2 1930年半ば〜
隣の集落に木偶人形の残骸が売れたことは、山中桜とその父五郎の生活を少し楽にさせたが、それだけだった。
二人にとっては、その『少し』が問題だった。
「どうしよう……?」
1930年の5月頭になって五郎は頭を抱えていた。
大森夫妻の炭窯を一杯にする薪の量は一.五トンつまり四〇〇貫。一貫一〇銭での取引でこの冬に計三トン、大森夫妻に薪を売却したので、その稼ぎは八〇円にもなる。
工場勤務で月給五〇から六〇円が相場なこの時代に、月あたり二〇円の稼ぎを(一応)警官である山中五郎が『国家の資産』であるダンジョンで稼ぐのは問題であると、彼は考えたのだ。
「どうしたのお父さん?」
そんな父親の気も知らず、今日も桜はダンジョンに通って戦利品を持ち帰っていた。先ほどの探索では硬質粘液ばかり遭遇したらしく、その残骸を軒下に釣るしながらの質問だ。
せめて視線をこちらに向けろと五郎は思ったが、娘の楽しそうな背にため息をつくしかなかった。
「……ダンジョンで稼ぎ過ぎたんじゃあないか、と計算していたのだ」
「そうかな?」
根が贅沢ものな桜は五郎とは違う意見のようでピンと来ていない。
「ダンジョンは国有のモノで、その国有のモノで勝手に稼いだのは問題だろう?」
「無断でやったら問題だね」
桜はウンウンと頷く。
「でもお父さん、毎日日記に狩ったモンスターの数書いてるでしょ? あれを報告書として纏めれば『検証のため』って理由が付くから大丈夫なんじゃないかな?」
「果たしてそうかな?」
「さあ?」
桜は無責任に肩をすくめる。
「でも報告書は上げた方がいいんじゃない?」
「……それもそうか」
五郎は納得して報告書を書き始めた。桜は本日数回目のダンジョン狩りに向かった。
山中五郎が岡山県警察部ダンジョン課に上げた『ダンジョンモンスターヲ狩ルコトニヨル新規予算ト資源獲得ノ可能性ニツイテノ検証』という報告書は、県を揺るがした。
「これは大変なことになるぞ!」
岡山県内だけでも確認されているだけで八つのダンジョンがあり、大八洲では五〇〇ものダンジョンがある。ダンジョン出現時、国も府県庁もダンジョンで稼げないかは試算したが『モンスターが邪魔』との結論で『ダンジョン鉱山化計画』は頓挫したのだが。
この報告書によれば、父娘二人の範囲で、野良仕事や内職をしながらでも、副業と言うには些か多すぎる稼ぎを得られたという。しかも、県が『最も利益にならない』と判定を下したダンジョンで!
つまりは、民間人が入らぬよう監視の人員を置かねばならないため、完全に不良債権と化していたダンジョンのうち、一部は一種の鉱山となる可能性があることが証明されたのだ。
「この件は国に挙げねばならん」
「そうすると『金のなる木』を国に奪われかねんぞ!」
今のところダンジョンは警察部を通じて府県庁管轄であるが、『資源になる』と分かれば国に取り上げられる可能性が高かった。
なにせ大日本帝国は資源不足。朝鮮や南洋州に飽き足らず満州にまで手を広げようとしているほどなのだ。
日本本土で得られる資源は銅・亜鉛・硫黄・石炭に木材程度。その木材は限度があるし石炭は質が悪い。銅はいくらあっても困らないが、亜鉛と硫黄は銅の副産物が多いので銅生産に依存している。
ただ、ダンジョンを鉱山として扱うには、モンスターによる被害が怖くはあったが。
「世界大戦の時の鉄不足のように全日本臣民が資源不足で苦しむ可能性から開放されるならば、多少の犠牲も致し方なし」
府県庁はそう判断したし、その犠牲も無理に満州を獲得するよりかは少なくなる試算だった。
「早急に、交渉内容を纏めた上で、国に報告書を上げよう」
岡山県は山中五郎の報告書を国に上げつつ、他府県庁を引き込んで国と交渉した。
当然国は全てのダンジョンを管理下に置きたがったが、府県庁側は抵抗。だか、軍・財閥・貧民層からの突き上げも激しく、府県庁が折れるしかなかった。
そして1930年7月半ばには、以下のことが決められた。
・国はダンジョンを管理し、その責任と利益を負う。
・それに従い、ダンジョン警察官は国家公務員となる。
・ダンジョン警察官はダンジョンを入出する人と資源を監視する。
・ダンジョンから産出する資源は、そのダンジョンの位置する府県庁の指定する企業に売却される。
・ダンジョンに潜るための国家資格『冒険者』を新設する。
・冒険者になれるのは満一二歳以上の健康な男女のみとする。
・ダンジョン警察官は定期的にダンジョンに潜り、冒険者の実態を調べる義務を持つ。
等々。
府県庁側の抵抗は、ダンジョンから産出する資源を地元の企業に売却されるようにすることで、間接的に税収を上げることにするのが限界だった。
ダンジョンから産出する資源としては、木材・肥料・石材があり、また『山中報告書』の後の再調査によって、一部のダンジョンからは高品質な鉄鉱石や自然銀が確認された。
モンスターの肉やダンジョン内に生える植物も食べられるかもしれず、何ならモンスターを飼い慣らせるかもしれないことから、軍もかなり協力的に動いた。高級品で身体作りに必須の肉は半軍需物資であり、またモンスターを荷馬や騎馬として使えるならば、無理にお金をかけて機械化する必要もなくなるかもしれないからだ。
1929年2月の金本位制復帰後の10月24日ウォール街発の世界恐慌によって経済がズタズタになりつつあり、失業者の増えていた政府としては、その失業者を冒険者として吸収することによる景気・治安対策の面も大きかった。
ダンジョン出現から二年を目前に、ようやく大日本帝国は本格的なダンジョン探索へと乗り出した。