第五話 死
緑の光が、体中につけられた切り傷を癒していく。
死神の長剣が引き抜かれ、鮮血が散る。
金色の髪がふわりと宙を舞う。
純白の法衣が、斑模様の赤で彩られる。
膝をつき、倒れそうになった彼女の体を受け止めて。
それでも、頭の中の整理なんて、ついてくれるはずがなかった。
「な、なんで!? お前……転移で、帰ったんじゃ……」
「ごめんなさい、モルド……約束、守れそうにないみたいです……」
そう言って、えへへ、と笑うティナ。
「おぇ……うぅぅ……ぁ……」
「ティナ!」
ティナは口から血を吐き、胸からはごぽごぽと同じものが溢れ出ていた。
いや、それだけじゃない。
心臓と同じ部分にある不可視の魔力生成器官……いわゆる『魂』が破壊されたため、胸に空いた穴からは魔力が白い燐光となって宙を舞う。
魔力は血と同様、生命を維持するために必要なもの。
それが失われれば、当然待っているのは――――死だ。
「ティナ、胸の傷口をふさげ! お前ならできるだろ!」
「う、ん…………《安らぎ……癒せ……》」
虚ろな声で紡がれた詠唱が完成する。
回復魔術の、蛍を思わせる優しい光が舞う、が――、
「馬鹿野郎! 俺じゃねえよ!」
緑色の光が包んだのは、俺の右腕だった。
先ほどの回復でも治りきれなかった失っていたはずの右腕が、【聖女の加護】でブーストされた圧倒的な回復魔術によって完治する。
そしてティナは、もうすべきことはすんだと言わんばかりに、満足そうに微笑む。
ティナからはもう、魔力を感じない。
「なんで、なんで、なんで……ッ!」
「えへへ……ほんとに、ごめん……ごめん、なさい……」
何度も謝罪を繰り返して、ティナは懐から虹色の結晶を取り出した。
ティナの血で濡れた転移結晶だった。
「これ……」
「これを使えるのは、一人だけ、ですから……モルドが、使ってください。それで、逃げて……街で待ってるレイラと合流して、次の街に向かって、それで、それで、ね……?」
はぁはぁ、と息継ぎをしながら、それでも苦しそうな表情なんて浮かべずに。
「どうか、生きて……幸せ、に……」
そんなことを、言って、たったそれだけを言い残して。
「ティナ……?」
彼女の青色の瞳からは、光が失われた。
「あ……あぁ……あああ…………」
同時に、世界の全ての色が失われたかのような錯覚に陥った。
俺は何も考えられずに、ティナの亡骸を抱き締める。
もうティナのものでないそれは、まだ温かくて。
けれど、どれだけ強く抱きしめても、鼓動が返ってくることはなくて……。
「はは……生きて、幸せに? そんなの……」
お前が……ティナがいない世界で、そんなことできるわけないじゃないか。
そう結論付けて、気付く。
俺は、自分ができそうにもないことをティナに押し付けていたんだ。
ティナも……俺と同じ気持ちだったのだ。
「まだ、まだだ……何か、方法が……」
考える。
考える考える考える。
けれど。
そんな都合の良い方法なんて、思いつくはずもなくて……。
『ギギャッ――GIGYAGYAGYAGYAGYAGYAGYA!』
声に反応して顔を上げると、そこには、今の今まで成り行きを傍観していた【彷徨う赤き鎧】が、長剣を手放し、腰を落ち着けて腹を抱えていた。
「何を――笑っていやがる!」
憎しみの炎が沸き上がる。
口の端を噛み、血がツーっと流れ落ちる。
過ぎた感情なのかもしれない。
そもそも、これまで凌ぎ切れたことは奇跡に近いのだ。
――でも、コイツは……コイツだけは……っ!
俺が睨みつけると、死神はスッと静かに立ち上がった。
そして剣を構える。
少なくとも俺の身長ほどはある長剣に、赤い炎が収束する。
剣は赤熱し、刀身が伸びたかのような錯覚を覚える。
それは、騎士としての礼儀のつもりなのか。
赤く光り、揺らぐ瞳が、「力で捻じ伏せてやる」と語っている。
胸を渦巻いていた怨恨の感情に、忘れていた恐怖のそれが混ざるのを感じた。
「クソ―――ーッ!」
迫る長剣。
俺はとっさにティナの亡骸を抱いたまま、真横に身を投げ出した。
次の瞬間、激烈なる衝撃は迷宮全体を揺らしたかのように思えて――、
――メキメキメキメキメキィィィッッッ!
見れば、橋全体に亀裂が走っていた。
先程とは比較にならないほどの揺れが発生する。
――これはまずい。
俺がそんな風に思ったときにはもう……橋の崩壊は始まっていた。
「ぁ……」
言葉にならないような声が漏れる。
橋は石の瓦礫と化し、手を伸ばしても体を起こすことは叶わない。
抵抗虚しく、俺の体は、ティナの亡骸とともに闇へと……奈落へと落ちていく。
視線の先では【彷徨う赤き鎧】も、俺と同じように藻掻いている。
その姿は少し滑稽で、笑えてきた。
「ああ……」
……俺は、十中八九死ぬのだろう。
ここから次の階層までどのくらいの高さがあるかは分からないが、底を見渡せないほどの闇だったのだ。人間が落ちて生存することなど叶うわけがない。
けれど、俺はどこか落ち着いていた。
いや……諦めていたと言った方が正しいだろうか。
だって、仕方がないじゃないか。
俺が一番守りたくて、一番幸せを願った彼女は。
今、胸に抱いている、幼馴染の聖女はもう……
――――死んでいるのだから。
【勇者からの嘆願】
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