いるティターンの野戦軍は苦戦を強いられる。
いくらニコロの国民軍が勇敢であっても、補給を断たれた上に、増援により勇気づけられたガルバの攻勢に耐えきれず降伏することになった。
そして、休戦条約を無視したとして、プグナはダニキアの包囲戦を開始し、数日の内にコンデミウスは降伏し、ニコロは属州となった。
ティターンは次に、幼いレームア王の代理となっている者達では国は維持できないとして、元老院は執政権を渡すように勧告、当然レームアの実権を握り公職にある者達はこれに反対して、イオとモナモルに呼び掛けて同盟を結び対決しようとした。
イオ王レプラティスは近年のティターン元老院の行動を恐れており、ミリディ―ウムの王国が纏まるのはこの機会が最後だとして、アイルモとバイバドにも援軍を要請、合わせて十万以上の兵がレームアの防衛に提供される事に決まった。
五つの国を相手に戦う事になったティターンだが、元々ティターンはレームアの獲得だけではなく、イオやモナモル等の国に対して戦端を開く理由を欲しており、レームアに対する強硬な要請は、この状況を作り出すためだった。
この時期のティターンは、カーナや新たに版図に加わった地方の民衆も徴兵し、王の物であった土地が無産階級にも配られた事で食糧生産が安定し、同時に大量の軍団を編成することが可能になっていた。
一方、カーナが安定したことで傭兵を生業とする者の割合が減っていた上に、信仰する神々より神聖を与えられた陛下が納める国と敵対することを望む部族の戦士はほとんどおらず、各国の王達は国民軍を編成するために中央集権化を画策するが、殆どの国はこれに間に合わず、ティターンに併合されることになる。
一〇三五年、ティターン元老院は五つの国に対して、同盟条約違反として二十四個軍団を編制し宣戦布告する。
執政官マルクス・ペグティナとアルミゲル・ブルクの孫ガイウス・ライバス・ブルクは八個軍団を率いてイオへ、前年の法務官セクンドゥス・クティナとバティリウス・ナルキキスに同数の軍団を率いてレームアへ、そして、法務官マルクス・ライトとルキウス・ティルティウス・ムミウスも同じく八個軍団を率いてバイバドとアイルモの攻略へ向かい、最終的に四十個軍団が戦役に参加することになった。
中央集権化を進めていた各国の王達が率いる国民軍は、ティターンに対抗するために武具の改良をおこなう。
軍団兵を近づけないために長くなってゆく敵の槍に対して、陛下が定めたとして伝統的な武具を捨てることができずに苦戦していたティターンだが、ムミウスによって武装の改良が行われ、ブルクによる改革で大隊から中隊規模での行動をおこなうようになる。
総司令官達はイオとレームアの都市を味方に付けながら進行し、イオとレームアの王都を陥落させる。
フォグナリオ四世は、ティターンに年金と身の安全を保障されたので王権を捨てて亡命し、レプラティスはモナモルの支援が受けられる沿岸部の都市ホプロスに逃げ込み籠城を続けた。
七年後、モナモルの支援を受けて抵抗を続ける沿岸諸都市が幾つも在ったが、ティターンは最終的にレームアとイオ及びバイバドとアイルモを属州としてティターンの版図に加えました。




