10 明かされる事情2
帝王学と聞いて、アシェルには身に覚えがあった。
大公領を継ぐ訳でもないのに講師に求められる学識水準が不自然なほど高過ぎることや、父の代行ではあっても長兄を差し置いて数年間領地を治めてきたことも、大公の三男という立場には見合わない『教育』と『実践』だった。
そう、まるで統治者の予行練習であるかのように。
「あなたが生まれた日に、神の啓示がありました。十八の歳に第二妃の王子が自らの行いにより失脚し、王太子の入れ替えが起こると。もちろん阻止するための対策は取ってきたつもりですが、下されたのは神示です。その時点であなたの立太子は内示されており、王太子として学ぶべき全てをデリックと並行して進めてきました。心当たりがあるでしょう?」
あり過ぎて返答に窮する。
たかが王弟の三男に著名な学者が数名付けられていた時点で既におかしい。長兄と次兄にさえ家庭教師は一人だったのだ。それも双子に一人の教師だ。
アシェルが師事した学者たちは、折に触れて事ある毎に教えた学問と識見の問い掛けを不意打ちで仕掛け、答えに詰まると六つある法令全書を暗記させた。
幼い頃から反復させられた地獄の暗記スパイラルのおかげで、憲法、民法、商法、刑法、民事訴訟法、刑事訴訟法の六法は諳んじることが出来る。大変不本意なことに。
あれも帝王学の内に入るのか否か、真剣に膝を突き合わせて講師方と議論したい。
神の啓示はあくまで可能性や確率の話だったのだろうとアシェルは考える。デリックが学びを無駄にしなければ、そもそもアシェルはスペアで終われたはずなのだ。
今更蒸し返したところで詮無い事だが、本当に、なんてことを仕出かしてくれたんだ……!
「非公式であっても確定に近い内示です。陛下は直ぐ様箝口令を敷きましたが、第二妃の生家、デリックの外戚がこれを知ればあなたは命を狙われる。代わりを務められる者がいなければ、デリックが不祥事を起こしたとしても目を瞑るしかないですからね」
その瞬間、アシェルの脳裏に所領の本邸と道中で何度も出会した毒蛇と毒虫が過ぎった。
そうか、あれは刺客が放ったものか!
生物による毒殺ならば暗殺の痕跡は残らない。なんてことだ、セレニアはそれを全て返り討ちにしてくれていたのか……!
「王家として、生まれ落ちた瞬間に神に選ばれているあなたは絶対に失えない。故に、デリックが自ら破滅するまであなたの存在を隠す必要がありました。それが大公領から出ることも、学園に通うことも許されなかった理由です」
「……………」
「あなたの意思に関係なく、国と王家のために家族から引き離し、領地に隔離するような窮屈で自由のない人生を強いてきたこと、王妃として、一人の母親として心よりお詫び申し上げます」
あろうことか深々と頭を下げた王妃に一瞬腰を浮かしかけたが、アシェルは一度ぐっと言葉を呑み込み、膨れ上がった激情を噛み殺した。
これでも王弟の息子だ。国と王家のために身を捧げる義務がある。
必要と判断されたのだ。これは犠牲ではない。当然と享受すべき責任だ。
「王妃様。お止めください。謝罪など不要です。両陛下は私の身を案じ、守ってくださっていた。感謝しております。仮に謝罪するならば、己の領分を弁えず色恋に籠絡されたデリックでしょう。身勝手な振る舞いが許されない身分だと、理解していなかったことこそが罪です」
「まあ……あなたは本当に正しく成長したのですね……」
デリックと比較されても困るのだが。正しく反面教師じゃないか。
「私のことなどより、一番の被害者はデリックの婚約者だったご令嬢でしょう。幼い頃から王太子妃となるべく厳しい教育にも耐えてきたでしょうに、彼女の心の傷は如何ばかりかと拝察するばかりです」
血の滲むような努力を労うどころか後ろ足で砂をかける行為だ。
渋面を浮かべていると、王妃がパッと満面の笑みを向けた。
「ああ、それは大丈夫ですよ。彼女は当初からあなたの正妃として立つ意志がありますから」
「……………はい?」
「デリックの婚約者ではありましたが、同じくあなたの婚約者でもあったのです。寧ろあの子はあなたの婚約者であると認識してきたようですよ」
「……………はあ!?」
思わず不敬にも声を荒らげてしまった。
父がさっと顔色を変えたが、王妃はまったく気にしていない様子で侍女に命じた。
「彼女を通してちょうだい」
混乱するアシェルを置いてけぼりにしたまま、侍女が退出して一分も経たない内に、彼女はやって来た。
「王妃様、大公閣下、そして……王太子殿下にご挨拶申し上げます」
「―――――――――えっ」




