13 忍び寄る不可解な存在
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不意に、ゴトリと何かがずれる重々しい音が響いた。大理石の見事なマントルピースが付いた暖炉が、土煙を舞わせながら横にずれたようだ。
小柄な人影が作られた隙間をすり抜けて、忍び込んだ者特有の忍び足で天蓋に覆われた豪奢な寝台へと近づいていく。
「……………アシェルさま」
酷く甘ったるい声だ。
寝台に横たわる影に無遠慮に近づくと、掛けられている寝具の肩口に指をかけた。
「やっとお会いできた。ずっと探していたんですよ? どこに隠れていたんですか?」
どこまでも甘ったるい、胸焼けを起こしそうな、思考を絡め取る嫌な声だ。
「あたし、わかってました。逆ハー狙ってたけど、デリック様も他の攻略キャラ達もなんかちょっと違ってて。攻略は出来たのに上手くいかないし、王妃は邪魔するし。悪役令嬢の断罪が出来なかったから、これは隠しキャラのアシェル様にルート移行したんだって気づいたんです。だから、会いに来ました。アシェル様が愛する女はあたしだけ。ヒロインのあたしが王太子妃になるのは決まっていたんですから」
意味の分からないことを滔々と語るこの少女は何者なのか。得体の知れない存在にゾッとして、魔物の類ではないかと戦慄した。
「ねえ、アシェル様。あたしを見て? あたしを見てさえくれれば、あなたは必ずヒロインであるあたしを求めるわ。ね? 愛しいと思うでしょ?」
何を言っているんだ、この少女は。
一目見たからといって溺れるように求めるはずがない。初めからそうと決まっているかのように、強制力のある運命のように歪んだ愛を囁くこの少女はいったい何者なんだ。
ぐいっと寝具を引き剥がし恍惚と見下ろした少女が、途端「ひっ!」と短い悲鳴を上げて寝台から転げ落ちた。
大窓から差し込む弓月の仄かな明かりに照らされていた寝室が、突然パッ!と明るくなった。
「なんで! なんで!? アシェル様じゃない! あんた誰よ!」
「王太子の寝所に押し入った不審者に答える義理はない。貴様こそ誰だ」
アシェルの身代わりで寝台に横たわっていたのは、アシェルの幼馴染みで護衛騎士でもあるジェイドだ。床にへたり込む少女へ剣を突きつけたまま睨みつけている。
「本当に学ばないお嬢さんね。わたくしは幾度も忠告したはずですよ」
「アンタっ……、王妃!!」
不遜な物言いで憎々しく叫んだ少女の前に、それまで魔術士に姿を見えなくさせていた王妃が現れ、ひやりと冷たい声音で言い放った。
同じく姿を隠し顛末を見ていたアシェルとセレニアも魔術を解かれ、特に初対面のアシェルは遭遇した未知の生物を見る目で慄いていた。
「あ! アシェル様! そんなところにいたのね!? あたしです! 男爵令嬢のミリア・タンゼルです! あたしのこと、欲しくて堪らないでしょう!?」
「……………何を、言っている」
「ずっと家族に虐げられてきたことは知ってます! 双子のお兄さん達にも陰険な体罰を毎日受けてきたのも知ってます! でも大丈夫です! あなたが優秀であることを認められない狭量な家族なんて断罪しちゃえばいいんですよ! あたしはアシェル様の味方ですから!」
「本当に、君は何を言っている。そんな事実はない」
「えっ? でも立太子したってことは、最低家族の罪を明らかにして処罰したってことですよね? あたしが側で支えますから、そんな人達のせいで心を痛める必要はないです!」
「君は妄想癖と虚言癖の持ち主なのか? 言っている事が支離滅裂だ」
「あれ? なんで? ここでアシェルはヒロインを抱きしめるはずなのに、何で悪役令嬢から離れないの?」
「貴様! 王太子殿下の御名を呼び捨てるとは不届き者め!」
本当に常軌を逸している。これが淑女教育を受けた貴族令嬢だと?
――いや、ちょっと待て。男爵令嬢? まさか、この異常者がデリックや貴族子息達を惑わせた悪女か? これが!?
こんなものに引っ掛かったのか!? 嘘だろう!?
「本当に学習しないのですね。ここは現実で、あなたの言う攻略キャラは一人一人それぞれの人生を歩んで来た者達です。ゲームのように攻略ルートなど存在しません。わかっているのですか。あなたは前途ある若者の人生を狂わせ、破滅させた。今度は新たな王太子であるアシェルの寝所に隠し通路を使って忍び込むという大罪を犯しました。これはもう滅紋の刑罰だけでは足りませんよ」
「ごちゃごちゃとうるさいババァね! 同じ転生者のアンタが悉く邪魔したせいじゃない! 本当ならデリック様が国王になって、あたしが王妃になるハッピーエンドだったのに!」
「本当に救いようのない……」
はあ、と疲れた溜め息を吐き出した王妃は、これ以上の問答は無意味と断じて控えていた衛兵に男爵令嬢を捕らえさせた。
王妃を罵倒し、セレニアを罵倒し、アシェルに助けを乞う少女は地下牢へ引っ立てられていった。




