第五十二話 消えない炎
――寒い。
視界が闇に染まっていく。
意識が闇に呑まれていく。
身体中を覆う氷結……冷たくて、寒い。
逃げ出したくなるほどの寒さだ。
だけど、俺には身震い一つすることができなくて。
動かない。
動かない。
動かない。
――寒い。
もういいや。
だって、こんなに寒い。
寒い日は風邪を引くから家の中にいた方がいいって、そんなの当たり前のことだ。
あまり雪を甘く見ない方がいい。
俺と■■■は、雪国でそれを痛感することになったのだから。
ん? ■■■って、誰だっけ……?
確か、大切で、忘れたくなくて、だから決心して……
……でも、寒い。
寒い。
寒い。
『いやだ……』
不意に。
『いやだ……いやだ……』
声が、聞こえた。
『いやだ……いやだ……嫌……』
まったく、嫌だ嫌だって、一体何がそんなに不満なんだか。
そんなに泣き出しそうな声で、馬鹿なんじゃないだろうか。
『いやだ……いやだ……嫌……嫌……』
辛いのか。
そんなに苦しいのか。
いいだろう、処世術を教えてやる。
いいか? そういうときは一度現状を受け入れて、諦めるんだ。
日々降りかかる辛苦を、「それは仕方ない」と割り切るんだ。
自分は矮小で、能力がなくて、人間的にも優れていないと受け入れる。
そうしていれば、心が痛むことはない。思い悩むこともない。
例えばパーティーメンバーに仕事外の雑用を押し付けられたり。
例えばパーティーメンバーが裏で陰口を言っている現場をたまたま目撃したり。
例えばパーティーメンバーに迷宮奥に放置されて殺されそうになったり。
例えば白いムカデに身体中を貪られたり。
例えば化物みたいなモンスターに噛みつかれて下半身がなくなったり。
例えば知らない記憶の中で幼い自分が誰かを切り殺していたり。
仕方がない。
それはそれで仕方がない。
だからこれはどうでもいいことなんだ。
な? こうやって心を殺していれば痛くない。
だから何も問題は――――
『嫌……』
だから! 一体、何がそんなに――
『一人になるのは、嫌……』
「……ぁ」
声が。
声が、聞こえた。
それは世界で二番目くらいには大切に想える女の声。
そして、どこまでも情けなくて。
それでも、彼女と■■■に救われた、男の掠れた声。
『一人にしないで――』
「――――――――」
――ああ。
どうでもいい、なんて言えるわけがなかった。
■■■を死なせてしまったことも。
■■■を泣かせてしまったことも。
彼女の首を跳ばせてしまったことも。
彼女が四百年という途方もない時間、暗闇に囚われていたことも。
どうでもいい、なんて言えるわけがない。
仕方がなかった、なんて割り切れるわけがない。
『世界の美しさを教えてやるって、楽しいことがたくさんあるから教えてやるって……そう、言ったじゃない』
「……ああ、そうだった、な」
心の奥の奥、芯の芯に、何かが燻っている。
――そうだ。
俺は世界を、街の人たちを、相棒の彼女を。
そして何より、■■■を――――ティナを、愛していた。
愛していた。
愛していた。愛していた。
愛していた。愛していた。愛していた。――そして、愛している。
胸の奥に、あるはずのない炎が灯る。
――瞬間、視界を覆っていた闇が晴れた。
――――――――――――――――――――
ちゅんちゅんちゅんちゅん。
囀る小鳥の声。広がる深い緑。
そして、屹立する、一際大きな木。
その木の下に、『彼女』がいる。
『本当は、嫌なんです……』
純白の法衣に身を包んだ彼女。
彼女は、その空のように美しい青色の瞳を曇らせながら、胸を押さえて続ける。
『あなたが傷つくところも、苦しむところも、見たくない。涙を流しているところも、涙を我慢して飲み込もうとしているところも、見たくないんです。……私のためだって、私との約束のためだって、ここに居る限り痛いほど分かってしまうから』
ここは、俺の『セカイ』――魂の、心の在り様を示す場所。
だからこそ彼女は傷つく……傷つけてしまう。
彼女はついに、はらはらと涙を流した。
そんな姿を見てられなくて。
俺はいつものように、彼女の金色の長髪を撫でながら抱き寄せた。
「ティナ、俺はお前を、世界で一番愛してる」
『……』
「もう俺の心の内はバレバレなんだろうけどさ、あえて言葉にして言うよ。俺はお前のために戦う。お前のために傷つく。お前のために苦しむ。お前のために涙を流す。お前のために涙を呑み込む。だって俺は……全身全霊でお前のことが好きだから」
『…………』
「好きだティナ……だから、力を貸してほしい」
『………………ちから?』
「ああ……きっと、『これ』を使うにはお前の許しがいる」
ハッとする彼女。
セカイにいる彼女には、俺が思い浮かべただけでその意思が伝わったらしい。
『確かに、これなら勝てるかもしれません……でも、もし、失敗したら……』
その懸念は正解だ。
俺の頭の中にある、この切り札は……一歩間違えたら俺の存在ごと消滅しかねない暴挙なのだから。
でも、俺は彼女から手を離し、胸に手をトンと置いて――
「大丈夫だ……俺を信じろ。世界で一番のお前が、世界で一番愛した男であるこの俺を、信じろ」
そう、精一杯の笑顔を浮かべて宣言してやるのだった。
そして、本当に名残惜しいけれど、俺は彼女から背を向ける。背を向けて、歩き出す。
向かわなければいけない場所が。
果たせていない約束が、まだあるから。
『モルド!!』
大好きな人の声に、足を止める。
振り返らないでいると、その人の息を呑む音が聞こえて。
『――勝って』
『勝って、ください……私とあなたの約束を、叶えるために』
俺は振り返らないままに、親指を立てて突き上げた。
そして歩き出す。
この、燃え上がるような気持ちを胸に。
逸る想いを胸に。
ただの歩みは、早歩きに。
早歩きはやがて、駆け足に。
そうやって駆け出した、その刹那――
――パキパキパキィッッ!!
何かが壊れる、音がして――
――――――――――――――――――――
目が覚めると、そこはほの暗い迷宮の中だった。
手に収めた〈レーヴァ〉の感触に安心感を覚えていると、驚愕に目を剥くヘルの姿が視界に入る。
俺を覆っていた氷は、いつの間にか消失していた。
代わりに。
俺を纏っていたのは、地獄の窯から掬い上げてきたような紅蓮の炎だった。
「【全治全能――形態・地獄炎】」
――ああ。
胸の奥から沸き上がる無限の勇気が。
確かに魂に刻み込んだ、いくつもの誓いが。
燃え上がるような、この盛大な恋心が。
熱い。
――熱い。
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