アルトーエス戦役・中
シフィナシス族の族長アルクレイシスは、南の砦から傭兵軍が行軍を始めた際には、それを撃破するかまたはその足を止めることを約束するが、その代わりに同族が実行支配している地域をアルトーエスに正式に認めさせる。というのが同盟の内容で、ようやくアルクレイシスから返事が来ると、同盟を組むための担保として、部族の者二十名と、同じ数を我々の内から交換することを要求してきた。
アルクレイシスが立ち寄った街での略奪や住民に暴行を行った場合にはそれを制止する役目と、軍事行動に困った際には相談役になれるようディアニクスは、第一軍団の首席小隊長を務めるマルクス・ピウスと彼の推薦で口が達者と評判のガイウス・ガルバをその役に任じ、もしも、アルクレイシスが傲慢な態度を取り、この二名を捕らえることがあれば自力で脱出できるように、全軍の中から屈強な者を選び共にシフィナシス族の許へ向かわせる。
数日の内に同盟が結ばれたことを確認すると、アルクレイシスは一万の兵を率いて南の傭兵軍の許に向かった。
カイヤ村から出て十日後、東の地区を治める総督がいる都市を包囲していた所に、アルトーエス王スレイヴスより遣わされたディキオ・フラメウスが来る、我々がアンディコスの下僕だと思ってか、彼は馬に乗ったまま言い放った。
「我が王より貴国に向け、同盟更新のために大使が派遣された。
交渉の如何に関係なく、ただちに行軍を止め、大使が引き揚げるまではカイヤに戻り待機せよ」
ウェルティコスから我々の戦い振りを聞いていたスレイヴスは、傭兵が王都に集まるまでの時間を欲していた。
スレイヴスの焦りを理解していたディアニクスは、自身が交渉の全権を王と民会で認められていることを説明した上で言った。
「今さら、そのようなことを言っても遅い。
開戦の意を示したのは其方であり、我々は平和を望んでいたが、それを交渉もせずに拒絶したのは誰だ。
我々が其方と交渉を再開するのは勝利した後である、その際に改めてこちらから交渉の場を設けるだろう。
戻って主に伝えよ、王都に集結中の軍を解散し、リアナッカスの市門を開け、もし降伏の準備をしていなければ、お前は持つ物全てを失うだろう」
ディアニクスの発言を単なる傲慢だと受け取ったのか、フラメウスは金の入った革袋を彼の足元に投げ捨て言う。
「傭兵や平民風情が、神々に認められている高貴な方々の会話に入り込むのは良い事ではない、控えるべきだ。
だが、寛大なスレイヴスは、軍を解散させるならばお前達全員にこれと同額の金子を渡し、お前には封土を与えよう」
そう言うとフラメウスの従者等が、馬に積んでいた金を我々軍団兵に向けてばら撒くが、軍紀に従い落ちたそれを拾う者は存在せず、整列したまま誰も動かなかった。
我々がただの傭兵ではない事に気が付いたフラメウスは、再度行軍を停止するように願い、慌てた様子でリアナッカスへ帰っていった。
スレイヴスからの大使を受け入れたアンディコスは、懇願する大使の言葉と態度に心を動かされ、開戦の決断を後悔し始めていた。
ディアニクスに撤退するように命じるべきか迷っていた王だが、それを知ったライトはニルギス軍の快進撃を市民に広め、王が民会での決議を破ろうとしていると噂を流し、市民に偽装した軍団兵と雇っていた無産階級の扇動により市民は戦役続行の意を示した。
そして、アンディコスは国民の支持を失う事を恐れて自らの意思をまた変え、戦役続行を大使に言い渡すと王都から追い出した。
フラメウスの言を無視し進軍を続けた我々だが、天候不順とぬかるみによりひとつの集落に数日間逗留することが多くなり行軍は予想以上に遅れていた。それでもリアナッカスまでの距離は確実に狭まり、スレイヴスに圧力を掛けていたのは事実だった。
数日後、今度は大使に任命されたフラメウスが我々の許に戻り講和の条件を求めてきたのだが、停戦を承諾すればスレイヴスに兵を集結させる時間を与えるとして、ディアニクスはフラメウスに言った。
「交渉の条件を出す権利は我々にあることを理解したようだが、その条件を出すのは勝者としてであって、対等な立場での講和を求めるならば、これ以上の話し合いは無駄である」
しかし、ディアニクスは以下の条件を飲むのならば、休戦を約束すると伝えた。
一、ニルギスと同じように、税、借金、神官団、奴隷、これらの改革。
二、ニルギスとの同盟更新。
三、シフィナシス族に高度な自治を認め、内政干渉しない。
四、ニルギスと同盟を結んだ集落に対して報復措置を行わない。
五、現在リアナッカスに集結中の傭兵軍を解散させ、潰滅した傭兵軍の補充は他国民を入れずに、自国民から募兵する。
六、特権階級による私刑禁止。
七、全ての都市に組合の長による参事会と平民による民会を常設で開催する。
八、参事会と民会は、上級下級の行政官の選定を行い、法の発議、不正を行う者に対しては、注意勧告、告訴、裁判を行う権利を持つ、これに特権階級という例外は認めない。
九、王都で評議会を開き、その議員資格は二千セナリウスの資産を持つ者とする。
十、評議会は合議制によって意思決定を行い、民会での発議を纏め、民会での判決に不服がある者に対して二度目の裁判を行う。
十一、新たな法の制定には、王と評議会の承認を必要する。
十二、王は、評議会に政策の勧告を行い、評議会の判決に不服がある者のため、三度目の裁判を行い、評議会が緊急事態を決議した時以外、王は絶対命令権を持たない。
十三、王は評議員から書記官を選び、王が諸外国の代表団と面会する時や使節を派遣する時などには必ず同席させる。
十四、書記官はその際の会話などを公文書として残し、これを必ず公表しなければならない。
「これらの条件が守られるならば、神々に誓って、王都の壁に傷を付けることも、スレイヴスの退位も要求しない」
これらの条件は、到底受け入れる事ができる訳はなく、停戦などする積りはないという意味であるのは明白だった。しかし、フラメウスはスレイヴスの指示を仰ぐためにリアナッカスへ戻った。
十日後にフラメウスは戻り、降伏の条件が余りにも厳しく、それを認めれば、いずれスレイヴスは王位から追い出されると言い、傭兵に持ち場へと戻るように命じることと、ディアニクスと会談する意向を伝えてきた。
会談の場所は、王都の南に在るパドゥナ川の中州、パクナ島と呼ばれる場所で行いたいと言ってきたが、ディアニクスはこれを拒否した。
「我々が王都に辿り着くまでの時間を少しでも延ばしたいのだろうが、その策に乗る事はできない。
神々に誓って、会談は王都で開く。もし、我々が王都に到着した際、市門を閉じていたなら、王の一族に属する者の生命と財産、その全てを没収する」
ディアニクスの言葉に恐慌したフラメウスとその一行は、罵詈雑言を吐き、さらに去る際に指で呪いの印を結んだ、それを見た親衛隊長ガイウス・パトロニウスは憤怒して投石紐で石を放ち、頭の骨を打ち砕かれたフラメウスは死亡する。
他国の使者として身体の不可侵を保障されているフラメウスを殺したこの者をディアニクスは叱責したが、フラメウスの行いもあって厳罰を加えることはせずに、配給される小麦を二日間だけ大麦に変更するにとどめた。
フラメウスの葬儀を行い、我々は再び強行軍を開始、それから数日後、リアナッカスの市壁に在る見張り塔に、雷が落ち火災が発生、それにより壁の一部分が倒壊したとの情報が入る。
それを聞いた我々は、フラメウスが呪いの印を結んだことで、アルトーエスは神々の怒りに触れたと考え、自分達の勝利を確信し喜びに沸いた。
ディアニクスは急遽道を変えると、近くに在った街に立ち寄り、パトロニウスを伴い神殿へ行き捧げ物を送ると、連れていた家畜を潰して、街の住民も招いて入れ二日間の祭を開いた。