ルクサニの混乱
ニルギスは四つの行政区に分かれており、ルクサニが在る南東部の行政権を王から預かっているのはリコニスの都市長官である。
王都や主要都市はどんなに死者が出ようと出生率が下がろうと、土地を失い無産階級となった者や日雇いの労働者が市内に流入するので衰退への危機感はない。
合法か違法かに関わらず土地を集約して大地主となった者達は、雑草のように生え勝手に増える住民を搾取するのは自らの権利と考えた。
かつて市民といわれた国民は生まれた時から主従関係を植え付けられて自主性を失い、従来の英雄たちと同化し神格化された国父を崇めその血族に支配されることを受け入れてしまっていた。
税は十年に一度行われる調査に基づき徴収が行われるとされるが、官僚機構や地方行政は僭主の人気取りに利用されて脆弱となったために徴収は競売となり、傲慢な金持ち連中の狩場となる。
利益を得ようとした富豪たちにより、他の地方では全収入の六割を超えて八割を支払う年もあったが、コルネル家の支配が及ぶ場所では職業として確立しているので横領されることはなく、ルクサニでは直接役場に支払いを行う場合は減税されるために、概ね四割の支払いで済むようになっている。
貸金業もルクサニ一帯ではコルネル家が主導的な立場を執っているために、他の地方のように年率で四割を超える利息を取る業者は存在しなかった。
開拓による食料の増産と金属製の農具により農民の借金返済の能力は高く、返済不能となり一時的にでも奴隷身分に落ちる者が少ないことから市場としては魅力的で金が借りられずに困る者は少なかった。
さらに返済のために半自由民となった者を市域外に連れ出すことが禁じられているので、他の地方のように行方不明になる者は殆どおらず、コルネル家に対する信頼は厚く、家族の絆も強かった。
バールジャーは心優しい男ではなく傲慢な部分もあったが、責任感が強い彼は市域内に住む全ての住民を庇護すべき者と考えていた。
後数年バールジャーが長く生きていたらルクサニは都市への昇格はもっと早く達成されただろうし、コルネリットも焦って各地の代理人と契約更新のために走り回る必要もなく、人脈の構築に時間を掛けることもできたし、年齢から他の競争相手に侮られることもなかったのだが、バールジャーは日雇いの無産階級よりもずっと長く生き、十分に食事を摂ることのできる有力者としては平均的な年齢で死んだ。
バールジャーの死後、家督を継いだコルネリットと秘書のディアニックスは、代理店の経済状況の視察と契約の更新を行うために各国を回っており、その時はエディン王国の代理店に居て、その年の冬は無理にニルギスに戻らずエディン内で冬籠りをする積りであったが、彼らは急遽ニルギスへ帰還することになった。
ランバルトはニルギス王の遠戚に位置する貴族で、東の国境に築かれている砦の司令官の任に就いているが、傭兵達相手の博打により膨大な借金で破産状態にある事で有名な男である。
彼はコルネリットとディアニックスの不在を見計らってルクサニに来ると、顔もよく知らないコルネリアに求婚した。
勿論コルネリアは求婚を断るのだが、ランバルトの手には両人の結婚を認める証明書があり、その文章にはニルギス王が国家の長としての権限を使い二人の婚姻を認めたと記されてあった。
国境が雪に閉ざされている冬の内に式を挙げることまで決めたことから、以前より得られていた計略だったのだろう。
王の印が押された証明書の中には、借金まみれであるはずのランバルトの資産は、コルネル家の倍以上もあると記載されており、混乱していたコルネリアに対して式までに持参金を用意しておくように言い放ちランバルトは砦に戻ろうとするが、正気を取り戻したコルネリアに広場の前で呼び止められる、すると彼は広場で買い物をしていた住民に向けて演説をおこなう。
「街の皆よ私の言葉に耳を傾けよ、私はこのコルネル家の娘、美しい乙女コルネリアと夫婦になる事になったランバルト・ネル・イーである、君達が知っている通りニルギス軍の司令官である、父は『リコティアの乱』を収めたフルトバルであり、系譜を辿れば国父アナハルドに通じる。
将来的に諸君は、王の一族の保護下に入り、他の街以上に優遇されるだろう」
ランバルトはルクサニの住民から祝福の言葉を贈られると考え、自らの祖先が行った民衆への弾圧を武勇伝として演説する。
館に閉じ込められることなく育ち、誕生日は街を挙げて祝福し、双子を我が子のように思っていた住民は多く、何れコルネリアとディアニクスが家庭を持つと約束された事実のように噂されておりランバルトの演説は理解しがたかった。
演説が聞き取れない者もいたのだろうが、広場で買い物やお喋りをしていた住民の間に沈黙が漂うが、コルネリアの代わりに侍女達が事情を叫ぶと広場に居た住民は、自分達が親愛する姫とランバルトのような男が婚姻することなど認める訳がなく、ランバルトに罵声を浴びせ威嚇し、これに驚いたランバルトは従士に囲まれながら街を脱した。
ランバルトを追い返したことに喜ぶルクサニの住民であるが、三日後の夕刻、彼は六十名余の傭兵を率いて街に攻め込み、バールジャーの造った広場にいた住民二百名に剣を振るい二十四名を殺した。
さらにランバルトは傭兵が死人から金品を奪うのを制することなく、血塗られた装身具を洗うために広場の中央に湧き出る噴水は血で染まる。
周囲で騒然とする住民は恐怖で動くことができす、ランバルトは彼らを睨み付けると街を後にした。
ランバルトのこの行いに対して、ルクサニの街は恐怖と悲しみに包まれるが、数日の内に住民の間に怒りが広がり、広場に集まった住民から報復を叫ぶ声が上がる。
コルネリアや組合の長達は住民に平静を保つように説得するが、この事態の責任がコルネリアにあると非難する声も上がっており、街は混乱状態に陥っていた。
事実を確認するために王都オニキアに向けて出していた使者が帰還し、ニルギス王が家長権の行使を認めたとの報告を行う。
その報告を聞いたコルネリアはランバルトに対する嫌悪感からか、吐しゃ物を抑えようと口を押え膝をつく。
そして日の夜にコルネリアは自ら命を絶った。
もっと早く兄弟が帰還していれば、非難の声さえなければ、彼女の心を支える人物が傍にいれば、様々な後悔が街の住民を襲う。
彼らは自分達の中から湧き上がる罪悪感を隠すために「街に無法者が居座るのを防ぐためにコルネリアは自ら命を絶ち、婚姻そのものが正式なものとなる事を防いだ」と思い込み、コルネリアの行為を称賛すると共にランバルトへ呪いの言葉を吐きながら、個々の家に在る青銅を持ち寄り武装の準備を進めた。
ルクサニの管轄内に在る農村部もコルネリアの死を知ると、武装蜂起を進める街に率先して食糧を運び、自身の命を差し出す覚悟を伝えた。
この時、特に報復を叫んでいたのは夜警に就いていたデキムス・ルフィスが率いる若者の集団だ、彼らは殺戮が起きた当時は当番のために家で多くが休んでおり、広場で暴れる傭兵に対して対応が遅れた事を激しく後悔していたからだ。
ニルギス王とリコニスの都市長官は、ルクサニで何が起きているのか聞き知ってはいたのだが、季節が冬になろうとしていたのでこれを傍観し、コルネリットが帰還するまでルクサニの住民を止める者は誰もいなかった。